第一話:剣と魔法と迷宮と (5)
「ん……」
ディオーヌの形の良い眉が歪み、口から呻き声が上がった。ゆっくりと目が見開かれ、辺りを見渡した。見慣れない部屋の中には、彼女の横たわるベッドの傍には簡素なテーブルと椅子が一脚置かれている。それ以外には何も見当らない。ベッド脇の窓からは昼過ぎの穏やかな日差しが差し込み、彼女の足元を照らしていた。
「ここは……?」
ディオーヌは上半身を起こしてみた。身体の所々が痛んだものの、大した怪我はないようだった。
「私はたしか……」
ディオーヌは必死に記憶を辿ってみた。
「……気が付いたのね。ディオーヌ」
その時、部屋のドアから双子の姉妹、フィオーヌが入ってきた。怪我をした左腕を包帯で吊っている。
「フィオーヌ! その腕……」
「何も覚えていないの?」
フィオーヌの声には微かだが、非難する響きが含まれている。
「いえ……、覚えているわ。少し、あやふやだけど……」
「そう……また、助けられたわね。彼に」
そういうフィオーヌの声は笑っているように穏やかだった。
「はい、これ」
フィオーヌは部屋の端に立て掛けてあった一振りの剣を手にすると、ディオーヌに差し出した。わずかに湾曲した細身の刀身を持ち、朱色の鞘に納まった剣である。
「これ……は!」
それは、あの地下迷宮でディオーヌが手にし、意識を支配された呪われた剣だった。
「もう、邪気は込められていないわ。あのクリスタルが砕けたとき消滅したし、問題はないだろうって、ザムザもロムナイトも言ってたわ。念のためこの街の鑑定師にも見てもらったけど、なかなかの業物らしいわ。ちょうどいいんじゃない? 無くしてしまった剣の代わりにしたら……」
ディオーヌは姉妹の言葉に安心した様子で、剣を鞘から抜いてみた。長い間地下迷宮に眠っていたというのに、その鋼の刀身には曇り一つない。
「軽率な行動……その戒めにはちょうどいいのではなくて?」
フィオーヌの鋭い言葉はディオーヌにとって胸が痛かった。ディオーヌはそれには答えずにベッドから降り、立ち上がると剣を抜いて構える。
「……」
二度三度、剣を振ってみる。それはしっくりとディオーヌの手に馴染み、まるで羽のように軽い、心地よい重みの剣であった。
「……あいつは?」
剣を鞘に戻しながらディオーヌは姉妹に聞いた。
「それを聞いて、どうするつもり?」
フィオーヌはディオーヌを正面から見つめながら聞き返した。
「決まっているでしょ?」
ディオーヌは新しい剣を叩いて言った。フィオーヌはゆっくりとかぶりを振って答える。
「……いいえ。私はもう一つの手段を取らせてもらうわ」
驚いた顔でディオーヌは姉妹の肩に手をやった。
「本気なの!?」
「ええ」
フィオーヌはゆっくりと首肯いた。
「あなたはあなたのやり方を通せば良いのよ。どちらの手段を選ぶかは個人の自由。それが掟でしょ?」
「フィオーヌ……」
「私は私の気持ちに正直でいたいだけ。あなたにも同じ選択をしろとは言わないわ……でも、あなたがこれ以上、彼の命を狙うのなら、その時は……」
フィオーヌは一瞬、物凄い形相で姉妹を睨む。だがすぐに表情を崩すと、穏やかに微笑んだ。
「分かった……」
ディオーヌは傾き始めた日差しの中で、眩しげに自分と瓜二つの姉妹の顔を見つめ、呟いた。
◇ ◇ ◇
「おらおら、もっと飲めよ、爺さん!」
アインはかなりろれつの回らなくなった口調でザムザに言うと、なみなみと葡萄酒の注がれたジョッキを老人の方へ押しやった。
「おいおい、儂を殺す気か? お前さんと違って酒に打ち勝つほど儂ゃ若くないんじゃぞ」
こぼれそうになった分だけすすったザムザは、悲鳴に近い声で反論する。
「これが飲まずにいられるか? さんざんあの埃だらけの地下迷宮を這いずり回って、手に入れられたのが古びた剣が一本だけだとよ。あとはみーんな、瓦礫の山の下……はっ! 飲まずにいられるかよ!」
「まあ……そうじゃのう……」
ザムザはやれやれという感じで息をついた。アインに付き合わされて朝から飲み続けていたために気分は最悪であった。
「ったく……あの姉妹のせいで地下迷宮に突き落とされたってのに、あいつ等の為に命張ってよ、それなのにあの二人ときたらしつこいしよ、どうせ明日になったらまた追いかけっこだ。まったく……あんなことで地の果てまで追っかけて来やがる」
アインの愚痴は止まることを知らなかった。
「そう言えばお前さん、なんであの二人に追われておるんじゃ? さぞ、とてつもないことをしたんじゃろう?」
ザムザは飲まされまいとして、話題を切り替えた。アインはジョッキに残っていた葡萄酒を一気にあおると、テーブルに空になったそれを叩きつけた。
「あぁん? おーい、早く次だ次!」
アインは給仕の娘に大声で注文すると、正面に向き直り、ザムザを睨み付けた。
「……たんだよ」
アインはボソリと小声で言った。酒場の雑音の下ではとてもザムザの耳に迄は届かない。
「あ? なんじゃと?」
ザムザは自分の耳に手を当て、聞き返した。
「見ちまったんだよ、あいつらが風呂に入っているところをよ!」
「ひょ!? それはまた命知らずなことを……」
ザムザは大げさに驚いて見せた。アインは顔を赤面させて言い訳を始めた。
「だ、だがな、勘違いすんなよ! 見たくて見たんじゃねぇ! ありゃ事故だ。賞金の懸かった盗賊を追い掛けていたら、偶然に……足場が崩れてそれで……」
「ほほぅ、偶然とな……」
ザムザは顎髭を撫でながら疑わしげな声をあげた。その目は言葉以上に疑わしい視線をアインに注いでいる。
「あ、当たり前だろ! でなきゃ誰がそんなことするか! 頼まれたってあんなじゃじゃ馬どもの風呂なんて覗くかよ。そしたらあいつ等、『女の素肌を見た者は殺すのが一族の掟』だとかなんとかぬかして、そりゃもぅ、しつこいの何のって……」
「して……?」
ザムザはアインの苦し紛れの主張を遮るかのように顔を突き出した。目尻は下がり、いやらしい笑みを髭に覆われた口元に浮かべている。
「どっちの娘の方が?」
ザムザの骨張った両手が、空中に女性のプロポーションを描き出す。アインの苦し紛れの動きが止まり、両腕を組んで必死に記憶を辿る。
「……うーん。あの二人、顔はそっくりでも、どっちかっていうとだな……」
アインの顔が次第に崩れ、口元から笑いを洩らす。
「ふぅん。どちらかというと?」
アインの後からその次を促す言葉が投げ掛けられた。アインは思わず振り返って続く言葉を発しようとした。
「そりゃ、お前……ゲッ!?」
アインの背中に滝のような冷汗が流れ落ちた。アインは並んで立つ双子の後に、立ちのぼる炎をはっきりと見たような気がした。鬼のような形相でアインを見下ろしているディオーヌとフィオーヌは、アインの酔いが一瞬で醒めるほどの殺気を全身から発している。
「やっぱりこいつだけは……」
ディオーヌの唇から震える声で言葉が絞りだされる。その手には先程の剣が握られている。柄にかけられた手は今にもそれを抜こうとしている。
「……今だけは前言を撤回するわ」
それを継いだフィオーヌの言葉は氷の様な冷気を伴っている。いや、実際に氷の精霊の影響で、周辺の物が凍り始めている。
「ち……ちょっと待て……な?」
アインはゆっくりと椅子から立ち上がり、後退りを始める。
「落ち着け……な? ……な?」
じりじりと後退るアインは、ザムザの姿がテーブルから忽然と消えていることを知った。
「あのクソ爺ぃ……自分だけ!」
助け船も絶望的になったアインは突然、脱兎のごとく走りだした。
「死ね! 女の敵!」
「天誅!」
ディオーヌが剣を抜き放ち、フィオーヌの掲げた手には巨大な氷の固まりが出現していた。
「ぎえぇぇぇっ……!!」
アインの悲痛な悲鳴が、飛び出していった店の外から聞こえてきた。そして続く大音響……。
「おお、恐ろしや……」
テーブルの下に身を隠していたザムザは、嵐が去った後に這い出てきた。
「若い者は元気があって良いのぅ」
遠い目をして、破壊された店の入り口を眺めながら髭を撫でながら見やると、どこからともなく声が語りかけてきた。
「……相変わらず人が悪いな」
「ん? ……おお、おぬしか」
ザムザはテーブルに立て掛けられたまま忘れられてしまったアインの剣、ロムナイトを見やった。
「何じゃ儂のことに気付いていたのか?」
「当然だ。自分を封印した相手のことを忘れると思うのか」
飄々とした態度のザムザに対して、ロムナイトは油断のない口調である。
「何も喋らんから、儂ゃ、てっきり忘とるのかと思ったぞい」
「おかげで何百年も暗闇の中で眠ることが出来た」
「すると、あれが今度の担い手というわけか……」
ザムザがわずかだが表情を引き締めた。
「……また封印するのか?」
「……」
ロムナイトの問い掛けにザムザはすぐに答えなかった。顎髭を掻きながらゆっくりとザムザは言った。
「……そうじゃのう。それはもうしばらくお前さん達を、見てから決めることにしようかの?」
ザムザはおもむろにロムナイトを手に取ると、肩に担ぎあげた。
「な、何をする!?」
「なぁに、旧友に会えたんじゃ。今日はゆっくりと飲み明かそうではないか? 昔話などしながらな……」
ザムザは笑いながら歩きだした。ロムナイトは罰が悪そうにそれきり黙ってしまった。
千鳥足の老人が剣を担いで、夜の帳がすっかり降りた酒場の雑踏のなかに紛れてしまった頃、街のあちこちでは男の悲鳴と、女二人の罵声とあらゆる物が破壊される音が、夜の明ける頃まで繰り返されていた……。
「……ぎょへぇええぇぇっっっ……!!」




