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二人一役の調停者  作者: 襟端俊一
第四章 黒渦依衣
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 二一二五年、六月二十日。

『昇華計画』が提唱されてから八年の歳月を経たこの日、『入れ替わり』を目的とした子供達は、親善大使として既に訪れていた別の子供達を隠れ蓑にしてクランクヘイトに降り立ち、誰にも気付かれることなく行動を開始した。


 黒渦依衣が選ばれたのは優秀だったことは勿論だが、もう一つ大きな要因がある。

 パラディース側は迅速に『入れ替わり』を行えるよう、訓練を受けている子供達の死神トートを予め探し出していたのだ。黒渦依衣の死神は早々に発見されたため、依衣が選ばれたのは必然だった。


 東京都大田区にある、高級住宅街の一角に依衣の死神の住居はあった。

 家族構成は両親と祖母の四人。

 父親は海外赴任中で、母親は高校の教師をしている。

 常に家に居るのは祖母くらいで、家族関係は最悪。

 小学校に通っているが親しい友人は全くおらず、学校の成績も芳しくない。

 下校時間になると真っ先に家に帰って部屋に篭もるのが日課。

 ただし月、水、金はクラブ活動をしているようで、帰宅時間は十九時近くになる。

 これが事前に渡された資料の詳細だ。


 しかしこの情報はあくまでも他人が調べたこと。

 赤の他人によってもたらされた情報を元に任務を遂行することなどできるはずもない。八年間で依衣が教え込まれたのは、人殺しとその隠蔽技術だけではないのだ。

 より綿密に。

 より確実に。

 より慎重に。

 より巧妙に。

 そのために依衣は、まず情報の信憑性を確認することから始めた。


(ここが学校なんだ)


 変装用に渡された地味な服装と日傘で身を隠した依衣は、自分の死神を尾行して学校までやって来ていた。

 小学校の校舎を日傘越しに見上げる。

 教育施設自体はパラディースにもあるため別段珍しくないが、建築様式が天と地ほど違うことに興味をそそられた。


(流石に中には入れないかも。見張りがいる)


 身を隠すこと数時間。

 何回目かの奇妙な音楽の後、誰よりも早く依衣の死神が姿を見せる。

 下校中、特にトラブルが起こる訳でもなく、最後まで後を付けることができた。相手が自分の死神ということもあって余計に気を張っていたのだが、余計な心配だったらしい。

 一日尾行して分かったのは、依衣の死神がひたすらに孤独で、挨拶すらないほどに家族関係が冷え切っているということだった。

 事前に渡された資料は信頼に値する。

 それが分かっただけでも今日の収穫としては充分だ。

 その後は母親の帰宅時間を調べて一日目を終えた。

 この日から、依衣による自分の死神の観察は毎日のように行われることになる。


 そして、観察を始めて二週間が経った七月四日、水曜日。

 最高の条件が整ったことで、依衣は任務を遂行する覚悟を決めていた。

『入れ替わり』で一番気を付けなければならないのは死体の処理だ。

 日本、特に東京は科学の目がそこら中に蔓延っているため、少しの痕跡も残せない。

 例え『入れ替わり』自体が上手くいっても、数年経って発覚するようなことも有り得る。

 これらを踏まえると、死体の隠し場所に最も適しているのはパラディースとなる。


 新しい異界門の開通にはそれなりの時間を要する。

 そのため予め頼んでおいたのだが、ついさっきその異界門が開いた。

 予想していたよりも随分と早い仕事だ。

 異界門を開けたのは通学路の途中にある雑草が繁茂する売地で、そこは依衣の死神が住む高級住宅街の手前にある。依衣が見た限りでは科学の目もなく、『入れ替わり』に最適な場所となっている。

 一応人目に付かない場所なので余裕を持っていたのだが、ここに来ての雨。

 雨は依衣が最も効率よく『入れ替わり』を行える天候。

 より確実に任務を遂行するための、絶好の機会が訪れた。

 もはや躊躇する理由は何処にもない。


(今日で終わり。……ううん。始まり、かな)


 クラブ活動を終えて下校中の自分の死神を、依衣は雨傘に隠れて慎重に追跡する。

 自分の死神の行動パターンは頭の中に叩き込んである。

 今日だって特にイレギュラーな事態が起こることもなく、予定通りに通学路上の異界門へと近付いている。

 にも拘らず、依衣の体には異変が起きていた。

 寒いわけでもないのにカチカチと歯が当たる。

 暑いわけでもないのに汗が滴り落ちる。

 体調が悪いわけでもないのに体が怠い。

 たっぷりと睡眠を取ったのに目が霞む。


(もしかして、これがクランクヘイトのギフトの影響? こんなときに……)


 そうこうしているうちに依衣の死神が売地の前に差し掛かる。

 前方にも後方にも、周囲の家の窓にも人の気配はない。


(―――)


 差していた雨傘を少しだけ閉じて、その先端を自分の死神の背中に向ける。

 赤い鞄を背負っているが、腰の辺りを狙えば問題は無い。

 雨傘の先端に仕込んである針状の種子には、パラディースに自生するトリカブトの根から作られた致死性の猛毒が塗られている。

 正に毒をもってギフトを制すというわけだ。


 雨音に紛れて依衣が駆け出す。

 瞬く間に距離は縮まり、注射針のように細い雨傘の先端は易々と幼い体に沈んでいった。

 一瞬体を痙攣させ、こちらを振り向くことなく前のめりに倒れ込む依衣の死神。依衣はその体を支えて背負い、どうにか異界門を通ってパラディースに渡った。

 脈を測り、心臓が停止していることを確認する。


(使い方には気を付けろと言われてたけど。凄く強力な毒だったみたい)


 トリカブトの毒性は季節によって変わる。

 渡されたものはブルーメ・ゲヴェアーのように品種改良で生まれた特別なトリカブトなのかもしれない。

 依衣はパラディースの夜空に見下ろされながら、自分の死神の服を全て脱がし、凍えながらもそれに着替えた。

 続けて赤い鞄を背負おうとするも、封がされていなかったのか中身が出て来てしまう。


(……扇? これがクラブ活動なのかな。こっちは手紙だ。えっと……『七時までに必ず帰ってきなさい』? どうして、今更こんなもの)


 この二週間で、家族関係が崩壊寸前なほど冷え切っているのは確認した。

 母親として教師として。

 最低限の体裁を整えたいだけなのは目に見えている。

 気を取り直して中身を鞄に戻し、予め掘っていた穴に死体を落として山盛りとなっていた土をかけていく。途中、死体が消えてしまったようにも見えたが、ほとんど埋まっていた上暗かったので特に気にすることもなかった。


 クランクヘイトに戻った依衣は、駆け足で黒渦家に向かった。

 考えてみれば、あの手紙はイレギュラーそのもの。

 手紙を貰った際の反応が分からないため、家族に違和感を与えてしまうかもしれない。

 帰宅時間だけはずらすわけにはいくまいと急いだ。

 家には明かりがついていた。

 パラディースにはない、科学技術による明かりは未だ慣れないが、否が応でもこの先慣れなければ。今日からはこの家が依衣の居場所となるのだ。

 意気込み新たに、依衣は玄関の戸を開けた。



「「「誕生日、おめでとう!!!!!!」」」



 パァン! と弾けるような音がしたのと同時に、細長い紙の束が頭に降ってくる。

 何が起こったのか分からず、瞬きを繰り返すことしかできなかった。

 ただいまの一言すら返すことができなかった。


 そこにいたのは、ここ二週間ほとんど娘と会話を交わすことがなかった母親と、まるで生気を感じなかった祖母と――いるはずのない、海外赴任中の父親。

 輝くような三つの笑顔。

 久しく会っていない自分の家族を思い出し、依衣の頭は少しずつ冴えていった。

 三人の言葉の意味と、不明瞭極まりないこの状況を理解しようと、持って生まれた明晰な頭脳が勝手に思考を巡らせていく。


 誕生日はパラディースでもめでたい日だ。

 血の滲むような訓練生活ですっかり忘れてしまっていたが、確かに七月四日は依衣の誕生日だった。

 三人の後ろの机に並べてある、色とりどりの食事とケーキ。

 あれを見るに、あの手紙は『誕生日のお祝いをするから遅れないように』という意味が込められていたに違いない。

 そして娘の誕生日のために、海外赴任中の父親がわざわざ帰ってきた。

 そこから導き出される、一つの解。

 依衣の死神の家族関係は、極めて良好だったのではないか。

 ここ二週間の態度は、娘を驚かせるための演技だったのではないか。



 そんな暖かい家族の中心にいた女の子に、自分は何をした?



(聞いて、ない。こんなの。知らない……分からない……)


 情報が間違っていた?

 もっと長く観察すれば良かった?

 違う。

 そうではない。


 気付いたから、知っていたからどうなったというのだ。

 どちらにしても依衣がすることは同じだった。

 自分の死神を殺して、入れ替わって、家族の一員として過ごす。

 その任務は滞りなく現在進行形で進んでいるではないか。

 家族がくれたサプライズに、笑って応えればいいだけの話だ。

 そうすれば、この家族に欠けた大切なピースを簡単に埋めることができる。

 そのはずなのに。


「……っ」

 何故か依衣の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちた。


「わ、わ! どうしたんだい!? まさかパパのせいなのか!」

「ふふふ。驚かせちゃったかしら」

「全く……いくらサプライズでも、孫に冷たく当たるなんて生き地獄のようなもんだったよ。今日からはまた、たっぷり甘やかすからね」

「違っ……わた、し……!」


 両手で涙を拭う度に、先程の出来事がフラッシュバックする。

 この人達の大切な宝物を、自分は壊してしまった。

 取り返しの付かないことを。

 して、しまった。


「うぅ……っ。う、ううう……!! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!!」


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