第13話 省長の娘
——レベルC:官僚登用制度の緊急的引き下げ——
行政府の指令により、緊急措置として次の者の再登用あるいは再募集を開始する。
・官僚経験のある遊び人。
・教育生のうち実践に投入しても問題ないと判断された人。
・退役者および退役予定の人。
官僚の数を必要とする今、応急処置として人員確保のために行われる。
なお、これによって登用されたものはこの措置が解除されてもなお、その雇用が原則として継続される。
——IS-3401:とある食堂——
新しい住まいから出た僕は、昼食を食べに食堂へ行った。多くの場所が遊び人用に解放された一方で、仕事に忙しい官僚のために運営されている食堂には多くの官僚が集まっていた。ここの様子はあの日からそう変わっていないようだった。
メニューもほとんど変わっていない。地下にある広大な栽培・製造施設と日ごろから非常時に備えて蓄えられてきた備蓄によって食糧不足の危機は回避されている。僕はいつも通り健康食を選んで受け取った。やはりこれが一番だ。
混んでいる中でどこに座ろうかと迷っていると、一人で食べているヌトリーレを見つけた。彼女も気づいてくれて僕のために席を空けてくれた。
「ヌトリーレ。久しぶり」
「オルフェオも久しぶり。食事も相変わらずだね」
「ああ。今日カレーなのかい?」
「うん。いろいろなものを食べたいしね」
野菜がゴロゴロ入ったカレーは僕の鼻腔を刺激したが、気にせず自分の食べ物を口にした。
「それにしても、あの災害が突然のことでびっくりしたよ」
「……そうか、知らなかったのか」
「うん。知らなかった。私は地下にいたから助かったけど、地上にいた同僚たちはみな……」
彼女は悲しそうに言った。多くの官僚はこの災害について事前に伝えられることはなかった。『天命の日』という言葉すら一部の官僚にのみ共有されている事項だ。多くの人はあの日もいつもの業務を行っていただけだった。『天命の日』は彼らの日常をも奪った。僕は組織の中の機密事項を守っただけに過ぎなかったが、罪悪感に見舞われる。自然と彼女に頭を下げた。
「それは……すまない。伝えることができれば、伝えるべきだった」
「いいのいいの。事情があるのはわかっているから。永約を守る官僚、そしてその中でも秘密の多い保安省が持っている情報は他の人より多いのは当然のことよ。気に病む必要はないのよ。それに、私もこんなことで立ち止まってはいられないよね。患者さんは増え続けるばかりだから、気を引き締めないと」
僕は両手を握り締める彼女を見てほっとした。
「配属も生命省のままなのか?」
「うん。これでも生命省自体に人が足りていないのよ。遊び人や官僚の怪我人、入院者が多くて……」
「そうか、それは大変だな。具体的には?」
「大体は火傷の跡や、転んだり破片に当たったりしてついたとされる擦り傷や切り傷。でも、感染症とか重大な病気の蔓延は起きていない。ただ数が膨大なだけよ。医療品は今のところ足りているけど……あなたは何をしているの?」
「地下の監視システムの構築が終わって、これからについては何もわからない。地下の取り締まりか、あるいは地上への復帰のサポートかとは思っている」
「なるほどね。お互い頑張ろうね」
僕たちが再び食事に集中していると、誰かが接近してきた。彼女と同じ制服を着た、ハンサムな男性だった。
「ようヌトリーレ」
「ああ、ブラキさん。お仕事の方は?」
「いったん落ち着いたから食事に来たんだ。そちらの方は?」
「私の友人です。保安省の人ですよ」
「はじめまして。保安省の公安局第一特殊部隊に所属しているオルフェオです」
「ああ!あの人か!私は生命省のブラキだ。よろしく」
ブレッドを持っていた彼はヌトリーレ側の席に座った。
「ブラキさんは私の上司なの。すごく気さくな方よ」
「第一特殊部隊ってことは……ヴェリタスのところか?」
「そうですね。今は違いますけど」
ブラキはそれを聞いて目を輝かせる。
「ヴェリタスさんってすごいよな。どうやらこの事案に関する避難計画を一人で立てたらしいし」
「え!ヴェリタスさんのところなの?」
「ああ、実はそうだったんだ」
ヌトリーレも同じように歓喜が抑えきれていないようだった。そこまで彼女は好かれているのか?
「羨ましいな。生命省じゃ彼女の話で持ちきりだよ。彼女の活躍に、彼女の仕事流儀に」
「ヴェリタスさんのいいところ、たくさん見てきたんでしょ?」
「ま……まあ。そうですね」
「君が生命省に彼女を連れてきたときは何事かと思ったが、まさかそんな事案を抱えているとは思わなかったよ。そんな重要なことをしていますみたいな素振りさえ見せなかったんだよ?」
「確かに彼女、私たちがプライベートなことを聞こうとしても冷たくあしらわれてしまったもんね。逆にそのミステリアスさがいいのだけどね」
外での彼女の評判と僕の印象は概ね合っているが、どこかズレを感じた。二人はまるで彼女のファンであるかのように話している。
「そこまで彼女は有名なんですか?」
「有名もなにも。歴史博物館の暴動を止めた司令官、永約最大の危機から人々を救い出した人だよ?そんな人を誰が羨まないと思うんだい?」
「そうよ。彼女は永約に欠かせないんだから!」
「……そうですね」
彼女の苦労と内面を知る僕は苦笑することしかできなかった。二人の興奮が一旦収まったようだ。
「ところで、今は違うって言っていた気がするが、どういうことだい?」
「彼女は行政府に異動することとなったんです」
「それはいいことだ!君は?」
「私はそのままですが……」
「そうか。じゃあ、君は部隊長ってことかい?」
「いえ、アヴィという方が新しく部隊長になられます」
その名前を聞いた時、ブラキは手を止めた。彼の笑顔はすっかり消えてしまった。
「アヴィ……あいつか」
ヴェリタスの時よりもさらに深刻そうな顔をしている。アヴィという人物がそれほど人を曇らせる存在なのだろうか。
「ブラキさん。どうしたんですかいきなり」
「その人について知っているのですか?」
「知っているって……君らこそ何も知らないのか?」
「ええ、何も。初めて聞く人でして」
ブラキはため息をついた。その表情からあまりよくないことがあると感じた。ヌトリーレの方を見ると、彼女もどこか不安そうに僕を見ていた。ブラキは机に両肘をついて顎を手の甲に乗せた。
「アヴィ……彼女は悪い意味で有名だ。確か地上省のどこかにいたはずだが、もともとは教育省にいてな。そこで彼女が原因のトラブルを起こしたそうだ。地上においても、遊び人との諍いで殴り合いになったこともあったそうだ」
僕は黙って彼の話を聞く。そのような過去を持つ人物を僕は公安局の人間であるはずなのに初めて知った。
「それに彼女は素行自体が悪い。服はいつも乱れているし言葉遣いも荒い。多くの官僚が健康上の理由から忌避しているタバコも平気で吸っているとのことだ。とにかく悪い噂の絶えないやつなんだ。でも、こういう落ちぶれた官僚はそう珍しくないし、そういった悪い連中は再教育されるはずなんだ。でも彼女は見逃されている」
「……何を言いたいのですか?」
「彼女はな、権力者の娘なんだ」
「権力者って?」
「コンセル保安省長だよ。省長の一人娘だからって甘く見られているに違いないよ。俺たちは血のつながりなんて認識してはいけないというのに」
血縁。家族。これらは旧世界において自由と公平を奪い続けたシステムだ。決して合理性のない判断によってそれらを同一視して扱い、また優先順位を恣意的に上げる差別制度だ。人工子宮による完全な家族制の撤廃以前は自然妊娠が行われていたが、産まれた子どもたちは一律で教育庁に預けられ、そこで生長期間を過ごすようになっている。そのため親と子どもの特別な関係なんてできようがない、また親の性格や環境から子どもたちが不公平な生活を送ることのない素晴らしいシステムである。家族は最小の権力構造で、不合理を強いて、そして全体的に不自由構造を育むものでしかないから。
しかし僕は、この理論には無理があると思った。
「でもいくら権力者の立場であっても、血の繋がりを理由に依怙贔屓が許されるものではないでしょ?それに権力は分散しているし、コンセル省長も保安省のトップでしかないので、評議会全体の合理的判断からしてあり得ないかと」
「では、未だに罰せられていないのはどういうことだい?きっと圧力をかけているに違いない」
「憶測の域ですよ。それは流石に……」
「でもみんな思っている。奴の才覚以上に血筋が役に立っているって」
「そんなことはありません。明らかな嘘です」
「いいや、絶対に!」
彼はだんだん声量を上げながら立ち上がる。周囲の人々が僕たちに目線を向けているのが嫌でもわかった。これ以上エスカレートさせたくないヌトリーレは僕たちの間に入った。
「まあまあブラキさん、落ち着いて」
彼女は彼の両肩を抑えて彼を制止しようとする。彼はそれに従ってゆっくり座ったが、不満げな表情を浮かべている。
「公衆の面前であまりそういうことを大っぴらに言うべきではないですよ。それに、オルフェオにとってはどんな人になるかなんてわからないんですから」
「……ありがとう、ヌトリーレ」
時計を見ると、もうそろそろ保安省に行かなければならない時間になっていた。これ以上対立したくない僕はそそくさと出ていくことにした。
「では失礼します、お話ありがとうございました」
「うん、ごめんね」
「……気を付けるんだぞ」
彼の言葉を僕は気にせず、食堂を後にした。
——IS-3401:保安省——
徒歩で移動中、僕の思考はブラキの言葉によって支配されていた。彼の話は本当なのだろうか?もしそのような人物が僕の上司になるのであれば、どうなることかわからなかった。それも、重要で守らなければならない事項も多い保安省で粗雑なトラブルを起こされては彼女の責任だけにとどまらないかもしれない。もしかすると部下の僕だって……。しかし、もう1つの疑問が浮かんだ。ヴェリタスもこのことについては知っているはずだろう。ではなぜ、それを踏まえても彼女はアヴィが"優秀な人"としてある程度の信頼を置いているのだろうか。ただの旧友とは思えないものがそこにはあるように感じた。
保安省内のエレベーターを待っていると、いつの間にか隣にコンセル省長がいた。僕は驚いて彼に敬礼する。
「お疲れ様です!省長」
省長は笑顔でそれを受け取ってくれた。
「ああお疲れ、オルフェオ君」
だが、それ以上の会話は続かなかった。僕は気まずい気持ちでエレベーターに入った。省長と二人きりで乗ったエレベーターの駆動音だけが耳に届く。省長が僕に横から話しかける。
「……そういえば、今日君の新任の上司が来るのであったな?」
「はい、そうです」
省長は一呼吸置いて、弱々しく僕に話した。
「……彼女の不出来なところが君の負担となるかもしれない。もしかすると、君を苛立たせるかもしれない。だがどうか、彼女を見守ってくれ」
省長のお願いに僕は平然を装って返答する。
「……私は彼女の部下ですよ。上司を見守るなんてことには……」
「これは、省長としての命令ではなく、私個人のお願いだ。どうか頼む」
地下三階に着いたようで、省長は返事を聞かずに降りていった。僕は何かを言おうとしたが、その前にエレベーターのドアが閉まった。
第一特殊部隊に与えられている部屋の前についた。扉が少し開いており完全ロックが効いていなかった。中にはだれか人がいるようだった。僕は意を決して部屋の中に入った。
そこには、一人の女性が黒いハイヒールを履いた足を机に乗せて部隊長の椅子に座っていた。ラテン系のヴェリタスと同い年ぐらいの女性。くるくると巻かれた赤髪と胸元を強調したスーツで、珍しくスカートを着用していた。まさにアウトローな存在というか、本当に官僚なのか疑いたくなった。
「あの、初めまして。……どちら様で?」
彼女は僕を睨みつける。ヴェリタスとは違った、どこか侮蔑を含むような。
「……アヴィ。お前は?」
「IS-3401、オルフェオです。第一特殊部隊所属で、あなたの部下になります」
「……うちの部下か。これからよろしく」
彼女は足を降ろして僕に向いた。
「お前、ヴェリタスの部下だったんだろ?」
「そうです、何か?」
「あいつがどういう指導をしてきたかは知らないが、うちはうちのやり方でやるから」
「わかりました」
「……で、もう一人は?」
「もう一人ですか?オアシスのことですか?彼女は……」
「違う違う。別のやつがもう一人来るはずだ」
「知りませんでした……」
「知らなかった?あいつさては伝えてなかったのか?」
「いえ、きっと私が見落としていただけです」
すると扉の奥からズドズドと大きな足音が聞こえる。こちらに向かってきているようだった。僕はとっさに扉から離れた。
「すみませーーん!遅れましたーーー!」
爆音のような声とともに扉が勢いよく開けられる。そこにいたのは大きなロボットだった。扉よりも巨体なロボットは苦労しながらも部屋の中に入ってきた。人型に近いが、足がかなり太くて頑丈そうで、青い塗装によって体がコーティングされているもののところどころ錆びて剥がれている。顔はかなりコンパクトに収まっていて、口と鼻が見かけ上備え付けられている。目から黄色い電光が漏れており、声の感じはかなり渋い男の声を模しているようだった。
ロボットは、プロキシへ発展する前に活躍した代人の1つ。人間の操作に完全に従うモデルもあるが、これは後期に量産されたAIを搭載した自立型の一種だろう。プロキシとの違いはその開発された時期によって明確に分けられており、思考性能や万能性はプロキシの方が上だ。
そもそも、プロキシやロボットと人間の相互関係は永約にとって切り離せない話だ。かつては人間に扱われるのみであった機械はやがて人間と同じように意思をもつようになり、今では人間と同等の権利を有するほどになっている。ロボット・プロキシは官僚として社会貢献することを前提に生産されている点を除いて、人間と変わりない。今日「人類」という言葉は、ホモサピエンスとロボット、プロキシに新人類(分類不明)を含めた総称として認識されている。
ロボットの生産はすでに終了しており、今はプロキシが中心になっている。おそらくこのロボットもかなり古い時代から活躍した生き残った精鋭であろう。彼は息を切らしたような挙動をして発言した。
「RB7-75423。通名ディグニダ。資源省ヨリ本日カラ公安局第一特殊部隊ニ編入シマシタ。オフタガタ、ヨロシクオ願イイタシマス」
ディグニダはかくかくとしたお辞儀をする。
「よろしく、ディグニダ」
「よろしくお願いいたします」
「オ二人ノ情報ハスデニ入手済ミデス。自己紹介ハ不要デス」
「そうか。これで三人そろったな」
彼女はいきなり立ち上がって机を叩きつける。その音に僕はびくりとはねてしまう。
「これから三人で、特殊部隊の展望について会議しようではないか」
この人は急に一体何を言い出しているんだ?
「会議ですか……?本日は特に決めるべき重要な事柄が……」
彼女はあからさまにため息をつく。僕をあまり面白く思っていないようだった。
「事柄って、別に今日はねえよ。今から語るのはこれからのことだよ」
「これからなんて、わからないですよ」
「……たく、これだからバタフライシステムに未来を乗っ取られた奴は。頭で考えるんだよ」
「考えるって……あまりにも情報が少なくて」
「たしかに情報は少ないが、それでも予測ぐらいできるだろ?うちらは永約における実働部隊の1つだ。いずれ先遣隊として地上に送られること間違いないだろう。だから、今のうちに作戦を練っとくってわけよ」
用意周到に計画を立てていたヴェリタスとは正反対の、楽観的観測からの占いでしかない。
「面白ソウデスネ!仮定ノ話、好キデスヨ」
ディグニダは話に乗ったようで、早速情報を取り寄せようとしている。
「地上に地下にと、公安局はやれること、やらねばいけないことが多いんだろ?それらを整理して一気に仕上げないといけないよな?そうだろ?」
アヴィの真剣な、でも楽しそうな顔が映る。僕は彼女の覇気に押されたのか、あるいはこのノリに流されたのか、いったん彼女のやり方に任せることとした。
「……わかりました、どれからやりますか?」
「じゃあまずは、地下の治安安定についてだな……」
僕は安心した。アヴィは噂ほど悪い人物でないかもしれない。彼女によって一新された第一特殊部隊は、次の任務に向けての活動を開始した。




