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1章 勇者の終焉 第1話 家族

黒印のヤヌス


第1章 勇者の終焉


第1話 家族


 ――廃棄の森。


 深い森の中に、木剣のぶつかる音が響いた。


 ヤヌスが大きく踏み込む。


 狙うのは、レオンの左肩。


 振り下ろした木剣を、レオンは半歩下がるだけでかわした。


ヤヌス

「まだだ!」


 空振りした勢いを殺さず、身体を捻る。


 返した剣で脇腹を狙うが、それもレオンの木剣に受け止められた。


 乾いた音が鳴る。


 ヤヌスはすぐに剣を引き、再び踏み込んだ。


 右。


 左。


 フェイントを入れてから、足元へ。


 レオンは動じない。


 ヤヌスの剣を受け流し、必要な分だけ身体をずらしていく。


 その足は、ほとんど同じ場所から動いていなかった。


ヤヌス

「くそっ……!」


 額から流れた汗が、目に入る。


 それでも構わず、ヤヌスは正面から斬りかかった。


 レオンが初めて前へ出た。


「――ッ!」


 木剣が交わる。


 そう思った時には、ヤヌスの手から剣が消えていた。


 弾き飛ばされた木剣が宙を回り、少し離れた草の上へ落ちる。


 直後。


 レオンの木剣が、ヤヌスの喉元で止まった。


「…………」


 ヤヌスは木剣の切っ先を見る。


 次に。


 それを握るレオンを見た。


ヤヌス

「今のはなしだ」


レオン

「なぜだ」


ヤヌス

「汗が目に入った」


レオン

「戦っている時に待ってくれる敵がいるのか?」


ヤヌス

「いるかもしれないだろ」


レオン

「いたら紹介してくれ」


「…………」


 レオンは真顔だった。


 ヤヌスはしばらく黙り込み、やがて吹き出した。


ヤヌス

「なんだよ、それ」


 レオンが木剣を下ろす。


 ヤヌスは地面へ座り込み、汗で額に張りついた黒髪を掻き上げた。


 荒い呼吸を整えながら、落ちた木剣へ目を向ける。


 あと少しだった。


 少なくとも、前よりは近づいている。


ヤヌス

「もう1回」


レオン

「終わりだ」


ヤヌス

「まだ動ける」


レオン

「その状態で続けても、悪い癖がつくだけだ」


ヤヌス

「負けたまま終われるかよ」


レオン

「毎日負けているだろう」


ヤヌス

「今日は勝てそうだった」


レオン

「そうか」


 レオンは草の上に落ちた木剣を拾い、ヤヌスへ放る。


 慌てて受け取ったヤヌスを見て、そのまま小屋の方角へ歩き始めた。


ヤヌス

「そうか、じゃないだろ。今の俺、結構よかったよな?」


レオン

「昨日よりはな」


 ヤヌスの表情が明るくなる。


ヤヌス

「本当か?」


レオン

「ああ。昨日は最初の1撃で転んでいた」


ヤヌス

「そこまで戻って比べるなよ!」


 レオンは答えない。


 だが。


 前を歩くその口元が、僅かに緩んだように見えた。


 ヤヌスは木剣を肩へ担ぎ、すぐにその背中を追いかける。


 並びかけたところで、レオンの足が止まった。


「…………」


 右手が、胸元へ伸びる。


 服の上から古い傷を押さえ、僅かに顔を歪めた。


ヤヌス

「レオン?」


 呼ばれたレオンは、すぐに手を下ろした。


レオン

「なんだ」


ヤヌス

「今、胸――」


レオン

「夕食を取りに行くぞ」


 レオンは何事もなかったように歩き出す。


ヤヌス

「話を逸らすなよ」


レオン

「遅れたら置いていく」


ヤヌス

「待てって!」


 ヤヌスは木剣を小屋の脇へ置き、森へ入っていくレオンを追った。


◇◇◇


 木々の隙間から、柔らかな光が差し込んでいた。


 ヤヌスは腰を低く落とし、音を立てないように草をかき分ける。


 少し先。


 茂みの陰で、1羽の鳥が地面をつついていた。


 ヤヌスは背負っていた弓を構える。


 息を整え。


 狙いを定めた。


 弦から指を離す。


 放たれた矢が、鳥のすぐ横にある木の根へ突き刺さった。


 驚いた鳥が羽ばたき、木々の向こうへ逃げていく。


ヤヌス

「あっ!」


 立ち上がったヤヌスの後ろで、レオンが小さく息を吐いた。


レオン

「夕食が逃げたな」


ヤヌス

「今のは風だ」


レオン

「葉は揺れていなかった」


ヤヌス

「……鳥が動いた」


レオン

「矢を放つ前から止まっていた」


ヤヌス

「見てたなら先に言えよ」


レオン

「自分で気づけ」


 ヤヌスは不満そうに矢を回収する。


 外れた原因は分かっていた。


 狙いを定める前に、肩へ力が入っていた。


 レオンから何度も注意されている癖だった。


 矢を戻し、さらに森の奥へ進む。


 湿った土の上には、獣の足跡が残っていた。


 ヤヌスがしゃがみ込む。


 指先で跡をなぞり、周囲を見回した。


ヤヌス

「新しい」


レオン

「ああ」


ヤヌス

「向こうだな」


 足跡は木々の間へ続いている。


 ヤヌスが先に歩き出すと、レオンも黙って後へ続いた。


 しばらく進んだ先で、葉の擦れる音が聞こえた。


 ヤヌスが足を止める。


 茂みの向こう。


 1頭の鹿が、低い枝の葉を食べていた。


 まだこちらには気づいていない。


 ヤヌスは弓へ矢をつがえた。


 今度は急がない。


 肩の力を抜き。


 鹿の呼吸に合わせる。


 弦が鳴った。


 矢は狙いどおり、鹿の急所へ突き刺さった。


 鹿が地面を蹴る。


 数歩走ったところで足がもつれ、その場へ倒れた。


「…………」


 ヤヌスは弓を下ろした。


 倒れた鹿を見つめてから、後ろにいるレオンを振り返る。


ヤヌス

「今のは?」


レオン

「悪くない」


ヤヌス

「それだけかよ」


レオン

「では、もう1度立たせるか?」


ヤヌス

「できるならやってみろよ」


 ヤヌスは口を尖らせながらも、どこか嬉しそうに鹿へ近づいていく。


 獲物の前でしゃがみ込み、手を合わせた。


 その時。


 森の奥から、太い枝が折れる音がした。


「…………」


 ヤヌスの顔から笑みが消える。


 レオンも音のした方角へ目を向けた。


 低い唸り声。


 茂みが大きく揺れる。


 姿を現したのは、巨大な猪だった。


 ヤヌスの胸元ほどまである背丈。


 太い牙。


 泥に覆われた身体には、古い傷がいくつも刻まれている。


 猪の鼻から、白い息が漏れた。


ヤヌス

「……でかくないか?」


レオン

「ああ」


ヤヌス

「猪って、あんなにでかくなるのか?」


レオン

「長く生きればな」


ヤヌス

「なるほど」


 猪が前脚で土を掻く。


 頭を低く下げ、2本の牙をヤヌスへ向けた。


「…………」


 ヤヌスが1歩下がる。


レオン

「どうした」


ヤヌス

「別に」


レオン

「震えているぞ」


ヤヌス

「武者震いだ」


レオン

「そうか」


 レオンが後ろへ下がった。


ヤヌス

「おい」


レオン

「任せた」


ヤヌス

「いや、待て。今のは言葉のあやで――」


 猪が地面を蹴った。


ヤヌス

「うわっ!」


 ヤヌスは横へ飛ぶ。


 巨大な牙が服の裾を掠め、背後の木へ突き刺さった。


 幹が大きく揺れる。


 猪は頭を振り、牙を木から引き抜いた。


 すぐにヤヌスへ向き直る。


ヤヌス

「話が通じない奴だな……!」


 ヤヌスは弓を捨て、腰の短剣を抜いた。


 猪が再び突進する。


 正面からでは止められない。


 直前で身をかわし、すれ違いざまに脇腹を斬りつけた。


 浅い。


 刃は厚い皮膚に阻まれ、僅かな傷を残しただけだった。


 猪が身体を捻る。


 前脚がヤヌスの腹へ当たり、その身体が地面を転がった。


ヤヌス

「ぐっ……!」


 短剣が手から離れる。


 顔を上げると、猪がすぐ目の前まで迫っていた。


「…………!」


 ヤヌスの身体が固まる。


 頭では動けと分かっている。


 それでも。


 迫ってくる牙から、目を逸らすことしかできなかった。


 猪が地面を蹴る。


 その横から。


 レオンが間へ入った。


 鞘から抜かれた剣が、日の光を反射する。


 一閃。


 刃が猪の首を正確に捉えた。


 巨大な身体が、ヤヌスの目の前で地面へ沈む。


 土が跳ねた。


「…………」


 ヤヌスは尻もちをついたまま、動かなくなった猪を見つめる。


 レオンが剣の血を払い、鞘へ戻した。


レオン

「怪我は?」


ヤヌス

「ない」


レオン

「そうか」


 レオンが手を差し出す。


 ヤヌスはその手を掴み、引き起こされた。


 服についた土を払いながら、倒れた猪を見る。


ヤヌス

「途中までは俺が追い詰めてたよな」


レオン

「そう見えたか?」


ヤヌス

「見えただろ」


レオン

「俺には、お前が追い詰められているように見えた」


ヤヌス

「見る角度の問題だ」


レオン

「まだまだだな」


 少しだけ。


 馬鹿にするような響きがあった。


 ヤヌスがレオンを睨む。


 だが、何も言い返せない。


 猪が突進してきた時、自分は確かに動けなかった。


 レオンの剣は、抜いたところさえほとんど見えなかった。


「…………」


 悔しい。


 それと同じくらい。


 いつか自分も、あんなふうに剣を振りたいと思った。


 ヤヌスは倒れた猪の前へしゃがみ込み、その大きさを確かめるように牙へ手を触れた。


ヤヌス

「なあ、レオン」


レオン

「なんだ」


ヤヌス

「こいつ、俺が倒したことにしていいか?」


「…………」


 レオンは答えない。


ヤヌス

「ルミナに聞かれても、何も言うなよ」


 レオンは倒れた猪の脚を掴み、引きずり始める。


ヤヌス

「なあ。聞いてるか?」


 返事はない。


 ヤヌスは、その沈黙を都合よく受け取った。


ヤヌス

「よし。決まりだな」


 上機嫌で鹿を担ぐ。


 その後ろで、レオンは何も言わなかった。


◇◇◇


 森の中に建つ、小さな家。


 窓から白い煙が流れ、夕暮れの空へ昇っていた。


 扉が開く。


ヤヌス

「帰ったぞ!」


 鹿を肩に担いだヤヌスが、勢いよく家へ入る。


 その後ろから。


 レオンが巨大な猪を引きずってきた。


ルミナ

「おかえり――」


 台所から出てきたルミナの声が止まる。


 ヤヌスの顔。


 服。


 髪。


 全身が泥にまみれていた。


 頬には擦り傷までできている。


ルミナ

「……どうしたら、狩りに行ってそこまで汚れるの?」


ヤヌス

「色々あった」


ルミナ

「色々って?」


ヤヌス

「見ろ。あの猪」


 ヤヌスは得意げに、レオンが運んできた獲物を指差す。


「俺が倒した」


「…………」


 ルミナが猪を見る。


 次に。


 ヤヌスを見る。


 最後に、レオンへ視線を向けた。


「…………」


 レオンは何も言わない。


ルミナ

「本当に?」


 ルミナが目を細める。


 向けられた疑いの眼差しに、ヤヌスは胸を張った。


ヤヌス

「本当だ」


ルミナ

「レオン?」


「…………」


 レオンは答えない。


 その沈黙だけで、ルミナはすべてを察した。


ルミナ

「レオンに倒してもらったんだね」


ヤヌス

「なんでだよ!」


ルミナ

「レオンが否定しなかったから」


ヤヌス

「肯定もしてないだろ!」


ルミナ

「それに、ヤヌスが倒したなら、もっと大騒ぎしながら帰ってくるもの」


ヤヌス

「十分騒いだだろ!」


ルミナ

「まだ足りないよ」


ヤヌス

「普段、俺をどう見てるんだ……」


 ルミナは小さく笑う。


 そのままヤヌスの前へ立ち、頬の擦り傷を覗き込んだ。


ルミナ

「痛くない?」


ヤヌス

「これくらい平気だ」


ルミナ

「平気でも、傷は傷でしょ」


 ルミナは棚から布と小さな水桶を持ってくる。


 水で濡らした布を、ヤヌスの頬へ当てた。


ヤヌス

「冷たっ!」


ルミナ

「動かないで」


ヤヌス

「自分でできる」


ルミナ

「だったら、ちゃんと傷を洗ってから家に入って」


 傷の周りについた泥を、ルミナが丁寧に拭き取っていく。


 ヤヌスは少しくすぐったそうに顔を背けた。


ルミナ

「ほら。動かないの」


ヤヌス

「子供じゃないんだぞ」


ルミナ

「子供じゃない人は、泥だらけで家に入らないの」


「…………」


 ヤヌスが足元を見る。


 扉から自分の立っている場所まで、泥の足跡が続いていた。


ルミナ

「誰が掃除すると思ってるの?」


ヤヌス

「レオン」


レオン

「自分でやるんだ」


ヤヌス

「げっ、聞かれてた」


 レオンは猪を家の外へ置くと、何事もなかったように中へ入ってくる。


 ルミナは腰へ手を当て、床に残った足跡を指差した。


ルミナ

「掃除する前に、お風呂。今のまま歩き回らないで」


ヤヌス

「分かったよ」


 ヤヌスは外へ向かいかける。


 途中で足を止め、レオンを振り返った。


ヤヌス

「レオンも入ろうぜ」


ルミナ

「15歳にもなって、まだ一緒に入るの?」


ヤヌス

「別にいいだろ」


ルミナ

「よくないとは言ってないけど……」


 ルミナがレオンを見る。


 レオンは泥にまみれたヤヌスを、頭から足元まで眺めた。


レオン

「先に泥を落としてこい」


ヤヌス

「風呂で落とせばいいだろ」


レオン

「今のお前と入れば、風呂ではなく沼になる」


「…………」


 ルミナが吹き出した。


ヤヌス

「そこまで汚れてない!」


 声を上げたヤヌスの足元から、泥の塊が床へ落ちる。


「…………」


 ヤヌスが黙る。


 レオンは落ちた泥を見下ろした。


レオン

「沼だな」


ルミナ

「うん。沼だね」


ヤヌス

「お前ら……」


 ルミナは堪えきれず、声を上げて笑った。


 レオンも僅かに口元を緩める。


 ヤヌスは不満そうな顔をしていたが、やがて2人につられるように笑った。


 3人の笑い声が、小さな家の中へ広がっていった。


◇◇◇


 窓の外が暗くなる頃。


 食卓には、湯気の立つ料理が並んでいた。


 焼いた鹿肉。


 猪の肉と野菜を煮込んだスープ。


 黒パン。


 3人分の器。


 ヤヌスは椅子へ座るなり、焼いた肉へ手を伸ばした。


ルミナ

「こらっ、ヤヌス!」


 ヤヌスの手が止まる。


ヤヌス

「な、なんだよ」


ルミナ

「まだレオンが座ってないでしょ」


ヤヌス

「先に食っても変わらないだろ」


ルミナ

「変わるの」


ヤヌス

「何が?」


ルミナ

「気持ちが」


ヤヌス

「変わらん」


 ヤヌスがもう1度、肉へ手を伸ばす。


 その横から伸びてきた手が、先に肉を取った。


「…………」


 ヤヌスが隣を見る。


 いつの間にか席へ着いていたレオンが、取った肉を自分の器へ入れていた。


ヤヌス

「それ、俺が食おうとしたやつだぞ」


レオン

「先に取った者勝ちだろう」


「…………」


 ヤヌスが目を見開く。


 ルミナも一瞬黙り。


 やがて、堪えきれずに笑い出した。


ルミナ

「いつも自分が言ってることだね」


ヤヌス

「レオンまで真似するなよ!」


 レオンは答えず、取った肉を口へ運ぶ。


 ヤヌスも負けじと、残った中で1番大きな肉を自分の器へ入れた。


 それを見たルミナが眉を寄せる。


ルミナ

「野菜も食べてね」


ヤヌス

「肉を食ってる」


ルミナ

「それは見れば分かるよ」


 ルミナがヤヌスの器へ野菜を入れる。


 ヤヌスは、それをじっと見下ろした。


 ルミナが自分の器へ視線を戻す。


 その隙に。


 ヤヌスは野菜を1つ掴み、レオンの器へ移そうとした。


 レオンは前を向いたまま、自分の器を手元へ引く。


 行き場を失ったヤヌスの手が、宙で止まった。


ヤヌス

「食えよ」


レオン

「いらん」


ヤヌス

「好き嫌いはよくないぞ」


レオン

「なら、お前が食うんだ」


「…………」


 ヤヌスは黙って野菜を自分の器へ戻した。


 その上に。


 レオンがもう1つ、野菜を置く。


ヤヌス

「増えてるぞ」


レオン

「気のせいだ」


ヤヌス

「今、目の前で入れただろ!」


 ルミナが声を上げて笑う。


 レオンは何事もなかったように食事を続けた。


 ヤヌスは納得のいかない顔で野菜を睨み、渋々口へ運ぶ。


 狭い家。


 小さな食卓。


 特別な料理があるわけでもない。


 3人はいつものように同じ場所へ座り、同じ鍋から取り分けた料理を食べていた。


 それだけで。


 家の中は温かかった。


 食事が半分ほど進んだ頃。


 レオンが手を止めた。


レオン

「ヤヌス。ルミナ」


 2人が顔を上げる。


「いつか、この森を出る時が来る」


ヤヌス

「またその話かよ」


ルミナ

「ヤヌス」


 少し強い声だった。


 ヤヌスがルミナを見る。


ルミナ

「レオンが大事な話をしてるんだから、ちゃんと聞いて」


ヤヌス

「聞いてるよ」


ルミナ

「聞いてる人は、そんな顔しないの」


ヤヌス

「どんな顔だよ」


ルミナ

「面倒くさそうな顔」


ヤヌス

「実際、面倒なんだから仕方ないだろ」


ルミナ

「もう……!」


 言い合いを始めた2人を見て。


 レオンが僅かに笑う。


レオン

「2人とも」


「…………」


 穏やかな声だった。


 ヤヌスとルミナが同時に口を閉じる。


レオン

「外へ出れば、色々な人がいる」


 レオンは、2人の顔を順番に見た。


「考え方も、生き方も違う」


「自分が正しいと信じている者もいれば、自分の正しさをお前達へ押しつけてくる者もいるだろう」


 ルミナは真剣な顔で聞いている。


 ヤヌスも食事の手を止めていた。


レオン

「人から言われたことを、そのまま自分の考えにするな」


「自分の目で見て」


「自分で考えて、自分で決めるんだ」


「…………」


 少しの沈黙。


 ヤヌスが眉を寄せる。


ヤヌス

「難しい話は嫌いだ」


レオン

「知っている」


ヤヌス

「なら、もっと簡単に言えよ」


 レオンは少し考える。


レオン

「馬鹿になるな」


ヤヌス

「誰が馬鹿だ!」


 ルミナが噴き出した。


ルミナ

「ヤヌスが簡単に言ってって頼んだんでしょ」


ヤヌス

「限度があるだろ!」


 レオンは、騒ぐ2人を見ていた。


 何も言わず。


 どこか眩しいものを見るように、僅かに目を細める。


「…………」


 胸の奥が痛んだ。


 レオンは気づかれないように呼吸を止め、服の上から傷を押さえる。


 痛みが引くまで、じっと耐える。


 ヤヌスとルミナは、まだ言い合っている。


 2人とも。


 レオンの異変には気づかなかった。


◇◇◇


 食事を終え。


 家の中には、穏やかな時間が流れていた。


 窓の外では虫が鳴いている。


 薪の爆ぜる音が、時折小さく響いた。


 ヤヌスは椅子へ深く座り、腕を組んでいる。


 風呂と食事を終えたことで、眠気が一気に押し寄せてきたらしい。


 瞼が何度も閉じかけている。


 向かいでは。


 ルミナが食器を布で拭いていた。


ルミナ

「ヤヌス。そこで寝たら風邪を引くよ」


ヤヌス

「寝てない」


ルミナ

「目、閉じてたよ」


ヤヌス

「考え事してた」


ルミナ

「何を?」


ヤヌス

「…………」


ルミナ

「何も考えてないでしょ」


ヤヌス

「うるさい……」


 ヤヌスの頭が、ゆっくりと前へ傾く。


 そのまま動かなくなった。


「…………」


 小さな寝息が聞こえてくる。


 ルミナは呆れたように笑い、棚から毛布を取り出した。


 ヤヌスの肩へ、そっと掛ける。


 少し離れた場所では。


 レオンが机へ向かい、何かを書いていた。


 開かれた小さな手記。


 ランプの明かりの下で、ペン先が紙の上を滑っていく。


 何を書いているのか。


 ルミナの位置からは見えなかった。


 ルミナは眠っているヤヌスを見る。


 次に。


 机へ向かうレオンへ目を向けた。


ルミナ

「ねえ、レオン」


レオン

「なんだ」


 レオンは書く手を止めない。


 ルミナは、すぐには続けなかった。


 食器を持ったまま、温かな部屋を見回す。


 食事の残り香。


 揺れる火。


 眠るヤヌス。


 いつもと同じ夜だった。


ルミナ

「私たち……ずっと一緒にいられるよね?」


「…………」


 紙の上を走っていたペンが止まる。


 ほんの少しだけ。


 答えるまでに間があった。


 ルミナは、その背中を見つめている。


 やがて。


 レオンは静かに手記を閉じた。


レオン

「ああ」


 短い返事だった。


 ルミナは、ほっとしたように笑う。


ルミナ

「よかった」


 ヤヌスは眠ったまま。


 2人の話を聞いていない。


 明日も修行をして。


 レオンに負けて。


 ルミナに怒られて。


 3人で同じ食卓を囲む。


 そんな日が、これからも続いていく。


 この時は。


 誰も疑っていなかった。


「…………」


 不意に。


 レオンが顔を上げた。


 窓の外へ目を向ける。


 虫の声が止んでいた。


 森の中から、音が消えている。


 風は吹いている。


 木々も揺れている。


 それなのに。


 鳥も。


 獣も。


 何ひとつ鳴かない。


ルミナ

「レオン?」


 レオンは答えなかった。


 先ほどまでの穏やかな表情が、消えていた。


◇◇◇


 小屋から離れた森の中。


 月明かりの届かない木々の間を。


 1人の男が歩いていた。


 草を踏む音はない。


 枝を避ける動きもない。


 闇の中を滑るように、小屋へ近づいていく。


 雲が流れ。


 木々の隙間から、月明かりが差し込んだ。


 白い光が、男の顔を覆う仮面を照らす。


「…………」


 仮面の奥の目が、遠くに見える小さな明かりを捉えた。


 レオン達の暮らす家。


 男は何も言わず。


 再び、暗い森の中へ姿を消した。

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