キイラギ
リョウの人気はとにかくうなぎ登りだった。
シエルの土台があったとはいえ、その姿は清楚で純潔、更に聡明で立ち振る舞いもこの上なく品があるとなれば信者たちはますます猛烈にリョウを支持した。
だがこうなると出てくる問題も色々ある。
大司教セガンは地方の教会へと足を運んでいたリョウが帰ってくると、難しい顔で部屋へ押しかけてきた。
「お疲れ様ですシエル様」
「何か用?おれ忙しいんだけど」
「実は貴方にこなして貰わなければならない事が出来ましてね」
「回りくどいのは要らない。はっきり言ってよ」
セガンは分厚く古いノートをテーブルの上に三冊乗せた。
「貴方の立ち振る舞いはもはや完璧です。ですが、まだ偽物だと疑う者たちが明日やって来ます」
「明日?誰が来るの?」
「ユネット教会のエラ・エンガです。エンガ殿は信者でありながらウワカマスラを神のように敬うこの風習をやめさせようと働きかけている厄介な男です」
セガンは分厚いノートをトントンと指で叩いた。
「エンガ殿は間違いなく貴方に様々な質問を投げかけボロを出させようとしてきます。ですので、貴方は明日までにこれに目を通しておいてください。大概の質問はここに書かれている通りに答えてくだされば問題ありません」
「この量を明日までに覚えろっていうの?」
「貴方ならできますでしょう?」
リョウは不貞腐れるとそっぽを向いた。
セガンは嫌な笑みを浮かべてゆっくりと言い諭した。
「いいですか?今更偽物だと知れたら貴方の命にも関わります。涙を流して貴方を迎えた信者たちは、裏切られた怒りで貴方を処刑したがるでしょう。文字通り、死ぬ気で覚えてください」
背を向けるとセガンはさっさと部屋を出て行った。
リョウは着替えを終えるとノートに手を伸ばし、三冊とも床に叩き落とした。
「ばれなきゃいいんだろ?」
吐き捨てるように言うとそのままベッドに転がる。
顔を両手で覆った隙間から小さな笑い声が漏れた。
「こんなもの用意しなくてもちゃんとやるのに」
そのままうつ伏せになり枕にかじりつくと、ぐっすり眠りに入った。
翌朝。
いつもより早めに起こされると念入りに化粧を施され、レースの服も一段上等の物を着せられた。
「質問には答えられそうですかな?」
セガンは世話係にリョウの姿をくまなくチェックさせながらしつこく聞いてくる。
リョウは相変わらず無視を決め込んでいたが、身廊に入ると大司教だけでなく信者の間でも緊張感が漂っていた。
余程の人物が来るのだろうと思っていると、出入り口付近が騒がしくなった。
「ユネット教会より、エラ・エンガ様が到着されました」
身廊に声が響き渡り、人々の群れがサッと左右に割れる。
その中を五人の男が悠々と歩いてきた。
先頭に立つのがエラ・エンガで、その後ろは付き人といったところだろう。
「朝の礼拝中に失礼する。今お噂のシエル様に会いにきた」
エンガのしゃがれた声に応えるように大司教はリョウを連れて前に出た。
「これはこれはエンガ殿、お待ちしておりました。ここでは皆の邪魔になってしまいます。どうぞこちらへ」
リョウが見上げるくらい、エンガは歳の割に身の引き締まった背の高い男だった。
浅黒い顔には鋭い目が光り、対照的に白い口髭はかっちりと形を整えられている。
まるで堅物と頑固を混ぜて絵に描いたような人だ。
エンガはじっとりと品定めをするようにリョウを眺めまわすと、厳つい顔で一礼した。
「 お初にお目にかかります、シエル様。私はユネット教会の長、エラ・エンガと申します」
口調は取って付けたように丁寧だったが、その目は最初から軽侮に満ちていた。
リョウは微笑みを作るとただ優雅に頭を下げるに留めた。
大司教の案内でエンガ達を連れて身廊を出る。
その時、リョウは付き人の一人と目があった。
アッシュグレーの髪が印象的なその青年はこっちが怯むほど冷たい目で見ている。
それは殺意を感じるほど鋭いものだった。
初対面でそこまで睨まれても困惑しかないが、今は黙って耐えるしかない。
大司教はこじんまりとした客室へ案内すると
エンガにソファを勧めた。
「どうぞお掛け下さい。シエル様はこちらに」
リョウはエンガの対面に座らされた。
エンガは顔色ひとつ変えないリョウににやりと笑った。
「今回のシエル様は中々肝が座ってらっしゃるようだ」
リョウには意味が分からなかったが、エンガの後ろで控える者たちは笑みの浮かんだ口元を隠している。
エンガは腕を組むとまたリョウを上から下まで眺めながら口を開いた。
「シエル様は森の向こうからいらっしゃったとか。その辺りを詳しく聞きたくてね。わざわざ今日は足を運んだわけだ」
リョウの隣で大司教がちらりと視線をくれた。
ここからが始まりというわけだ。
「はい、わたくしは砂漠から来ました」
「ほう、砂漠。あそこには確かに昔からウワカマスラが密かに息づいていると言われますからな」
「今となっては他に仲間はおりません。わたくしは唯一の生き残りですので」
「百年前はまだ幾人かいたようだが…残念な事だ」
エンガは意地悪な笑みを浮かべると次々と質問攻めをしてきた。
「貴方もやはりサンドフローを操れる力があるのでしょうか」
「はい。大したことは出来ませんが、砂漠にうねりを作る程度でしたら造作もございません」
「貴方のそばにいた大地の意思はどのような姿形でしたかな」
「三人いましたが、うち二人は女性型です」
「砂漠にいらっしゃったという事だが、具体的にはどのように暮らしていたのだ」
「地下に隠れ家があります。昔ながらのウォーター・シストの技術等を取り入れた作りです」
つい最近まで本物の見本がすぐ隣にいたのだ。
あんなノートなど見なくても、リョウは淀みなく全てにすらすらと答えた。
その顔には微笑みさえ浮かんでいる。
エンガは段々苛立ちを見せ始めた。
「では、貴方はなぜ今更このウォーター・シストへ来られたのですか」
打てば響くように返ってきていた答えは、この時初めて止まった。
リョウはうつむくと瞳に憂いを浮かべた。
「本来なら、ここへ来るつもりはありませんでした…」
大司教は目を見張ったが、先にエンガが食いついた。
「ほう。それはどういう事でしょうか」
「わたくしは新都人に追われ、森で迷い、たまたま南に抜けてここへ来たのです。このウォーター・シストの秩序をわたくしの存在で揺るがした事を…深くお詫び致します」
それはシエルとして完璧にエンガを黙らせる答えだった。
大司教は渡した資料と全く違う答えを返し続けるリョウに内心冷や汗ものだったが、見事にエンガをやり込めたことに満足して詰めていた息を吐いた。
だがここでリョウは思いもしない事を言い出した。
「しかしこうなった以上、わたくしは己に課せられた務めを全身全霊で果たそうと思っております。皆に慕われ、皆の道標となり、いずれわたくしは再び皆と一つになることでしょう」
エンガは顔を真っ赤に染めるとリョウを睨みつけた。
もちろんリョウはエンガが古い風習を撤廃しようとしてるのを承知の上で涼しげに言い放ったのだ。
「お話が以上でしたら、退室させて頂いてもよろしいでしょうか。わたくしを待つ信者の方々がいらっしゃるものですから」
優雅に皆を見回すと、リョウは立ち上がり一礼して部屋を出た。
慌てて後を追ってきた大司教は、リョウに並ぶと押し殺した声で言った。
「お見事でしたシエル様。…ですがどこであの様な知識を?」
渦巻く疑問が口を突くと、リョウはぴたりと足を止めた。
「何か、問題でも?」
「…」
落ち着いたその顔は誰がどう見ても完全に理想的なシエルだった。
絶句するセガンを放ってリョウは再び一人で歩き出した。
「な、何者なんだあれは…」
セガンは顔中に玉のように浮かんだ汗を拭いながら廊下に佇んだ。
この日からリョウは宣言通り態度を変えてきた。
今までは言われた事をこなすだけだったのが、積極的に勤めに取り組み出したのだ。
地方には倍の頻度で足を運び、夜中の十時まで勉学に励み、信者には自ら話しかける。
慈愛深く微笑み、慰めの言葉を惜しみなく降り注ぎ、明るい未来を説く姿に信者たちの熱は加速していく一方だ。
エンガをやり込めたという噂も相まり、リョウのシエルとしての地位は揺るぎないものへと固まっていった。
そんな激務な日々の中でも、祝福の間で一人になるとリョウはせっせと裏で動き回った。
日に日に疲れは溜まったが、そんなこと今はどうでもいい。
今日はどこで姿を晒そうかと目論んでいると、決して開くはずのない祝福の間の扉が突然開いた。
「よぉ、偽ユキネ」
「え…」
入って来たのは何処かで見たことのある青年だ。
「覚えてないか?先日エラ・エンガと共に来た」
「…あっ!!」
エンガの隣で睨み殺しそうな目で見ていたアッシュグレーの髪の青年だ。
「こんな所で何をしてるのですか?今ここは誰も近づいてはならないはずです」
「その白々しい演技をやめろっ。虫唾が走る」
「貴方はいったい…」
「俺はエラ・エンガの息子、キイラギだ」
「キイラギ…」
キイラギは短剣をすらりと引き抜くとリョウに向けた。
「この名に無反応なことが、貴様が偽ユキネだという証拠だ」
「ちょ、ちょっと!?キイラギさん!?」
キイラギは無表情のまま突然リョウに襲いかかって来た。
リョウは反射的に飛び退き祭壇に思い切り突っ込んだ。
たまたま手に触れた分厚い聖書を握り、振り下ろされた刃先を防ぐ。
「待ってよ!!どういうこと!?」
「これ以上ここに居座るなら俺は本気で貴様を殺す。生き延びたいのなら一刻も早く出ていくことだな!!」
リョウは聖書を捨て、黒いヴェールをむしり取るとそれをキイラギの顔に目掛けて思い切り投げつけた。
思わぬ反撃にキイラギが緩んだ隙に出口へと走る。
後ろを振り返りもせずに階段を駆け下りると、適当な空き部屋へ潜り込み息を潜めた。
しばらく経ってもキイラギに追ってくる気配はなかった。
「はぁ…びっくりした。一体何だったんだ?」
とりあえずこの場を離れようと一歩踏み出すと、途端に足から力が抜けてまたその場に座り込んだ。
リョウの体は今更ながらがたがたと震えた。
急に襲われたのによく咄嗟にあれだけ体が動いたものだ。
何度か深呼吸を繰り返し少し落ち着くまで待っていると、キイラギの言葉が頭をよぎった。
「偽ユキネ…か」
ユキネ。
シエルの真名。
知ってはいたが、この時リョウの中で何かがかちりと音を立てた。
「そういえばセオの探していた子の名前も確かユキネだった」
ウワカマスラの末裔であるセオ。
ウワカマスラだったユキネ。
これが偶然であるはずがない。
「シエルはセオのずっと探していたユキネ…!?じゃあ消えたオリーブとシエルは砂漠のセオの家に来ていたのか!!でも、何の為に…?」
しばらく頭をひねったが考えたところで分かるはずもない。
それに自分でも気付いたのだからセオはとっくに気付いているはずだ。
「セオ…」
意識して考えないようにしていたのに、セオがよぎると胸がぎゅっと痛んだ。
セオもバンビもハイトラも、みんな無事でいるのだろうか。
リョウは足を抱え込み三角座りをすると、寂しい瞳を隠すように伏せった。




