北の総見
ヴァ〜だる〜い。もう年の瀬って感じ。
いかに師走といえど、私にゃ走る元気もないわ。よったりよったり、どうにか一日を暮らしていくばかり……今日も一日終わったと、自分の部屋でささやかな晩酌をする。
それだけが生きる楽しみ。生きる希望。な〜んか、食べるために生きているような毎日が、ぼーっとしてても過ぎてんのよね……。
つぶつぶはいいわね、今でも物書いてんでしょ? ときどき見させてもらってるけど。
いや〜、どんな趣味をどんな理由で持っていても、打ち込める姿勢がうらやましいわ。
まさにその瞬間こそ、わが命って感じ。あたしと逆で生きるために食っている感があるわねえ。ま、あんたがひょっとしたら、うまいこと苦しみを覆い隠しているだけなのかも知れないけれど。
たとえいっときでも、すべてを放り投げてリフレッシュしたい。
だるさを感じる誰もが、きっと思うこと。昔の人もそう考えることしばしばだったようで、中には現代ではおよそ実行しづらい、特殊な方法もあったみたい。
ふう、なんだかくたびれてきちゃった。そこらへんでお茶でもしない? あんたも興味ありそうだし、メモとか取るのに屋内の方が都合いいでしょ?
私のご先祖様には、戦国時代にとある有名な武将に仕えていた人もいたらしいのよ。
戦で傷を負うのは一瞬でも、傷が治るには相応の時間がかかる。ときには、一生をかけても取り返せないことだってある。
人間は少なくとも、十数年をかけねば取り返しのつかない、大切な資源。それらを損なうのは勢力の低下に直結するわ。
そうなると、戦力を大切にする養生法の研究がなされるのも自然な流れといえたでしょうね。
食事、運動、休息……。
現代にも通じる方法はいくつかあったものの、ご先祖様が知ったのは、これらの中での運動。それも時期が限られる、特殊な方法だったらしいわ。
「北の総見」と、ご先祖様の家では称されたと伝わっているわね。それは不定期にやってくる、馬の遠乗りの機らしかったの。
この北の総見の判断は、武将の手のものによる早朝の笛の音によって知らされる。
詳細は知らされなかったものの、かの地をおさめる武将には判断がついたらしいわ。
奏で方によっていくつもの種類があり、意味も異なる。ただその北の総見であることを報せる音と分かると、健康に不安を抱える武士たちは、こぞって自分の世話する馬にまたがりにいく。
一人と一頭。その4つの瞳が群れていき、一様に掛けていく朝晴れの下。
向かうは北。ひたすら北。求めるべきものはそこにあるのだから。
けれども、誰もが同じものを求めるわけじゃない。
住まいを出てから、いくらも行かないうちにとって返すこともあれば、何里も馬を走らせ、人馬共に息を切らしながらも、なお前へ進むこともある。
けれども、自分が目的へ達したかは個々人で分かるんだ。自分の抱えるあらゆる不調が、とある境を越えると、すうっと楽になっていくの。
腕に、足に、はたからは分からない脳も臓器も、その傷や疲れをなくしていく。健やかであったときの感覚が、戻ってくる。
さすがに、完全に部位を失った箇所までは回復しない。また、これによって取り返した健康も、人によってはそのうち元へ戻ってしまう。
それでも慢性的な痛みや不便を抑えてくれるとなれば、我慢よりもひとときの解消を望む気持ちが勝る。かつての自分の、最良の状態を覚えているならなおのこと。
北行きから帰ってくる、皆の顔は一様にして晴れやかだった。その頭上に広がる青空のごとく。
元来の働きを取り戻せることを皆は喜び、やがてまた不調を抱えるようになってしまうと、北の総見の時が来るのを今か今かと待ちわびる。
戦がついてまわる、戦国の世に沁みるこのありがたみ。きっと太平の世になったのちも、これを享受する喜びは、多くの人の役に立つだろうと思われていたわ。
けれども、いざ江戸時代が訪れて、幕藩体制が整い始めたころ。
真っ先に報告があがったのは、領地の南端。海に面する漁村のひとつからだったわ。
沖合で、いやに死んだ魚が浮かんでいるのが確認されたと。それは日を追うごとにどんどんと浜へ近づいてきて、いよいよ波打ち際に死骸をさらすような気配も見え始めたわ。
やがては、漁村に住む者たちにも原因の分からない不調を訴える者が、ちらほらと。
しかも、たびたび確認されるのは、四肢への突然の創傷。
かまいたちにやられたように、突然に傷が開いたかと思うと、痛みとともに、その箇所の腐敗がどんどんと進んでいくとのこと。
その早さは一晩でもって、傷のできた当人の命を奪うほど強烈なもの。折よく医療の心得のある者でも、知る限りの処置はいずれも効果を示すことがなかったのだとか。
そうして漁村の裏側、北へ向かう山の木々たちも、季節外れの落葉を続けていったらしいの。それは、海に浮かぶ航跡を思わせるような、はっきりとした道筋に思えた。
漁村の真後ろに当たる部分の惨状とは対照的に、わずかでも村の域を外れる木々たちは昨日までと変わらない、青々とした葉を茂らせ続けていたのだから。
当時の領主は、聡かったわ。
すぐに木々の枯れ具合から影響の範囲と、推測される道筋を割り出し、その線上にいる人たちへ一時的な避難を促したわ。
連絡そのものは迅速なものだったけど、住まう人全員まで理想通りには動けない。
伝達にあったような奇妙な異状が、逃げ遅れてしまった皆を襲い、ことごとく命を奪っていってしまった。そうしてその延長線上にあった草木たちもまた、分け隔てのない洗礼を受けていったの。
この勢いは、地形などによっては弱まる気配はあったものの、長く長く続き。ついには北から日本海へ出るまでに至ったというのよ。
かつての北の総見。
それは人々の痛苦を遠くへ飛ばしてくれはしたけれど、消し去ってくれたわけじゃない。
飛ばされた彼らが、総見を繰り返されるたび勢いを増し、地球を一周してきてここにまで戻ってきたのではないか……。
そのことがあってから、総見がとりおこなわれることは絶えてしまったそうなのね。




