反撃開始
サンクラシクス大聖堂に捕らえられてから一ヶ月。
リョウはただひたすらスケジュールをこなし過ごしていた。
朝からこの顔を拝むためだけに詰めかける人々は熱心で、一挙一動注目されるものだからあくび一つ出来ない。
移動の際はぞろぞろと人がついてくるし、勉強の時も部屋の外では見張りが取り囲んでいて隙など一つもなかった。
「貴方が従順な上に大変優秀で嬉しく思いますよ」
祝福の間に連れられる時だけは大司教と二人になる。
セガンはリョウと螺旋階段を登りながらご機嫌に笑った。
リョウは無視を決め込むといつもの部屋へ入り、座り込んではとっとと祈りを捧げ始めた。
「二時間後にお迎えに参ります」
セガンは丁寧に言うと扉を閉め鍵をかけた。
本日も大人しくしていたリョウは、足音が完全に消えたのを見計らうとすぐにヴェールとレースの服を脱ぎ捨てた。
下にはこっそり自分の服を重ね着していた。
置いてあった濡れタオルで化粧を擦りとると、あっという間に元の姿になった。
「よし、タイムリミットは二時間だな」
凝り固まった体をストレッチでほぐすと、狙っていた棚に飛びつく。
体を持ち上げると目の前に小窓が現れた。
そっと小窓を開き身を乗り出してみると、そり立つ壁崖が広がっている。
これなら人目に触れる事はない。
しかも建物の造り上、自然と足場にできる塀がある。
「やっぱり…思った通りだ」
毎日同じ行程の生活を繰り返しながらも、リョウはずっと細やかな観察を怠りはしなかった。
棚と小窓に誰かが登った形跡があることにもすぐに気付いた。
それはほんの僅かな擦れ跡だとか、遠目には分からない窓についた指紋程度だが、昔から脱走癖のあるリョウの目にはばっちり止まっていた。
「昔誰かもここから抜け出したんだ。狙う時間は一緒だってことか」
リョウは塀に飛び移ると器用にその上を渡った。
どこに繋がっているのかは外を移動してる時に確認済みだ。
するすると木を伝い、予め鍵を外しておいた二階の廊下の窓から中に入る。
この窓の近くには調理場に降りる階段があった。
リョウは誰もいないのを確認してからその階段をそっと降りて行った。
大きな調理場では既に夕食のための仕込みが始まっていた。
リョウの読み通りこの時間には料理長らしき男や下人は見当たらず、休憩を終えたばかりの中年女たちしかいなかった。
「それにしてもシエル様が戻られて本当に良かったわね。皆最近生き生きしているものね」
「しかも本当に立派に振舞われて…」
「でもシエル様はまだ十四でしょう?あれはそうとうご無理なさってるんじゃないかしら」
ここの女たちは母親が多い。
十四の娘などまだまだ子どもだということをよく分かっている。
肉をよく煮込みながら立ち話をしていると、突然後ろから声がかかった。
「うん。だいぶ無理してるんだ。自由はないしご飯は少ないし」
女たちは驚いて振り返った。
そこにはクリームイエローの軽い髪をふわりとさせた男の子が立っていた。
「まぁ、どこから入ってきたの?」
「ここは遊び場じゃないのよ」
その少年は可愛らしい笑顔を見せた。
「分からない?おれシエルだよ」
「え…えぇ!?」
「まさかっ!!」
少年はしーっと唇に人差し指を当てた。
「あんまり生活が厳しいからさ。お祈りの時間短縮してこっそり抜け出してきちゃった。ねぇ、内緒だよ?」
女たちは信じられない思いでリョウを見ていた。
「だ、だってシエル様は女の子だし…」
「そうだよ。でもこれが本当のおれなんだ」
屈託のない話し方に女たちは戸惑い互いの顔を見合わせた。
「大丈夫。少し休憩したらまたすぐに戻るから。ねぇ、おれお腹が空いちゃったんだ。出されるご飯だけじゃ全然足りなくて…」
うなだれる姿は女たちの母性本能をくすぐった。
「パンとチーズくらいなら少しあるけれども…」
「え!?ほんと!?」
リョウの顔がぱっと輝くと女たちは次々と手軽に食べられそうなものを出してきた。
「そうよね、大変だと思うわ。キャンディでも持っていく?」
「今朝の残りでよければフルーツがあるわよ?」
「このスープは夜用なんだけれども、少しくらいなら摘んでも分からないわ」
リョウは嬉しそうに礼を言うと次々とそれらを口に運んだ。
「美味しい、ありがとう!!すっごく元気が出たよ!!おれ、がんばるね!!」
リョウは満足そうに立ち上がると、伺うように女たちを見た。
「ねぇ…、また来ても、いい?」
母親たちは優しく微笑み返した。
「もちろんよ。でも、見つからないようにね」
「うん!!ご馳走様でした」
きちんと頭を下げてから、少年は階段を上っていった。
リョウは辺りを警戒しながらまた元来た道を辿って帰った。
祝福の間までたどり着くと急いでヴェールとレースの服を着込む。
ポケットに入れていた瓶から白粉と赤い粉を取り出すと化粧も直した。
そこまで終わるとやっとほっと肩の力を抜いた。
「やっぱり、取り入るならああいう女の人たちが一番やりやすいよね…」
一人呟くその瞳には、冷たい色がにじんでいた。
幼い頃、アイト以外周りに味方なんていなかった。
だが下町に降りればああいった女たちが自分を憐れみながら優しく接してきたことを思い出したのだ。
リョウはその女たちをとことん利用した。
あどけない顔で近付き、素直さを装って自分を守る為の格好の逃げ場に仕立て上げた。
女たちが心の中では自分を蔑んでいたことも知っていたので、リョウはおあいこだと思っていた。
「そうだよ。おれは元々、そういう奴だったんだ…」
真っ直ぐなセオといると、自分もなんだか真っ直ぐになった気になっていた。
歪んだ自分は嫌いだったが、泣いて終わるなんてことはとっくの昔に卒業していたのだ。
「大丈夫。嫌いなら嫌いなほど…おれは強くなれる」
リョウは床に座り込み祈りを捧げながら、その顔に暗い笑みを刻んだ。




