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声が聞こえなくなったことに優太と蒸籠は戦慄した。
二人は互いに向かい合うように閉じ込められていて、どちらの位置からも照の様子は窺えなかったが、照が自分の死神と相まみえていることは会話から察していた。
優太は過去の思い出を人一倍大切にしている。
紡の死神はともかくとして、他の四人は味方だと考えていた。
依衣の話を聞いた上でもその気持ちは変わっていなかった。
だから、照の死神が私欲に溺れてやって来たとは思っていなかった。
だが、優太の望みとは違う形で事態は動き出した。
和解の道がないと悟ったとき、優太は我慢するしかなかった。
激しい戦いの音が聞こえ始めていてもたってもいられなかったが、何がきっかけで照の命を脅かすか分からない。邪魔にだけはなるまいと、必死に感情を抑え付けた。
対して正面の檻の中に居た蒸籠は、ずっと耳を塞いで体を震わせていた。
二人が傷付いていく過程も、結果失われる命も、その現実も……全てを拒絶していた。
きっと、蒸籠の中では命の優先順位などないのだ。
どちらが勝っても負けても、聞いたことのない国で赤の他人が死んでも、同じように嫌なのだ。
それでも、こうして決着は付いてしまった。
どちらが勝ったのかは声で分かる。
その結果に安堵している自分が果たして正しいのか否か。
優太には終ぞ分からなかったが、現実は心の準備などさせてくれない。
優太が閉じ込められていた檻の外に、一人の少女が現れた。
「黒渦……」
「遅くなってしまってごめんなさい。今開けるわ」
優太と蒸籠の檻にランタンを近付け、植物の格子を無力化する依衣。
息づかいが荒いのが気になる。
一人だけ隔離されていた依衣も、ここに来るまでに色々あったのかもしれない。
晴れて檻から解放された訳だが、優太はすぐに行動できず珍しく考え込んでしまった。
今気遣うべきは、檻から出てくる気配のない蒸籠なのか。
それとも死闘を終えたばかりの照なのか。
図りかねていたのだ。
そんな優太の心境を察してか依衣はそっと蒸籠に近付き、肩を貸して強引に立たせた。
優太もそれに習い、依衣の反対に回って蒸籠に肩を貸す。
今の照には、一人でも多くの仲間の声が必要だと思ったのだ。
「蒸籠は分かってるはずだ。今俺達がすべきことは、悲しみに暮れることじゃないって」
「うん……そうだね」
ゆっくりと顔を上げて、蒸籠は自分の足で地面に立った。
三人で照の声がした方に恐る恐る近付いていく。
照の死神の死体と、望まぬ人殺しをした照がそこにいる。
そう考えただけで優太の鼓動は激しくなっていった。
「……っ」
照の死神が持ってきたであろうランタンが視界に入ったところで、三人は照がいることを確信した。
尋常ならざる陰鬱な空気が渦巻いていて確認するまでもなかった。
照の背中が見えてくる。
女座りをしているのが照で、照の胸に額を預けるようにして倒れているのが照の死神だろう。
その背中からは照のレイピアが突き抜けていた。
恐らく倒れた拍子に体重が掛かってしまい、深々と突き刺さってしまったのだ。
檻に入ると、優太達は二人を正面から見下ろす格好となった。
照は力無く両手を垂らしていて、視線は絶命した照の死神の後頭部に注がれている。
二人の周囲は夥しいほどの血だまりとなっていた。
雪に溶け込むほど真白だった照のダッフルコートも、前と後ろで紅白に色分けされてしまっている。
不謹慎と分かりつつも、優太は一枚の絵画を見ているような感覚を覚え、小さく息を吐いた。
その直後だった。
「――!!」
本当に、何の前触れもなく。
照の死神の体が消失した。
途端に支えを失ったレイピアが床に落ちて、落下音が空しく牢獄に響き渡る。
死体の消失をこの目で見るのは初めてだったが、それ以上に照が無反応だったことが衝撃的だった。
「照……」
「……優、太?」
照は動作不良を起こした機械人形のように、その顔を優太の方へと向ける。
そして、助けを求めるように左手を伸ばした。
鮮血に染まった、左手を。
「優太ぁ……」
「っ。あ、」
一瞬、優太は怯んでしまった。
無理もない。
死んだ人間から大量の血が溢れ出ている光景はミズオでも見たが、『手を下した人間が血に染まった姿』を見るのはこれが初めて。ベッタリとこびり付いた血が呪いのように思えて、恐ろしくなってしまった。
これは本能的な恐怖だ。
すぐに自分の過失に気付いた優太は立派と言える。
ただし、今の照にとってはその一瞬こそが致命的だった。
優太の反応を見た照は、伸ばした左手をすぐに引っ込め、宝物を守るかのように左手を抱えて……怯えだした。
優太は何も言えない。
蒸籠も同様だった。
優太に隠れて、蒸籠も全く同じ反応を見せていたからだ。
どうして良いか分からずに視線を泳がせていると、沈黙を貫いていた依衣が声を発した。
「架先、輩……?」
「架!?」「架君!?」
こぞって表情を明るくさせ、檻から飛び出す優太と蒸籠。
照を蔑ろにしたわけではない。
架なら照を救えると思った。
永遠のライバルと考えている優太にとっても、架は頼りになるリーダーなのだ。
だから、架の姿を見たときは我が目を疑った。
「お前……その目、どうしたんだよ」
気になったのは架の目が赤かったことだ。
一晩中泣きじゃくった後のように、酷く充血している。
明らかに雰囲気も変わっている。
これは、そう……紡を失って、一時的な記憶喪失に陥ったときの架の状態に近い。
架は優太達の様子を見て全てを把握したのか、小さく頷いてから檻の中に入り、照の傍にしゃがみこんだ。
架の様子がおかしいことに照も気付いたのだろう。
先程までの体の震えは治まり、架の顔を真っ直ぐに見つめている。
「辛かったな」
「!」
「同じ手なら……握れるか?」
架が差し伸べたのは、利き腕ではない方の手。
コートの袖に隠れて見えなかった、血染めの左手だった。
「架……まさか、あんたも……?」
「握ってくれ。でないと……俺の心も擦り切れそうなんだ」
架は涙を流しながら、そう訴えた。
照もまた、感情を爆発させて架の胸に飛び込んだ。
優太と蒸籠は、ようやく架の身に起きた出来事を理解する。
架と照が自分達とは全く別の存在になってしまったことも、理解してしまった。




