5章 最弱のボクの決戦相手は?
━ E世界の第5戦は曇天で冷たい北風の21日目、入院していた総合病院の屋上で ━
患者用のガウンを着こんだボクは、自分で両肩を抱いて震えていた。指定時刻から7分遅れている。
屋上出口からドクターがあらわれた。
面接時と同じように、目元だけ仮面をつけている。ただし黒い仮面、足は黒いヒール。雌ライオン耳のカチューシャは初めて見る。
ドクターは、バッと白衣をぬぎすてた。首からくるぶしまでの黒いアクアスーツをまとっている。ボディラインが強調されて、フェロモン全開だ。
背中の黒い薄型背嚢には、凶器が満載されていそうだ。
「スーツにヒート機能、ついているんでしょ」ボクはガウン1枚で凍えそうなのに、うらやましいぞ。
「驚いていないようね、アイカワ・カオル…君」
ボクの軽口は無視される。
今回、武器や防具や秘密道具は準備しなかった。ドクター相手に準備しても逆効果になると考えたのだが、判断ミスだったらしい。
ドクターは背嚢に手をまわして、黒い鞭を取りだした。折り畳みバンドを外している。鞭の柄を、左手から右手に持ちかえて軽く振った。ビシッと鋭い音。
「最初に会った人がラスボスって、よくある仕様ですから」ボクは少し視線を下げた。
怖くて目をあわせづらい。
「いつ分かったの?聞かせて」
ドクターの鞭は長くて、ギザギザがついているようだ。
「第1に、最近、バトル中にナビゲートしてくれなくなったので、疑っていました。
第2に、ストレスで胃潰瘍になって吐血して、この病院に入院させてもらった時も疑いました。病院イコール研究所なら、ボクを24時間モニタリングしコントロールできます。
第3に、きょう屋上に呼びだされて確信しました。屋上か体育館裏が、最終決戦場になる仕様が多いですから」
ドクターがニコリと笑った。
「就活面接で鍛えられたようね」
ボクは、バトル開始を少しでも遅らせたかった。死ないヒントが得られるような会話に、もちこみたい。
「面接時のドクター加賀は、別人かアバターだったのですか?今は…女王様とでもお呼びしましょうか」
体は震えているのに、ボクの背中を汗がつたい落ちていく。
「あの時の私は別人格、これが本当の人格なの。今は、そう…レディー加賀とでも呼んでちょうだい。
君の時間稼ぎの質問は、これでおしまい。さあ、バトルの時間よ!」
(ボクも恰好よくガウンをぬぎすてたい。でも、拾って洗濯するのは…)と、考え直して、簡単にガウンをたたんでフェンスに掛けた。まっ裸に寒風が刺さる。
レディーの強調された胸部を見つめていたためか、ボクの黄金リボルバー22口径は仰角45度を保っていた。
それを見たレディーが、微笑する。
「ゔっ」
ボクの体がビクンとして、1発目の白い液弾がカテーテルの中を飛んでいく。スポンと自分でカテーテルを外しても、リボルバーの仰角は15度。これなら、160秒でリロード可能か。
ファイティングポーズをとる。
「いくわよ!」
レディーが鞭を構えた。
ビュン!ビシュッ。
ボクは、鞭の第1撃をバックステップして避けた。視野の右上のカウントアップ映像は、まだ2.15秒。 レディーが、ツカツカと近づいてくる。 ボクも1歩下がる。そこがフェンスだった。
ビュッ!ビュン!
鞭の第2撃を右ステップでかわす。
鞭の第3撃は、予想どおり右斜め上から。仕方なく、右腕パーリングで払う。
「痛っ!」ギザギザで、ヒジの皮膚が裂け出血する。
無意識に右に逃げる。右も後ろもフェンス。コーナーに詰まった。
「足をつかいましょ」
レディーが更に近寄ってくる。鞭を構えた。
ビュン!ビシュッ!ビシ!ビシュッ!
ボクが顔をブロッキングすると、頭に連撃。首を守ると肩、腕、足の肉が引き裂かれる。
ビシ!ビシュッ!ビシ!ビシ!ビシュン!
血が飛び散る。失血死しそうだ。
たまらず、ボクはフェンスをとびこえた。勢い余って屋上のへりから落ちそうになる。
あわててフェンスの縦の支柱をつかむ。屋上のへりとフェンスの間の溝、幅0.5mに体をおしこんで、屈む。鞭の攻撃を少しは防げるだろう。
カウントアップ映像は34.99秒、35.00秒。
レディーが歩きながら、鞭を投げ捨てた。背嚢に手をまわして、太い自撮り棒をとりだす。スタンガンもとりだして、伸ばした自撮り棒に装着する。
フェンスのすき間から、スタンガンをボクに押しつけるつもりだ!鞭で痛みつけて興奮したのか、レディーの瞳は潤み、顔は紅潮している。
「ひ、ひぃー」ボクは悲鳴をあげながら、溝を這った。
レディーがダッシュする。追いつかれる。
近接戦だ。ボクは、フェンスを飛び越えた。
フェンス内側に着地する寸前、レディーの回し蹴りがギュンと伸びてきて、ボクの横顔をスマッシュする。
ドガッ!ドズン!
ボクは3m以上ふっとんだ。クラクラして立てない。更に転がって逃げた先は、レディーの鋼製ヒールの前だった。
ガッ。
ノーステップ・キックだが、鋼製ヒールの先端が口にめりこんだ。ボクは仰向けに倒れる。折れた歯がこぼれた。
レディーが、ボクの右腕をとる。ボクの体をまたぎ、右腕をかかえたまま自ら体を沈める。腕ひしぎ十字固め。ボクの右ヒジが伸ばされて極まる。
「ギブ、ギブアップ、降参」
ボクは、左手で屋上面をたたいて降伏する。
レディーは容赦しない。ジワジワ力を加えて、ボクのうめき声を楽しんでいる。
「ギブアップです。参りました、です」
左手でレディーにタッチ。しかし、逆効果だった。
「ふんッ」
レディーは鼻で笑うと、一気に力を加えた。
ベキベキッと音がして、ボクのヒジは逆方向に曲がった。
「ギャア!」
激痛が走る。右肩も外れた。
レディーが固めを解いた。ボクは悲鳴をあげながら、のたうちまわる。
カウントアップ映像は、まだ84.51秒。
「…降参させてください…殺すなら…ひと思いに殺してください…」
荒い息の中で、ボクはレディーに懇願した。正座でお願いしなければならないのか?
「う」どこもかしこも痛い中で、小さな悲鳴をもらしながら、ボクは屋上面に土下座する。
「お願いします、お願いします、お願いします」右腕はヒジから逆方向に曲がったままで使い物にならない。左の手のひらを屋上面につけて、三拝した。
無言で立ったままボクを見おろしていたレディーが、ようやく口を開いた。
「ヒールでも舐めてみる…冗談よ」
やらないより、やったほうがマシだろう。
「うぅぅ」痛みをこらえ、正座のまま膝下と左手を使って、ボクはレディーに近づく。
「えいッ」ガッ。ギリリ。
距離0.8mまで近づくと、レディーがステップ。右脚をふりあげて、ボクの左手の甲を鋼製ヒールで力いっぱい踏みつけた。
「ギャ…ァァ」右腕が使えないボクは、正座のまま反射的に左手へ顔を寄せた。
目の前で、黒い鋼製ヒールが手の甲を砕く。レディーが踏みにじるたびに、四指の第2関節・第1関節から折れた骨がとびでる。
「ぅぅ…」小さくうめいて体を震わせながら、ボクはひたすら痛みに耐える。
「ヒールで踏んづけると、こうなるのね…クセになりそう。でも今回、プランBが無かったのはザ・ン・ネ・ン。プランCに期待するわ」
レディーが、ボクの両手を破壊したのは、プランBを警戒したからだ。またまた判断ミス。
「プランC…ありません…はやく殺してください…」痛みと後悔に泣きじゃくりながら、ボクはレディーにお願いした。
カウントアップ映像は113.29秒。
「君って、イジメたくなる顔しているのよね」
再び0.8m離れて立つと、レディーは黒い薄型背嚢を肩から下ろしながら、言い放った。
「……」ボクは正座したまま、絶望の泣き顔でレディーを目で追う。ボクの右斜め前で背嚢の中を探っていたレディーが、赤いスカーフと医療用透明手袋を取りだした。
「ペットでもいるじゃない。殴られても蹴られても、ウルウルした瞳でエサくださいって甘えてくるのが。君って、10年前に飼っていた雑種犬みたい」
「その犬…どうされたのですか」ボクは僅かな希望を見いだす。黒いスカーフではなく、赤いスカーフを出した。それは、黒いレディー加賀から赤いドクター加賀への人格転換が近いことを意味するのだろか?
正座するボクを、見おろして立つレディー。医療用透明手袋を手首でパチンと鳴らして装着したレディー。赤いスカーフを左手に握り直して、寒風になびかせるレディー。
「その犬?…最後は首を絞めて殺して解剖した。老犬だったから、安楽死ってとこね」
レディーは小さく笑って肩をすくめた。
カウントアップ映像は128.44秒。
「赤いスカーフ。見覚えあるでしょ」
左拳にスカーフを巻きつけながらレディーが近づいてきた。ボクのすぐ斜め前に片膝をつく。
正座しているボクの頭髪が、レディーの右手で鷲掴みされる。顔が引き上げられる。鼻孔と歯茎から、乾きかけた血が垂れていく。すべて痛すぎて、頭の痛みは逆に鈍い。
「拝礼はね、三拝じゃあ不足なの。教えてア・ゲ・ル」
レディーは右手の鷲掴みを解くと、すばやくボクの頸にスカーフを巻きつけ、両拳で激しく絞めあげた。
(息ができない、息が…)ボクは唯一動かせる左手親指を、スカーフと頸の間にこじ入れようとする。正座を崩して逃げようとする。が、片膝立ちしたレディーの右肩近くでホールドされ、動けない。ガッチリ絞まったスカーフは、緩まない。
ボクの黒目がクルンと上をむいて白目になる。
「ひとーつ」ゴン。
ボクが失神する寸前、レディーは両腕に体重をのせて、正座するボクの額を天井面に打ちつけた。
ボクの頭の中で星が回る。スカーフの絞めが僅かに緩む。
「ゲホッ…ゴホゴホ…」ボクは、咳きこんだ。新鮮な空気が肺に刺さる。
意識が戻ったのを確認して、レディーが再び右肩近くまでボクの頸を引き上げる。スカーフを絞めあげる。
ボクは息ができずにジタバタする。縛めを解こうと僅かに抵抗する。
「ふたーつ」ゴン。
再びレディーは体重をのせて、ボクの額を天井面に打ちつけた。
ボクの額が割れ、ドロリとした血が流れだす。
スカーフの絞めが緩む。
「ゲボッ…」咳きこむ力も弱ってきた。
レディーのなすがままだ。
三たび、ボクの頸が引き上げられる。スカーフが絞まる。もう抵抗する力は残っていない。
「みーっつ」ゴン。
三たびレディーは体重をのせて、ボクの額を天井面に打ちつけた。額からの出血が左目に流れこんでくる。左目はもう見えない。
緩むスカーフ。
「ゲッ…」ボクには咳きこむ力も残っていなかった。
その後も、額を屋上面へ3度打ちつける叩頭を、レディーは繰り返しボクに強いた。
「ひとーつ」「ふたーつ」「みーっつ」
「ひとーつ」「ふたーつ」「みーっつ」
叩頭を9度強いられたボク。スカーフの絞めが外れると、左腕を下にして正座から横倒しに崩れ落ちた。ノロノロと仰向けになる。
カウントアップ映像208.56秒。
「貴人に対して拝礼や謝罪をする時は…額を3度ずつ合計9度打ちつける九叩頭が…最高なの。額から出血すればするほど…、相手を敬っているのね。次の採用面接で…試してみたら」さすがに、レディーも息があがっている。
「ハハ…」レディーのウンチク披露に、ボクは苦笑してしまった。笑うとアチコチの痛みが増す。顔をしかめる。
レディーも気がついたらしい。
「きょう死んでしまう君には…どうでもいい話ね」
「ボクは…黒いレディー加賀に謝罪したのですか?赤いドクター加賀に…謝罪したのですか?」ボクは涙を流しながら、質問した。また痛みが増してきている。
レディーは頬に指をあてて少し考えこんでから答える。
「君自身に謝罪すべきでしょ」
レディーは意外な答えを返してきた。
「…」黙りこむボクを、レディーが叱咤する。
「あの雇用条件を見て、弊社に応募するなんて、君の就活は大失敗。ブラック鍋にネギしょって飛びこむようなものじゃない。そもそも君みたいなコネ無し劣等生が、まともな会社に雇用してもらおうなんて、甘すぎる。手に職をつけて、独立自営すべきね。アメリカだってベテランの配管工は高給取りだそうよ。そこら辺を反省して、君自身に謝罪すべきなの。自分をもっと大切にしなさい。…と言っても今の君には、どうでもいい話ね」
カウントアップ映像は210.00秒で止まっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ボクの下半身は、もう動かない。右腕も、動かない。左手も親指以外は動かせない。痛み、血、涙、セキ、息遣い…。
青・緑・黄・橙・赤の5弾を残した銀色のリボルバーだけが、雄々しく直立していた。
仰向けに横たわるボクの両脚の間で、レディーがアグラをかいた。
「冥途の土産かな」
レディーが、赤いスカーフを直立するリボルバーへ軽く2重に巻きつける。大きすぎる蝶々結びでリボン飾りのようだ。
「最後は、液弾の打ちあげ大会ね。華々しく行ってちょうだい」
レディーは、医療用透明手袋で防護した右手の中指を曲げ、デコピンする時のように親指でタメをつくって、ボクに見せつけた。
「青。タマやー」うっ。ドピューン!
レディーにリボルバーの銃口を右手でピンされて、2発目の青色の液弾が、屋上から例の裏山の方角へ斜め上に高く高く打ちあがる。セイ射時にうめくと、いつもと異なる痛みがボクを突きあげた。
「ジャンケンポン」
ボクは、左手の親指と人差し指でV字を作り、チョキをだした。ピン直後のレディーの手はパー。
「あっち向いてホイ」
ボクが左手親指をサムアップして左方向を指さすと、レディーが反射的に反対を向く。
レディーが笑いだした。
「いいわよ。次から、こうしましょ。ジャンケンで私が勝ったら、ピンするね。ジャンケンで私が負けても、あっち向いてホイに引っかからなかったら私の勝ち、ピンね。あっち向いてホイに私が引っかかったら、ピンは1回休み」
「ジャンケンポン」
ボクは、左手の親指と人差し指で少し大きめのV字を作る。またチョキをだした。人差し指の先端の爪がはがれ落ちそうで、寒風がしみて痛い。レディーの右手はチョキ。
「アイコで…」とボクが続けると、レディーが遮った。
「エーッ、それってパーじゃないの」
口を尖らせたレディーが、異議を申し立てる。が、すぐ機嫌を直す。
「親指以外はつぶしたから、歪なチョキになるか。まぁそれぐらいは、ハンディあげる」
ジャンケン再開。
「アイコでショイ。ショイ」
アイコ1回目はまたチョキ同士、アイコ2回目はボクが親指を第1関節から曲げてグー。
レディーはチョキ。
ボクが左手親指サムアップで右方向を指さすと、レディーが反対を向く。ひっかからない。
今回レディーは、左手の中指を曲げ、親指でタメをつくった。
「緑。タマやー」うんっ。ドピューン。
レディーにリボルバーの銃口を左手でピンされて、3発目の緑色の液弾が、前回とは反対の方角へ曇天の中を高く飛んでいった。
残りは、黄・橙・赤の3発しかない。
「ジャンケンポン」
ボクは、再び左手の親指を第1関節から曲げてグーをだす。レディーの手はチョキ。
「あっち向いてホイ」
ボクが左手親指をサムアップして再び右方向を指さすと、レディーが反射的に反対を向く。
レディーは、再び左手の中指を曲げ、親指でタメをつくる。
「黄ィー」うぐっ。ピューン。
レディーにリボルバーの銃口を左手でピンされて、4発目の黄色の液弾が、前回と同じ方角へ飛んでいく。が、飛びの勢いが衰えているようだ。
いよいよ5発目。ここからは橙と、死に直結する赤のセイ射だけだ。
「ジャンケン…ポン」緊張して声が震える。
ボクは、三たび左手の親指を第1関節から曲げてグーをだす。砕かれた他の指に負担をかけない。一番楽なのだ。
レディーの手は5連続でチョキ。
「あっち向いてホイ」
ボクが左手親指をサムアップして今度は左方向を指さすと、レディーが反対を向く。
レディーは、右手の中指を曲げ、親指でタメをつくる。
「橙ィー」うはっ。ピュン。
レディーにリボルバーの銃口を右手でピンされて、5発目の橙色の液弾が、初回と同じ裏山の方角へ飛んでいく。が、5mも飛ばない。
放物線を描き、辛うじてフェンスを越えると、向こう側へ落ちていった。
「君、ジャンケンも弱いのね。私がワザと負けているの、分かっている?」
「ダメダメで、すみません」レディーのクレームに謝罪するボク。
「そうやって、すぐ謝る。だからイジメたくなるの」
「すみません…スミマセン」ボクが圧倒的に不利な状況下で、ほかに何を言えばいいのだろう。
「それと、液弾の勢いが弱い!最後なんだから華々しく打ち上げなさいよ」
「3.5秒以上セイ射の間隔をあけても、4連続はキツいです。少しは休ませてください」ボクは懇願した。
「それも…そうね。少し時間をとりましょ」
レディーの気持ちが変わらないうちに、時間稼ぎで何か言ったほうがいいだろう。
「質問が2つあります」ボクが、すぐ思いついた質問は1つだけだったが、2つ目は話しているうちに考えよう。
「次の赤い液弾をセイ射したら、ボクは本当に死ぬのですか。E世界のボクのアバターが死んでも、A世界のボク本人も死ぬって、おかしくありませんか」ボクが初日から抱いている疑問だった。
「ああ、それね…」
レディーは、再び頬に指をあてて考えこんでから答える。
「厳密には赤のセイ射後、しばらくして黒い液が出てから死ぬの。黒いのはドロリと出るから、液弾とは少し違うけどね。漢方医学に腎虚ってあるじゃない。黒いドロリは腎虚の末期の目印なの。A世界の君も、体力精力を使い果たしてクタバるのよ」
「でも、それってE世界でボクが毎日受けた精子検査と矛盾していませんか。精子検査を毎日受けさせたら、無理やり腎虚に追い込むようなものですよね。病院の担当医の先生も、中2日から中4日ごとの精子検査がガイドラインどおりだと、おっしゃっていました」ボクの質問に、レディーは初めて動揺を見せた。
「…あ、あの先生はNPCだから…ガ、ガイドラインどおりにしか答えないの。A世界では4日………君ってソ、ソーローでしょ!…毎日でいいの!ほら、もう時間よ!」
レディーの目がつりあがっている。完全に怒らせてしまったようだ。
ラスト6発目。赤のセイ射。対抗手段は…。
レディーがアグラから立ち上がった。正座して座り直す。
「最後だからね。いくわよ」
「ジャンケーン、ポン!」
ボクは、左手の親指を大きく開いて、パーをだした。レディーの手はグー。
「あっち向いてホイ」
ボクが左手親指をサムアップして左方向を指さすと、レディーはやはり反対を向く。
「アハハ、ハハハ……」
レディーが、大笑いする。
「万が一、きょうのタスクをクリアーしたら、本当に特別ボーナス払ってあげたのに…やっぱりダメダメだったのね」
レディーは笑いすぎて、涙まで浮かべている。
「サヨナラ、そしてゴ苦労サン、アイカワ・カオル君」
レディーは、両手の中指を曲げ、親指でタメをつくってボクに見せつけた。右と左から同時にピンするつもりだ。
ピンッ!「赤ァー!」くっ。ドビューン!
リボルバーの銃口を右と左から同時にピンされて、赤色の液弾がまっすぐ、高く高く高く飛んでいった。
「ジャンケンポン」
ボクは、左手の親指と人差し指でV字を作り、大急ぎでチョキをだした。「赤ァー!」と叫んで液弾の行方を見ようとしていたレディーの両手はパー。
「?」
戸惑うレディーを無視して、ボクは「あっち向いてホイ!」とかぶせて叫んだ。
ボクが左手親指をサムダウンして下方向を指さすと、レディーは反射的に反対を向く。
正座して真上を向いたレディーの口が開く。
ビチャッ。
まっすぐ落下してきた赤い液弾が、レディーの左の頬に命中した。
レディーは、驚愕の表情を浮かべて、ボクを見つめる。
210.00秒のタイムリミットから、どれだけ時間がたったのだろう。
ボクの意識は急速に薄れていく。
黒い闇に落ちる前にボクが見たのは、雌ライオン耳のカチューシャを手に持って、屋上出口から歩み去るレディーの後ろ姿だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ボクは、常夜灯が照らしだす部屋のベッドで仰向けに横たわっていた。真っ裸だけど、体にはキズ一つ残っていない。リボルバーは…カチンカチンのPに戻っている。赤いスカーフは巻かれていなかった。
━ 匿名サポーターとボクが考えたプランC。それは敵が油断したワンチャンスに、液弾を命中させるイメージを持ち続けることだった。E世界は自分の夢の中が戦場だから、命中するイメージを強く持ち続けていれば、天候や風向きや時間が自分有利に作用してくれるかもしれない ━
━ レディーの攻撃は予測不能だった。が、液弾を真上に打ち上げた直後にレディーが傍に留まっていれば、落下してきた液弾が命中する可能性はあると信じていた ━
両目を閉じて回顧している間に、ボクは少し眠ってしまったらしい。
ベッドの揺れで目覚めると、ドクターの顔が10センチ上にあった。レディーの人格なら絶対見せない優しい微笑。金髪、大きな瞳、赤いネグリジェ。六角星型イヤリングがゆれている。
「特別ボーナス払ってあげるね。今…」
両目を閉じて、唇を僅かにつきだしたドクターの顔が近づいてきた。甘い匂いが、鼻をくすぐる。
キスする寸前に、ボクは気がついた。
「イヤリングが五角…」
急に部屋が真っ暗になった。かすかにノイズ音がする。停電か、火事か。
いや、地震だ。部屋がゆれる。大きく激しくゆれる。
部屋の外からだろうか、「…システムダウン…」「…ABEND…」と知らない用語で騒ぐ声が遠くから微かに聞こえてくる。
とび起きようとするボクに、真っ暗な中でドクターの優しい声が聞こえてきた。
「眠りなさい、アイカワ・カオル君。今度またね」
安心して、ボクは黒い闇に落ちていった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
━ A世界の病院の地下通路にて ABEND1050秒前 ━
(A世界の病院と、E世界の勤め先病院が、同じ部屋配置・警備体制だったのは予想どおり。ここまでは自作した偽造の顔写真付きIDカードで顔パス入場できた。A世界でも地下通路に監視カメラはないはず)ミキは、“B2通路D”と床面標記された廊下を進みながら、心の中でつぶやいた。
A世界だから、三毛猫の獣耳のカチューシャは置いてきた。病院のロッカールームから盗んだ掃除人用の作業着・作業帽をつけ、偽造IDカードを首からぶらさげて、用具室から拝借した業務用ダストカートを押している限り、疑われる心配はない。
“霊安室”の前を通りすぎた。“予備室”のプレートが掲示された部屋のドアを見て、ミキは顔をしかめた。用意してきたピッキング道具では開かない。正規のIDカードをかざすと、通電しラッチを引っこめて解錠するタイプだ。
しかし、近寄って見るとラッチの傾きは奥側が長く、手前側が短い。ドアとドア枠の間に5ミリもすき間がある。ガード板もない。
ミキは偽造IDカードを、ドアとドア枠の間に差しこんだ。偽造IDカードの短辺で傾きを押すと、ラッチが引っこんで解錠される。
そのままドアを押し開いて、ミキは予備室に入った。自分の体をストッパー替わりにして、業務用ダストカートも引き入れる。ドアを閉める。
予備室の中はカビ臭かった。ミキは、オープンラックの間をぬうように進む。廃棄予定の書類保存箱や古いOA機器が乱雑に積まれていた。
奥のデスクに、前世紀の遺物のデスクトップ型コンソールがある。カートを止め、長モップを抜きだす。
ミキはデスクの前に立って、長モップをたてかけた。
№1サーバーから研究所イントラへの侵入は、予想外に簡単だった。研究所イントラは№1サーバーに、病院イントラは№2サーバーへ搭載されていたが、メインフレームに搭載されていた大昔の臨時プログラム集を焼き直して作成したものが多く、セキュリティホールだらけだ。
ミキは、コンソールの有線マウスを操作した。
最初に発見したエビデンスは、KAGA研究所とE世界の運営機関との打合せ議事録と秘密契約書控えだった。
(研究所とE世界の運営機関は、組織ぐるみで違法行為、歪んだ運営、を始めたのか。こんな大金をどこから調達したのだろう?)
ミキは首を傾げながら、プリントアウト候補としてマークした。
次に、イントラ階層の最奥にある“REFERENCE”フォルダの5ファイルを開いた。
“新ウィルスの男性罹患率は25倍”“後遺症により成人男性の精子運動量が90%減”のタイトルがついた記事が画面に表示された。
ミキは、“出生率向上に資する異次元対策の必要性と研究委託提案”レポートを速読する。
「やっぱね…カオルのアホ!」
感情をおさえきれないミキの口から、独り言が漏れる。これもプリントアウト候補だ。
━ 正常精子採集を目的とする極秘の大規模緊急プロジェクト…それを特命で研究受託したのがKAGA研究所で、被験者にただ1人応募したのがカオルだったのか。1人だけの被験者から少しでも多く精子を採取するため、被験者の健康状態よりもサンプル採取量確保を優先する…中間報告書ドラフトに堂々と明記されているじゃない! ━
大金の調達先も分かった。研究受託金の一部が横流しされていたのだ。
ミキは、コンソール画面から顔をあげた。
(まず、被験者管理システムにイレギュラー・データを直接送りこんでダウンさせて…カオルをE世界から強制ログアウトさせる。メインフレーム用システムの焼き直し版だから、ABEND=アブノーマルエンドさせられるだろう。次に、エビデンスを出力する。古いコンソールでUSBを差しこめるスロットが見当たらないから、そばにある古い連続用紙プリンタでプリントアウトするしかない。早く終わらせよう)
そこまで考えて、ミキは「あっ」と声をあげた。
「イレギュラー・データをコンソールから直接送りこんだら、こちらの居場所がばれちゃう。先にプリントアウトを始めて、その間にABENDさせて、当局へ通報しながら逃げるしかない。居場所へ踏みこまれる前に、すべて終わらせる!できるか?」
ミキは、覚悟を決めた。送りこみ時刻を指定したイレギュラー・データを、JOBコーディングしている余裕はない。
閲覧したエビデンスを、前世紀製らしいプリンタへ送信する。
「プリンタ遅すぎ!」
プリンタが発するガチャガチャ音を聞きながら、ミキは舌うちする。
ミキの手が、コンソールのキーボード上を超高速で舞う。011011…………の奔流が、画面を包みこむ。
(ABENDして、こちらの居場所がばれて、誰か押しかけてくるのは、いつ?210秒後?420秒後?630秒後ならいいのに!)
心の中で叫び続けるミキの額に、汗がにじんでいた。
待ちかねたプリントアウトが、終わった。
ミキは操作していた通信用タブレットをデスクに放りだすと、プリンタから連続用紙をひきちぎって、乱暴に折りたたんだ。左足に履いていた運動靴を脱ぎ、インソールの下に紙を押しこむ。指を靴ベラ代わりにして、強引に運動靴を履く。
その直後、予備室のドアがガンッと開く音を聞いて、ミキは長モップにとびついた。
長モップを両手で逆さまに持って、デスク上のタブレット画面に柄を2回叩きつけた。
ガッ、ガツンと手応え。愛用のタブレットを破壊する。
青い作業着を着た大柄な女2人が、ミキに向かって突進してきた。
ミキは長モップを振り回すが、体格差で制圧される。
両腕を背中で拘束されて、顔から腹までデスクに圧しつけられた。
「放せ!コノヤロウ!」
抵抗したミキの頭髪が引っ張られ、顔がデスクに打ちつけられる。噴出した鼻血がデスクを濡らす。
赤いヒールを履いた白衣の女が、足早に入ってきた。ミキのそばで立ちどまって、ささやく。
「さっきの不正アクセスは、あなたのせいね。覚悟はいいかしら」
乱暴に袖をまくり上げられたミキは、アルコール消毒無しのまま左腕に2本注射された。
脱力感が襲い、ミキの抵抗を奪う。
「処置室行きね」
白衣の女は、青い作業着の女2人に命令すると去っていった。
青い作業着の女2人は、無抵抗のミキを前屈姿勢にして、腰から業務用ダストカートへ放りこんだ。
予備室の出口で、ストレッチャーを押してきたピンクの制服を着た女2人と合流する。
ストレッチャーと業務用ダストカートは、並んで地下2階の通路Dを進む。
残った意識を振り絞ってミキは、横を向いた。
ストレッチャーに乗せられているのは、やせ細った相川カオルだった。上には点滴の大きな袋が、下には導尿袋に似た小さな袋が、カテーテルにつながっていた。下の袋の中は、赤黒い液体で満たされている。
「今回の分、サンプルとして使えるのでしょうか」
ピンクの制服を着た小柄な女が質問した。
「さあ。最後に採取した液、黒かったからね。黒い液が出ると、死ぬそうよ」
ピンクの制服を着た大柄な女が答える。
突然、カオルが目を見開いて、両腕をつきあげた。透明なビニール素材の酸素マスクに鮮血を嘔吐する。鼻孔からも噴き出す。すぐに両目を閉じる。両腕が倒れて、ストレッチャーからはみ出す。
ストレッチャーが止まり、ピンクの制服を着た2人が鮮血を始末する。
カートも止まって、始末が終わるのを待つ。
「それ、喀血ですか」
青い作業着の若い女が質問した。
「胃潰瘍による吐血よ」
「今夜は、VRシステムで実行してきたドリーム・シナリオ・アルファの最終段階でね。専任チーム幹部全員が立ち会っていたの。その最中にレム睡眠中の被験者の脳が想定外に覚醒したので、ドリーム・シナリオをアルファからベータへ無理やり緊急変更したのね。変更直後に不正アクセスによるシステムダウンが重なって、運動機能の遮断が切れたの。だから、レム睡眠中なのに被験者の神経系に大きな負荷がかかって、激しく痙攣したわけ。痙攣などのストレスがかかると、胃は大出血しやすいのよ」
ピンクの制服を着た大柄な女が答えた。肩をすくめながら、消えそうな声で続ける。
「睡眠剤とアンドロジェンなど男性ホルモンを連続投与…VRマシンで夢をコントロール…尿道に挿しっぱなしのカテーテルで夢精を採取…。3ケ月超も続ければ、体も頭も壊れて当然ね…」
「こいつ、手なんか伸ばしてやがって」
青い作業着の年配の女が、ミキに向かって悪態をついた。
「ほっておきなさい。強度麻酔薬2本うたれて処置室行きでしょ。処置室行かされたら、生きて出てこられないって噂よ」
ピンクの制服を着た大柄な女がなだめた。
その時、けたたましい警報音とともに、地下通路の照明が消え、非常灯に切り替わった。
4人の女たちは、パニックになった。
「火事よ!ここにいたら、防火シャッターで閉じこめられる!」
女たちは、地下通路を反対方向へ駆けだして行った。
地下通路の奥から、ガシャンガシャンと防火シャッターが閉じる音が響いてくる。
非常灯に照らされた薄暗いB2通路Dには、業務用ダストカートに放りこまれたミキと、ストレッチャーにのせられたカオルが、残された。
ミキは、ストレッチャーからはみ出したカオルの手にさわろうと、カートの中から必死に自分の手を伸ばしていた。
(あと少し。あと少しで……)
ウーウー………。ピーポーピーポー………。
遠くから消防車と救急車のサイレンが聞こえてくる。何台も急行してくる。
(総合病院が出火中と送信すれば…消防は必ず出動してくれる。病棟や地下通路に患者が閉じこめられたと送信すれば…必ず探してくれる。A世界もE世界も…そこは同じ。タブレットから時刻指定送信しておいて良かった……早くカオルとアタシを見つけてくれるのを…信じるだけ…)
ミキは、笑みを浮かべながら目を閉じた。




