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序幕

久々の投稿なのですごく緊張しています……また亀進行になると思いますが、気長に見守って頂けると嬉しいです。

「わあ可愛い」


 柔らかな朝日の伸びる石畳に、小さな歓声が響いた。

 視線の先には手のひら大のパンが複数、籠の中に鎮座している。どれもこんがりときつね色をして、焼きたての香ばしさを漂わせていた。


「でしょ? これなんか見て、猫のかたちしてるの。可愛くて中身も見ずに買っちゃった」


 少女の指先が示すのは、猫を象ったパン。顔の特徴を捉えているのではなく、それよりは難易度が高そうな全身を象ったものだ。まるみを帯びた背中のラインと、ぴょこりと飛び出す耳のかたちが猫らしさを醸し出している。

 上手いものだなあ、と示されたそれをしげしげと眺めた。


「うん。これはつい買っちゃう。ちなみに中身は何だったの?」

「煮魚」

「にざかな」


 猫だから? と一瞬思ったが、とはいえ「煮魚」は斬新だ。

 水分が沁みている様子はないので、結構しっかりと煮付けられているのだろう。案外美味しいのかも知れない。商品化しているくらいだし。


「食べる? あげようか」

「ううん、いいよ。ニーナが食べて。後で感想きかせてね」


 笑って辞退すれば、少女――ニーナは眉を下げて力なく笑った。確か彼女は魚介が苦手だと言っていたような。


「まあ、他にも可愛いのいっぱいあったよ。このウサギは中身が違うのが3種類あったし……後はケーキみたいに飾り付けされたやつとか。これは教えなくちゃと思って急いで来ちゃった」


 籠の中を示しながらニーナが楽しげに話す。

 弾んだ声音ときらきらと輝く大きな目を見ていると、何やらこちらまで楽しい気分になってくるから不思議なものだ。


「うん、僕ウサギとか猫とか……こういう可愛いの大好き。ありがとね、後で行ってみるよ」

「よかった。昼前は混むから早めにね」


 安堵したように笑うニーナが、手を振って踵を返す。籠を大切そうに抱えて家路を急ぐ彼女は、酷く眩しく見えた。

 なんてことない、穏やかで平凡な朝の風景。

 平和だなあ、と小さく呟いて、背後の扉に手をかける。

 鍵はかかっていない。すぐに戻るつもりで、開けたまま出かけたのだ。想定より少し時間がかかってしまったが、扉の前で消費した時間なのでノーカウントでいいだろう。

 取っ手を引っ張るとカランと柔らかな音が鳴る。

 来客を知らせるためにあるのだと、ドアベルの意味を聞いたのはだいぶ前のことだ。ドアベルを鳴らす度に思い出しはするけれど、今ではすっかりその音に慣れてしまった。


「ただいまぁ~」


 間延びした声を上げながら、木目の床を踏む。

 目の前に広がるのは見慣れた店内。珍しい動物の剥製に、踊り子のスカートのようなランプ、精巧な作りの置き時計。所狭しと置かれている古めかしい調度品の数々は、どれも埃をかぶってとても売り物には見えない。

 もう何年とここが居場所のような顔をして乱雑に積まれているそれらを横目に、埃のない床を進んだ。

 最初の頃は、ああいった「商品」が足の踏み場もないくらい置かれていて、一歩進む度にまっしろな埃がもうもうと舞ったものだった。それをここまでマシな状態にするのに、気の遠くなるような努力と労力を重ねたのだ。

 あの頃はよくやった、と遠い記憶の自分に拍手をしてやりながら、カウンターに回る。

 カウンターの奥には、開けっぱなしの扉がひとつ。

 かつてはきちんと開閉されていただろうその扉は、いつの間にか閉まるということを忘れてしまったらしい。立て付けが悪くなってしまったのか、閉めようとしてもびくともしなくなった。


「おーい、シス? いい加減起きてるだろー?」


 閉まらずの扉をくぐると、そこから先は居住スペースだ。この草臥れた店を営む店主、シスの自宅である。

 呼びかけながら進むと、窓際に置かれたソファの上で薄手のブランケットが山を作っていた。


「……ここで寝るなって言ってんのに……」


 二階の寝室にはきちんとしたベッドがある。

 シーツは頻繁に洗濯し、天気の良い日には布団も枕もきちんと干して、それはもう快適に保ってあるベッドが。

 だというのに、ベッドの持ち主であるシスは、このソファで寝るのをやめようとしない。

 本人曰く「うたた寝をしてしまっている」のだそうだが、一晩中ソファに横になっているのをうたた寝にカウントしていいものか、甚だ疑問である。

 唇を尖らせながらブランケットを掴みあげるが、中には草臥れたクッションが数個くるまっているだけだった。本体がいない。


「おかえり、早かったな」


 首を捻っていると、あくび交じりの声がした。

 振り向くと、キッチンに続く扉にもたれかかるようにして、細身の男が佇んでいる。

 シス・ヴァルトス。

 淡い金髪と深緑の目をもつ、無愛想なこの店の主だ。

 癖のない髪は特に手入れをせずとも、常にさらさらと指通りが良い。今も寝起きには違いないだろうに、動きに合わせて揺れる髪はまったく常通りである。

 長めの前髪の奥で瞬く双眸はひどく眠たげで、僅かに潤んだ目元はどこか幼さすら漂わせている。

 シスは再び猫のようなあくびをしながら、手にマグを持ってソファへと移動してきた。

 マグから漂う鼻腔を擽る香りに、思わず眉が寄った。


「俺のは?」

「あるわけねーだろ。いつ帰ってくるかわかんないのに」


 冷めた珈琲なんて美味くない、とシスがソファに座る。だらけきった溜め息と共に、その体がソファにゆるゆると沈み込んでいく。


「嘘つき。アレ、部屋に置いたまんまじゃん」

「ん。お前がいるなら必要ねぇしな」


 マグに唇をつけながら、なんでもないことのようにシスが答える。それは事実上の自白だ。


「そうやって誤魔化すのたち悪い。もういい、自分で淹れる」


 胸の中にじわじわと広がる感情を無理やり押し込んで、溜め息をこぼしてキッチンに向かった。

 出しっぱなしの器具と豆、まるで想定していたかのように用意されたもうひとつのマグを見て、鼻を鳴らす。普段なら豆を出しっぱなしにしたり、器具を洗わずに飲み始めるなんてことはしない。

 嘘つきめ。

 小さくごちて豆の袋を開けていると、ソファから声がかかる。


「ここまで聞こえてたぞ、賑やかな声」

「ああ、うるさかった? ちょっと盛り上がっちゃって。ほら、こないだ角のとこにパン屋できたじゃん、ニーナがそこで買ったんだって。味はまあまあらしいけど見た目が可愛いって言っててさ」


 頬を上気させて笑うニーナの顔を思い出しつつ、答える。『可愛いモノ』を語る彼女はとても可愛らしかった。きらきらと輝く表情は好ましい。

 そんないい気分も、続くどこか平坦なシスの声でぶち壊される。


「"僕うさぎとかネコとか、こういう可愛いの大好き"?」

「……盗み聞き」

「違ぇ。言ったろ、聞こえたって」

「……なんだよ、あんたが表情筋死んでるから俺がかわりにご近所付き合いしてんだろ」


 舌打ちして吐き出せば、シスは悪びれる様子もなく相変わらず淡々と言う。


「好きで()()なんじゃねーし。ていうか、わざわざ必要あんのか、そのキャラ」


 そんなことは知っている。

 作り物めいたシスの綺麗な顔は、表情が消えてから一層近寄りがたさが増した。古くからの馴染みでない人間は、大抵その冷たい美貌に怯えを見せる。だから替わりに交流をするヤツが必要なのだ。本当は酷く優しいシスが、無表情の下で寂しがっていることを知っているから。

 あからさまに溜め息をついて、珈琲を淹れたマグを手にソファに移動する。

 ソファのど真ん中に鎮座するシスに目線で「どけ」と促すと、シスは案外大人しく端に寄った。


「必要あるからやってるの。処世術ってやつ」

「処世術なあ……別にそのままでもおかしくないだろ」

「人懐っこくて気配りができて……こう、庇護欲そそるっていうの? なんかぽやんとした人間の方が溶け込みやすいって聞いたから」


 かつて聞いた『条件』を指折り思い出す。できれば多少の失敗もあると親しみが増すらしいが、今のところそれらしいものはクリアできていない。


「それ、誰に」

「ハロルド」

「あいつか……ったくほんと余計なことしかしねぇなあの野郎……」


 知己の名を挙げたら、シスが文字通り頭を抱えた。がしがしと金色の髪を乱暴に掻いて唸るように呟いた。


「なんだよー、ハロルドには色々お世話になってるだろ」

「それとこれは別。お前もうハロルドにその手の話聞くな。知りたかったら俺が教えてやる」

「え……シスが? それこそ無理じゃない? 表情死んでるじゃん」

「うるせぇよ。あいつに任せるよりマシだ。そもそも、別に溶け込もうなんて必要ねぇだろ」


 不機嫌そうにシスが吐き捨てる。

 言われてみれば確かに、必要ではないのだろう。

 シスは基本ひきこもりの幽霊店主だし、この寂れた店は毎日開店休業状態。収入自体は別にあるので、頑張って店を切り盛りする必要もなければ、その他に副業に精を出す必要もない。

 最低限、人間らしい生活をすればそれで十分なはず。


「まあそれはそうなんだけど……」


 手元のマグに視線を落とす。ゆらゆらと揺れる黒い波。

 思い出すのはこれが苦いものだと知らなかった過去。これを美味しいと感じる日が来ることを想像もしていなかった。


「せっかくだし……それに、ヒトに愛される"僕"のほうが何かと便利でしょ?」


 仕事にも役立つし、と笑えば、シスが緑の瞳を細めて鼻で笑う。


「は、さすがだな。この悪魔め」


 悪魔。

 侮蔑でも悪態でもなく、シスの唇から放たれるその言葉はそのままの意味だ。

 伝承や信仰の中、人々の恐怖の中に、悪魔は息づいている。人には決して見えない闇の奥からその手を伸ばし、誘惑し、引きずり込み、そして人に成り代わる悪魔という存在。

 そうやって闇から這い出てきた悪魔を、そうと知覚できるのはごく一部の人間だけだった。

 シス・ヴァルトスは、稀少なそのひとり。

 悪魔を探知し、捕えて闇に帰すのが彼の本来の仕事だ。

 そして、彼に捕えられ使役されているのが――この『俺』。


「当然だよ。俺は優秀な悪魔だから、使えるモノは何でも使うさ。例えばシスの大好きなこの顔とかね。

 ――ところで昨夜は寝室に入ったの確認したんだけど、なんでここに寝てた形跡があるのか、ちょっとお話聞かせてくれない?」


 シスがこの「顔」を気に入っているのは知っているし、本人も認めているところだ。

 彼の好む笑みを浮かべて首を傾げたら、シスが完璧な無表情になった。そのふらりと泳ぐ視線が、彼の内心を雄弁に語っている。

 

 この不精者の店主に人間的な生活を送らせることが、今の『俺』の使命である。





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