サンドフロー
ぐっすり寝込んでいたリョウは、すりすりと頬に当たる柔らかな毛に起こされた。
「んー…、ルイ?」
少しだけ目を開くと思った通り猫のルイがすり寄っている。
「おいで」
リョウは温かなルイを抱え込むともう一度目を閉じた。
至福の二度寝に落ちようとしたが、そこで昨日の記憶が蘇る。
リョウは瞬時に飛び起きた。
「せ、セオ!?セオは!?」
いつの間にここまで運ばれたのか、リョウはきちんとセオのベッドに寝ていた。
部屋を飛び出しリビングへ行っても誰もいない。
リョウは医療部屋から明かりが漏れていることに気づいた。
「セオ…?」
そっと扉を開くと、セオはそこで治療に当たっている最中だった。
女は以前リョウも治療を受けた機械の中に寝かされていた。
「ずっとここにいたの?」
「いや、処置自体は昨夜に終わってる。ガーゼを取り替えにきただけだ」
「お腹の傷、原因は何だったのかな」
「たぶん砂獣に襲われたのだろう。裂傷が酷かったからな」
明るい所で見ると、まだ眠る女はセオと同じくらいの歳だった。
肩の下まで伸びた柔らかい栗色の髪や、薄っすらとピンクに色付いた唇からはとても昨日見せた獰猛さなど想像できない。
セオは上半身裸でタオルだけをかけられた女にてきぱきと消毒を済ませていた。
「つかぬ事を聞くけれど…、これってセオが脱がせたの?」
「他に誰がいる」
「その、だって。女の子だよ?」
「仕方ないだろうが。ただの治療の為の処置だ」
セオはしかめっ面で消毒液を救急箱へ放り込んだ。
大きな医療機器の電源を入れると、青い光が照らされる台に女を寝かし直す。
隣でリョウは興味深そうに見ていた。
「これが細胞組織を再生してくれるの?おれもこうやって治療されたのかぁ」
「そういうことだ。しばらくは様子を見よう。内臓もいくつか損傷していたようだから、あと丸三日はかかるな」
「三日!?そんな大怪我があとたった三日でなくなっちゃうの!?そんな事ってある!?」
「大声を出すな。…問題はこの女が起きた時だな。また暴れなければいいが」
「その時はおれが対応するよ」
リョウはまだ不思議そうに青い光をまじまじと見ていたが、セオと一緒に部屋を出された。
リビングに戻るとセオは自分用に熱いコーヒーを入れ、リョウには温められた蜂蜜ミルクを出してくれた。
「お前も随分顔色が良くなったな」
「うん。ぐっすり寝こけちゃった」
リョウが甘くて体に染み渡る蜂蜜ミルクを飲んでいると、その膝にまたルイが飛び乗ってきた。
「ルイ…。セリーたちがいなくて寂しくなっちゃったね」
喉を撫でるとごろごろと嬉しそうな音が鳴る。
「早く…早く探しに行かなきゃ」
焦るリョウにセオは冷静に言った。
「今はあの女から手がかりを得るしかない。それまでリョウももう少し休んでおけ」
「セオこそあんまり寝てないんじゃないの?あ…、そういえばアメットは?」
「今はここにいない」
「いない?」
「ああ。セリー達が戻るまで地の底に眠りについた」
「え…どうして?」
セオはコーヒーを飲みながらどこまで言うべきか迷った。
あまりリョウに深入りさせたくはなかったが、じっと待つ真剣な眼差しから逃れるのはちょっと難しそうだ。
「…サンドフローは死んだ者たちが大地のエネルギーと混ざり合う事で生まれる。それ自体は別に問題ないのだが、この砂漠に至ってはかなり厄介な事情がある」
「事情…?」
「ああ。砂漠の底にはサンドフローを汚染する負のエネルギーが眠っているんだ。そのせいで砂漠には彷徨える多数の砂獣が生まれてしまっている」
砂獣。
砂漠に現れる命のない巨大な獣や爬虫類等を総称したものだ。
その目は赤色に光り、彼らにこれといった意思はない。
ただただ生き物を襲い、叩き斬られればただの砂になる。
謎が多く不気味な存在だ。
「そんな話初めて聞いたよ。砂獣は砂漠に巣食う魔物みたいなものだって習っただけだ。それにおれ砂狼しか見たことない」
「新都にいればそうだろうな。南に下るほど多種多様な砂獣がうじゃうじゃいるぞ」
「うげっ、そうなの?」
「アメット、セリー、シュルナーゼは汚染されたサンドフローを大量に浄化し続けていた。だが二人が消えた今、一人で抑えきれなくなったアメットが己の全てを砂漠と同化させて鎮静化してくれている」
「アメットが…」
リョウは真剣に耳を傾けていた。
セオの話は聞いたこともないし突拍子もないが、微塵も疑うことはなかった。
むしろ聞けば聞くほどセオ達の事が少し分かる気がした。
「砂漠の底にある負のエネルギーって何なの?それさえなくなればアメットも戻って来れるんじゃないの?」
「それは…」
セオは無意識に自分の右手を見つめた。
「そんな簡単な話しじゃないさ。それにあれはもうどうすることも出来ない」
淡々と話していたセオの顔が少し曇る。
リョウはもう少し突っ込んで聞きたかったが、セオがわざと答えを濁したのでやめた。
セオは話を打ち切ると倉庫の部屋へと行ってしまったが、リョウが今聞いた話を何度も何度も頭の中で反芻している間にシンプルな工具箱を持って戻ってきた。
「手を見せろ」
「あ…」
リョウは分厚いガラスのバングルがついたままの手をテーブルに乗せた。
セオはその作りを確かめると器用に取り外す作業にかかった。
かちゃかちゃと小さな音が聞こえてくる。
リョウは思い出したようにポケットから石を取り出すとテーブルに置いた。
「これ、返さなきゃね。ごめん、ちゃんとあの夜に忘れず返していたらこんなことにはならなかったのに」
セオはちらりとだけ結晶石を見た。
「今ここに置いていても仕方がない。セリーとシュルナーゼを取り戻すまではお前が持ってろ」
「え…、いいの?」
「砂漠で戦い方を知らないお前ははっきり言って足手まといだ。それがあればせめて逃げることに困りはしないだろ。後で紐を通し直しておくから失くさないように首からかけてろ」
何だかやっとセオに仲間だと認めてもらえた気がして、リョウは嬉しそうに顔を輝かせた。
「セオ、セオあのね。セリー達が帰ってきたら、またここにいていい?」
「…」
「おれ、ずっとセオと一緒にいたいんだ」
真摯に懇願するリョウを鮮やかな青い瞳が見つめ返す。
渋られてもこのまま全力で押し切るつもりだったが、セオは何故か辛そうに俯いた。
「…それは出来ない」
「え、どうして!?」
「お前の帰る場所は、ここにするべきじゃないからだ」
「だからどうして!?ちゃんと言ってくれないと納得できないよ!!」
リョウの手首から音を立ててガラスのバングルが外れる。
セオは工具箱を片付けるとさっさと立ち上がった。
「セオ!!」
「女の目が覚めたらすぐに砂漠へ出る。それまでにちゃんと準備を整えておけよ」
いつもと変わらぬ物言いにリョウは不貞腐れた。
何故だろう。
セオはあんなに優しいのに、何故か自分と距離を取ろうとする。
まるで馴れ合うことを恐れているようだ。
「…絶対に、諦めないけどね」
リョウは物騒なひとり言を呟きながら蜂蜜ミルクを飲み干した。




