最終話
怪しいけど、ここで嫌だと言ってもどのみち泉とやらは避けては通れなさそうだしな。仕方がない。
「じゃあ、試しに一度、その泉とやらに行って来ましょうか? そこで聖女的な力を発揮できなければ、やっぱりわたしは聖女じゃないということで、元の世界に戻すか、それが無理ならこの世界で生きて行けるよう手を尽くしてもらうてことで」
きっちりとした雇用契約書を作成してもらった。
……もちろん、わたしは名前を書くべき位置に本名ではなくコーラルと書く。
身を縛る魔法契約書だと困るしねー。
だけどこの程度の対策なんて、意味がなかった。
問題は……泉……、いや、聖なる木そのものにあったのだ。
聖なる泉。
それは本当にすぐそこと言えるほどの距離にあった。
散歩がてら進んで、三十分くらい。
「あれ……ですか?」
泉……なのだろうか?
雲の上まで届くような大きな真っ白い木があって、その根元が……白い靄のようなもので覆われている……。
靄……、霧……。分からないけど、そんな感じ。
「聖なる木の根元の、聖なる泉。聖女様にはその泉に入って祈りを捧げていただくのです……」
なるほど?
この霧のような中を進むと。
「えーと、今すぐこのままで、進んでしまっていいんですか?」
「いえ……。不浄なる衣を脱ぎ、清浄なる衣服にてお進みください」
清浄なる衣……。真っ白なロングドレスっぽい服。
ただし、ノーブラ、ノーパンです。
下着付けちゃダメなのかよ!
わたしがこの世界に召喚されたのって、もしかしてパンツ履いてなかったから?
まさかねー。
ぶつぶつ言いつつも、靄の中を進む。
進むにつれて、霧? 靄? は、聖なる木同様、白っぽくなってきた。
うーん、泉というよりも、ミストサウナの中みたい。次第に湿ってくるロングドレス。寒くないのが幸いだけど……、肌にまとわりついて来るみたい。
神官の人が言うには、その奥にある聖なる木に触れて祈れ、とのことだった。
うーん……。
なんかねー、どーもねえ。聖なる木とやらが、巨大だから方向を間違うことはない。
だけど、ミストサウナ状の視界の中を進むと……どうも、思考がぼんやりしてくる感じ。
罠……?
わからない。
ただ、白い視界の中を右足と左足を交互に出して、ぼんやりと前に進む。
どれくらい、そうして進んだのかもわからないでいたら……。ふっと何かが手に触れた。
大理石でも触ったみたいなひんやりとした感触。
それ以上前に進めない。
ああ……、これが、聖なる木なのね……。
真上を見れば、白い幹に、白い葉っぱが無数にある。
その幹に掌を当てて、ぼんやりしていると……。
「違う」
葉っぱに見えたのは……みんな女性。白いドレスを着た女性たち。年頃はわたしと同じくらい。
木に繋がれたまま、みんな目を閉じている。
眠っているのか……、それとも死んでいるのか……。
聖なる木の、その枝が、一本。わたしのほうに伸びて……しかも巻き付いてきた!
「ひっ!」
ナニコレ、ホラー展開? わたしもこの木に繋がれて、葉っぱみたいになるの?
一応、警戒はしていた。
聖女の資格はないよとか、わたしの国では認定されていないよとか、名前を言わないとか、契約書を書かせるとか。
でも、そんな程度の警戒は……無意味だった。
わたしは、枝に取りかこまれて、逃げ場がなくなっている。
きっとこのまま、生気だとか魂だとかが聖なる木とやらに吸い取られて、他の白いドレスを着た女性たちのように、ここで眠るんだろう……。
「冗談……じゃないわよ……」
生気を吸われてたまるか。
「世にあるラノベやアニメ、その他の知識……っ! いや、理科、かな?」
イメージしろ。
たとえばモータ―。たとえばプロペラ。
時計回り、反時計回り。
イメージしろ。
電流は「プラス極からマイナス極へ」流れ、電子はその逆に「マイナス極からプラス極へ」流れる。
だったら……。
わたしから聖なる木へ流れる生気とか魂みたいなものを、逆に流す。
流す……。ううん、世界樹のエネルギーを、わたしに取り込む。
息を吸って、胸にその息を貯めて。
「聖なる木に繋がれている皆さんっ! 起きてっ! エネルギーを吸い取られるのではなく、逆に吸い返すのっ!」
わたしの叫び声に、まるで葉っぱのように木に繋がれていた女の人たちの目が、一斉に開く。
「みんな、いい? 息を吐くんじゃなくて、吸うの! 聖なる木とやらの気を、自分に吸って! そして、願うのっ! 元の場所に戻りたいって!」
途端に始まるエネルギーの本流。
川の流れ。
上流から下流へ、押し流されるイメージ。
わたしは必死になって、元の場所を頭に描く。
スポーツクラブからの、帰り道。赤信号が青信号に変わり、そして、わたしは横断歩道の白線を……って。
「今の……、夢?」
いや違う。
パンツをはいていないのは同じだけど。
わたし、あっちの世界で着ていた白のロングドレス姿だ。
ぶっちゃけ寒い。
っていうか……、ノーパンノーブラだっ!
うひいいいいいい!
す、すけないよね、このドレス!
布地、薄いけど。大丈夫だよね⁉
誰か大丈夫だと言って……なんて発現する前に、誰かに会う前に、とっとと家に帰る。
わたしは駆け出した。
自分の部屋に帰って、ドレスを脱いで、シャワーを浴びて着替える。
もちろんちゃんとパンツをはいて。
ドレスはごみ箱に捨てて、それから冷蔵庫を開けて、冷えたビールを取り出して、鞄からスマホを取り出す。
……向こうの世界と、こっちの世界の時間の流れは同じだったらしい。
金曜日に異世界召喚されて、土曜日をあっちで過ごした。
つまり、土曜の出勤日は、サボりということになる。
不可抗力なんだけどなあ……。
とりあえず、山のように連絡の入っているラインにメッセージを送る。
すみません、金曜日から今まで、風邪と熱でぶっ倒れていたらしくて、今目覚めました。連絡なしの欠勤、申し訳ございません。
即座に上司から返事が来た。
もう大丈夫なの?
はい。死んだように眠って、一回も目が覚めないで、今の今まで爆睡どころか仮死状態っぽかったです。
それ、笑い事じゃない! 休日診療でも夜間診療でもやっている病院に行って検査するように! 業務命令!
次の日、わたしは言われたとおりに病院に行った。何もないとは思うけど、異世界転移の影響で、なんかおかしな体にでもなったら困るし。
まあ、医者の診察を受けて、MRIとかそういう精密検査をするほどではないでしょうとのことで。
過労との診断をいただいて、点滴を受けて、ビタミン剤を処方してもらった。
家路につきながら思う。
「もう二度と、パンツは忘れないようにする……」と。
終わり




