参章 ユニバーシティの覇者 その3
医師見習いの勇輔は、ミミカに医者としての仕事を依頼された。
その道中で見つけたのは、重傷の秀政を見舞いに行く啓壱朗の姿だった。
午後になると、勇輔は看護センターで非常勤の看護師として働く。
ミミカを救ってもらった礼である。一ヶ月は勤め上げなければならない。
「う……うぐぐ……痛えよお!」
「それは痛いだろう。腕が折れている」
診察室でアフロ頭の患者に所見を述べる、白衣の勇輔。
「当て木をして包帯で固定する。数日で治るだろう」
そう言って、勇輔は木の板を患者の腕に当て、さらに包帯を巻き、思念力を込めて処置する。
「お!? い、痛くない!?」
アフロ頭の患者はびっくりして喜んだ。
勇輔の持つ物体強化の能力で、包帯をサポーターとしてがっちり固定。
さらに頼子から教えてもらった思念治療で、骨を繋いで治す。
と言っても、流石に彼女には敵わない。ホイミ程度の回復量だ。
「骨は完全に繋がっていない。無理をすれば再び砕け散る。一週間は決闘をしないこと」
「ああ、約束するよ。ありがとさん!」
アフロは喜び勇んで出ていった。
そのうち再び来院するだろう。決闘禁止令を守る学生などいない。
「いつもありがとねー、勇くん♪ 本当に助かるわー♪」
頼子が隣の診察室からやってきた。
ショートボブの十七歳が、朗らかな笑顔で勇輔と握手する。
「約束は約束だ。それに思念治療というのも興味深い」
「でしょでしょ!? 勇くんならきっと凄い医者になれるよ! ずっと居て!」
下心見え見えで頼子が擦り寄る。よほど勇輔が欲しいらしい。
「あのー、ちょっといい?」
そんな時、診察室にミミカがやってきて顔を出した。
「なぁにミミちゃん。私、勇くんと大事なプライベートしてるの。用件なら後にしてくれる?」
「あんた医者仲間が欲しいだけだろがッ!」
耳から蒸気を噴いてミミカ怒る。嫉妬も多分に含まれている。
「また決闘か? 言っておくが俺はそんなに暇じゃない」
「違うよ勇輔。お医者さんとしてお願いしたいの」
そう言って、ミミカは患者用の丸椅子に座った。
「あたし、この大学に来る前に高校に通ってたんだけど、同級生の子を障壁で攻撃しちゃって、物凄い大怪我をさせちゃったんだ……」
いつもの快活さや傲慢さを無くし、俯いて語るミミカ。
「その子を治してほしいの。わがまま、かな……」
「いきなりどうしたのミミちゃん? あんたらしくもない」
頼子が尋ねる。今までの血も涙もない印象とは随分違っていた。
「うん……何だか急に思い出して。そいつはイジメっ子でさ、何とも思ってなかったんだけど……罪悪感というか、そういうのが出てきたの」
そう聞くと、勇輔と頼子はしかめっ面をしてお見合いする。
「風邪でも引いたか?」
「変な薬でもキメたんじゃない?」
「可能性は高いな……」
普段から余程態度が悪いのか、いかんせん信用してもらえないミミカ。
「茶化すなッ! と、とにかく。あの子を……サツキを治してほしい……」
「大怪我というなら俺では無理だ。頼子は?」
勇輔は言って、頼子の方を向く。
「えー私? やーよ。何で見ず知らずの人のために能力使わなきゃ……」
「一ヶ月追加で看護師をしよう」
「わーいわーい! やったーやったーっ!! どこでも行くよ勇くんっ!」
頼子は大喜びしてあっさり買収された。実に単純なバカ女である。
「ご、ごめん勇輔。そこまでしてもらって……」
「同居人が困っている時だ、構わん。それよりミミカ、サツキとやらを助けるのに条件がある」
「うん。なに?」
「サツキとは二度と喧嘩せず、仲良く『友達』になること。誓え」
勇輔は真剣な目でミミカを見つめる。ミミカは恥ずかしそうに笑った。
「うん、誓う」
こうして、勇輔と頼子はサツキの治療に向かった。
彼女が入院している総合病院は大学のすぐ近く、なんと隣にある。
「大学の隣の病院、か……」
「都合良すぎだと思わない? きっとあの理事長が一枚噛んでるわよ」
夕焼けの時分、病院の入口に入りながらのやり取り。
頼子の予想は当たっている。大学で多発する負傷者の治療のため、理事長が政府と超怖市に圧力をかけて建てさせた総合病院だった。
「サツキちゃんの病室は分かる?」
「壁を触ればな」
勇輔は言って、病院のタイル壁に思念を通して位置を探る。
「四階だ。行くぞ……む?」
そんな時、勇輔は見慣れた男が病院に入ってくるのを見かけた。
「どうしたの?」
「いや、啓壱朗が居た」
勇輔が見たのは啓壱朗だった。手には買い物袋を提げている。
「あー、ブッ倒された学長の見舞いじゃない? ここに入院してるし」
「そう言えばそうだったな」
勇輔と頼子は特に追うこともせず、そのままサツキの病室に向かう。
エレベーターで四階に登り、廊下を歩いて、すぐにその場所は見つかった。
「あら、どなた?」
病室には重装備の電動車椅子に乗せられた少女と、母親とおぼしき初老の女性がいた。
「医者です。サツキさんと話をしたいのだが……」
「あらそう、いいわよ。どんなことでもお話ししてあげて。サツキの楽しみになりますから」
サツキの母は柔和に微笑んで、病室から出て行った。
「あんたら、何? こんなあたしに何の用?」
白衣を着ている二人を、頭にカチューシャをつけたサツキが睨みつける。
彼女は脊髄損傷により、全身のほとんど、肘から下が不随。つまり一生動かない。
「やはり、医者には見えないか?」
「当然じゃない。あんたらみたいな若い医者がどこにいるってのよ!」
十代の医者など有り得ない。サツキは首だけでそっぽを向いた。
「この女を知っているな?」
勇輔は懐からミミカの写真を取り出し、サツキの目の前に晒す。
「……っ! な、何よ!? あ、あいつの知り合いなの!?」
「お前のことを頼まれている。良ければ、この女と何があったか教えてくれ」
それを聞いてサツキ、目を細めて窓の外を見た。
「あいつが……ミミカが、超能力であたしをボロクズにしたんです」
「そうか。お前はミミカをいじめていたそうだが?」
「そ、それは……。う、う、嘘じゃないですか?」
サツキは言いたくないことがあるのか、狼狽して分かりやすい嘘をつく。
「ミミカの友達関係を壊したり、何かにつけて頭を殴ったり、体を縛ったりしたそうだな?」
勇輔は、ミミカから聞いた生々しい話を元に、サツキにイジメの事実を突きつけた。
「あ……あ……そ、それは……そのっ……」
サツキは顔と肩をふるふると震わせて、青ざめた表情で硬直する。
「過ぎた事を責めるつもりはない。なぜそうした?」
「……あ、あいつがうらやましかったんです! あたしが必死に勉強して、どんなに頑張って努力しても、ミミカはすぐに追い抜いてしまうんです! 勉強も、部活も、何もかもっ!」
それは単純な逆恨み、嫉妬だった。イジメの原因としては良くあるパターンだ。
「毎日、二時間か三時間しか寝ていなくて、イライラしてて、そ、それでつい……」
サツキは超怖市にある有名私立大学の附属高校に通っていた。
彼女は成績トップを争い、過酷な勉学を自らに強いて、どうにかミミカに追いつこうとした。
それだけの苦労をしたにも関わらず、成績がミミカを超えることは一度もなかった。
周囲からは常にミミカと比べられ、鬱憤を晴らすようにイジメはエスカレートしていった。
「ミミカがビルから飛び降りたり、電車に飛び込んだのを知っているのか?」
「う……うん。で、でも……死ななかったから、別に……何とも……」
サツキが苦しそうに答えると、頼子はなるほどと納得した。
「ビルから飛び降りて、電車に飛び込んで、死なない人はいないわよ。ミミちゃんはその時に障壁だっけ? 見たことないけど、その思念力に目覚めたのね」
勇輔も納得して、首を縦に振る。
ミミカの無敵の能力は、悲しみによって生まれた産物であった。
「サツキと言ったか。お前が今の姿になったのは、そうしたいと強くミミカが念じたからだ。超能力を身につけたのはお前が理由、つまり自業自得だ」
反論の余地もない正論を述べる勇輔。
最初のうちは生命の危機に瀕すると出た障壁だったが、サツキを憎んで、憎んで憎んで憎むうちに、自分の意思で出せるようになった。
そうなったミミカのやることは一つ、復讐である。
「そんな能力が本当にあるなんて知らなかったんです。ミミカの超能力で壁に叩きつけられて、怒り狂ったあいつに、さらに体当たりを食らって、何度も何度も跳ね返っては飛ばされて……」
サツキは障壁と教室の壁に挟まれ、激しく衝突を繰り返した。
ミミカが暴挙を止める頃には手遅れだった。命は助かったが、全身に重大な障害が残った。
「もう学校には行けないし、大好きな陸上もできないし、人生の何もかもが……もう……っ!」
サツキはボロボロと涙を流す。彼女は人生全てを壊された。
全てを失った彼女だが、原因が自分にあるのでは、誰に怒りを向けることもできない。
流石に同情を禁じえず、頼子が苦言を呈する。
「ミミちゃんって結構酷くない?」
「……能力の制御ができなかったんだろう」
勇輔は適当なことを言って同居人をフォローした。
無論、そんな超能力を身に着けたミミカが高校生でいられるわけもなく、即座に退学手続きが取られて、山田のスカウトで大学送りになった。
創覇大学は犯罪者でも、子供でも、いかなる訳ありでも、強ければ入学できるのだ。
「俺たちはお前の治療を頼まれた。だがひとつ約束しろ。怪我が治って退院したら、ミミカと本当の『友達』になること。できるか?」
「そ、それは……約束してもいいよ。治るなら……」
サツキは涙を拭くこともできぬまま、俯き顔で応える。
「で、でも。あたし脊髄損傷っていうケガで、もう一生治らないの。医者は皆そう言ってる。今の時代には治らないって……」
諦め顔で言うサツキ。勇輔は溜息をついて、隣のドクターの方を向いた。
「……頼子」
「はいはい、わかってるわよ。ちょっと見せてねサツキちゃん」
頼子は診察のため、車椅子に座るサツキに歩み寄り、体のあちらこちらを触って具合を見た。
「どうだ?」
「見事に脊髄がひしゃげてるわね。よくもまーここまでやったもんだわミミちゃんは。……ま、死んでなきゃどうにかなるでしょ」
呆れ顔で診断を述べる頼子。
もっとも、大学では脊髄損傷など日常茶飯事であり、慣れっこだった。
「ちょっと動かないでねー、サツキちゃん」
「う、動けるわけないでしょ!! ……え?」
頼子は手のひらから思念力の光輝を放ち、思念治療を開始する。
潰れていたサツキの脊髄がみるみる修復され、正常さを取り戻していく。
「あ……あっ? か、体が……うご……」
動かなかったはずのサツキの両手が動くようになった。腰も、脚も、全て。
「無理しちゃだめよ。しばらく動かしてなかったからリハビリが必要。医者に事情を伝えて、リハビリテーション科に病室を変えてもらいなさい」
頼子は笑顔で淡々と治療方針を説明する。
「最後に言っておく。俺たちのことは誰にも話すな。いいか……」
勇輔はそう口止めをして、頼子と一緒に病室を出て行った。
「ま……待って! あ、ありがとうの一言……くらい……!」
衰えきった体でふらふらと車椅子から立ち上がって、サツキは二人を追いかけようとした。
「サツキ、お話はもう終わりよ。……えっ!?」
ちょうどその時、サツキの母親が病室に入ってくる。そして驚愕。
「サ、サツキが立った!? サツキが立った!! う~ん、ぶくぶく……」
どこかの古いアニメのような台詞を吐いて、母親は卒倒した。
啓壱朗は三階の病棟にいた。
手にした買い物袋にはミネラルウォーターやリンゴが入っている。
「……父さん、啓壱朗です。入ります」
夕焼けの紅い日差しが差し込む病室に入り、啓壱朗は大きく礼をする。
「具合は……いかがですか? リンゴと水は差し入れです」
それを聞いた、全身包帯だらけの秀政。すぐには応えなかった。
ベッドに大の字に寝かせられ、一歩も動くことができない。
「ユニバーシティの覇者に挑むことに決めました。息子として報告させて下さい」
「……敗者の私になど、礼を尽くす必要はない」
秀政は目を閉じて、憮然とした顔で言う。
「創覇大学において、弱者は『こう』なる。もはや、私は大学に戻ることはできぬ。退学届を出したいところだが、出す骨すら残っておらぬわ」
全身の骨を砕かれた秀政は、理事長の考えで学外の病院に押し込められた。
看護センターの治療を認めないということ。実質的な停学処分だった。
「ひとつ、父さんに謝らなくてはいけません」
「……何をだ?」
「僕は、父さんを殺そうとしました。申し訳ない」
啓壱朗は、一時とはいえ狂気に駆られたことを反省していた。
「……痴れ者め。だからお前は未熟なのだ。『脅威』は大きくなる前に潰せと教えただろう、私など殺しておけば良かったのだ」
そう諭す秀政。啓壱朗は伏し目で応じる。
「僕もそう思いました。ですが、朱雀の技で父さんを焼き払おうとした時、母さんによく似た女性が来て、貴方をかばったのです」
「鬼塚君か……」
美由紀の話になり、秀政は首だけで啓壱朗の方を向く。
「あの人は、貴方の慰み物だったのですか?」
「馬鹿を言うな啓壱朗。あの女は『鬼』の遺伝子を持っている、子供を作れない身なのだぞ。手出しなどするものか……!」
秀政は怒りを露わに反論する。が、すぐに顔の強張りを元に戻す。
「……だが、哀れには思っていた。どうにかして『鬼の病』を消してやりたいと思っていた。そのためには資金が必要だった」
「……それで、理事長を殺して経営を握ろうとしたのですか?」
「手段を選んではおれなかった。笑いたければ笑うがいい」
そう聞くと、啓壱朗は大爆笑した。
「アハハハハハハハハハハハハハハ!! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
「……殺すぞ、貴様……!」
秀政は舌打ちして、頬を赤らめて後悔。言わなければよかったと思った。
「お笑い話だよ父さん。そんな下らないことで、あんなことまでして」
「黙れ。私はあの女を幸せにしたかった。再婚も考えていたのだぞ……!」
啓壱朗はふうっと一息ついて、やれやれとお手上げをした。
「母さんを死なせたこと、やっぱり後悔していたんですね」
「……当然だ」
秀政は啓壱朗から顔を背ける。
「お前の母さんはよくできた女だった。誰よりも愛していた。白虎氷烈槍で死んだのは本当に偶然だった……あの時は酒を浴びるように飲んで、お前に隠れて泣いていた……」
息子に見せたことのない、自らの弱さ。それを包み隠さず語る秀政。
「父さんがそんなこと言うの、初めて見ましたよ」
「二度も言わせるな。私はもう大学に戻ることはできん。西条秀政という強者はもういない。ここに居るのは、ただの弱者だ……」
秀政は傷だらけの震える体を何とか動かし、懐から小さな手帳を取り出す。
「うっ……ぐぐぐ……こ、これを受け取れ。お前には資格がある……!」
骨が砕けたままの体に激痛が走る。啓壱朗は心配そうな顔をした。
「父さん、無理は止めて下さい。これは何ですか?」
「四神の……奥義だ……!」
「!」
啓壱朗は驚きを隠さない様子で、黒い背巻の手帳を受け取る。
軽くページを開くと、秀政が二十年かけて練り上げた物理の公式と思念力の用法、それらを使った実践的な技術がびっしりと書き記されていた。
「お前なら……読むだけですぐに使えるはずだ。私の遺志を継げ、大学の覇者となれ!」
「父、さん……」
啓壱朗は奥義の書かれた手帳を強く握り、ポロシャツの胸ポケットに差し入れる。
「貴方の遺言、確かに受け取りました……!」
「勝手に殺すなッ! いいか、もう二度と来るな! 馬鹿息子がッ!」
秀政は怒鳴りつけて、ふくれっ面をして顔を背けた。
「アハハ、そうしますよ。それでは……」
啓壱朗は朗らかに笑って帰っていく。
彼の『夢』は、ユニバーシティの覇者になることだ。