思い合う故に
リョウは日に日に腹痛に襲われる回数が多くなっていた。
今日も朝から何も食べていないのに動くたびに吐き気がする。
「痛ったぁ…」
我慢できずに廊下でしゃがみこんでいると、後ろからキイラギに腕を引かれた。
「立て、偽ユキネ。人が来る」
「こんな場所で偽ユキネ呼ばわりする方が問題だと思うけど。それに、おれの名前はリョウだよ」
リョウは自力で立つと壁にもたれかかった。
途端にみぞおち辺りに激痛が走り、またしゃがみ込む。
キイラギもさすがに眉を寄せた。
「おい…」
「だ、大丈夫…。少し疲れてるだけだから…」
「それだけ異変が出てるならセガンに言って医者を手配してもらえ」
「だめだ。そんなことしたら完璧なシエル像が崩れちゃう」
「そんなこと言ってる場合かっ」
キイラギはリョウを横抱きにするとそのまま医務室へ歩き出した。
「キイラギ、待って!!もう少しなんだ。次の休日の集まりまでは…!!」
リョウはハッとして黙り込んだ。
キイラギの冷たい視線が降り注ぐ。
「次の大集会が、何だ?」
「…」
リョウはここへきてうっかり口走ってしまった自分に罵声を浴びせたくなった。
ずっとキイラギが大人しく側にいたので、いつの間にか警戒心も薄くなっていたのだろう。
黙り込んでごまかそうとしたが、キイラギは抱き上げる手に無情に力を込めた。
「痛い痛い!!」
「ちゃんと言え偽ユキネ。何を企んでいる」
「酷い!!おれ弱ってんのに!!大体お姫様抱っこなんてしないでよ!!」
「文句言うな。これが一番腹に負担かけずに運べるだろ」
リョウは驚いて顔を上げた。
「うそ…。キイラギが気を使うなんて…」
キイラギは目を細めるともう一度腕に力を込めた。
「痛い痛いって!!」
悲鳴をあげながらリョウはキイラギの腕をぱんぱん叩いた。
次の大集会。
リョウが狙っていたのは、まさにその日だった。
シナリオ通りの演説の最中に言葉を止め、罪悪感に駆られたかのように泣き崩れ、全てを悲劇的に皆の前で明かす。
どんな事態になっても、何もかもが滅茶苦茶になればそれで計画は終了だ。
例えその場で自分が抹殺されようと、そんなことはどうでもよかった。
全てが、壊れればいい。
皆が己のエゴを思い知ればいい。
でも…。
まだ心のどこかでは少しだけ迷っている。
ギリリと痛む腹を押さえ、リョウは祈るように手を組むと小さく丸まった。
キイラギはその姿にハッとした。
ずっと忘れる事のなかった古い記憶に、リョウがぴたりと重なったのだ。
「お前、お前まさか…」
「こんな所でどうしましたかシエル様」
階上からセガンが声をかけてきた。
キイラギがリョウを下ろすと、階段を下りてきたセガンはにこにこと二人に近寄った。
「今から私もシエル様にお会いしようと思っていたのです」
キイラギはリョウが止めるのも聞かずに前に出た。
「大司教、いい加減こいつをこき使い過ぎではないか?明らかに体調に影響を及ぼしているぞ」
「おぉ、それはいけませんね。ですが丁度良かった。私も今日はシエル様に休んで頂こうと思っていたのです」
いつにない愛想の良さにリョウは警戒した。
だがセガンはそんな警戒心すら吹き飛ぶようなことを言った。
「さぁシエル様。お部屋でゆっくりお休みください。心休まればと、貴方のお連れ様もそこにお呼びしております」
「え…セオを!?」
リョウは傍目にも狼狽えた。
「な、ど、どうして!?」
「勿論、シエル様のことを思ってでございます。キイラギ、お前も今日はもう下がってよい。二人にして差し上げなさい。明日からまたシエル様をよろしく頼みますよ」
「…」
キイラギは忌々しそうに舌打ちをしたがここは反発しても意味はない。
返事もせずに踵を返すとあっという間に姿を消し、セガンもリョウに一つ頭を下げると階段を降りて行った。
一人残されたリョウは呆然と立ち尽くした。
急な展開に頭がついていかない。
「セオ…」
セオが、部屋で待っている。
それはつまり、シエルとしではなくリョウとして会うという事だ。
リョウはゆっくりと部屋に向かった。
ちゃんとセオに会うのは、いつぶりだろうか。
リョウの鼓動が僅かに早くなる。
会いたい。
でも、会いたくない…。
扉の前についても、リョウはしばらく取っ手を掴む事が出来ずに佇んでいた。
「リョウ」
「うわあぁああ!!」
予想外に真後ろから呼ばれて、リョウはひっくり返った。
「せせせ、セオぉ!?驚かさないでよ!!ど、どうして部屋の外に…!?」
セオは真っ赤に熟れたリンゴが入った籠を持ちながら扉を開いた。
「体調が悪いと聞いたからな。これを貰ってきた」
淡々と言いながら先に部屋に入る。
リョウはあまりにも普段通りのセオに呆気にとられた。
緊張した自分が何だかバカみたいだ。
リョウが部屋に入ると、既にセオはリンゴの皮を剥いていた。
リョウはベッドに腰掛けながらそれをじっと見つめた。
「セオ。せっかく剥いてもらっても…おれ、ちょっと食べ物が喉を通らないんだ」
セオはちらりとリョウを見ただけで、手は止めなかった。
小さくカットしたリンゴを皿に乗せると、フォークを添える。
リョウは差し出された皿を困った顔で受け取った。
一番小さなリンゴを一つだけフォークに刺し口に入れる。
ここ最近では食べ物が全て砂のようにしか感じなかったのに、口の中に広がったのは久しく忘れていた甘酸っぱさだった。
「…あれ?美味しい」
「ゆっくり噛めよ。お前すぐがっつくからな」
一つ、また一つと口に放り込むリョウにセオは苦笑した。
「ゆっくり食べろって」
「だって、これすっごく美味し…い…」
溢れてきたものに、リョウは我慢できなくなった。
ぼろぼろと大きな滴がリンゴの上に落ちる。
「リョウ」
リョウの手から落ちそうな皿を取ると、セオは呆れたように言った。
「このバカ」
大きな手がくしゃりとクリームイエローの髪をかき混ぜると、リョウは堰を切ったように涙を落とした。
一体何に涙が出るのかリョウ自身も分からない。
悲しいのか、嬉しいのか、辛いのか…安心したのか。
「せ、セオぉ…」
「…」
「ごべん…ねぇ…」
何度も謝りながらしがみつく。
セオはひたすら泣き続けるリョウの為に、今はただその体を貸していた。
いつの間にかリョウはそのまま意識を手放していた。
こんなにぐっすり寝付いたのは、一体いつぶりだろうか。
温かな体温を感じながら体を丸めると、幼かった頃を思い出した。
「アイ兄…」
無意識に言葉を落とすとコンとおでこを小突かれた。
「しがみついて離れないくせに人違いするな」
リョウは一瞬で目を覚ますと飛び起きた。
「あ、あれ!?セオ!?おれ…!?」
セオはリョウのベッドに腰掛けている。
泣きながら離れないリョウの為に、ずっとこうして膝を貸してくれていたのだろう。
幼い子どもみたいなことをしてしまったリョウは真っ赤になったが、セオは気にした様子もなく立ち上がる軽く体をほぐした。
「リョウ、お前その顔なんとかしろ」
「えっ」
言われて鏡を覗き込みに行くと、ものすごく酷い顔が映っていた。
泣き腫らした目はぱんぱんだし化粧崩れも激しく、もはやお化けだ。
時間をかけて顔を洗っていると、段々頭が冷静になってきた。
「あの、セオ…」
「バンビが一服盛られて今寝込んでいる」
「え!?」
思いがけないことを言われリョウはタオルを落とした。
「そ、それってバンビちゃん大丈夫なの!?寝込んでるってまさかあの男が…!?」
「いや、命に別状はない。今ハイトラがつきっきりで見てくれている」
「でもどうしてそんなこと!?」
セオはそれには答えずに更に驚くことを言った。
「リョウ。大司教は大集会が終わればお前を密かに引退させると約束した。お前はその後でハイトラとバンビを連れてここから出るんだ」
「え…!?」
「だからそれまではこのまま大人しくしてろ。間違っても自分から騒ぎを起こすなよ」
リョウは信じられずに頭が混乱してきた。
「だ…だって」
「だってじゃない」
「だって!!そんなこと、そんなことあいつが許すもんか!!そんなの嘘だ!!セオはあいつの本性を知らないから…!!」
「それなりには分かるつもりだ」
「あいつはどんな手段を使ってでもおれを手放さないつもりだった!!それなのにそんなあっさり…」
言いながら嫌な予感に拳を握る。
「まさか…セオ」
セオは無意識に視線を逸らしたが、リョウはその反応だけで充分理解した。
「まさか、自分がここに残るつもりなんじゃないよね!?ねぇセオ!!」
「…」
「どうして!?そんなの駄目だ!!ねぇ、ちょっとだけ待ってよ!!あと少しなんだ!!おれ…おれが何とかするから!!」
「余計なことはするな」
突き放すように言われてリョウは目を吊り上げた。
「余計なことはどっちだよ!!おれがどんな思いでここまで我慢してきたか知らないくせに!!」
「それはお前だってそうだろうが」
「おれはやめるつもりはないからね!!こんな歪な場所、全部全部壊しておくんだ!!だってそうじゃないとセオが…!!」
言いかけた言葉がリョウの中で留まる。
セオはリョウの言いたいことを充分に分かっていながら精一杯冷たく言った。
「お前は、俺の何だ?」
「え…」
「仲間でもなければ近しい友でもない。押しかけられて迷惑ばかり掛けられて、いい加減こっちもうんざりだ」
リョウの体は完全に凍りついた。
これは、拒否の言葉…。
「俺には俺の考えがある。それに自分のことは自分で何とか出来る。元々いつまでもお前といるつもりはなかったんだ。ここで別れるのなら丁度いいと思っただけだ」
「…でも」
「いいか。お前は最後の演説を終えたらちゃんとここを出るんだ。お前は兄を探し、ルナハクトにでもいるといい」
「…」
リョウは瞬き一つ出来ずに突っ立っていた。
体が鉛をつけられたように重い。
セオはそんなリョウの顔を見ることすら出来なかった。
くるりと背を向けるとリョウから離れる。
扉の取っ手に手をかけると、一度だけ足を止めた。
「…じゃあな」
これ以上縋られたら突き放す自信はない。
その前にセオは部屋を出て行った。
リョウはその場にぺたりと座り込んだ。
身体には力が全く入らず、どくどくと煩い自分の鼓動しか聞こえてこない。
混乱の極致に達するとリョウはがたがたと震え、同時にまた腹が激痛の悲鳴を上げた。
「セオ…」
ひとり。
また自分はひとりだ。
どれだけ必死に守ろうとしても、結局ひとりなんだ。
リョウは冷たい床の上でお腹を押さえたまま何時間もうずくまっていた。




