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普段は床と上履きが擦れる音で賑わう大きな体育館に、全校生徒が集結している。
始業式でもなければ終業式でもない。
入学式でも卒業式でもない。
その中の一列に並んでいた渡橋架は、思い出に浸りながら宣告の時が訪れるのを待っていた。
勿論、あの忌まわしい記憶とは違う。
今の世界を作るきっかけにもなった、少し奇妙でおかしな思い出。
……いや。
ある意味に於いて、この記憶もまた忌まわしいことに変わりはないのかもしれないが。
「うおー!! すっげー!! うおー!!」
「ユウタ、うるさいっ」
「ふ、ふたりとも、おちついて」
幼馴染みのユウタ、テル、セイロが、普段の三割増しほどのトーンで喋っている。
「おにーちゃん。あたしたち、どーなっちゃったの?」
心配そうに体を寄せて、トレーナーの裾をキュッと掴んできたのは妹のツムギだ。
仲良し五人組のリーダー的存在だったカケルは、妹を安心させる言葉の一つも思いつかずに、ただただ力無く首を横に振った。
西暦二一二四年、十二月十八日。
この日、五人は明治神宮にある『清生の井戸』の傍でかくれんぼをしていた。
していたはずだった。
それが何故、こんな秘境の地に立っているのか。
眼下に広がるのは、正体不明の植物達が鬱蒼と生い茂る密林。その先に視線を移せば見渡す限りの大平原だ。おまけに、地平線の彼方には壮麗な山々が連なっている。
カケル達は、そんな景色を一望できる高台の中腹にいる。
小さな洞窟にこそなっているが、足を踏み外せば真っ逆さまの危険地帯であることに変わりはない。
「カケル、これみろよ!」
断崖を指さすユウタ。
見れば、蔦を縫い合わせて作った簡素な梯子が密林の内部へと続いている。
「おりてみよーぜ!」
「ばか! こんなちゃっちいはしごじゃ、おっこちちゃうにきまってるでしょっ」
「そうだよ、あぶないよ」
「……うん。こういうときは、たすけをまつほうがいいとおもう」
「おにーちゃんのいうとおりにして?」
「うぅっ。わ、わかったよ……そんなめでみるなよ……」
相変わらずツムギには弱いユウタだった。
それから数時間が経過した。
すっかり日は暮れて、雄大だった景観も完全になりを潜め、視界は真っ暗闇に覆われている。にも拘らず人工的な明かりは一切見当たらない。
気温が上昇しているのか蒸し暑いくらいだったが、五人は身を寄せ合って縮こまっていた。初めは嫌がっていたテルとセイロも、今では積極的にくっついている。
ここは何処なのか。
お腹が減った。
喉が渇いた。
怖い。
家に帰りたい。
誰もが不安で、心が押し潰されそうだった。
暗闇の中を、呻き声のような風の音と不気味な鳴き声が木霊する。
皆を少しでも安心させるべく、カケルは歯を食いしばって震えることすら我慢した。
風が鳴り止んですぐ、期待を込めた瞳でカケルに問いかけたのはテルだ。
「ね……カケルって、けいたい、かってもらったんじゃなかった?」
「そ、それだ! こっちからでんわして、たすけをもとめようぜ」
「……ごめん。いえにおきっぱなしなんだ」
カケルは嘘を吐いた。
実はついさっき服の中に手を入れて一通りタッチパネルを操作してみたのだが、通話機能は勿論インターネットにも繋げなかったのだ。
カケルが嘘を吐いたのは、これ以上皆を不安にさせたくなかったからだ。
ただでさえ精神的に参っているときに、唯一の希望として持ち上がった携帯電話が使い物にならないと知ったら?
皆の落胆ぶりを想像すると、とてもではないが言えなかった。
再び訪れた静寂。
程なくしてツムギの寝息が聞こえてきた。
釣られるように眠気は伝染して、テルとセイロも微睡みに沈んでいく。
三人が寝たのを確認し、カケルとユウタはそっと立ち上がった。
「いいの? ユウタもねむいんじゃ」
「へへっ。こういうときは、おとこが『ねずのばん』をするもんだ!」
腕を組んで宣言するユウタがおかしくて、カケルは思わず笑ってしまった。
その後、二人は他愛ない会話で睡魔を誤魔化しつつ、時折崖下から這い上がってくる奇妙な虫なんかを蹴落としたりして寝ずの番を続けた。
やがて地平線の向こうから光が差し込んでくる。
地べたに座り込んでその光景を眺めていた二人は、自分達の世界と同じように朝日が昇ったことにホッと胸をなで下ろした。
同時に、夜の闇が晴れた景色におかしなものを見る。
「あっちのそらでとんでるのって、あれだよな。もしかして、さっきもとんでたのか?」
「たぶん。とりだとおもってたけど、ちがったみたいだ」
「ってことはさ。ここって、どこなんだろうな」
「……わからないよ」
角張った翼で天空を駆ける数匹の『翼竜』を見て、二人は大きく溜息を吐いた。
見間違えるはずもない。
五人が二月ほど前にカケルの両親に連れて行ってもらったのは、『恐竜博2124』というイベントだったのだから。
「あたまつかったからかな……。なんか……いっきにねむくなってきたぞ……」
リズミカルに船を漕ぐユウタを見ていると、自然とカケルも睡魔に逆らえなくなる。
結局、二人は寝ずの番を果たすことなく睡魔に屈してしまった。
「おきろ! このにせもの!」
聞き慣れた声で目を覚ましたカケルは、信じられないものを目の当たりにした。
「うるさい! じじょうもきかずに、こえをあらげないでっ」
「もうすこしやさしく、ね?」
「ここはおれたちのひみつきちだぞ! にせものにあらされて、おまえらなんともおもわないのかよ! なあ、カケルもなんとかいってくれよ」
そこにいたのは、カケル達と瓜二つの顔をした五人。
似ているのではなく、同じ。
服装や髪型こそ違うが、一卵性双生児も吃驚の一致度だ。
カケルが呆然としていると、騒ぎに気付いたユウタが目を擦りながら体を起こした。
「……ん? う、うわわわ!? おれとおなじかお!?」
「それはこっちのせりふだ! このにせものめ!」
「「ゆーた、うるさい!」」
「「けんかはよくないよ?」」
とっくに起きていたテルとセイロが一緒になってユウタを咎める。
カケルはというと、この異常事態を受け入れることができず、自分と同じ顔をした兄妹と見つめ合ったまま動けずにいた。
「きみも、カケルっていうなまえなの?」
「う、うん。もしかして、いもうとのなまえはツムギ?」
「おなじだ……こんなことがあるなんて」
握手を求められ、辿々しくもそれに応じる。
背後に隠れていたツムギも兄に習ってもう一人の自分と握手を交わす。
あまり警戒心を持てないのは他人とは思えないからだろうか。
早いもので、二人のツムギは早速隅に生えている雑草を眺めて談笑している。
ツムギは昔から植物が好きなのだが、どうやら趣味嗜好まで一致しているようだ。
「わかったぞ! おまえらドッペルゲンガーだな!? にげろみんな! ころされる!」
突然、そんなことをユウタが口走った。
カケルはその言葉の意味を理解していたが、賛同はしなかった。
殺す気があるのなら、カケル達は目を覚ましてすらいないはずだ。
「はあ……なさけない。こっちのユウタがごめんね」
「きにしないで。こっちのユウタもにたようなものだから」
「「おい!」」
何だかんだで二人のユウタも息が合っていた。
ただ、和んでばかりもいられない。
もう一人の自分達のことは確かに気になるが、現状を打開するために聞かなければならないことがある。
「えっと、ちょっといいかな? みんなにききたいことがあるんだ。ぼくたちは、きがついたらここにいた。どうにかして、もとのばしょにもどりたい」
カケルが口にした質問に、もう一人の自分達は顔を見合わせて驚いた。
「まさかおまえら、『クランクヘイト』からきたのか!?」
五人の中では物知りで通っているカケルも、全く聞いたことのない言葉だった。
「その、『クランクヘイト』? っていうばしょには、どうやっていくの?」
「おとなたちは、このどうくつが『クランクヘイト』へのいりぐちだっていってた。ほんとうはきちゃいけないんだけど」
「きちゃいけないなんていわれたら、きてみたくなるだろ?」
「おお、そのきもちわかるぜ! さすがおれ」
「でも……どうくつっていっても、おくなんてないよ?」
セイロの言うことはもっともだ。
洞窟の内部は日の光だけで全てを見通せるほどに狭く、ここが入り口だと説明されても首を傾げざるを得ない。
「わたしたちはよくこのどうくつにくるけど、いちども『クランクヘイト』にまよいこんだことはないよ? だから、どうやっていくのかなんてわからないの」
「そうね。ユウタがおもらししたことはあったけど」
「ば、ばか! なんでいうんだよ!」
「あれ?」
話を寸断して洞窟の奥の壁に近付いたのはもう一人のカケルだ。
彼は壁を注意深く凝視し、全員を手招きしてきた。
「こんなところに、みずなんてでてたっけ?」
「まじだ! これ、むこうがわにみずがたまってるってことか?」
「……よし、ほってみよう」
もうひとりの自分達は、カケル達を尻目に随分と盛り上がっている。
帰る方法を考えたいところだが、カケル達の喉の渇き具合は切迫していたので協力することにした。
「くっそー……なんでおれたちまで」
「「じゃあユウタはのむのきんしね」」
「わ、わかったからふたりでいうのはやめてくれよ。ほればいいんだろ、ほれば」
一心不乱に水の出ている周囲の壁を掘り続ける。
素手な上、土も固いので思うように掘れなかったが、ヤケクソになったユウタの力もあってみるみるうちに水の勢いは増していく。
一時間ほど掘り進めると、壁の向こうで嫌な音を聞いた。
「「なんか……いやなよかんがする」」
不吉な音が洞窟全体に広がる。
次の瞬間、突如として鉄砲水のような激流が壁の中心から噴き出した。
「みんな、わきににげて!」
「しっかりかべにつかまるんだ!」
二人のカケルが必死の形相で全員に伝える。
かくいう二人も、それぞれの妹を庇うのに精一杯で仲間に気を配る余裕はなかった。
時間にして、十秒ほど。
幸い、水の勢いは穴が広がりきる前に衰え、完全に止まってくれた。
カケルがツムギを宥めていると、一足先に穴を覗き込んでいた二人のユウタが大袈裟に声を上げて皆を呼び寄せた。
「「おい、おまえらきてみろよ! すげーぞ!!」」
穴の向こうにあったのは、水面に光の粒子を浮かび上がらせる明澄且つ神秘的な泉。
初めて見る光景に誰もが言葉を失った。
「……まさか、このいずみが『クランクヘイト』へのいりぐち?」
「ははは! もしかして、おれたちも『クランクヘイト』にいけるのか!?」
「ちょうしにのらない。このこたちみたいになりたいの?」
「わたしたちだけのひみつにしたほうがいいとおもうな」
「そうだね。……もうひとりのぼく。このいずみには、きみたちだけではいるんだ」
「おにいちゃんのいうとおりにしよう?」
「うぅっ。わかったよ……そんなめでみるなよ……」
何処かで見たやりとりに、カケル達は先程の恐怖も忘れて大笑いした。
まだ帰れるとは決まっていないのに、各々がそれぞれの分身に別れを告げる。
ほんの一時の絆が、五人にとってかけがえのないものとなっていた。
カケルもまた、もう一人の自分に声を掛ける。
「いろいろありがとう」
「こちらこそ。いつかまた、あえるといいな」
「……そうだ、これ」
そう言ってカケルが取り出したのは、皆に隠していた携帯電話だった。
「たぶんつかえないとおもうけど、きねんに」
「ありがとう。たいせつにするよ」
最後にもう一度だけ力強く握手を交わす二人。
もう一人の自分達に見守られ、カケル達が泉の波打ち際に並んで手を繋ぐ。
五人一緒に帰れるように。
誰一人としてはぐれないように。
「せーの、でとびこもう。じゅんびはいい?」
カケルの声に、皆が一様に頷く。
大きく大きく深呼吸して、握る手に力を込めた。
「「「「「せー、の――」」」」」
あれから、世界は随分と様変わりした。
五人が通った泉とは別の入り口が、あの日から半年と経たずに発見されたのだ。
最初に見つかったのは、やはり明治神宮だった。
大鳥居がそのままの形で入り口になっていて、何も知らずにくぐった観光客を異世界へと誘い、大混乱を招いた。
日本政府は情報統制を行ったが、目撃者があまりにも多すぎたことで結局情報を開示。明治神宮の周辺を立ち入り禁止にするだけに止まった。
その僅か数日後、今度は高尾山の山頂で入り口が見つかる。
混乱は更なる混乱を呼び、異世界への入り口も立て続けに発見されていく。
東京を中心として日本全体に入り口は開かれ、最終的には沖縄の首里城や北海道の摩周湖にまで至った。
『異界門』と呼ばれるようになったこれらの入り口には共通点が存在する。
いずれの『異界門』も、いわゆるパワースポットとして有名な場所もしくはその近くで、人目につきやすかったのだ。
『異界門』の向こう側に広がる世界はパラディースという名を持っており、楽園の名に相応しき美しい世界の名はすぐに浸透していった。
地球の命を削り取って生きてきた人類にとって、緑豊かで空気も澄んでいたその世界は余程魅力的に映ったのだろう。
日本は未開の土地に心を躍らせたものの土足で『異界門』を通るようなことはせず、誠意を持ってパラディースの住人と接し、交流を深めていった。
パラディースの資源を独占していると主要各国からは批判が相次いだが、日本を通じて交渉を続けている内に、世界の主要国家にも『異界門』が開かれたことでそれらの問題は解決に向かう。
明治神宮の近くにはパラディースの住人との異文化交流を目的とした学校が創立され、そこには二つの世界の子供達が通うようになった。
パラディースとの交流は順調に思えたが、唐突にその関係が崩壊する。
『異界門』が発見されて三年が経ったある日、一人の少女が殺されたのだ。
被害者の名は渡橋紡。
救急車が駆けつける前に『死体が忽然と姿を消してしまったこと』や、『現場に残った血液を飲むという被害者の兄の異常行為』が物議を醸したが、目撃証言などから被害者の兄が『死体を見る少し前に笑顔の妹とすれ違っていた』ことが証明され、自ずと犯人は特定されることになる。
そのことを裏付けるかのように世界中からパラディースの住人が姿を消し、通じていた『異界門』も明治神宮にあるもの以外は失われてしまった。
後に日本のみならず世界中で似たような死体消失殺人事件が起こっていたことが発覚。人々のパラディースへの感情は、羨望から畏怖へと変わっていった。
以降は、どこからともなくパラディースの兵士が日本に攻め込んでくるようになる。
彼等は世界中で殺人事件を起こしているにも拘わらず、不思議と無差別に人を殺すようなことはしなかったが、代わりに日本人の拉致を目的とした。
未知の『異界門』を通ってくるため場所の特定が極めて難しく、未然に防ぐこともままならない。
一方的な搾取によって国民感情は際限なく昂ぶっていった。
二一二八年、十二月五日。
この日、遂に日本はパラディースに向けて宣戦布告。
ここに日本とパラディースの戦争が始まった。
交流の要だった学校はアルマ・アカデミアに名称を変え、戦いの技術を学ぶための教育施設となった。
世界各国は条約や善意に基づき日本に協力するという名目で、パラディースの資源を目当てにこぞってアルマ・アカデミアに優秀な子供達を通わせるようになる。
そして、二一三二年。
五人が奇妙な体験をしてから八年の歳月が経った現在、十六歳になった渡橋架もまた、アルマ・アカデミアの生徒として研鑽を積む日々を送っている。




