第二十八話 友人なら隣を歩け ―ディアモン―
七日間の停学処分を受け、家へ戻った日の夕方、俺は父の書斎へ呼ばれた。
学院から届いた処分通知は、すでに机の上へ広げられている。
七日間の停学。保護者同伴での復学面談。今後の態度を確認するまで、学院から上級課程や士官学校への推薦を出すかは保留。
父は通知の横へ、合同祭当日の報告書を置いた。
「学院から聞いた話と、お前の話が食い違っていないか確かめる。最初から説明しなさい」
「案内板が倒れ、馬が暴れました。ジャスパーはラピス殿下の安全を確かめるため、持ち場を離れました」
「お前は?」
「俺も、ジャスパーに続こうとしました」
「なぜだ」
「殿下の周囲で事故が起きたからです」
父の指が、報告書の上にある見取図へ移る。
馬車寄せと中央広間、ラピス殿下が退避した通路、俺たちが木箱を運んでいた場所が描かれていた。
「この図では、馬とお前たちの間に、学院警備員と教師がいる」
「ですが、すべての危険に対応できるとは限りません」
「……お前は、その場で何を見た?」
質問の意味が分からず、父を見る。
「案内板が倒れました。馬が驚き、人が動いて――」
「それは報告書に書いてある。お前の目に、ラピス殿下へ迫る者が見えたのか?」
「いいえ」
「警備員が倒れていたか?」
「……いません」
「アマンド護衛官が、助けを求めていたか?」
「いいえ。……ですがジャスパーは、護衛が足りない可能性を――」
「マーチモンド令息が何を考えたかは聞いていない」
父の指が、見取図の俺たちがいた場所を叩いた。
「お前は何を見て、何を判断した」
「……ジャスパーが、殿下のところへ向かいました」
「だから後を追ったと?」
「友人を一人で行かせるわけにはいきません」
「教師からは何と命じられたのだ」
「荷物を置き、壁際へ寄るように、と」
「命令は聞こえていたのだな?」
「はい」
「それでも、マーチモンド令息が動いたから、自分も動いた」
「はい」
父は報告書を一枚めくった。
「ペリド・アスパーに止められた、と」
「はい、腕を掴まれました」
「そこで戻ったか」
「いいえ。放すよう言いました」
「ルビアスには?」
「ペリドを止めるよう頼みました」
「なぜだ?」
「ジャスパーを一人で行かせないためです」
父は、そこで紙から手を離し、目を眇めた。
「……先ほどから、お前の話にはマーチモンド令息しか出てこないな」
「? 一緒に行動していたのですから、当然です」
「殿下を守ろうとした、のではなかったのか」
「そのために、ジャスパーは――」
「また彼の話か」
一体何を俺に言いたいのだろう?
書斎の窓が、半分ほど開いている。外には、秋になって色の薄くなった庭が見えた。窓のすぐ下にある小さな池では、赤と白の金魚が水草の間を泳いでいる。
父は椅子から立ち、窓辺まで歩いた。
「こちらへ来なさい」
窓の下を指される。
一匹の金魚が、池の縁に沿ってゆっくり泳いでいた。尾の後ろには、細く黒いものが長くついている。
「見えるか」
「はい」
「何だと思う」
「……金魚の糞でしょう」
父はうなずいた。
「魚が右へ行けば、あれも右へ行く。左へ曲がれば、左へ曲がる。魚が止まれば止まり、動けばまた引かれていく」
「何のお話ですか」
「今のお前だ」
はっとして、池から父へ顔を戻す。
「父上は、俺が、金魚の糞だとおっしゃるのですか」
「マーチモンド令息が動けば動き、止まれば止まる。自分で行く先を決めず、後ろへついているだけだ。違うというなら、あの日、お前が自分で考えて決めたことを一つ挙げてみなさい」
答えようとして、俺は言葉が出なかった。
殿下のもとへ行くことを決めたのはジャスパーだ。俺は賛成した。
教師から離れることを決めたのも、先に動いたのもジャスパー。俺は続こうとした。
ペリドが止めたとき、ルビアスへ助けを求めたのは俺だ。けれどそれも、ジャスパーの後を追うため、だった。
「……俺は、友人を支えようとしたのです」
「友人なら隣を歩け」
父は窓を閉め、机へ戻った。
「相手が間違った方向へ行けば、腕を掴んで止めろ。何を考えているかを聞け。後ろへついて同じ言葉を繰り返すことは、支えるとは言わない」
「ジャスパーは、正しいことをしようとしていました」
「それを、誰の判断で正しいとした」
「俺も、正しいと思いました」
「なぜ」
「軍人を多く出してきたマーチモンド家の跡取りとして、危険を見過ごせないと――」
「それは、彼の家の話だ」
父の手が、処分通知の上へ戻る。
「お前は、マーチモンド伯爵の祖父君を尊敬していたな」
「はい。国境紛争で部隊を救った方です」
「祖父君の働きが立派だったことと、その孫の判断が正しいことには、何のつながりもない」
「ジャスパーも、いずれ祖父君のように――」
「なれるかどうかは、本人の行動で決まる。家名の後ろへ立っているだけで、祖父と同じ人間になるわけではない」
父は処分通知を折り、俺の前へ置いた。
「お前も同じだ。誰か立派そうな者の後ろにつけば、自分まで同じ側へ立った気になれる。だが、今回のお前がしたのは、命令を破って王女殿下へ向かった生徒を、さらに一人増やそうとしたことだ」
「危害を加えるつもりはありませんでした」
「警備員は、お前のつもりを聞いてから通すのか?」
「……いいえ」
「ならば、止められたことをアスパー令息の裏切りにするな。彼がいなければ、お前も護衛官の前まで行き、取り押さえられていたかもしれない」
七日間の停学で済まなかった可能性もある。
父はそう言い、復学するまでジャスパーやルビアス、ペリドへ手紙を送ることも禁じた。
「今は、彼らがどう考えたかを聞くな。自分が何をしたかを考えなさい」
「ジャスパーの処分についても、聞いてはいけないのですか」
「決まれば学院から知らされる」
「ですが――」
「また、彼の話か?」
机の上には、俺一人の名前が書かれた処分通知がある。
父は呼び鈴を鳴らし、俺の教科書をすべて書斎へ運ぶよう使用人へ命じた。
停学中も学院と同じ時間割で学習し、夕方には父が内容を確認するという。
外へ出ることも、友人を訪ねることも認められなかった。
そして七日間、俺は一人で机へ向かった。
*
復学の日、父とともに学院長との面談を終え、四年一組の教室へ戻った。
俺の席には、停学中に進んだ範囲の課題が積まれていた。だがその隣のジャスパーの席は、まだ空いていた。教科書も鞄もない。
ルビアスは四日前に復学しており、朝の課題を自分の席で広げている。
ペリドはオーパスと何か話していたが、俺が入ると一度こちらを見た。
「停学が明けたら話すと言ったな」
鞄を机へ置き、俺はペリドの席まで行く。
「授業が始まる前に話すのか?」
「今でいい」
「教師が来るまでだぞ」
ペリドは椅子へ座ったまま、こちらへ体を向けた。オーパスは手にしていた本を閉じ、少し離れた自分の席へ戻る。
「合同祭の日、なぜ俺を止めたんだ?」
「教師から、壁際へ残るよう言われていたからだ」
「それだけか?」
「ジャスパーが、また自分だけは例外だと思って動いたからだよ」
「殿下の近くで事故が起きたんだ」
「馬は御者と厩務員が抑えていた。殿下には護衛官と警備員がついていた」
「それでも、ほかの危険がなかったとは限らない」
「その危険を確かめるのも、俺たちの役目じゃない」
ペリドの返事は、停学前と変わらない。俺は机の端へ手を置いた。
「お前が邪魔をしなければ、俺もジャスパーと一緒に殿下のところまで行けた」
「だから止めたんだ」
「友人を後ろから押さえて、教師へ引き渡すのが正しいと思っているのか」
「お前を行かせないことは、正しかったと思ってる」
ペリドが椅子から立つ。
「学院の処分も、そうなっただろ。俺が止めなかったら、お前は七日では済まなかったかもしれない」
「処分を軽くしてくれと頼んだ覚えはない」
「そうか。でも俺は、また同じことが起きても止めるよ」
「ジャスパーへの恩はどうしたんだ!」
教室の中にいた何人かが、こちらを見た。以前なら、ペリドはこの話を出すと答えに詰まった。
「無論、忘れてない」
今度は、すぐに返事が来た。
「落馬したときには助けてもらった。医務室まで運んでくれたことも、ずっと覚えてる」
「なら――」
「だけど、助けてもらったからって、間違ったことへ一生ついていく約束はしてない」
ペリドは鞄を持ち上げた。
「僕はもう、ジャスパーの後ろへはつかない。お前がついていこうとしても、止められるなら止める」
「恩知らずだな」
「そう思うなら、それでいい。返せる恩は、ここまでだ」
ペリドは、教室の反対側にある空いた席へ移った。
教師の許可を取っていたらしく、机の上にはすでに彼の教科書が何冊か置かれている。
「ルビアス」
今度は、窓際の席へ声をかける。
「お前も、ペリドが正しいと思うのか?」
「僕は、合同祭で壁際へ残ったから、三日間の停学で済んだ」
ルビアスは課題の紙から顔を上げた。
「もし君に言われてペリドを止めていたら、僕も七日だったかもしれない。父上からの推薦も、もう失った」
「だから、自分のことだけ考えるのか」
「……君は、今度は僕に同意してほしいのか?」
鉛筆の先が、紙の上へ戻る。
「ジャスパーがいないから?」
始業の鐘が鳴った。教室の前扉が開き、教師が入ってくる。
「席へ着きなさい」
俺は自分の机へ戻った。
前には誰も座っていない。ジャスパーの机は、教科書を置く者もなく、きれいに片づいたままだった。
これまでは、彼が立てば、その後ろへ続けばよかった。
今日は、前の席から誰も立たなかった。




