冷酷無情な計画
バンビは毎日騒がしい廊下にいい加減腹が立ってきた。
まだ朝も早いというのに、扉の外ではセオ様セオ様と呼ぶ声がうるさい。
大人しくしていろと言われたが、我慢できなくなると勢いよく部屋から飛び出した。
「朝っぱらからうるさいっての!!セオなら二時間も前からいないから!!大体あなた達ね、いい乙女が揃いも揃って朝から晩まで子作りしろって迫るなんて恥ずかしくないの!?」
「な、なな、なんですって!?」
率直な言い方に女達は真っ赤になって怒った。
「な、なんてお下品なことを…!!貴女こそ厚かましくもセオ様の部屋に入り浸って!!」
バンビは鼻であしらうと冷たく言った。
「あのね、女なら清らかさとプライドをちゃんと持ちなさいよ。女はねぇ、追われてなんぼなのよっ。相手の迷惑すら考えずに追いかけ回すなんて、そっちのほうがよっぽど下品極まりないからね!!」
がっつり言われて女達は怯んだ。
赤くなって俯いていると、その後ろから絶妙なタイミングでセオの声が割り込んだ。
「何してるんだ?」
「あぁ、セオ。お帰り。この人たちがあまりにも朝からセオに子作りを…」
女たちから盛大な悲鳴が上がった。
「せ、セオ様…!!あの、私たち…」
「し、失礼します!!」
珍しくそそくさと散っていく様子にセオは首を傾げた。
「何を言ったんだ?」
「別に。現状を分からせただけよ」
つんと顔をそらせながら言うと、セオはバンビの鼻先をつまんだ。
「無茶はするなよ」
「い、いひゃい!!」
バンビはセオの手を振り払うと鼻をさすりながらぷりぷり怒った。
「もう!!これやめてよ!!失礼しちゃう!!」
セオは思い出したかの様に笑うと部屋の扉を開けた。
「ルイもこれをするとよく怒ってたな」
「ルイ?」
「俺の家にいる毛まみれの猫だ」
「ねこ…」
時折やたらと優しいセオの手つきの理由を悟ると、バンビはがっくりと肩を落とした。
「き、期待持させちゃって…」
バンビはセオを睨み上げてからぷいと部屋の中へ先に入った。
女は追われてなんぼ…。
自分のセリフがどストライクに胸に突き刺さる。
アイトのことはずっと追っていたし、セオは追っても来ない。
「はぁ…。私って魅力が足りないのかな…」
一人ぶつぶつと拗ねているバンビを放置して、大聖堂を一回り見てきたセオは最近耳にする噂について考え込んでいた。
「…リョウがシエルの偽者だという噂が出回っている」
「え!?」
「だが広がり方が妙だ。誰かが悪意を持って吹聴したようでもないし、決定的な証拠を見た者が騒いだという気配もない。自然ともれたという感じだな」
何にしてもそのせいで一種異様な緊迫感に包まれているのは間違いない。
バンビは何だか不安になった。
「もう限界なんじゃないかな。リョウが何考えてるのかは分からないけど、もう引っ張り出しましょうよ」
「そうだな。お前らは、ここを出ろ」
「セオ!!」
セオはバンビを冷静に見下ろし、窓の奥をしゃくった。
「あの通路の柱の陰。あそこから常にこの部屋は見張られている。部屋を出るとご苦労なことに四人は物陰から監視の為に後をついてくる」
「え…」
セオの言う柱の影には確かに武装した男が数人見えた。
「うそ…。気付かなかった」
「別に俺が逃げ出そうとはしなかったから、あいつらが表立って出てこなかっただけさ」
「セオ一人に四人以上もついてるの?」
「それでも俺なら余裕で抜けられる。…一人ならな」
「でも…!!」
ここで別れれば、セオはきっとどこかへ行ってしまう。
物言いたげにするバンビを分かっていながらも、セオは淡々と言った。
「ここのところリョウの見張りは甘い。あいつがその気なら隙は必ずあるはずだ。ここを出る段取りを具体的に決めてハイトラにも協力してもらおう」
「…」
あっさり言うとさっさと背を向ける。
バンビはやるせない思いにしばらく顔を上げられずにいた。
昼前になると、セオとバンビはリョウの周りを探るために部屋を出た。
祝福の間から身廊へ降りてくるのを待っていたが、遠目からその姿を見つけると目を疑った。
「キイラギ!?」
リョウの隣にぴたりと身を寄せて歩いているのは間違いなくキイラギだった。
リョウの表情は相変わらず読めないが、別に脅されているようには見えない。
キイラギ自身にも不穏な気配や命を狙っている様子もない。
「どういうことだ?」
「セオ、あそこ。ハイトラちゃんがいる!」
バンビはリョウの斜め後ろを指差すと小声で言った。
ハイトラはこっちに気付くと小さく手を振った。
だがセオが近付こうとすると慌てて手でばつ印を作った。
「ハイトラちゃん、来るなって言ってるわ。後で行くって」
「キイラギがいるからか、他に理由があるのか…」
「分からないけど、うろうろするより部屋で待った方がいいんじゃない?」
「そうだな」
気にはなったがキイラギに見つかる前にここは引いた方が賢明だ。
二人は気配を押し殺したまま近くの扉から中庭へと出た。
バンビは外の空気を思い切り吸い伸びをした。
「はぁ、気持ちいい風。早くこんな所から出なくちゃね」
「不用意なことを口にするな。取り囲まれるぞ」
「うっ…。恐いなぁ…」
バンビは大げさに腕をさすった。
建物の横手からまた中へ戻ろうとしたが、その時一人の女が近付いてきた。
身なりから台所仕事の者のようだ。
「すみません…。すみません、貴方はシエル様のお連れ様ですよね?」
セオとバンビは同時に振り返った。
「あぁ、やはり…。貴方がセオ様ですね?」
女はバンビとセオを交互に見ると必死の形相で訴えてきた。
「セオ様。今すぐにシエル様を連れてここから出てあげてください。このままではシエル様が壊れてしまいます」
女の言い方に含みを感じたバンビが慎重に口を挟んだ。
「おばさま、もしかしてシエル様の正体を…知ってる?」
女は何度も頷いた。
「シエル様…いえ、リョウ様は祈りの時間になると、こっそり抜け出しては調理場によく息抜きに来られていました。自分は本当のシエル様ではないことを私たちには打ち明けてくださったのです…」
「リョウが、自分から?」
セオは首を傾げた。
あれだけ完璧に演じているリョウが、わざわざそんなことをする意味が分からない。
女は俯くと暗い顔をした。
「はい。ですが知っている者はどうやら他にもいるようで…。そうでなければあんな噂が立つはずがございません」
リョウが偽者だと囁かれていることに、女は心底胸を痛めているようだ。
バンビはこんな所にリョウの理解者がいることに嬉しくなったが、反対にセオは厳しい顔で何やら考え込んでいた。
「まさか、あいつ…」
セオは急に踵を返した。
「ちょ、ちょっと待ってよセオ。じゃあ私たちこれで…。おば様、リョウを心配してくれてありがとう」
ぺこりと頭を下げてからバンビも慌ててセオの背中を追った。
「セオ、セオ!?急にどうしたのよ!?」
小走りで追いついたバンビはセオの腕を掴んだが、厳しい瞳と目が合うとぎくりとした。
「せ、セオ…?」
「リョウがシエルとしての価値を高めている理由がやっと分かった」
「え…?」
「信者たちの盲目的な信仰ぶりはお前もその目で見ただろう?リョウはわざわざ理想以上のシエルを演じ、皆を惹きつけた後で正体を晒すつもりだ」
「でも、どうしてわざわざそんな事を?」
「あいつはこの大聖堂を丸ごと潰すつもりだからだ」
「えっ」
あまりに過激な言葉にバンビは引きつった。
「ま、まさかそんな… 。考えすぎじゃない?」
「さっきの女も言っていただろう?リョウは表でシエルを演じ、裏ではせっせと正体を明かしてきた。今朝歩き回って見ただけでも、恐らくリョウの正体を知る者は相当な数がいる」
そんな状態で、皆の前で自分はシエルではないと涙ながらに言い出せばどういった事態になるのか。
バンビは考えるだけで青くなった。
「まさか…まさかリョウはその人たちを盾に…?」
「そうだ。あらかじめ正体を知っていた者達は狂気に陥る信者から全力でリョウを守ろうとするだろう。そうなればもう誰の手にも負えん混乱と暴動が起きるぞ」
それは自らの命にも他人の良心にも頓着しない、冷酷無情な反撃。
リョウはただただ、本気でこの大聖堂を叩き潰すつもりで仕掛けているのだ。
それにしてもどれ程上手く立ち回ればこうも思惑通りに事が運ぶというのだろうか。
無邪気に笑うリョウの裏側には、間違いなく計り知れない狡猾な一面とそれを遂行する頭脳が隠れている。
「あいつに今すぐシエルの真似事を止めさせる」
「あ、セオ!!」
バンビは今にも身廊へ殴り込みそうなセオを慌てて止めた。
「待ってよ!!今更正面から波風立てなくても今夜ハイトラちゃんと落ち合ってリョウを連れ出す作戦を練るんでしょう!?」
セオはバンビの手を振り切ったが、バンビは前に回り込むと一回り大きなセオの体を抱きとめた。
「離せっ」
「落ち着いてってば!!今騒ぎを起こしたら全部振り出しに戻るわよ!!」
「時間がない。あいつがいつ仕掛けるつもりなのかは分からないんだぞ!!」
「焦らなくても今すぐ何か起こるわけじゃないわ!!これだけ周到に仕掛けてるならリョウだって何らかのタイミングを狙ってるはずよ!!」
セオの背中に回す手に力を込め、バンビは懸命になだめた。
「…大丈夫。まだ大丈夫よ。落ち着いて。あのね、今セオが下手に騒ぐ方がきっとリョウにとっても危険だと思うの」
「…」
「それにリョウを止めたいなら、ちゃんと素で話し合わないと。周りに人がいる場所で問い詰めるなんて一番だめよ」
あれこれと言葉を選びながらしばらく説得をしていると、セオの体から徐々に力が抜けてきた。
それにホッとしていると、セオはバンビの柔らかい猫っ毛の頭を抱き返してきた。
「え、あの…」
「…い」
「え?」
「…悪い。お前の言う通りだ」
深く呼吸をすると温かなバンビの体をそっと離す。
セオは冷静さを取り戻すとバンビの頭をぽんぽんと軽くたたいた。
バンビは何だか泣きそうになった。
どうして泣きそうなのかは全くわからなかったが、なんだか泣きたいと思った。
二人は大人しく夜を待つことにし、建物の中へと戻った。
なんとなく口数は少なく、ぎこちない空気の中廊下を歩く。
最後の角を曲がりいつもの西の部屋が近付くと扉の前に誰かがいるのが見えた。
「あれは…」
そこにいたのはルテだった。
ルテはセオ達に気付くと慌てて反対方向へと逃げて行った。
「なんだ?」
「さぁ…?てっきりこっちへ来ると思ったんだけど」
不審に思いながらも、いないならいないで全く問題はない。
バンビは先に部屋へ入るとお茶の用意を始めた。
「温かいお茶でいい?」
「俺はいらない」
先にセオ用の大きめのカップにお茶を注いだところでいらないと言われてしまった。
バンビは仕方なく手を止めるとそれを自分用にして口を付けた。
密室空間で二人きりは更に気まずい空気になる。
バンビはお茶を飲みきってしまうとぽつりと言った。
「ねぇ、前に言ってたセオが私たちの前から必ず消えるっていう意味、聞いてもいい?」
ソファに座り込んでいたセオは薄っすらと目を開いた。
「お前には関係ないことだ」
「…」
はっきり言われ、バンビの胸が鈍く痛む。
本人が拒否をしているのだからこれ以上深く聞くべきではない。
普段のバンビならそう判断したはずだ。
だが椅子の上で膝を抱え込んだバンビは子どものように目を潤ませた。
「関係、あるもん…」
セオはまるで風のようだ。
確かにそこにいるのに、その熱も感じるのに、幻のように実体が掴めずすり抜けていく。
そして気が付けば本当に消えてしまうのだろう。
そう思うとバンビはたまらなくなった。
立ち上がるとつかつかとセオの前まで歩み寄る。
「セオ…」
バンビはセオの隣に腰掛けると艶めいた顔でその体にそっと頬を寄せた。
「消えないで…」
「なに…」
「好きなの」
掠れる声も、落とす吐息も甘い。
セオは驚いてバンビの肩を掴むと体から引き離した。
途端にバンビはセオの膝に崩れ落ちた。
「おい、バンビ!?」
「熱い…」
バンビの荒くなる動悸と呼吸に異変を感じる。
「バンビ!!おいしっかりしろ!!」
「…」
「バンビ…リオ!!」
バンビがおかしくなったのはつい今しがただ。
セオはバンビをソファに横にするとざっと部屋を見回した。
すぐにテーブルに向かうとバンビの飲んでいたカップを取り上げる。
飲み干したカップの底には少しだけ赤いものが残されていた。
「薬!?」
異変の原因はこれに間違いなさそうだ。
セオはすぐに医者に見せるべきだと判断すると部屋を飛び出した。




