第二十一話 普通に終わればいい ―ルビアス―
合同祭前日の午後、僕たち四人は大講堂の裏口へ集められた。明日の担当場所を、実際に歩いて確認するためである。
大講堂の舞台裏には、折り畳んだ椅子や譜面台が壁際まで積まれていた。
夕方から使う舞踏室へ運ぶ燭台には布が掛けられ、花器や卓上飾りは木箱へ入っている。中身が分かるよう、箱の側面には番号と運び先を書いた札がつけられていた。
「お前たちは明日、ここへ朝の鐘が二度鳴るまでに集合しろ」
男子部四年の学年主任が、僕たちへ役割票を一枚ずつ渡した。
「午前中は大講堂の椅子と譜面台を動かす。午後は、軽い晩餐が終わる前に舞踏室の支度だ。運ぶものと順番は、その都度こちらから指示する」
僕の役割票には、集合場所から解散時刻まで細かく書かれていた。
大講堂の裏口、舞台裏の保管室、舞踏室へ通じる北側通路。
活動できる範囲は、その三か所だけである。
「先生は、どちらにいらっしゃいますか?」
ペリドが役割票から顔を上げた。
「必ず一人は、この通路へ残る。作業の指示を出す教師と、運び終えたものを確認する教師もいる」
「一人もいなくなることはありませんか?」
「ない」
学年主任は通路の中央まで歩き、左右の扉を順に示した。
「こちらが大講堂、反対側が舞踏室だ。ほかの通路へ出る場合は、教師の許可を受けろ。飲み物や食事を取りに行くときも同じだ」
「来賓の方から、何かを運ぶよう頼まれた場合は?」
ペリドの質問が続く。
「その場で返事をせず、教師を呼びなさい。明日は学院の生徒だけでなく、保護者、卒業生、大学関係者も来る。誰がどの役を任されているか、来賓には分からない場合もある」
「分かりました」
ペリドは役割票の余白へ、短く書き込む。
以前なら、こうした確認をするのは僕だった。
一斉集会のときも、ジャスパーの話を聞きながら大講堂の図を描いた。誰がどこに立つか、殿下がどの道を通るか、見つからずに配置するにはどうすればよいか。考えている間は、少し面白かった。
……だけど僕が描いた紙は、女子部の教師に取り上げられた。その写しが家へ送られ、父上の机へ置かれたときには、もう面白いものではなくなっていた。
――学院の命令もないのに、外国王女の移動経路へ人員を配置した。
父上は何度も、その一文を読んだ。
卒業後に士官学校へ進みたいなら、命令と自分の思いつきの違いくらい理解しろ、とも言われた。官吏を目指す場合でも同じである。学院から次に報告が来たら、どちらの推薦も頼まないとまで言われている。
僕はまだ進路を一つに決めたわけではない。
けれど、決める前に両方を失うのは困る。
「ルビアス。聞いているか?」
学年主任が僕を見ていた。
「はい。担当区域から出る場合は、先生の許可を受けます」
「それだけではない」
役割票の一番下を指される。
「混乱が起きた場合は、運んでいるものをその場へ置き、壁際へ寄る。その際には走るな。教師や警備員の指示を聞くんだ」
「はい」
「椅子や箱を持ったまま動き回れば、避難する者の邪魔になる。通路の途中へ勝手に物を移すな」
大講堂の裏口から、二人の学院使用人が長卓を運び出してきた。僕たちは壁際へ寄り、通り過ぎるのを待つ。
幅のある卓なので、二人が横へ並ぶと通路の大半が塞がった。
「こうしたものを運んでいる最中に人が集まれば、まず卓を安全な場所へ置く。自分たちで人を誘導しようとするな」
教師が僕たちを順に見た。
「特にマーチモンド、ディアモン。お前たちは来賓の警備や誘導には一切関わるな」
「承知しております」
ジャスパーが答え、ディアモンも続けてうなずいた。
「ラピス殿下を含む王族、外国からの来賓には、学院の警備担当と指名された案内役がつくから、お前たちは近づくな。誰かに頼まれたと思い込んで、勝手についていくことも認めない」
「思い込む、という言い方は――」
ディアモンが口を開いたが、教師は次の役割票へ目を移した。
「先に説明したとおりだ。必要な案内役は、すでに決まっている」
大講堂から舞踏室まで歩き、扉の位置と物を置く場所を確かめる。
舞踏室では、床を磨く作業が終わったばかりだった。窓を開けて乾かしているため、磨き粉と蝋の匂いが残っている。
「明日の午後は、壁際へ小卓と椅子を並べる。中央へ出すな。配置は床の印に合わせろ」
床の隅には、細い白線と番号がつけられていた。
僕は役割票へ、舞踏室の図を書きかけた。前に作った配置図のことを思い出し、鉛筆を止める。
「図は書いても構わん。ただし、教師が示した配置だけだ」
学年主任がこちらを見ずに言った。
「勝手に役割を増やすんじゃないぞ」
「……はい」
今度は、床の番号だけを紙へ写した。
*
見学を終え、大講堂の舞台裏へ戻る。
学年主任は四人の役割票を確認し、最後にそれぞれの署名を求めた。
「明日の朝、もう一度同じ内容を確認する。質問はあるか?」
ペリドが自分の紙を見直した。
「作業がすべて終わった場合は、どこで待ちますか?」
「この保管室だ。教師から次の指示があるまで待て」
「途中でジャスパーたちから、別の場所へ行こうと言われても?」
「行くな!」
教師の返事は早かった。
「いや、ペリドだけではない。四人とも同じだ。互いに相談して、担当を変えることも認めない」
「分かりました」
ペリドは署名した役割票を教師へ返した。
彼は僕とほとんど話さず、ディアモンの方も見ない。必要な確認を終えると、空になった木箱を運ぶ生徒のために道を空けた。
ディアモンの靴が、床を一度強く擦った。
「ほかに質問がなければ、今日は解散する。明日は遅れるな」
教師は四枚の役割票を重ね、保管室の係へ渡す。舞台の方から呼ばれ、そのまま大講堂へ入っていった。
扉が閉まると、ディアモンがペリドへ向き直った。
「……ずいぶん念入りに確認するんだな」
「前に確認しなかったからだよ」
「今回は教師に言われたことをすればいいだけじゃないか。それくらい、皆分かっているのに、しつこいんだよ」
「だけど、確認することは困ることじゃないだろ」
ペリドは壁際へ置いていた鞄を取った。
ディアモンは通路の中央から動かず、帰ろうとする彼の前へ立つ。
「お前、ジャスパーが信用できないなら、そう言えよ」
「そういう話じゃない」
「さっきは、ジャスパーたちから別の場所へ行こうと言われても、なんて聞いたじゃないか」
「実際、この間はそれをやっただろ?」
ペリドの手が、鞄の肩紐を握り直す。
「学院長から注意された日の朝だよ。女子側へ行くなと言われたのに、俺たちは自分たちだけは違うと思った。だから明日は、誰が何を言っても先生へ確認する」
「お前、恩を忘れて、今度はジャスパーを問題の元にするのか?」
ディアモンの声が通路へ響いた。大講堂の中から、椅子を動かしていた生徒がこちらを見る。
「もちろん、助けてもらったことは忘れてない」
「なら、なぜ信じない?」
「だけど、助けてもらったからって、何をしても正しいことにはならないよ」
ペリドが答えるまでの間は短かった。
以前はディアモンに恩の話を出されると、それ以上言えなくなっていた。今は、同じ言葉を何度ぶつけられても戻るつもりはないらしい。
「もういいだろ」
ジャスパーが二人の間へ入った。
「学院の指示には従う。明日は、命じられた仕事をする」
「本当に、それだけにしろよ」
ペリドはジャスパーの言葉を聞いても、鞄から手を離さなかった。
「何が起きても、まず先生の指示を聞くんだ」
「分かっている」
「だったら、今ここで言ってくれ。危険が起きても勝手に動かないって」
「何事もなく普通に終われば、持ち場を離れる必要はない」
ジャスパーは、僕たちが歩いてきた北側通路を見た。
「明日は教師も警備員も配置される。学院の計画どおりに進めば、私たちは備品を運ぶだけだ」
「学院の計画どおりに進まなかったら? その時はどうする?」
ペリドがすぐに尋ねる。
「そういう時に、もし何か起きても先生の指示を聞けと言ってるんだ」
「聞いている。だが、本当に目の前で危険が起きれば、指示を待つ時間がない場合もある」
「また、それかよ」
ペリドの靴が一歩、ジャスパーへ近づいた。
「お前は、何か起きるのを待ってるのか?」
「そんなことは言っていない」
「何も起きてほしくないなら、起きたときの自分の役ばかり考えるなよ」
ディアモンが、二人の間へ腕を出した。
「ペリド、いい加減にしろ。ジャスパーは学院の指示に従うと言ったじゃないか」
「そのあとで、また例外をつけただろ」
「普通に終われば、と言っただけだ。何もおかしくない」
「おかしいから聞いてるんだ」
ペリドはディアモンの腕を押し戻した。
「明日は、何があっても教師と警備員が先だ。俺たちは人を増やさない。分かったか、ジャスパー」
「先ほどから、分かったと答えている」
「言ってることが続いてないんだよ」
「お前が心配しすぎているだけだ」
ディアモンはジャスパーの隣へ移った。
「一度、教師に厳しく言われたから、今度は何をするにも怖くなったんだろう。だからといって、ジャスパーまで臆病者にしようとするな」
「命令を聞くことを、臆病とは言わない」
「お前は何度同じ話をするつもりだ?」
「ジャスパーが同じ例外を残す限りだよ」
ペリドは肩へ鞄を掛け、保管室の出口へ向かった。
扉を開ける前に、僕の方を見る。
「ルビアス。お前も分かってるだろ」
「何が?」
「ジャスパーが、まだ万一の場合は別だと思ってることだ」
三人の目が僕へ集まった。
分かっている。
父上に叱られた朝も、ジャスパーは学院の命令へ従うと言った。そのあとで、危険が起きた場合は状況によると続けた。
今日も同じである。普通に終われば従う。学院の計画どおりなら動かない。
何かが起きたときについては、何も約束していない。
「でも、先生がずっといるんだろ」
僕は役割票の写しを畳んだ。
「何かあれば、先生が止めるよ」
「俺は、お前がどう考えてるかを聞いてる」
「僕だって、勝手に動くつもりはない」
「ジャスパーは?」
ペリドは扉へ手をかけたまま、返事を待っている。
ここで、ジャスパーも勝手に動かないと言えばよかった。
本人がそう言わないなら、僕から、動くなと言えばよかった。
だが、ディアモンはすでに怒っている。ジャスパーも、これ以上同じ話をする気はないだろう。
明日は教師がいるし、警備員もいる。
それに、合同祭で本当に事件が起きる可能性など、ほとんどない。
「明日の仕事をすればいいだろ。もう帰ろう」
役割票を上着の内ポケットへしまう。ペリドはしばらく僕を見たあと、扉を開けた。
「そうだな。俺は帰る」
一人で通路へ出ていく。
ディアモンは何も言わず、反対側の扉から大講堂へ戻った。ジャスパーも、自分の鞄を取って後へ続く。
僕は最後に保管室を出た。
扉へ鍵を掛ける係が来るまで、舞台裏の壁際で待つ。ポケットの中では、四つ折りにした役割票の角が制服の布へ当たっていた。
もう、明日さえ、普通に終わればいい。




