第二十三話 護衛はすでに動いております ―ベリル―
木の板が石床へ当たった瞬間、私はラピス殿下の腕を取った。
音は正面玄関の外、馬車寄せから聞こえた。
倒れた案内板は大きいが、こちらへ飛んできたものではない。近くにいた警備員も、板ではなく馬の方へ走っている。
馬が頭を振り、前脚を一度高く上げた。
御者は手綱を引き、馬車の向きを正門側へ変えようとしている。車輪のそばに人はいない。
危険なのは、驚いた馬より、中央校舎側へ下がってくる人の流れだった。
「殿下、こちらへ」
横の通路へ向きを変える。
通路の入口には、今日の警備計画どおり二人の護衛がいた。
一人は灰色の上着を着たロルカの近衛。もう一人は、来賓の従者に見える服装をした学院警備員である。
二人とも朝から何度も位置を変え、来賓の中へ交じっていた。ラピス殿下には、どの者が警備に加わっているかを事前にお伝えしてある。
私が右手を上げると、近衛が先へ入って通路の奥を確認した。
学院警備員は中央広間側に残り、こちらへ人が入らないよう入口へ立つ。
「シトリン様とアメージュ様は?」
殿下が振り返る。
「同行の教師が誘導しております。まず、奥へお進みください」
大勢が同時に動いているところで、立ち止まって二人を待てば、殿下の周囲にも人が集まる。
女子部の教師がシトリン様たちの前へ入り、壁際へ寄せるところは確認できた。
通路の先には、来賓の休憩に使う小さな控室がある。近衛が扉を開け、中へ人がいないことを確かめた。
「殿下、こちらへ」
「馬は?」
「御者が抑えております」
控室まで退く必要があるかは、次の報告を聞いてから決める。
現時点では、殿下を中央広間から外し、正面玄関と馬車寄せの両方から見えない位置へ移すことが先だった。
殿下の靴が、通路へ落ちていた紙を踏みかける。私は足で脇へ寄せ、控室の前まで進んだ。
「お怪我はございませんか?」
「ええ。誰かにぶつかられただけです」
「どちらを?」
「左の肩です。痛くはありません」
制服の袖や肩に破れはない。腕を動かしていただき、痛む場所がないことも確認する。
中央広間から、警備員の声が続いていた。
「馬車寄せへ出ないでください!」
「晩餐会場へ向かう方は、右側の扉へ!」
「中央階段から下りてくる方は、その場でお待ちください!」
命令は重ならず、それぞれ別の場所へ向けられている。人々の靴音も、先ほどより揃い始めていた。
近衛が中央広間の入口まで戻り、外を確認する。
私が手で合図すると、一度うなずいた。
「アマンド護衛官」
学院警備員が通路へ半歩入った。
「案内板の紐が風で外れました。馬は御者と厩務員が抑えています。馬車の乗客も降りておりません」
「不審な者は?」
「確認されていません。正門と馬車寄せを一時的に閉じます」
「怪我人は?」
「転びかけた方が一名。近くの生徒が支えました。治療を要する者はいません」
私は殿下へ顔を向けた。
「馬車寄せでの小事故です。このまま、しばらくこちらでお待ちください」
「シトリン様たちは?」
「間もなく来られます」
女子部の教師が、シトリン様とアメージュ様を連れて横の通路へ入ってきた。
二人の服にも乱れはなく、歩き方も普段と変わらない。
「お二人とも、お怪我は?」
「ありません」
シトリン様が答え、アメージュ様も腕や肩を確かめる。
「わたしも大丈夫です。でも、予定表を落としました」
「あとで捜します。今はここへ」
学院警備員が通路の入口を空け、二人と教師を中へ通した。
それから元の位置へ戻る。
馬車寄せでは、厩務員が馬の轡を取り、御者とともに正門側へ歩かせていた。倒れた案内板は壁へ寄せられ、二人の学院使用人が、外れた布と紐を畳んでいる。
中央広間に残っている来賓も、警備員の案内に従って晩餐会場へ移り始めた。
閉じられていた正面扉の片方が開き、外にいた者は別の入口へ回されている。
すでに混乱は収束へ向かっている。
「晩餐は予定どおり行われますか?」
ラピス殿下が尋ねる。
「会場側に問題はありません。ただ、学院から改めて御案内があるまで、こちらでお待ちください」
「ダンスは?」
「それを今、御心配なさいます?」
「だって、寄宿舎へ戻る時間が短くなるでしょう」
殿下は制服の袖を整え、先ほどぶつかられたという肩をもう一度動かした。
「お怪我がなくて何よりです」
「本当に、それだけで済ませるのね」
「控室へ入りましたら、休憩時間を確認いたします」
「では、早く入りましょう」
殿下が控室へ向かいかけたとき、反対側の通路から教師の声が響いた。
「荷物を置け! 壁際から動くな!」
大講堂と舞踏室を結ぶ通路に、男子生徒が四人いた。
木箱を運んでいたらしく、三人はすでに荷物を床へ下ろしていた。ジャスパー・マーチモンドだけが、箱を抱えたまま中央広間を見ている。
「マーチモンド! 荷物を置きなさい!」
二度目の命令で、ようやく箱が床へ置かれた。
担当教師は四人のすぐそばにいる。昨日の役割確認に従い、持ち場を離れないよう指示しているのだろう。
ルビアスは壁際へ下がり、置いた箱の横へ立った。ペリドも同じ場所へ寄ったが、中央広間を見たままジャスパーの動きを確かめている。ディアモンはジャスパーの隣から離れない。
ジャスパーが、こちらを見た。
殿下の姿は、私と近衛、それから通路の入口にいる学院警備員の間から一部だけ見えている。
それでも、誰であるか分かったらしい。
「ラピス殿下!」
ジャスパーが壁際から出た。
「マーチモンド、戻れ!」
教師が腕を伸ばしたが、ジャスパーはその横を抜ける。ディアモンも続こうと一歩踏み出した。
「行くな!」
ペリドがディアモンの肩を掴んだ。
「何をする、放せ!」
「先生から動くなと言われただろ!」
ディアモンが腕を振り、ペリドの手を外そうとする。
ルビアスは箱の横から動かず、教師とジャスパーを交互に見ていた。
私は殿下と中央広間の間へ立った。
「殿下、控室へお入りください」
「また、あの方ですか」
「こちらで対応いたします」
近衛が殿下へ付き、控室の扉を開ける。
シトリン様とアメージュ様も、女子部の教師に促されて奥へ移った。
学院警備員は通路の入口を塞ぐ。
ジャスパーはこちらへ進みながら、馬車寄せと中央広間を見回している。
「殿下は御無事ですか?」
「お戻りください!」
「大きな音がして、馬が暴れたのでしょう。周囲の安全を確認しなくてはなりません」
「すでに確認しております!」
私が答えている間にも、馬は厩務員に引かれて正門の外へ出た。
中央広間の来賓は晩餐会場へ進み、転びかけた者には学院の医務担当がついている。
「マーチモンド令息。こちらへ来てはなりません!」
「ですが、殿下の周囲で混乱が起きています!」
「護衛はすでに動いております。学院警備員も配置されております。あなたは担当教師の指示に従い、持ち場へお戻りください!」
ジャスパーの後ろから、学年主任が追ってくる。
「マーチモンド! 止まりなさい!」
だが彼は足を止めなかった。
「今は通常時ではありません!」




