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砂漠の月  作者: ちあき
第六章 放たれたカナリア
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最後の仕事

サンクラシクス大聖堂では、軍を指揮する連隊長が大司教に詰め寄っていた。


「セガン様!!砂漠遠征などゼロヴィウスだけで充分ではありませんか!!我がサンクラシクス軍がそこまでする理由は何なのですか!?」

「騒ぐな。グレイシス軍以外が現れた時の為の単なる措置だ。何事もなければこのまま合同演習で終わる。この数年の汚名をそそぐ為には積極的な動きを見せる必要があるのだ」

「我が軍はシエル様が現れ立ち直ったばかりです!!大した名義もなく砂漠へ行けと命令しても士気が上がるはずもありません!!何か問題が起こればまとめきれませんぞ!!」

「何を情けないことを申すか。それをまとめるのが貴君の仕事であろう」


冷静に諫めたものの、セガンは内心怒りと焦りで苛立っていた。

大集会まで何事もなければ全てが上手くいくはずなのだ。

それなのに新都軍は動き、このままでは大集会自体が取りやめとなってしまう。

砂漠遠征よりそちらに気を取られていると、連隊長が熱心に訴えてきた。


「セガン様。もし砂漠遠征が決定するのでしたら、出発前に我が軍の為にシエル様に演説して頂くのは如何でしょうか」

「なに…?」

「シエル様は我々にとって勝利のシンボル。激励を頂ければ皆の心も一つとなり、士気も上がります」


思わぬ提案にセガンは思案顔になった。

連隊長の言うことは悪くない。

いや、それどころかその場を大集会の代わりとすれば丁度良い。

シエルの最後の仕事としても華々しく上出来な演出ともなるだろう。

熟考の末セガンは大仰に頷いた。


「分かりました。ここはシエル様にお願い致しましょう」

「セガン様!!あ、ありがとうございます!!」


連隊長は何度も礼を言い頭を下げた。

セガンは一人になると壁にかけた女神像を見上げた。

女神は理想的な慈愛の微笑みを浮かべている。

己の権威の回復は、教会の地位を大幅に引き上げることに直結する。

シエルの演説は何が何でも失敗は許されない。

もしもの時の為に充分備えるつもりではあったが、新都軍が新たに南下していると報告を受けたのはその直後だった。





ーーーーーーーー





「…ウ、リョウ!!」


揺すり起こされて目を覚ましたリョウは腹に走る激痛で顔をしかめた。


「う…ん…痛っ…」


ぼんやりと霞む視界に映ったのは、最近ではすっかり見慣れた顔だった。


「キイラギ…?今、おれの名前…」

「そんなことはどうでもいい!!お前、昨日一晩中床で倒れてたのか!?セオはどうした!?こんなことになるまで我慢する奴があるか!!」

「こんなこと…?」


キイラギはうわ言のように話すリョウを抱え上げると、ベッドに放り込んだ。

洗面所に勝手に入るとタオルを固く絞り、リョウの口元を乱暴に拭う。

タオルはみるみる真っ赤に染まった。


「…血?」

「さっき勝手に医者を呼ばせたからなっ。これ以上ごねるなよ」

「…」


リョウは虚ろな目でぼんやりとしている。


「あいつは何をしてたんだ?一緒にいたんじゃないのか」

「…セオのこと?」

「ああ。さっき見かけたがあっちも様子がおかしかった。何かあったのかと来てみればこのザマだ」


リョウはじわりと熱くなる目元を手の甲で押さえた。


「もう、いいんだ…」


言葉と一緒に身体中から力が抜ける。

キイラギは抜け殻のようになっているリョウをまじまじと見た。


「…リョウ、お前に聞きたい事がある」

「ききたいこと…?」


頭が働かずにおうむ返しをすると、扉からノックの音が聞こえた。

キイラギはいつもの癖でさっと棚の影に姿を隠した。

部屋へ入って来たのはくたびれた様子の医師だった。


「シエル様…、失礼致します」


男はリョウの側に片膝をつくとすぐに診察に入った。

そして血の跡が残る口元に気付くと、暗い顔でうなだれた。


「やはり…はやりこうなりましたか」

「え…」


よく見ればそれは見覚えのある男だった。

リョウがシエルを演じると決めた時に最後まで大司教から庇った医師だ。


「…クオリカ、さん?」

「え…」


クオリカは驚いて顔を上げた。


「どうして僕の名を…」

「だって、あの男がそう呼んでたから」


リョウとの接点はあれ以来一度もない。

しかもあの時はとても人の名を覚えるような余裕などなかったはずだ。

クオリカは短期間で世間にその存在を認めさせたリョウの実力を垣間見た気がした。


「シエル様…いえ。リョウさん、ですね?」


リョウが頷くとクオリカは薬をいくつか取り出しながらテーブルに置いた。


「リョウさんの体調不良の原因は間違いなく長期に渡る過度のストレスです。このままでは胃にもっと大きな穴が空き、下手をすれば別の病に感染する恐れもあります。本来ならしばらくこのまま休むのが好ましいのですが…」

「もう平気だよ。動けるように痛み止めだけくれないかな」

「駄目です。これ以上無理をされては貴方が壊れる。普通ならあんな…あんな酷い仕打ちにあったその日に壊れていてもおかしくなかったのですから」

「…」

「目の前で大切な人が惨殺されるのを見せられて正気を保てる者などいません。今のあなたは…とても正常とは言えない」


リョウは両手で顔を覆うとくしゃりと前髪を握った。

そこに浮かんでいたのは暗い笑みだ。


「うん…。うん、そうかもね。でもねクオリカさん。ひとつだけ言えることがあるんだ」

「え…?」

「おれはね、もうとっくの昔にその普通っていうのは壊れてるんだ。だから大丈夫なんだよ」

「…」

「心配してくれてありがとう」


リョウは痛み止めだけを飲むと背を向けて転がった。


「リョウさん…。あとで必ずこの薬も飲んでおいてくださいね」


クオリカは立ち上がると沢山の薬を飲みやすいように袋から出しておいた。

そして痛々しい背中にそっと頭を下げ、休息の邪魔をしないように静かに部屋を出て行った。

物陰から聞いていたキイラギは忌々しい舌打ちを漏らした。


「大司教め…。そういうことか、あの老いぼれじじい」


悪態をついていると閉じたはずの扉が再びノックされ、まさに問題の大司教が部屋に入ってきた。


「シエル様、失礼致します。体調はいかがですかな」


リョウは眉を寄せながらゆっくり体を起こした。


「…何の用?」

「いやいや、お休みのところ申し訳ありませんな。実は早急にお耳に入れておかなければならない事態が起きましてね」


リョウがベッドに座り直すのを待ってからセガンは口を開いた。


「貴方は知らないかもしれないが、新都はこのウォーター・シストを狙い、争いの準備を進めていました。そしてつい先日、遂に本格的に砂漠のルナハクトと交戦に入りました」

「え…!?」

「新都は愚かにも森を越えようと目論んでいるそうです。そこで我々サンクラシクス軍が動く事になりました」


リョウは唐突な話に唖然とした。

新都との争いの気配が迫っていることは知っていた。

最近どっと増えた礼拝者は皆家族の無事を熱心に祈っていたからだ。

だがここまで急に身近になるとは思ってもみなかった。


「遠征は二日後。ですので大集会はなくなりました。代わり貴方に是非引き受けてもらいたい仕事があります」


セガンは古びた本を二冊、いつものようにテーブルに置いた。


「なに、難しいことではありません。大集会の代わりにこの遠征軍の前でいつものように演説をして頂くだけです」

「…」

「明日までにこれを参考に祝福の言葉を考えてください。原稿は後にチェックします」

「…原稿なんか作らない」

「いいえ。今回ばかりは製作して頂きます。いいですか、これは何万といる兵の命に関わる事なのです。いつものようにただ耳障りの良い言葉を並べるだけでは不十分です」


反抗的な目をしているとセガンはにやりと笑った。


「これが、貴方の最後の花道です」

「…」

「貴方にはもう十分役目を果たして頂いた。セオ様からお聞きになりましたか?この仕事をやり終えれば貴方を自由の身にしましょう」


リョウはカッとなるとベッドから飛び出し、セガンに掴みかかった。


「セオに…何をしたんだよ!?」

「これは人聞きの悪い。残ると言い出したのはセオ様自身なのですよ」

「嘘だ!!絶対にお前が…!!」


リョウは力任せに突き飛ばされベッドに倒れこんだ。


「うっ…」

「嘘などではない。お前も知ってるのではないか?あの男は器用に嘘はつけない。…お前とは違ってな」


今度はセガンがリョウの襟首を掴み吊るしあげた。


「いいか。明日までに原稿を仕上げるのだ。出来なければセオ様の代わりにあの寝込んでいる女の首を叩き落とす」

「なっ…」

「私を見くびるなよ。どんな結果になろうともお前は解放してやる。だが残された者達がどんな運命を辿るのかはお前の出来次第だ」


セガンは低く凄み、リョウをベッドに捨てると足音荒く部屋を出て行った。

リョウは腹を抱えるとぐったりと動かなくなった。


「リョウ…!」


キイラギは顔を強張らせたまま飛び出してきた。

リョウが拒否した薬を掴むと無理やり口に放り込み、それを水で流してからベッドへ寝かし直す。


「うぅ…」


リョウは悔しさと痛みで体を丸めた。

握りしめすぎた拳には赤い血が滲んでいる。

キイラギは椅子を引き寄せ座ると、固く閉じたリョウの手を開かせた。


「お前は…こんな状況でシエルを演じていたのか」


リョウのシエルは完璧に人々の理想通りだった。

あそこまで出来る者は他にいないだろう。

だからキイラギは余程甘い報酬を与えられているか、リョウ自身がこの役に心酔しているものだと思っていた。


「恐ろしい奴だな。よくそれであんなすました顔が出来たものだ」


リョウは浅い呼吸を繰り返しながら力なく笑った。


「おれ、新都じゃずっとああやって生きてたんだ…」

「新都…」


キイラギはリョウをじっと見下ろした。


「お前…名前は何という?」

「え…?だからリョウだって」

「…ヒガ、じゃないのか」


リョウは目をまん丸にした。

その名は極力出さないように封じていたはずだ。

それがまさかのキイラギの口から出てくるなんて、全く意味が分からなかった。

間抜けのようにぽかんとしていると、キイラギは苦いため息をついた。


「…やはりか。リョウ、明日見せたいものがある」

「見せたい、もの…」

「ああ、だが今は先に体を休めろ。明日までに考えなければならないこともあるのだろう?」


言いながら舌打ちをする。

さっきのやり取りを思い出すだけで嫌悪感に反吐が出そうだった。


「リョウ、大司教はお前を解放すると言っていたがあれはどういう…」


見ればリョウは既に力尽きていた。

浅かった呼吸はいつの間にか安らかな寝息に変わっている。

キイラギはしばらく無表情でそれを見ていたが、苛立った仕草でテーブルの本を開くとペンと原稿用紙に手を伸ばし、リョウの代わりに数時間かけて書き込みを始めた。

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