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砂漠の月  作者: ちあき
第五章 不吉なシエル
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セオの駆け引き

セオは窓から街へ降りるリョウを見下ろしていた。

大地の祠を目指すリョウは粛々と歩き、もはや別人にしか見えない。

リョウに振り払われた右手を見つめていると、扉の鍵が外される音がした。


「セオ様。祈りの時間でございます」


祈りなどちっとも捧げようとしないのに、信者たちは懲りずにセオを身廊へ連れて行こうとする。

部屋から出られるのはこの時間しかないので仕方なく従ってきたが、セオは歩きながらもある事に気付いていた。


「おい」

「何ですか?」

「俺みたいな余所者にまで毎日強要するほど朝の祈りってのはそんなに大事なものなのか?」


信者の男は顔をしかめた。


「強要とは穏やかではありませんな。朝の礼拝は魂の清め。我々は例え囚人であっても朝の礼拝だけは認めております」


セオはこんこんと説教を始める男を無視して考え込んだ。

今までこの礼拝でバンビとハイトラの姿を見た事はない。

時間をわざとずらされている可能性もあるが、ここの奴らの脅し方はわざわざ見せつける方法をとる。

きっとあの二人は最初の時点で逃げ切っていたのだ。

そうなると話は大分変わってくる。

リョウはあちら側に上手く溶け込んでいるし、それならばこっちも今までのように大人しくしている理由はない。

祈りの時間を終え再び通路を歩きながらセオは急に態度を変えた。


「お前らもよくやるな。あれだけウワカマスラに心酔しているのに、全く関係ないリョウをありがたがって拝んでいるなんてな」


セオを取り囲んでいた信者たちはギョッとした。


「せ、セオ様。そのようなことを口にしてはなりませぬ」

「もう大人しく連れまわされるのには嫌気がさした。リョウが欲しいのならくれてやるさ。俺を開放しろ」

「本気でおっしゃってるのですか?」

「別に構わない。だいたいあいつがやる気なら俺に止める権利もないしな。俺にはいつまでも付き合ってる暇はないんだ」


信者たちはセオの挑発的な態度に狼狽えた。


「い、今すぐに解放などはできません。セオ様もしばし部屋で頭をお冷やしください」


セオが暴れ出す前にと部屋へ閉じ込める。

この時から、セオは大変扱いにくい人質となった。

説得を試みても脅しをかけても鼻であしらい、食事を三日抜いても音を上げもしない。

祈りの時間は信者たちの前で不遜にも足を大きく組み大地の神を睨みつけている。

信者たちは困りきって大司教に泣きついた。

リョウを祝福の間に放り込んだセガンは、男たちの話を聞きながら考え込んだ。


「シエル様が今大人しく従っているのはあの男がいるからだ。開放などはできん」

「で、ですがあいつ全く言うことを聞きません!!拷問の一つでも加えて思い知らせてみてはいかがでしょうか!?」

「それはならん」


もしそんなことがリョウの耳に入れば、それこそ何をしだすか分からない。

そんなリスクを冒すより、定期的にセオの元気な姿を見せて大人しくさせておく方が賢明だ。


「私がその男と話をしよう」


セガンはその夜、セオを閉じ込めている西の部屋へ向かった。

夜中だというのにまだ明かりの漏れる部屋を開けると、セオはいつもの窓辺で静かに本を開いていた。

挨拶をしても視線すら上げないセオに、セガンはにこやかに話しかけた。


「随分熱心ですね。そんなに面白いならもっと沢山の本を運ばせましょうか」


セオは本を閉じると皮肉な笑みを浮かべた。


「そうだな。お前らに無駄に付き合うより本を読む方が有意義だ」

「セオ様。お望みでしたらもっと快適な生活をご用意しましょうか」

「快適?食事も質素、酒も女もないこの墓場みたいな場所で快適も何もあるものか」


セオは立ち上がると本を棚になおした。

セガンは目を細めると声を潜めた。


「貴方が我々に大人しく従い、定期的にシエル様にお会い頂けるのでしたら街へ開放することも検討致しましょう」

「なに…?」

「ただし段階は踏ませて頂きますよ。まずはこの部屋の鍵は開けておきましょう。見張りはつけますが自由に大聖堂を歩いてもらって結構です」

「もし逃げようとしたら?」

「残念ですがまたこの部屋へ逆戻りです。そして二度と自由に外へは出られません」

「…」


セオはしばらく考えてから頷いた。


「分かった」


セガンは内心ほくそ笑んだ。

この歳の青年を意のままに動かすなんて容易いものだ。

もうしばらく泳がせておいて、後は何かと理由をつけて街に出さなければいいだけの話だ。


「それでは私は失礼します。良い眠りを」


扉は閉まったが、いつものように重い鍵が掛けられる音はしない。

人の気配がなくなるとセオはそっと吐息をこぼした。

慣れない演技に心底疲れ、洗面台で顔を洗うと鏡の中で冷たい目をしたままの自分と目が合った。

その瞳の奥に、あどけなさと狡猾さを滲ませた、だがどこか寂しげなミルクティ色の瞳が重なる。


「あいつは…ずっとこんな事を強いられて生きてきたのだろうな」


この数日だけでこれだけ負担を感じたのだ。

絶対新都に帰りたくないと言い切ったリョウは、どれ程の思いをしてきたのだろうか。

自由にしろとせっついたが、勿論セオには本気でリョウを見捨てるつもりは毛頭ない。

リョウが本心でシエルになりきっているわけではないことくらい流石に分かるからだ。

それに自分とは違いリョウならあれくらい難なく演じられるだろう。

ただ、脅されただけにしては己を殺しすぎている。

その理由が分からない。

やはりもう一度何とか二人で会える機会を作り直接リョウの言葉を聞くべきだ。


「…」


真剣に考えていたセオは、ふと思考が止まった。

連れ出して、逃げて、…その後は?

いつまでも一緒にいることは出来ない。

下手をすればどこまでもついて来ようとするリョウを振り払ってでも離れなければならない。

それは一体、どれ程傷つける事になるのだろうか。

セオは頭を振ると、またじわりと迫る憂鬱な波を押しやった。

何にしてもリョウを解放するのが先だ。

その後はバンビとハイトラに引き渡せればそれでいいだろう。

どうしても手も足も出せないのなら、いっそ自分の血筋を明かし、リョウを自由にするよう交渉もできる。

そこまで考えた途端セオはハッとした。


「そうか、あいつ…」


以前も似たような事をしようとした覚えがある。

砂漠でルナハクトの基地へ向かう時だ。

あの時もリョウはセオを庇い、嘘をついてまで自らを囮にした。

脳裏に浮かぶのはリョウが落とした言葉。

おれだって、セオをまもりたい…。


「バカだな」


リョウが今懸命に守っているのは、セオだ。

セオは窓辺に寄ると空を見上げた。

闇を静かに照らすのは、砂漠で見るよりどこか光の弱い金色の月。

それを眺める苦悩の横顔は、辛くもどこか優しいものだった。

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