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砂漠の月  作者: ちあき
第五章 不吉なシエル
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リョウの異変

リョウはぐったりとテーブルにうつ伏せていた。

さっきから早鐘を打つ心臓がうるさい。

まさかあんな急にセオが目の前に現れるとは思ってもみなかった。


「…はぁ、本気でびっくりした」


大司教に連れられていたようだが大丈夫なのだろうか。

いや、それよりももう充分シエルとして認められているのだから、そろそろセオを解放させなければ…。

考え込んでいると急に軽い腹痛に襲われた。


「う…」

「大丈夫ですか?シエル様」


ことりと音を立ててホットミルクが置かれる。

リョウは顔を上げ調理場を見回した。


「あ、ごめんなさい。おれってばぼんやりしちゃって…」

「かなりお疲れですね。顔色も悪いわ。体調が悪いのですか?」

「ううん、大丈夫だよ」


調理場の女達は皆心配そうにしている。

リョウはにっこり笑いながらホットミルクを飲み、いつものように何でもない会話に興じた。


「ご馳走様でした。もう行かなきゃ」


少し怪しい足取りで調理場を出て行く小さな背中を、女達はやっぱり心配そうに見送った。

人のいない廊下まで戻ると、リョウは壁にもたれかかり腹を押さえた。


「つぅ…いたた。何だよこれ」


その場にしゃがみこみ痛みが治まるのを待つ。

数分すると腹痛は嘘のように引いた。


「はぁ…、痛かった。…さて、と。次に行かないと」


リョウは立ち上がると今度は庭師の集まる木陰に足を向けた。

調理場の女や学び舎の子ども達の他にも、リョウはこういった生活面を支える者達を次々とターゲットにしていた。

正体をこっそり明かし、哀れみを誘い、甘えてみせる。

心の拠り所はここしかないと言わんばかりのリョウに、人々は面白いほど味方を申し出てくれた。

あとは普段シエルとして完璧な姿を演じていれば、そのギャップを目にする度に更に勝手に同情してくれるだろう。

リョウの思惑は着々と形になってきていた。

本日も無事全ての勤めを終えベッドに転がったリョウは、暗い天井を見上げていた。


「もうそろそろ仕上げの頃合いかな…」


ごろりと寝返りを打ち目を閉じる。

その心は冷え切ったままだった。

セオを殺した恨みは、一生忘れない。

例えそれが本物ではなかったとしても。

一度アイトを失ったリョウにとって、セガンのしたことは一番許し難いことだった。

…でも。


「う…」


リョウの腹はまたキリキリと痛んだ。

脳裏に浮かぶのはこっそりと関わってきた人たち。

正体を明かしたリョウに、皆はとても優しかった。

自分の目的はその人たちまで滅茶苦茶にしてしまうことなのに。


「どうして今更、迷うなんて…。昔は同じようなことをしても全く平気だったじゃないか」


冷や汗を流し腹を押さえていると、ふと鮮やかな青い瞳が瞼に浮かんだ。

なんだかんだいって本当はとても優しい人。

騙そうとしたリョウの本質を見抜き、それでも側にいてくれた人。

あんな人に…なりたいと思った。

それなのに結局自分はこんなやり方しかできない。


「守らなきゃ。セオも、セオの未来も…」


リョウは小さく丸まると、良心の呵責を無理矢理腹の中へと押し込めた。

翌日。

リョウは予定通り午後からの講義に参加した。

だがその顔色は更に悪くラドが心配そうに声をかけてきた。


「おい、リョウ。お前体調でも良くないのか?」

「え…?」

「え、じゃねぇよ。真っ青じゃないか!」

「そんな事ないよ。平気平気」


近くにいたスミレも心配そうに言った。


「ちょっと無理しすぎなんじゃないかな。お休みはちゃんと貰っているの?」


リョウは何とも言いがたい顔になったが、そこへ他の少女たちが近付いてきた。


「ねぇリョウ。貴方のお連れの方、本物のウワカマスラだっていうのは本当なの?」


リョウは反射的に無表情を装うと、内心の動揺を押し隠した。


「…誰がそんなことを?」

「今信者たちの間ではこの話で持ちきりよ?昨日セオ様がシエル様と同じような金色の光に包まれていたって…」

「昨日!?」


すれ違った時にセオに異変はなかった。

だがもしバレたのだとすれば大司教に連れられていたのも納得できる。


「せ、セオは!?その人は今どうしてる!?まさかおれの代わりに何かさせられてるとか!?」


思い切り素で食いついたリョウに、少女は驚いた顔をした。


「いえ。そういう話は聞いてないわ」

「そ、そっか…」


セオが捕まっては意味がない。

これは早々に大司教に会わなければ。

一人考え込むリョウに、スミレはくすりと笑った。


「とても大事な人なのね。いつも落ち着いて優秀なリョウがそんなに取り乱すなんて」

「…。優秀?」


ここ最近ぼちぼち聞く耳慣れない言葉にリョウが訝しげな顔をした。

大司教に言われた時は嫌味だと思ったが、スミレは本気でそう思っているようだ。


「だってここのお勉強はとても難しいのに、途中から参加しているリョウはちゃんとついてきてるでしょう?それに先生に意見を求められてもきちんと答えが出るし、この間の試験も論文も滅多にもらえない最高ランクの判子を押されていたわ」


当たり前のことをしていただけのリョウはきょとんとした。


「そんなこと初めて言われた。おれずっと出来損ないだって言われ続けてきたから…」


ラドは眉を寄せるとリョウの頭をつついた。


「お前が出来損ない??どうして??」

「え…?だって…」


学年で首位を取っても総合成績は当時のアイトの足元にも及ばない。

運動、武道方面ではクルハが飛び抜けた記録を残しているし、どれだけ優秀な論文を書いても既に何年も前に発表されたシオンの論文は沢山の資料や教科書に載せられているから褒められもしない。

レオに至っては次期官僚として常に華々しく活躍している。

少しぼかしながら話すとスミレとラドは目を丸くした。


「学年首位!?充分優秀じゃないの!!」

「それってさ、リョウの兄弟が出来すぎるだけじゃないのか?お前のどこが出来損ないなんだってんだよ」


リョウは更に首を傾げた。


「えと…だって、おれってほら、体も小さいし運動だって人より少し出来るくらいだし」

「人より出来てりゃ充分だろうよ。プロ目指してるわけじゃないんだから」


ばっさり言われるとリョウは黙り込んだ。

まるで自分が出来損ないだという理由を探している姿に、スミレは眉を寄せた。


「ねぇリョウ。それって刷り込み意識なんじゃない?何だか暗示的だわ…」


リョウはわけが分からなくなって混乱した。


「え?いや、でも。そんなはずは…」


ラドがまだ何か言おうとしたが、教師が部屋に入ってきた。

皆はサッとリョウから離れるといつもの様に素知らぬふりで席に着く。

淡々とした講義が今日も始まったが、リョウの耳には全く入らなかった。

刷り込み意識、暗示…。

確かに言われてみればそうなのかもしれない。

でも、何のために?

リョウの心のどこかがざわりと波打った。

自分は、何かを忘れている気がする。

考えようとすると急に頭が割れそうなほど痛んだ。


「シエル様?どうかされましたか?」


教師が気付き声をかけたが、リョウは小さく頭を振るとなんとか平静を装った。


「なんでもありません。すみません」

「そうですか…」


心を落ち着けて思い出そうとするのをやめると、頭の痛みは嘘の様に引いていく。


「一体…なんなんだよ」


腹痛に続き頭痛まで起こるのは勘弁してもらいたい。

もう一度こめかみをほぐすと、リョウは考えることを放棄した。

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