捨て去りし犬と水
お〜、とうとう始まったかあ、このあたりの下水道工事。
だいぶ前から、やるのやらないのって話があがっていたんだけど、なかなか着手されなくてさあ。電話線とかが走っているわけじゃないのに、何をもたついてるんだろうか、と思った。
下水道の開発。今でこそ下水をきれいにして、川に流すことができるようになっているけれども、それより前はきれいになるより前に、川へ流しているケースも多かったみたい。
そうなると、いろいろトラブルが起きるのも無理ないところだよね。しかもその流される先が、普段は人の寄り付かないところだったりしたら、なおさら。
僕が昔に聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?
むかしむかし。
僕の住んでいた地方のとある家では、犬を放し飼いにしていたらしい。
その犬も、ごくごく小さいころに河原で拾われた一匹であり、何年も家族と一緒に過ごしていて、子供を乗せられるくらいの大きさに成長していたんだ。
他の犬たちと比べて、互角以上の体躯。その育ちぷりは目にする人のほとんどが関心を寄せるほどだったというが、すでに老齢へ差し掛かろうという歳だろうに、犬はなお成長を続けていた。
いまでいう大型犬のくくりさえも超え、馬と並ばんばかりの体格に相成り、それでいて他の犬と変わらない家人へのなつきよう。
格別、育ちがいい……と済ませられればいいが、これはもはや余人の知る犬の範疇から外れつつあった。
原因を探らなければ、おちおち夜も寝られないというもの。あらゆる災害がそうであるように、日常は豹変するものだ。タネは知っておくに越したことはない。
日中の暮らしは、他の犬と大差なく、自分の家の敷地から出ることはほとんどしなかったようだ。番犬としての役割も果たし、ひときわ大きい吠え声をかまされては、人だって相応に驚いて、飛びのいてしまうほど。
しかし、長年一緒に暮らしていた家族には分かる。
それこそ手のひらに乗ってしまいそうな図体のときから、この犬は少食に過ぎた。これもよその犬と比べれば歴然とした差で、病気を疑われるほどだ。
食えないというのは、栄養が足りないということで、死を招きやすい原因。飼い始めた当初こそ、生存が危ぶまれるほどだったんだ。
それがこうして大きく育ってくれたのは僥倖ではあるが、なお食べる量は小さいころと変わらない。この程度で、あの大きくなった図体を維持していけるとは、とうてい考えられなかったんだ。
――どこかで、自分なりに「つまみ食い」しているのではなかろうか。
昼間は家族のいずれかの目が届くところにいる。怪しい動きは見られなかった。
だとすれば、何かあるとすれば夜のこと。
おりしも、家の大黒柱である父は、その日は遅くまで村の内での会合があり、帰りは夜更けと相成った。
機、といえばいいだろうか。
ちょうど家の見えてくるところで、家屋の脇に寝そべっていた影が、むくりと起き上がるのが見えたんだ。
四足で立つ、馬に近いその体躯。例の飼い犬だと父には分かった。その犬がこちらへそっぽを向いたまま、家から離れていくような動きを見せたんだ。
父もその後を追ってみたが、犬はこちらを振り向くこともせずに、まっすぐ歩き続ける。
妙だ、と父も思う。
人より鼻も利くらしい犬なら、追ってくる自分の気配にももう気づいていそうなもの。
そして引き離そうと思えば、容易に動けるはず。追いかける側に回った人間が、本気で走る犬を捕まえるなど、犬側がどこかでヘマでもしない限りは難しいだろう。
それがこの犬は、のそりのそりと人が追い付くことのできるような、緩慢な動きでもって父の前を進んでいくんだ。
こいつに関しては、病気の疑いなどしていない父。もしや、自分に気づいているうえで「先導」をしてやろうという腹積もりじゃないか、とも感じたとか。
――いいだろう。乗ってやる。
元より、この犬の「タネ」を知ることこそ意義。父はあえて犬をとらえにかかることはせず、つかず離れずで歩いていく。
ひとりと一匹の道程は、村の者なら慣れた林道に差し掛かっても、速さを緩めることはない。
父の耳はせんせんと流れる、水の音が響き続けている。
夜ゆえ源をじかに見ることは難しいが、正体は知っている。村人たちが自分たちの生活に用いた排水を流す川だ。
この犬を拾った川とは逆方向に流れるもので、その不衛生さから子供たちが誤って遊ばないよう注意が促されているものだ。
実際、父の鼻にも「かぐわしい」香りがちらほらと。当然、前行く犬もこれを鼻にしているはずだが、いささかも歩みを緩めたり、道を外れたりするような真似は見せない。
相当慣れている、とみていいだろう。すでに経験がだいぶあるように思えた。そしてこの下水の行き着く果ては――。
父は知っている。そのうえであえて、この犬の進むままに任せてみた。
半里ほどは歩いただろうか。
流した道の行きつく川べりに、彼らはたどり着いていた。見渡る限り、水の原ともいうべき大きな川ではあったが、排水の行き着く先ゆえ、人はさほど足を運ぶことはしなかった。
犬はというと、その川べりに迷いなく寄っていき、その水へゆったり口をつけていく。
ただの水分補給ではないことは、少し見守っていた父にも分かった。
口をつけてからほどなく、犬の図体がひと回り大きくなったからだ。四六時中、犬と一緒に過ごしていなければ気づけないような、わずかな膨張ではあったが。
――ああして、図体を大きくしていったのか。
単なる水でふくらませているわけではないだろう。ほんの3口程度でああなるのなら、村にいる他の犬たちも今ごろ巨体であふれている。
飼い犬はなおもペロペロと水をなめるように飲み続けていたものの、やがて顔をあげるや、とさりと横倒しになってしまった。
力尽きたかのようなかっこうに、つい父は駆けよろうとするが、その犬の口から出てきたものを見て、つい息を呑んでしまう。
頭、だった。
鶴と思しき鳥の頭が、ぬっと犬の口から飛び出てきたんだ。
思しき、というのは形こそ紛れもないが、その本来は白い部分が桃色に染まっていたからだ。
あれよあれよと、開いた口から残りの身体も出てくる。おそらくは、子供程度の大きさであろう鶴は、犬の口から出るや、とんと河原の石を一度踏むと、すぐさま羽を広げて空へ飛びあがった。
犬はぴくりとも動かない。父が抱きかかえても反応はしなかったが、息はある。父が連れ帰ってから三日ほどはぐったりしていたが、その後はまた元気になったようだった。
ただ、かつての図体は日増しに小さくなっていき、ひと月も経つとくたびれた毛におおわれた子犬のごとき姿へ戻ってしまい、息を引き取ってしまったとか。
犬と排水と、あの鶴らしきものの具体的な関係ははっきりとは分からずじまい。
ただ犬が年月を越えて大きくなっていったのは、あの鶴らしきものを育てるためとは感じられたみたい。
犬自身の意思か、あるいは最初から鶴が子犬の中にいて、その意思を奪ったうえでの行動かは分からないけれど。




