第三十話 大きくしないことと、隠すことは違います ―ラピス―
合同祭から十二日後の朝、わたくしは一時間目の授業へ出る前に、管理棟の応接室へ呼ばれた。
卓の上には、封書が三通並んでいる。
一通はアルヴェイン王宮の紋章入りで、もう一通にはマーチモンド伯爵家の封印があった。最後の一通だけは少し小さく、見慣れたロルカ王家の印が押されている。
「先に、学院から御報告いたします」
学院長が一枚の文書を開いた。
「マーチモンドは、昨日付で退学となりました。身元は御父君へ引き渡され、五日後には伯爵家が所有する北西部の領地へ移ると聞いております」
「ほかの学院へ移るのですか?」
「少なくとも、すぐに転入する予定はございません。軍学校への推薦も行わないと、マーチモンド伯爵から回答がありました」
ジャスパー様は、もうこの学院へ戻らない。
食堂の男子側からこちらを見つけることも、合同行事のあとに待っていることもない。シトリン様の行く手を塞ぎ、自分の話は終わっていないと言うこともできない。
わたくしは、その知らせを待っていたはずだった。
それでも退学という言葉を聞くと、胸の内には喜びよりも、ただ、やっと終わったという思いが大きく残った。
「ディアモン様たちについては?」
「それぞれの行動に応じた処分を行いました。三名を同じものとして扱ってはおりません」
学院長は処分の内容を簡単に説明した。
合同祭で担当区域に残ったルビアス様と、ディアモン様を止めたペリド様は、ジャスパー様とは分けて判断された。ディアモン様も停学を終え、昨日から授業へ戻っているという。
「承知しました」
「この結果を含めた最終報告書は、昨日、アルヴェイン王宮へ提出しております。ロルカ側にも同じ写しが送られました」
学院長の隣に座る王宮の事務官が、一通目の封書をわたくしの前へ置いた。
「こちらは、アルヴェイン王家からロルカ王家へお送りする回答の写しです。本状は昨夜のうちに出立しております」
封を開き、中の紙を取り出す。
――合同祭で起きた案内板の転倒と馬の混乱について、学院の設置管理に不備があったこと。
――警備員と護衛官による避難は予定どおり行われ、わたくしを含め、大きな怪我をした者はいなかったこと。
――その混乱の中で、学院から二度にわたり行動を制限されていた生徒が、教師と警備員の命令を無視し、わたくしの避難経路へ入ろうとしたこと。
三つは、きちんと分けて書かれていた。
「事故そのものが、わたくしを狙ったものではないことも記されていますね」
「はい。設置した者、案内板を確認した者、馬車の御者から、それぞれ話を聞きました。紐の固定が不十分だったことと、午後から風が強まったことが原因です」
学院警備の責任者が答える。
「マーチモンドの行動についても、事故の原因とは書いておりません。事故が起きた後、警備の妨げとなる行動を取ったと記録しています」
「それで結構です」
ジャスパー様が困った人であったことと、馬が驚いたことまで一緒にはできない。
すべてを大きな一件にまとめれば、ロルカ王女を狙った企てが学院内で起きたように見える。反対に、怪我人がいなかったからと小さくまとめれば、命令を無視して護衛対象へ近づいたことまで消えてしまう。
起きたことを、起きた大きさのまま記す必要がある。
「アルヴェイン王家からは、留学生である殿下に御不安を与えたことへの謝意と、再発防止についての回答をお送りします。王都中央学院からは、合同祭に限らず、今後の行事における警備と避難経路を見直します」
「お願いいたします」
「マーチモンド伯爵家からも、ロルカ王家と殿下へ謝罪状が届いております」
二通目の封書へ目を移す。
「こちらも、読んだ方がよろしいかしら」
「殿下宛てですので、お渡しいたします。ただ、今すぐ御覧になる必要はございません」
ベリルが答えた。
彼女の右手には、まだ薄い革の手袋がある。親指の付け根にあった赤みは、昨日見たときにはほとんど消えていた。
「謝罪を受け入れるかどうか、お返事が必要ではありません?」
「受領したことだけ、担当官を通してお伝えすれば足ります。個人的に御返事をなさる必要はございません」
「では、そうします」
封書は開かず、卓の端へ置いた。
ジャスパー様の説明を、これ以上わたくしが聞く必要はない。伯爵家の謝罪まで同じものとは思わないけれど、今は父たちへ任せればよい。
「最後に、こちらを」
事務官が三通目を差し出した。
「ロルカ国王陛下から、殿下への私信です。正式な回答とは別に届いております」
「父から?」
「はい。本日の早朝、公使館を通じて届けられました」
封を切る。
最初に書かれていたのは、わたくしとベリルに怪我がなかったことを喜ぶ言葉だった。次に、アルヴェイン側から受け取った報告の内容が短くまとめられている。
その下からは、父の字が少し大きくなっていた。
――最初の申し出を学院内の問題として扱うよう求めたことは、妥当であったと考える。
そこまで読み、わたくしは一度手を止めた。
叱られる可能性も考えていた。
外国へ留学している王女が、見知らぬ男子生徒から何度も付きまとわれていた。それをすぐ報告せず、母の祖国だからと学院内に留めたのだ。何か起きてからでは遅いと言われても、不思議ではない。
けれど父の手紙は、わたくしが最初に学院へ任せたことを責めてはいなかった。
――同級生の行いを、直ちにアルヴェイン王国全体の問題としなかったのはよい。学院へ是正の機会を与え、必要な命令が出されたことを確認した点もよい。
次の一文には、二本の線が引かれている。
――ただし、大きくしないことと、隠すことは違う。
横にいるベリルが、わたくしの手元へ視線を落とした。
「お読みになります?」
「よろしいのですか?」
「ええ。あなたのことも書かれています」
手紙を少し横へ動かす。
――命令を受けた後も同じ行動が繰り返され、非常時の警備にまで支障が生じた以上、報告を求めたことも正しい。最初の判断にこだわり、学院内で収め続ける方がよほど危うい。アマンド護衛官と相談し、事故と命令違反を分けて報告したことを評価する。
ベリルは最後まで読み、姿勢を戻した。
「お褒めいただいておりますね」
「ええ」
「珍しいことですか?」
「……わたくしが、普段あまり褒められていないように聞こえるのですけれど」
「国王陛下から、判断を明記した御手紙をいただく機会は多くないかと」
「そういう意味なら、確かに珍しいわ」
手紙の続きには、ロルカ王国から新たな正式抗議は求めないと書かれていた。
――学院が当該生徒を退学とし、伯爵家も家の監督下へ戻したこと。アルヴェイン王家が謝意を示し、学院警備の見直しを約束したこと。その二点をもって、この件は終える。
――ただし、今後同じことが起きた場合は、以前の経緯も含めて判断する。
父らしい結び方だった。
許したから何もなかったことにするのでも、王女へ無礼を働いたからと相手国へ責任を迫るのでもない。必要なことをさせ、その結果を確かめ、そこで終える。
「ロルカ側の御回答については、こちらの内容でよろしいでしょうか」
事務官が確認する。
「はい。わたくしから正式抗議を求めることもございません」
「承知いたしました」
「マーチモンド様が退学になったことは、回答へ入ります?」
「学院が相応の処分を行った、と記す予定です。処分の詳細は、添付する報告書で確認できます」
「では、それでお願いいたします」
わたくし一人の不快さを晴らすために、ジャスパー様がどこへ送られ、どの学校へ入れなくなったかまで、両国の文書へ大きく書き立てたいわけではない。
彼が学院の命令に従えなかったことは学院が判断し、伯爵家の者としてどう扱うかは、父君が決め、王女への警備に問題があったことは、両国が確認した。
それでよい。
学院長が立ち上がり、わたくしへ頭を下げた。
「このたびは、学院の生徒が繰り返し御迷惑をおかけしました。最初に御相談をいただいた時点で、十分な対応ができなかったこともお詫びいたします」
「学院長先生」
わたくしも椅子から立つ。
「最初の件では、学院から命令を出していただきました。合同祭でも、教師と警備員は決められたとおりに動いています」
「しかし、その命令に従わない生徒を止めきれませんでした」
「止めたでしょう?」
学院長が顔を上げた。
「ベリルが床へ伏せ、警備員が連れていき、教師が調べ、学院が退学を決めました。遅かったとは思いますけれど、止めなかったわけではありません」
ベリルが隣で、ほんの少しだけ目を細めた。
「ですから、今後はもう少し早く止めてください」
「……はい。必ず」
一時間目の開始を知らせる鐘が鳴った。
窓の外では、中央校舎へ向かっていた生徒たちが足を速めている。手に教本を持った下級生が二人、互いの鞄をぶつけながら階段を上っていった。
「授業へ戻っても?」
「もちろんです。遅刻については、こちらから担当教師へ伝えます」
父の手紙を折り、封筒へ戻す。
マーチモンド伯爵家からの謝罪状は、ロルカ側の担当官へ預けた。部屋へ持ち帰って何度も読み返すものでもない。
応接室を出ると、ベリルが廊下の時計を見た。
「一時間目は算術でしたね」
「ええ。小試験があるの」
「本日でしたか?」
「本日です。昨日、復習しておくよう言われました」
「延期をお願いしましょうか」
「どうして?」
「王宮と学院からの正式な報告を受けておられましたので」
「それと、昨日までに習った数学ができるかどうかは別でしょう」
ベリルは少し考えたあと、うなずいた。
「では、急ぎましょう」
「走りませんよ」
「存じております」
管理棟から女子部校舎へ続く回廊には、もう生徒の姿がほとんどなかった。
先日の一斉集会では、出口から女子部へ戻るまでの間に、四人の男子生徒が別々の場所へ立っていた。合同祭では、担当区域を離れたジャスパー様が、同じ回廊へ向かおうとした。
今日は誰もいない。
決められた場所に警備員が一人立ち、通り過ぎるわたくしたちへ一礼しただけだった。
教室へ着くと、教師はすでに答案用紙を配り始めている。
「ラピス殿下、アマンド。学院長から連絡を受けています。席へ着きなさい」
「はい」
窓側の席へ向かう途中で、シトリン様がこちらを見た。その隣では、アメージュ様が答案用紙を伏せたまま、声を出さずに口だけを動かす。
『終わった?』
わたくしは小さくうなずいた。
詳しい話は、昼食のときにすればよい。
椅子へ座り、ペンとインクを用意する。ベリルも向かいの席で答案用紙を受け取った。
教師が最後の一枚を配り終える。
「では始めます。制限時間は四半刻です」
最初の問題を読む。
父から褒められた判断と違い、こちらはすぐに正しい答えが分からなかった。




