偽りなき信頼
同じ森でリョウは盛大に迷子になっていた。
何せスタート地点が森のど真ん中からなので、立った時から方角すらままならない。
彷徨い歩くうちに日はとっくに傾き森は夜を迎えようとしていた。
「…ダメだ。ここさっきも通ってる」
リョウは絶望的な思いで木につけたばつ印を撫でた。
バンビは冷たくなってきた風に腕をさすりながら不気味にさざめく木々の影を見上げた。
「これじゃ星すら見えないわね。今のうちに薪を探しておかないと夜の森は真っ暗になるわ」
リョウは申し訳なさそうにバンビの袖を掴んだ。
「ごめんねバンビちゃん。あの場に残すのは危ないと思って連れてきちゃったけど、よく考えたらバンビちゃんは全然残ってもよかったんだよね」
「まぁ、今更そんなこと言ってても仕方ないしね。それにあのまま基地へ帰ってもぎゅうぎゅうに絞られたでしょうから、ある意味危なかったかも」
茶目っ気交じりに言うバンビは優しい。
リョウの胸は少し温かくなった。
セオは二人の倍以上歩き回り森の位置を把握しようと努めた。
だが何にしてもこれといった目印がなさすぎる。
辺りも暗くなり始めると諦めて戻ってきた。
「今夜はこれ以上動かない方がいいな。せめて川か湧き水を見つけられればよかったんだが…」
お腹を押さえてうずくまっていたリョウは、立ち上がるとセオにもたれた。
「セオぉ、おれお腹すいた…」
「お前はそれ以外言うことはないのかっ」
「なんか狩ってきて…」
「出来るかっ」
腹減りスイッチの入ったリョウは地面に座り込むと大いにぐずった。
「お腹減ったぁ。喉乾いたぁ。セオぉ、何か出してよぉ」
「自分のことは自分で何とかするんだろ!?初っ端からだめだめじゃねーか!!」
「お腹いっぱいになったら頑張れるぅ」
リョウがぐだぐだ言いまくっていると、三人の周りでガサガサと野生的な音がした。
「ね、ねぇ。これって、やばいんじゃない!?」
のそりと現れたのはどう見ても肉食の獣だ。
リョウは慌てて立ち上がった。
「うわっ!!何こいつ…黒豹!?」
「こっちだ!!!早く来い!!」
セオはリョウの腕を掴むとバンビと草むらに飛び込んだ。
「せ、セオ!!おれもう走れないよぉ!!」
「うるさい足を動かせ!!狩るどころか俺たちが狩られるぞ!!」
しかしどんなに走っても野性動物相手に逃げ切れるわけがない。
黒豹は大きく跳躍するとセオ達の前に降り立った。
バンビは短刀を引き抜いた。
「私が足止めをするわ!!早く逃げて!!」
「やめろバンビ!!無茶だ!!」
セオはバンビを掴むと後ろへ追いやった。
「足止めなら俺がする!!行け!!」
「でも!!」
二人が怒鳴りあっている間に獣はまた大きく地面を蹴った。
セオはバンビを突き飛ばすと長剣を引き抜いた。
獣の鋭い爪はセオを正確に捕らえようとしたが、その時森の闇を打ち破る眩しい蒼色が光った。
獣は正体不明の光に怯んみ、そこに間髪入れずにリョウが襲いかかった。
「待ぁあてよこの肉の塊がぁ!!こっちへ来い!!おぉぉれがぁ、食ってやるよぉ!!」
両手を思い切り振り上げ、大音量で追いかける。
獣は思わぬ反撃に慌てて逃げると暗闇の中へと姿を消した。
「や、やるじゃないのリョウ!!」
バンビはリョウに駆け寄ろうとしたが、足から力が抜けてへなへなとその場に座り込んだ。
リョウはがっかりと肩を落とした。
「あぁ…。いなくなっちゃった。おれの肉…」
「本気で狩るつもりだったのか?」
セオは呆れながら剣を鞘におさめると、バンビを引っ張り起こした。
その鼻先を指で軽く弾く。
「俺より先に飛び出すなと前に言っただろうが。このじゃじゃ馬」
「な、なによ…!!しょうがないじゃない!!」
セオは鼻を押さえたバンビに少しだけ顔をほころばせた。
「…お前は、勇気がある女だな。リオ」
バンビは目を大きくすると首まで真っ赤になった。
「な、どどど、どうして!!」
「それがお前の本当の名前なのだろう?」
「や、やめてよ今更!!慣れないじゃない!!それにリョウとリオじゃ紛らわしいし今まで通りでいいわよ!!」
バンビが大焦りしていると、辺りがまた急に暗闇に落ちた。
リョウの光が消えたのだ。
「リョウ、その石を貸せ」
「うん」
リョウは首から外した結晶石をセオの大きな手の平に乗せた。
セオは少しの間それを見つめると、拳を握り目を閉じた。
セオを取り巻く風が、透明感のある黄金色に染まっていく。
「あ…」
溢れたのは砂嵐を吹き飛ばした強烈な光ではなく、リョウが初めて見た優しい光。
金色の光はリョウとバンビをふわりと包んだ。
セオは青い瞳を開くと二人を順に見た。
「リョウ、バンビ。この先しばらくはこの三人で何とかするしかなさそうだ。それは分かるな?」
「う、うん…」
二人が頷くとセオは少し間をあけてからはっきりと言った。
「俺はウワカマスラの最後の末裔、呼び名はセオ、真名はアキラ。おまえらの言う所の、正真正銘最後の砂漠の民だ」
「セオ…!?」
「これでもう俺に偽りはない」
リョウは驚いて立ち上がった。
三人が無事に生き抜く為、あのセオが信頼を委ねたのだ。
バンビも驚いたが、その意を汲み取るとひとつ深呼吸をしてから姿勢を正した。
「私は森の向こうにあるウォーター・シスト出身のリオ・トレイター。今は砂漠の中立団体組織ルナハクトの正式な一員よ」
セオとバンビは揃ってリョウを振り返った。
残されたリョウは二人の視線を浴びながら冷や汗を流した。
「あ、あの…」
言えない。
言いたくない。
こんな、自分でも大嫌いな本当の自分をこの二人に知られたくない。
でも…。
でも、もし、ありのままの自分をこの二人が受け入れてくれるのなら…。
リョウはお腹に力を込めると目をぎゅっと閉じた。
「おれ…おれは、ヒガ・リョウ。現官僚ヒガ・セイトの子なんだ」
「官僚!?あの、新都八官僚ヒガ一族の!?」
「うん。でも…、でも違うんだ」
「え…」
頑張っても語尾が震える。
いや、震えていたのは声だけではない。
「おれは、父上の全く知らないところで生まれた私生児なんだ。どうしてあの家に引き取られたのかは分からないけど…でも、だから、おれは正式なヒガ一族でもないんだ」
そんなリョウに、勿論居場所なんてなかった。
幼い頃から冷たい人々の視線に晒され、氷の上を歩く思いで生きてきた。
血の滲む努力をしても誰にも認められない。
どんなに求めても必要とすらされない。
そんなゴミみたいな自分を晒していることが、今堪らなく恥ずかしかった。
拳を握り立ちすくんでいると、ふと体を温かいものが包んだ。
「そう…、そうだったの」
バンビは震えるリョウを抱きしめていた。
リョウが明かした事実がどれ程負担だったのか、どれ程辛い事だったのかは分からない。
それでも勇気を振り絞り正体を告げたリョウを丸ごと包んであげたかった。
リョウは泣きそうになりながらセオを見上げた。
そこにはずっと疑問だったことが晴れた、満足そうな笑みがあった。
「もう嘘はないな?」
「う、うん。これが本当のおれ。今まで黙っててごめんね」
「別にそこまで落ち込む事でもないだろうが」
「だって、セオは官僚のことすごく嫌ってたし…」
「確かにそうだが、それとお前は関係ないだろ」
リョウはくしゃりと顔を歪めるとバンビの肩に顔をうずめた。
バンビはよしよしとリョウの頭を撫でた。
「あ、でも、じゃあどうしてリョウはセオと同じように光るの?」
「あぁ、それはね…」
三人は暗い森のど真ん中で座り込むと、長い長い話をした。
状況は何も好転したわけではない。
だがさっきまでと違って、今は何故かこんなにも心強い。
優しい黄金の光に守られながら、深い森の一夜は少しずつ更けていった。




