遅れ音
時間を守る。
小さいころから教えられる、大事なルールのひとつだろう。
時間は時計を介して確認できるとはいえ、どうにもそれだけだとその場にあると実感しづらいブツだと思う。
物の自然な傷みなどで判断するには、悠長がすぎる。公共の乗り物の運行、寺社の打つ鐘の音などで知ることもあるが、別に色がついて視認できるわけじゃないからな。
しかし、みんなで動くとなると、とたんに時間は重くのしかかってくる。
何かをするために時間を使う、ということは、他の何かをしないために時間を使っているわけだからな。あらゆるチャンスを潰しての一点集中だ。参加する人たち全員のね。
それをひとり、ないしは少人数で時間を守らないのみで、ぶち壊す恐れがあるのだから、嫌われるのも文句がいえないだろう。事前に伝えてくれるなら、それに応じて有意義な時間の使い方を考えなくもないが、ドタキャンはなおきついな。
そして、みんなへの迷惑ばかりとは限らない。守らなかったばかりに、自分が痛い目に遭うこともあるかもだ。
以前に友達から聞いたことなんだが、耳へ入れてみないか?
家の時計を5分早くしておく。
時間にルーズな人が行う、古典的な遅刻対策の手段だろう。友達もまた、つい時間を忘れてしまう人間だったから、腕時計を含めていろいろと細工をしていたのだそうだ。
遅刻の原因。人によって様々だろうが、友達の場合は時間を忘れがちなのにくわえ、自分の移動時間の読み違いが、たびたびあったという。
自分が思ったよりも、早く動けていないなどだ。乗り物を使ったなら、道の混み具合などではかりやすいだろうが、歩きなどだと、たとえ慣れた道であったとしても、時計なしで自分のペースを把握しきれない場合もあるんじゃないか?
友達の場合、自分が考えていたよりもトロトロしていたのだとか。信号とかで露骨に止められたならともかく、そのようなことがなくとも数か月前より進むスピードが落ちている。
5分早くした時計であっても、カバーしきれないほどの遅れ。実際に相手を待たせて頭を下げる羽目になったことも。
悪気があったわけじゃないだけに、回数が重なってくると不快な気分が募ってくる。
なにが原因なのか、友達も気になっていたようだ。
体重の増加、身体能力の低下などを真っ先に疑う。
だが、特に急ごうと意識せずに歩いても、同じ距離で数十分単位の遅れが生じることがあるんだ。場合によっては、同日内で数往復しても。
疲れによるスペック低下がでかいのか? と思いつつ、疲労を感じないときの歩みでも、さりげなく遅れは生じてしまう。この遅れの原因は、なんだろうか?
幾度も試すうちに、友達はあるひとつの仮説を立てるに至った。内的要因ではなく、外的要因。それも我ながら突拍子もない、と最初は思ったとか。
それは進む途上で響く、工事の音。
これを遠くに聞いてしまうとき、自覚ができないほどさりげなく、足が遅くなってしまうらしかった。
はじめは信じがたく、別の原因があるものと思っていたそうだ。けれど長い休みであったことを利用し、道を変え、時間帯を変えて様々に試した結果、遅れてしまうときの共通項は工事にしか見いだせなかったと。
工事現場の近くを通った、とかとも限らない。たとえ現場が視認できなくとも、そこで扱うだろうドリルなどの工具音。これが耳に入ったとき、自分の歩みが知らず知らずのうちににぶってしまうのだと。
なぜなのだろう、と友達は思う。
ミソフォニア、音嫌悪症のたぐいかと感じたが、これまで自分が同様の工事音で動きが鈍ったことはなかったはずだ。ここ最近になってわずらった……という線もなきにしもあらずだが、嫌悪症ならばその名の通り、嫌悪の色が出る。
気分が悪くなったり、音を止めようと攻撃的になったり、逆に逃げ出したり……少なくとも平静を保つことがむずかしい、穏やかならざる心地になると聞く。
しかし、こちらは足が自覚なく鈍るだけであって、そこまで極端な嫌悪にさらされるわけでは……。
そう考えながら、てくてくと歩いていた帰り道。
地面をえぐる、あのドリルの音が響いてきた。すでに家まで残り数分といったところだ。
あたりを見回すも、音源は分からない。個人的なDIYで使っているのだろうか。
ちらりと時計に目を落とす友達。ここから家までは5分ほどで着く。そして自分の仮説が正しいのであれば、このドリル音を聞いたことで身体は勝手に減速を始めてしまうかもしれない。
ならば……と、友達は逆にあえて加速。突っ走る道を選んだ。
これならば、大幅に時間を縮めて家へ着くことができる。そうそう、自分の身体でいたずらをされてたまるか、と意気込んでいたのだけど。
走り始めてほどなく、両ふくらはぎの裏側がぴんと伸びきった感触、直後に顔を引きつらせたくなる強い痛みが襲ってきた。
こむら返り。動いても、動かなくとも、足ごと筋肉を釣られるような強襲を、友達は受けた。
――こんなときに……?
痛みにはそれなりに強いほうという自負はあったものの、大幅なスピードダウンは否めず、ほとんど足を引きずる格好になった。
結局、普通に歩いていたときよりも、大幅なタイムロスになってしまい、先ほどの予想に数倍する時間をかけてしまったが、ようやく家の近くまで来たときだった。
それは友達にとって、映画のワンシーンのごとき光景だったという。電柱のような灰色の柱が、ここからも見える友達の部屋の窓をぶち割って、内部へ突き刺さってしまったんだ。
いろいろと人が呼ばれて調査もされたが、結局わからないことだらけだった。例の柱もどこから調達されたかは不明で、リサーチのために回収。家の修繕費用についても、どこぞのお偉いさんが負担してくれたと聞くも、友達は詳しいことを聞いていない。
ただ、もしも自分が時間通りに帰っていたら、おそらくはあの柱が突き立ったあたりで、くつろいでいただろうなあ……というのは想像がついたとか。
あのドリルめいた音が前兆で、自分の意識以外はそれを警戒していたのだろうか、とも。




