蛇足
■西暦1589年4月2日
「よぉ。ひさしぶり」
「あ、不良シスターだ」
「なんだその呼び方」
私を拾ってくれた不良シスターが現れた。
会うのは……八十年ぶりぐらいか?
せっかく子や孫に囲まれて、幸せを噛みしめながら大往生したのに……人生をけがされた気分だ。
「聞こえてるぞ」
なんと。
心を読むとは。
「てか、驚かないのな。久しぶりの再会よ? 謎空間よ? お前も、若いころの姿になってるのよ?」
「なんとなくもう一度会えるような気がしていたので……あっ、本当だ。若い! 体が軽い! お肌すべすべだ!」
肌を撫でさする私に、不良シスターは呆れた表情で溜息をついた。
「……たまに、そう言う奴がいるんだよな。また会えると思っていた、なんて。人間ってのは、予知能力でも持ってるのか? そんなもんがあるなら、私の仕事もずいぶんとやりやすくなるんだが」
「予知というより、希望? 期待? なんて言うんだろう。運命かな?」
「ハ、運命か。いいな、それ」
子供が見たら絶叫待ったなしの笑顔を浮かべながら、不良シスターは酒瓶を取り出した。
杯は、二つ。
「人生をかけての大仕事をやってくれたんだ。ねぎらいの言葉をかけさせてくれよ。うまい酒も用意した」
「お酒は頂こう。仕事とはいったい」
頂いたお酒を、さっそく飲み干す。
あっ、美味しい。なんだこれ。
「いや、なに。隕石の衝突を回避してくれた礼だよ。お前はいい仕事をしてくれた。感謝する」
「……は?」
不良シスターは、私ですら忘れていたようなことを言い出す。
ああ、そういえば前世の自分は、隕石の衝突で死んだんだっけ……
「人を一人過去に送り込んで、歴史を変えて、星の動きをほんの少しずらす。隕石、衝突しない。人類、滅亡しない。オーケー?」
「いや……いやいや。唐突に過ぎる。私は何もしてないぞ? そもそも人がどうこうした程度で星の軌道が変わるわけない。あと、なんで後半カタコトなの」
「国の動乱のトリガー引きやがった女が、何もしていないだと。そりゃ何かの冗談か? ま、動乱の結果がどうあれ関係ない。ほんのちょっとでも出来事が変われば、玉突きでいろんな結果が起こる。最終的には同じ軌道に戻るとはいえ、星の動きだってずれるさ」
「物理法則を超越している気がするんだけど」
「お前の知っているものが、物理法則の全てじゃないってだけだ」
えらくスケールの大きな話だ。
ま、いい。隕石が衝突しないのなら、いいことではないか?
「人ひとりが少し動くだけで、世界が変わる。人間には実感しづらいかもしれないがな。なにしろ、比較のしようがない。IFの世界なんて、想像上の産物だ。けど」
酒を一気に煽り、次の一杯を注ぐ。
どうもあの酒瓶からは、いくらでも酒が出てくるらしい。
なら、いくらでも飲んでしんぜよう。
「確かに変わるんだ。だから私たちは世界がいい方向に変わるように願いを込めて、人間たちをひっかきまわし、神様の真似事をするわけだ。悲観的な奴らばっかりだったら、酒が不味くなる。それじゃあ、つまらない」
素直じゃない不良シスターである。
少しの間とはいえ、寝食を共にした仲だ。
本音ぐらいはわかる。
こいつは、捨て猫を放っておけないタイプなのだ。
「猫を拾ってしまうのは、仕方のない事だ。可愛いからな」
「なら、人間も可愛い? 私を拾ってきたのは、可愛かったから?」
「抜かせ。そういうのは、自意識過剰って言うんだ」
私も、酒のおかわりをどんどん貰う。
このお酒は本当に美味しい。
飲めば飲むほど、いい気分になる。
気持ち良すぎて、今までにあった事を全部忘れてしまいそうになるくらいに。
「んで、どうだった? お前の人生は」
「おおむね幸せだった。レティは可愛いし、子供達も天使だし、ユーリは……ユーリは……!」
「待て、ストップ。それ以上はやめろ。お前今、のろけ話を始めようとしただろう」
「全力でのろけるため、今まさに力を溜めていた」
「マジでやめろ。時間、そんなにないからな。てか酒飲みすぎだ。このペースじゃ、あと一分あるかどうか」
「ないのか、時間」
なら、大事なことだけ済ませておこう。
私に今の人生を歩ませてくれたのは、どうやらこの不良シスターであるようだし。
であるならば、一言だけ。
どうしても、言っておかないといけないことがあった。
「ありがとう」
万感の思い。
短く、そっけない言葉だが。伝わっただろうか。
伝わったのだろうな。彼女は心を読めるのだし、伝わらないはずが無い。
「──ハ。感謝の言葉を言われるのは、珍しい」
息を呑んだ彼女は、照れ臭そうに返した。
少し、涙ぐんでいるようにも見える。
と、私の体が光を放ち、少しずつ薄れ始めた。
ここにいられる時間は、終わってしまったらしい。
「んじゃ、お別れだ。アリス」
「そのようで。今まで本当にありがとう。バイバイ、不良シスター。初めて名前で呼んでくれたね」
「だからなんなんだ、その呼び方は……あばよ、楽しかった。来世でまた会おう」
「また会おう。その暁には、喜びの接吻をしてやるぞ」
体が消えてく。
記憶も、感情も。何もかもが、溶けていく。
恐怖はなかった。
大往生した直後に死の恐怖なり寂しさなりを感じろと言われても、その。なんだ。困る。
「あ、そうだ。最後に質問」
完全に消える前に、どうせなら聞いておきたかったことを思い出した。
彼女にしか答えられない問いだ。
こればかりは、自分で考えても答えを出せない。
「私を選んだのには、なにか理由が? 女の子になっていたのは、なぜ?」
私の長年の疑問に、不良シスターはニヤリと笑って答えた。
だから顔、怖いって。
「お前を選んだのは、ただの勘だ。物事がどう転ぶかなんて、私にもわからない。今まさに隕石が衝突しようってのに、無感動なクソ生意気すぎる態度が気に障ったのかもな。可愛い女の子の姿だったのは──趣味だ」
おもわず吹き出した。
怖い顔で言う事じゃない。
「ふふ、そっか。趣味か。なら、しょうがない」
「ああ、しょうがない」
長年の疑問が解決した所で、私は手を振って彼女に別れを告げる。
彼女も、手を振ってそれに応えた。
やがて、私の姿も意識も。何もかもが消え去ってから。
残された彼女は、ポツリと呟く。
「別れってのは、何度やっても慣れないな。キスは、惜しかった」
そして彼女も、その姿を消した。