リョウの限界
あれからどうやって部屋まで戻ったのかは全く記憶にない。
気が付けばリョウは茫然自失の状態でベッドに座り込んでいた。
何もかも…今は何もかもが分からない。
キイラギは抜け殻のように動かなくなってしまったリョウの前に薬を差し出した。
「おい、いい加減何か口にして薬を飲まないと明日の演説でぶっ倒れるぞ」
リョウはのろのろと目だけをキイラギに向けた。
「…え?」
「しっかりしろ、リョウ」
名を呼ばれて、リョウはまた震えだした。
今まで生きてきた自分は、いったい何だったのだろう。
自分の全ては何もかもが偽りだらけ。
信じられるものなどカケラも残されていない。
自分とは何。
これは誰?
これは誰。
これは…。
リョウは心も頭も真っ白になるとまた急に抜け殻のように動かなくなった。
焦点の合わない目だけは相変わらず窓の外をぼんやりと映している。
「リョウ…」
「だい、じょうぶ。明日はちゃんと、やるから…」
「だがな、お前そんな状態で…」
「一人にして…」
「…」
「おねがい…」
予想以上に衝撃を受けているリョウにキイラギは珍しく戸惑った。
だがこれ以上ここにいてもどうしようもない。
今日はそっとして明日の朝また早くに出直すことにした。
リョウはそのまま一晩中座り込んでいた。
ずっと色々考えているはずなのに、何も頭に残らない。
ただどうしようもなく痛む腹だけがリョウを現実に繋ぎ止めていた。
ーーーーーーーーーーー
深夜を回った頃。
一人の従者が大慌てでサンクラシクス大聖堂へと駆け込んできた。
「セガン様!!セガン様!!一大事でございます!!」
寝室の扉を激しく叩かれて、セガンは飛び起きた。
「何事か!?」
「ルナハクトから緊急で連絡が入りました!!新都軍が闇に紛れ南部基地を素通りし、先程森に入ったとのことです!!」
「何だと!?まさか生きて出られぬと噂高い夜の森へわざわざ入ったというのか!?」
「そ、それが、どうやらゼロヴィウスが遠征でつけた道を辿っているようです!!その数は数百人単位とのことで大軍ではありませんが、下手をすれば明日の朝一番に森から現れます!!」
「うむ…」
奇襲をかけてきたにしては兵の数が少なすぎる。
それにこちらが砂漠まで出向かずとも向こうから来るというのなら願ったり叶ったりだ。
「新都め、功を焦り血迷ったか。何にしても名誉挽回の初戦にしては悪くない。こちらもすぐに迎え撃つ手筈を整えるぞ」
「連隊長は夜明け前に兵の配備が済むように既に動き出しております。あとは…」
「シエル様だな」
セガンはすぐに支度を済ませると部屋を飛び出した。
静まり返っていた大聖堂は既に蜂の巣を突いたような大騒ぎになっている。
遠征の為の準備がそのまま戦準備に切り替わるとなれば、男たちの支度をするために女たちも走らねばならない。
炊き出しだけでも山ほど仕事は待っていた。
セガンはあちこちで指示を飛ばしながらリョウの元へ急いだ。
慌ただしくノックをすると返事も待たずに部屋の中へ入る。
「シエル様!!失礼しま…」
言いかけた言葉が思わず止まる。
暗い部屋の中で、リョウはベッドに座り込んでいた。
その線の細い姿は、今にも消えてしまいそうなほど虚ろだ。
「し、シエル様…?」
能面のような顔でリョウが振り返る。
セガンはぶるぶると頭を振ると部屋の明かりをつけた。
「シエル様。予定よりかなり早く敵が攻めてくるようなのです。こちらも夜明けとともに迎え撃てるように今準備を進めております」
「…」
「あなた様も今すぐにご準備をなさってください。お手伝いをよこしましょう。原稿は覚えられましたか」
「…」
リョウは僅かに頷いた。
セガンは背を正すと事務的に言った。
「シエル様。ここまで本当にお疲れさまでした。演説が終われば貴方は自由です。役目を終えれば元の貴方にお戻りください」
それは労いというより、二度と大聖堂に近付くなと釘を刺しているようだ。
リョウはぴくりと反応すると壮絶な目でセガンを睨みつけた。
「…出来ることなら、お前の全てを壊してやりたかった」
「貴方が聡明な方で良かったですよ。心配せずとも貴方のお連れ様は生涯大切な客人としてここで過ごしていただきますから」
にやりと笑うと勝ち誇った顔で踵を返す。
「貴方もご自愛ください。リョウ様」
それだけを言い残すと音を立てて扉は閉められた。
リョウは唇を噛みながら床を睨み続けていたが、諦めたように身体中から力が抜けた。
「元のおれに…?」
自嘲気味な笑みだけが口元に浮かぶ。
「元のおれって、何?」
ユキネの片割れは闇に葬られ、新都のリョウは偽物で、セオの血を得ても砂漠の民ではない。
そしてサンクラシクス大聖堂のシエルは今日で消える…。
リョウの頬につぅと一筋の涙が流れた。
「誰か…。だれか、誰か…。誰でも、誰でもいいから…」
誰か、肯定して。
こんな自分の存在を。
いつでも中途半端で、出来損ないな自分を。
「お前は出来損ないなんかじゃないだろ?」
聞こえた声にはっとして顔を上げる。
それは、アイトのものだった。
でも重なるようにセオのものになる。
その言葉とは裏腹に、浮かんだ顔は二人とも冷たい目を自分に向けていた。
これは拒否の反応…。
「アイ兄…セオ…」
ごぼりとリョウの口元で変な音がした。
大量の赤い色が視界を埋め尽くす。
リョウはそのまま糸の切れた人形のようにぱたりとベッドにうつ伏せた。




