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第1話 入部届

俺には、ボールが止まって見える瞬間がある。


本当に止まるわけじゃない。

ただ一瞬だけ妙にはっきり見えるのだ。縫い目も、コースも、なんとなく分かる。


だからといって、すごいことができるわけじゃない。


「……またゴロか」


バッティングセンターで打った球は、今日も情けなく前に転がって終わった。


見えてる。

ちゃんと見えてる。

なのに、全然飛ばない。


分かっていたのに、普通に悔しかった。


「蓮、お前、絶対野球向いてるって」


そんな俺にわけの分からないことを言い出したのは、幼なじみの才木翔太だった。


こいつは昔からこうだ。人の迷いをあっさり飛び越えてくる。

しかも厄介なことに、言うだけじゃない。


 才木翔太。

 桜ヶ丘高校野球部の特待生。

 そして一年のくせに、もう背番号一をつけているエースだ。


「いや、俺、野球やったことないんだけど」

「でも見えてるじゃん」

「見えてるのと、ちゃんと打てるのは別だよ」

「じゃあ試してみればいい」


ずいぶん簡単に言ってくれる。

こっちは未経験者なんだけど。


でも、少しだけ思ってしまった。

見えているなら、何とかなるかもしれない、と。


その日の夜、俺は翔太に呼び出されて、近所の公園にいた。


昼は子どもが遊んでいる小さな公園も、夜になるとやけに静かだ。

街灯の下で、翔太が袋からボールと金属バットを取り出す。


「本当にやるのか」

「こういうのは、試したほうが早いだろ」

「近所迷惑じゃない?」

「さすがに本気では投げないって」


そう言いながら、翔太は笑って俺にバットを渡した。


「はい」

「いや、持ち方もよく分かってないんだけど」

「そこから?」

「そこからだよ」


翔太は少し呆れた顔をしたあと、軽く振りかぶってボールを上から投げた。


「いくぞ」

「え、ちょっと待っ」


ふわっと浮いた白球が、街灯の光を横切る。


見える。


思わず振った。


カツン。


当たった。

でも、打球は弱々しく地面を転がっただけだった。


「……飛ばない」

「でも当たったじゃん」

「そこが問題なんだよな」


 翔太が少しだけ目を丸くする。


「もう一回」

「いや、今のはたまたまだろ」

「いいから」


 二球目。

 また見える。

 振る。

 当たる。

 でも飛ばない。


 三球目も、同じだった。


 当たる。

 でも飛ばない。


公園の土の上を、白いボールがころころ転がっていく。


「な?」

「何がだよ」

「見えてるじゃん」

「見えてはいるけど、これじゃなあ」

「でも空振りしない」

「たまたまかもしれないだろ」

「三回続けて?」


 それを言われると、返しに困る。


 見えていた。

 それは本当だ。

 でも、打てたとは言いにくい。

 俺がやったのは、せいぜい当てただけだ。


「蓮」


 さっきまで軽かった翔太の声が、少しだけ真面目になる。


「悔しいだろ」

「……まあ、うん」

「だったら、やったほうがいい」


 その言葉が、やけにまっすぐ刺さった。


 悔しい。

 それは本当だ。


 見えているのに飛ばない。

 当てられるのに、何にもならない。


 それが一番、悔しかった。


「お前はさ」


 翔太は転がったボールを拾いながら言う。


「何もないわけじゃないんだよ」

「いや、かなり何もない寄りだと思うけど」

「少なくとも、俺にはそう見えない」


高校生活が始まったばかりで、まだ何も決まっていない。

帰宅部でもいいと思っていたし、適当に過ごしてもいいと思っていた。

でも、同じ一年で、もう背番号1をつけている翔太を見ていると、焦る。


 翔太は先に進んでいる。

 俺はまだ、何も始めていない。


「明日、入部届出せよ」

「急だなあ」

「急じゃない。今日試しただろ」

「理屈がちょっと雑なんだよ」

「でも間違ってないだろ」


 それが一番困る。


 帰り道、翔太と別れてからもしばらく、バットの手応えが残っていた。

 当たった感触。

 でも飛ばなかった現実。


 家に帰っても、それが頭から離れなかった。


 翌朝、教室に置かれていた入部届を、俺はしばらく見つめていた。


 たぶん、やめたほうが楽だ。

 未経験で入っても、どうせ一番下からだ。

 笑われるかもしれないし、ついていけないかもしれない。


 でも、何もしないまま終わるのは、もっと嫌だった。


 俺は一枚取って、名前を書く。


 結城蓮。


 書いてしまうと、妙にあっさりしていた。


「……よし」


 小さくつぶやいて、入部届を持ち上げた、そのときだった。


 スマホが震える。


 翔太からのLINE


 「書いた?」


 その下に、続けてもう一通。


 ちなみに未経験は全員三軍スタートらしい


「……あ、そうなんだ」


 思わずそう漏れた。


 さっきまでの決意が、一気に重くなる。


 三軍。

 未経験の俺にもなんとなく分かる。

 一番下だ。


 思っていたよりずっと甘くなさそうだ。

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