ジャンプくん 飛び跳ねない
君は、喜びを感じたくなったとき、飛び跳ねたくなったことはあるか?
これは抑えられなくなった感情の行き場を求めて、身体が跳躍を求めてしまうのだという。
特に羞恥の心が育ちきっていない子供には、傾向が顕著だ。食べたいお菓子、お目当てのおもちゃを目の前にちらつかされると、たちまち飛びつく。
これが年を経て、恥ずかしさに目覚めると、とたんに人前では自重するようになる。同時に、飛びつく他者のことを面白くない顔と心で、眺めることもしばしばだ。
恥は、先を考えることだ。
周りの人との付き合いは一度きりで消えることはまずなく、それでいて自分の一挙は、見られてしまえば永劫消すことはかなわない。
はからずも刺青を入れられてしまったようなもので、それを避けたきれいな姿でいたいために、人は自重を覚える。それを通り越し、いい年をこいて飛び跳ねてしまうようなら、きっとそれは何事にも代えられない大切なものなのだろう。
本当は、自分の思っているような意味でなかったとしても。僕が父さんから聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?
お父さんは、子供のころによくジャンプする子だったらしい。
先に挙げた例の他に、テレビとかを見ていても興奮するシーンだと飛び跳ねずにはいられない衝動に駆られるんだ。
映画館などでもついやってしまい、注意されて煙たがられる経験さえあったという。「お前が座る時はシートベルトが要るな」と、おじいちゃんが冗談めいてこぼしてしまうほどだった。
お父さん本人とは、嬉しいことを前にすると、身体の中で胸と一緒に、足へ高鳴りを覚えて仕方ないのだというんだ。
むずがゆさに似た電流が足を走り、じっとしていることを許さない。けれども、その衝動は前へではなく、上へ向けられる。
たとえそれが、ごちそうや誕生日プレゼントなど、そのときに欲しくてたまらないものだったとしても、先に示した例のように物そのものへ飛びつくようなことはしなかった。
上へ、ひたすら上へ。
カエルやウサギのような、跳ねることを得手とされる動物だって、ここまで跳躍に感情を込めることはしないだろう。
ジャンプくん。
お父さんが子供のころに、そうあだ名されるようになったんだ。
小学校低学年あたりまでは、個性のひとつとして受け入れられていた「ジャンプくん」。
けれども高学年以降の思春期を迎えても、その傾向は変わらない。そうなると、恥やかっこつけを考え出す盛りの子供には、幼さの象徴に思えてくる。
まさに「いい年こいて〜」の感触だ。お父さんは自分からしても、みんなとの距離がちょっとずつ開いていってしまうような、感覚を覚えていたという。
ならば、我慢をすればいいじゃないか。
解決法を相談した人には、そう返される。ごもっともではあっても、当人じゃないからと、どこかぞんざいな物言いに、少しむっと来てしまったのも確か。
実際、この足元に集まるむずがゆさは、いくら味わっても耐えることは容易じゃなかったらしい。
とっても熱い温泉にいきなりつからされて、身をよじらせたり、顔色をひとつ変えたりせず、平然としていられるか? とお父さんは話していたっけ。
僕には、難しいと言わざるをえない。
徐々に温度を上げていってもらえるならともかく、不意打ちとかを食らったら身体が熱に驚いて、それこそ飛び跳ねてでもその場を退避したく思うだろう。
自分が「そうだ」と分かってしまう急激な変化は、誰だって喜びはしない。そのようなものだった、と。
そのお父さんが、最初で最後。その衝動を我慢したことがあったらしい。
当時、抜群の人気を誇った音楽グループ。そのライブのチケットの抽選に当たったときだとか。
お父さんの界隈でもその人気はすさまじく、そうと知れればまさに「ころしてでも、うばいとる」が起こりうることが心配されるほどの勢いがあった。
ゆえにそれを知ったとしても、安易に喜ぶわけにもいかず。ぐっとこらえることこそが、自分の未来を守る最良の手段だったとか。
過去いちばんといっていい、跳躍への衝動がお父さんの足へ集まっていく。
すでにお父さんのジャンプくんとしての評判は、周囲の人の知るところ。きっと理由を尋ねられるだろうし、うまくごまかせる自信がお父さんにはなかった。
ジャンプ一番、火事のもと。
お父さんはこれまでの人生でも、指折りの覚悟をかけて、足裏が沸き立つようなくすぐったさを我慢していたのだけど。
不意に、お父さんは甲高い音とともに、自分の背が数十センチ低まったのを感じた。
まわりにいた人が、こちらを見るや目を丸くしている。「なんだ」と思って動こうと思っても、足を動かせない。
お父さんはひざのあたりまで、床を突き抜けて、その場にはまり込んでいたんだ。
足裏をなでまわされる感触、今すぐにでも飛び上がりたい衝動は変わらない。しかもなでまわすほうに関しては、一秒ごとにその強さを増して、思わず顔がほころぶのを我慢できなくなってきて、まわりがまた変な顔をしてしまうほどだ。
けれども、みんなの力でもって引き上げてもらい、異変に気付く。
お父さんがこのとき履いていた靴は、プレス機にかけられたかのように、ぺしゃんこになってしまっていたのさ。
まるで栄養をたっぷりたくわえていた葉が、その中身をたっぷり搾られてしまったかのよう。「枯れる」という言葉がそのまま当てはまる、くたびれ具合だったんだ。
そして、お父さんの足が埋まっていた穴の部分。
そこには靴が引っ張り出される瞬間、どこかワカメを思わせるような形の五本の指がのぞいていて、すぐに引っ込んでしまうのを、お父さん含めた何人もが見たという。
もし、靴を履いていない裸足とかだったなら……想像もしたくないとお父さんは話す。
でも、お父さんが嬉しさを感じるとき、足元に集まるものを熱烈に欲しがる何かがいつも迫っていて。
お父さんの身体はそいつをかわすために、自らを飛び跳ねたい衝動に駆らせていたのではと、思ったらしいのさ。




