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二人一役の調停者  作者: 襟端俊一
終章 その名の意味
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 体の痛みは完全に引いていた。

 痛覚が麻痺したと言っても良いくらいに。

 きっと守護精ニュンフェであるツムが何かしてくれたのだろう。

 流石に失った血までは取り戻せていないので若干クラクラするが、立って歩くことすらできなかったさっきまでと比べると格段に回復している。


「液体窒素、か」


 瞑っていた瞳を開け、架は苦々しく呟く。

 架もまた守護精と感覚を共有していたため、架の中に眠っていた羨望術ゼーンズフトがどういうものか、その知識と使い方も理解していたが、やはり無闇矢鱈と使いたくない力だった。

 架にとって液体窒素は妹を泣かせたものであり、妹が大好きだった植物を破壊するものでもあるからだ。


「ま、今はそんなこと言ってられないけどな。……ほら、俺は出て来たぞ。殺すんじゃないのか」

「……っ、死ね!!」


 紡は咄嗟に後ろに飛んで、架の左右に十輪の向日葵を出現させた。

 次々に成長していくが、架は気にせずに距離を詰める。

 一歩一歩、着実に前に進んでいく。

 架が手を伸ばした瞬間、花びらを落とした向日葵達が一斉にその種子を射出し始めた。種の総数は優に二万を超えるだろう。

 だが例え羨望術であっても、もはや植物による攻撃が架に届くことはない。

 体中に付着していた血をCLN2に変換し、発生した紅い湯気で全身を覆ってしまえば、種子の弾丸は触れた瞬間に豆鉄砲と化す。


「来ないで! 来ないでよ!!」


 羨望術が通じないとみるや、紡は架に背を向けて走り出した。

 向日葵の攻撃でひっきりなしに派手な音が鳴り響く中、架も紡を見失わないように後を追い続ける。

 一周回って架が磔にされていた辺りまで戻ると、一瞬だけ紡がしゃがみ込んだ。

 その行動を目で追おうとした直後。

 架の腹を、何かが貫通した。


「成る、程……油断した。逃げた振りして、こいつを拾いに行ってたわけか……」


 紅い湯気で防げないということは、架の腹を貫いたのは植物ではない。

 紡が握っていたもの。

 それは、薔薇に絡め取られた際に落としてしまった架の日本刀、叢雨だった。


「死んで! 早く死んで!! お願いだからもう喋らないで!!」

「……死ねないよ。尚更死ねなくなった。分かるだろ?」

 架は腹部に刺さった叢雨を更に食い込ませ、



 紡を力強く抱き締めた。



「!? やっ」

「君も、殺せなかったな」


 紡にしてみれば、今のは千載一遇の好機だったはず。

 もう揺さぶる必要はない。

 今こそ言葉を交わすときだ。


「私はお前とは違う! は、離してっ」

「なあ……俺の妹は、最期にどんな顔をしてた?」

「っ」

「久し振りにもう一人の自分と会って……驚いてたか? 喜んでたか?」

「知らない! 覚えてない!」


 両手で耳を押さえ、紡は首を振り続ける。

 次々に浮かび上がってくるあの日の情景を、必至に振り払おうとしている。

 忘れているはずがない。

 忘れられるはずがないのだ。


「終わりにしよう。俺とお前が和解したところでパラディースとの争いはなくならないけど……もしかしたら平和の火種にはなれるかもしれない」

「……平和、の?」

「和解なんて言ったけど、別に馴れ合おうって意味じゃないぞ。俺の妹はもういないし、お前の兄だってもういないんだから。ただ、殺し合いは終わりにしたいんだ」


 架の妹は守護精として生まれ変わったため、これからもずっと傍に居てくれる。そういう意味で架と紡は対等ではないが、もう二度と笑顔を見ることは叶わない。もう二度と頭を撫でてあげることもできない。誕生日プレゼントの挽回のチャンスもない。

 死んでしまったことに、変わりはないのだ。


「馬鹿なこと、言わないで。私は……お前を殺さないと前に進めない」

 架の胸の中で震える紡が、絞り出すような声で言う。


(頭では理解しても……受け入れられないか。想いが薄れるような気がするんだろうな)


 紡の考えていることは手に取るように分かる。

 依衣の後悔を知ったときと、自分の死神トートと話をしたとき……架の心境は、今の紡と全く同じだったから。

 架は今一度深く呼吸して、ずっと伝えたかったことを口にした。


「君の兄の言葉だ。『こんな思いをするのは僕達だけで充分だろう?』だとさ」

「そ、そんなの信じられるわけ」

「なら直接聞いてみろ」


 そう言って架が取り出したのは、塗装の剥がれた随分と古い機種の携帯電話だった。

 手際よくタッチパネルを操作して、一つの録音データを再生する。

 静まりかえった第二演習場に、意外なほどクリアな音声が流れ始めた。






『「妹を助けてほしい。僕の命を使って」

「よりにもよって助けてほしいだと……!? お前の妹は、俺の妹を殺したんだぞ!!」

「その怒りは僕にぶつけてくれ」

「っ!!」


 架が怯んでしまったのは、如何にも自分が言いそうなことだと思ったからだ。

 妹が罪を犯して、でも妹の命を差し出すなんてことはできなくて。

 考えた末の、結論。


「そうすれば、君に力が宿る。その力で僕の妹を救ってくれ」

「お前の妹は《星謝祭》っていう行事に参加してるんじゃないのか?」

「《星謝祭》には参加しないように言っておいた。妹は、見れば一目で分かる居住区で一番大きい家に今もいるよ。何も知らずにね」

「……協力者はお前だったのか」


 パラディース側の立場を捨ててまで今の状況を作り出した自分の死神トートの覚悟に、架は圧倒されかけていた。


「無理に納得してくれなくても良い。でもよく考えて欲しいんだ。僕達は誰も殺し合いなんて望んでなかった。悪いのは全部、《昇華計画》なんてくだらないものを実行に移した王族と、パラディースの資源を貪ろうとしているクランクヘイトの欲深い大人達だ!!」

「それでも……例え望んでやったことじゃなくても、俺の妹が殺されたことに変わりは」

「だから!! 殺したくない人を殺さないといけない……そんな思いをするのは、もう僕達だけで充分だろう!?」

「……俺がお前を殺して、それで終わりにするって言ってるんだな」

「僕が君に殺されれば、きっと妹は今の君と同じになる。けど、絶対に踏みとどまれると信じてる。そのときになったら、《これ》を聞かせてやってほしいんだ」


 自分の死神から手渡されたのは、幼少の頃にパラディースに迷い込んだ際、記念として架がプレゼントした携帯電話だった。


「これは……昔、俺が上げた? 何で電源生きて」

「フェルクリンゲンっていう町で直して貰ったんだ。録音機能だけは今も使えるよ」

「この会話を録音してるのか。これを……お前の声を聞かせても止まらなかったら?」

「止めてくれるよ。君なら――!?」

 突然、架の死神が膝を突いて蹲った。


「おい、どうした!?」


 架の死神は異様な程青ざめていて、急激な発汗現象と痙攣を起こしていた。

 一目で毒物によるものだと分かる症状だ。


(特に痕跡はない……ゆっくりと毒が回るタイプか? 裏切り者として制裁された……?)


 無駄だと悟りつつも解毒剤がないかと部屋を見渡す。

 すると、もはや呼吸をするのも辛そうな架の死神が息も絶え絶えに言った。



「この毒に……解毒剤なんて、存在しない。僕が調合した毒だからね」



「!! お前、まさか自分で!?」

「そうでもしないと……君は僕を殺してくれないだろう? さあ……僕はもうじき死ぬ。その前に、君の手で」


 震える指を叢雨に向ける架の死神。

 とどめを刺してくれ。

 そう言われているに等しい。


「……ふざけるな」

「今の君じゃ、妹は止められない。僕を……無駄死に、させないで……」

「やめろよ! 俺が殺したいのはお前の妹だ! お前じゃない!! さっき言ってただろうが……こんな思いをするのは僕達だけで充分だって!! なのに……どうしてだよ……っ」


 或いは、だからだろうか。

《僕達》の中には、当然架自身も含まれている。


「嫌だ……殺したくない。俺はお前を……殺したくない!!」


 目の前で死に直面している彼は、楽しい時間と、妹を大切に想う気持ちを共有したかつての友人だ。彼が言った通り、妹のことがなければ手を取り合える間柄なのだ。

 そんな相手を。

 今正に死にかけている人間を、何故殺さなければならない?

 理解が、追いつかなかった。


「ふふ……安心、した。きっと君は、妹を殺せない。もう……思い残すことはないよ」

「馬鹿なこと言うな。俺はお前の妹を殺す。絶対に殺すぞ!! お前が守らないなら、お前の妹は死ぬんだ。それでも良いのか!! 兄として守ってみせろよ!!」

「……君が、いるさ……。…………」

「おい、死ぬな!! おい!! ……くそっ」


 動かなくなった自分の死神を見て、架は静かに顔を伏せた。

 震える手で叢雨を抜き。

 切っ先を地に伏した友人の心臓に向け。

 そして――


「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」』






 架はそこで音声を切った。

 本当はもう少し続いているのだが、ここから先は子供のように架がむせび泣いているだけだ。


「結局俺は、この後君を殺しに行った。でも、結局こいつの言う通りになった」

「う、嘘……こんなの、一人芝居してるだけ」

「はは、はっ。だとしたら……その光景は相当、可笑しいだろうな。でも、二人の内どっちが兄なのか……君なら分かるはずだろ」


 僅かに残った力で携帯電話を握り、紡に手渡す。

「これは君に上げる。元々は俺が上げた物だけど、この中にはあいつの音声が残ってる。寂しくなったらいつでも聞けば良い」

「お兄ちゃんの……声……」


 紡は素直にそれを受け取って、愛おしそうに両手で握り締めた。

 音源さえあれば、声は永遠に残しておくことができる。

 パラディースの住人である紡にとっては、かけがえのない宝物になるはずだ。


「っ。……最後に、聞かせてくれないか? 返事を」

「へ、返事?」

「殺し合いをやめると約束してほしい。お前の兄が望んだように、これで終わりにする。きっとこの先も、俺達みたいに憎しみ合う奴らが出てくる。それを止めることができるのは……踏みとどまれた、俺達だけだ」

「私達、だけ?」



「二つの世界に、俺が橋を架けるから。君は想いを紡ぐんだ」



「―――」


 そのとき、紡は何を見て、何を感じていたのだろうか。

 架を通して自分の兄のことを見ているような、そんな顔をしていた。

 穏やかな表情に彼女の答えを確信した架は、今度こそ崩れ落ちるように意識を失ったのだった。


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