サロンにて
相変わらずの無表情に顔が引きつりそうになったけれど、食堂を出ようとしていた公爵ご夫妻やロクサーヌ様が生暖かい笑顔でこちらを見ていらっしゃった。うう、その笑みの理由が知りたいわ。いえ、昼食の時も意味深な発言をされていたわよね。それに、気になることはどんどん聞くべきだとも。
「はい、喜んで」
そもそも夫となる方の願いを断るなど出来るはずもない。しかも公爵家の皆様がいらっしゃる前では。それに、話がしたいと思っていたわ。部屋のお礼も、更にはドレスなどのことも一言申しあげておきたいし。背を向けて先を行くエドガール様の後を追った。
案内されたのは私たちが住む北棟、私室の近くにある一室だった。カーテンで遮られているけれど窓が大きくて、落ち着いた調度で揃えられている。三人は掛けられそうなソファがテーブルを挟んで一対と、その隣角には一人掛けのソファが一対。家族用のサロンという感じかしら? 大きなソファに導かれて腰を下ろすと、エドガール様はその反対側に座られた。クロエがお茶の準備を始めている。
「この者を紹介する。ジョゼフ=バシュレだ。この北棟の責任者に父上が命じた」
エドガール様の後ろに立っていた方を紹介された。食堂から後ろをついてきた方ね。使用人の一人だとは思ったけれど、この方がこの棟の……
「左様でございますか。オリアーヌです、よろしくね」
「ジョゼフです。誠心誠意お仕えさせていただきます」
すらっと伸びた背と所作は高位貴族のそれにも見えるけれど……バシュレって……
「もしかして、ラシェル様の?」
「はい。父親になります。それと、どうか娘のことはラシェルと。ジオネ様は若様の婚約者でいずれ公爵夫人となられるお方。使用人をそのようにお呼びになりませぬよう」
「そ、そうね。気を付けるわ」
優しそうに見えるけれど、なかなかに厳しそうな方ね。でも、彼の言う通りね、立場が変わってしまったから気を付けないと。カトリーヌ様やアンリエット様はどうなのかしら? 婚約者でいる間は今までのままでいいと思うのだけど……
「ここは家族向けのサロンだ」
「左様ですか。優しい色使いでとても素敵ですね」
さすがは公爵家、選ぶ品はどれも上品で素晴らしいわ。
「この階は家族用の私的な空間だ。空いている部屋は子どもようだ」
「そ、そうですか」
じゃ、いずれは養子がその部屋に……でも、そうなるのよね……
「下の階には執務室がある」
「はい」
「友人を招くなら一階の応接室を使ってくれ。ただし、今しばらくは家族や親しい者だけにしてほしい。警備の問題だ」
「かしこまりました」
そういうことなら仕方がないわ。それに外に出る前に夫人教育を触りでもいいから習いたい。公爵家の一員としての決まり事などもいろいろおありでしょうから。
「聞きたいことはないか?」
意外な問いに思わずエドガール様を見上げてしまったわ。聞きたいことって……
「俺はこの通り言葉が足りぬと言われるし、察しも悪い。令嬢と話すこともなかった。気になることははっきり言ってくれた方が助かる」
真っ直ぐな視線を向けてそう仰る様子に驚きしかなかった。ご自覚があったのね。そして気にされている、と。だったら意思疎通は思ったよりも難しくはないのかしら?
「あ、ありがとうございます」
驚き過ぎて咄嗟にはそれしか出てこなかったけれど……落ち着くのよ、私。言いたいことはいろいろあるのだから。
「それでは……」
頭の中を整理しながらそう告げると、僅かに表情が揺れた気がした。なにかしら?
「まずは、改めて素敵なお部屋をありがとうございました」
「気にするな。当然のことだ」
相変わらず素っ気ないけれど、言いたいことは言ってもいいのよね。これから言おうとしていることが機嫌を損ねないか心配だけど……
「あと、お願いと言いますか……」
「なんだ? 出来る限りのことはしよう」
その言葉が却って怖いのよね。意に添わぬと不機嫌になる方もいるから。
「その、衣裳部屋の品のことなのですが……」
言っていいかしら? 大丈夫よね? だったら二度と贈らない、なんて仰らない、わよね?
「なんだ? 足りぬか?」
「と、とんでもありません! 十分すぎるほどです! ですからこれ以上は結構ですから!」
言った、言い切ったわ、よく頑張ったわ、私。
「そうなのか? だが、頼んだものはこれから届く。今更要らぬとも言えない」
「えええっ?」
まだ届くの? 何が? そりゃあ、一度頼んだものは取り消せないけれど……
「これから俺の婚約者として外に出る。ドレスや宝石はいくらあっても足りぬだろう?」
「そ、それは、そうですが……」
「宝石は気にするな。元々母上のものを今風に加工し直している」
「そうですか……」
それは夫人が若かった頃にお使いだった品ってことね。代々公爵家に伝わるものなら仕方がないのかしら?
「半月後に父上の誕生を祝う舞踏会をする。その時に婚約を披露する」
公爵様の……そう言えば実家にも招待状が来ていたわね。そこで婚約を披露するのかしらとお母様が仰っていたけれど……
「その後は母上と共に茶会に出る機会も出てくるだろう。これはその時のものだ」
「そ、そうですか。ご配慮、ありがとうございます」
そ、そうね、いつまでも療養だなんて言っていられないわ。傷の影響はほとんどないし、婚姻まで四月しかないのだから。
「社交が嫌なら無理しなくていい。母上にそう言えば最低限のものに絞ってくださるだろう」
「い、いえ。大丈夫です」
社交が嫌というわけではないのよ。ただ、まだ心の準備というか、その辺りが色々と……だって社交界に出ればあれこれ言われるのは目に見えているわ。家格が違い過ぎるとか、傷物のくせにとか、エドガール様とは釣り合わないとか、そりゃあもういろいろと。そしてそれは公爵家の方々がいなくなると言われるのよね。うう、わかってはいたけれど気が重いわ……
「他にないか?」
「他に、ですか……そういえば、夫人教育をお願いしたいのですが……」
半月後にお披露目なら早々にお願いしたいわ。マナーなども学び直したいし、教養の面でも足りていないわよね。こんなことになるのなら療養中にその手の本を読んでおけばよかったわ。
「だったら母上に頼んでおこう」
「出来れば早めにお願いします」
「承知した。早速母上に頼んでおこう。ジョゼフ」
「かしこまりました」
直ぐにこの棟の責任者が部屋を出ていった。今すぐでなくてもよかったのだけど……でも、ありがたいわ。家格や見た目はどうにもならないけれど、学んで済むことでなら挽回は出来るから。
「あと、我が家は晩餐を共にする習慣がある。いいだろうか?」
「もちろんです」
そうね、我が家もそうだったわ。公爵家も一緒なのね。それに、これだけ広いとそうでもしないとお顔を合わせることもないわね。
「あと、朝は共に取りたい。いいだろうか?」
「え? あ、はい」
咄嗟に返事をしてしまったけれど、朝食を一緒に? 意外だわ、朝は出仕の準備でお忙しいから別々だと思っていたわ。
「では、明日から頼む」
そう仰るとエドガール様が立ち上がられた。慌てて立ち上がると、「ゆっくり休め」と言って背を向けられたけれど……耳が、赤くなっているように見えた。部屋が暑かったかしら?
「おやすみなさいませ」
「ああ」
それだけを答えると、エドガール様は振り返らずに行ってしまわれた。
「おい、エド! ああ、オリアーヌ嬢、お休み。ゆっくり休んでね」
マルセル様がそう言って主の後を追った。クロエとミラの二人と共に残されてしまったけれど……
「急にどうされたのかしら?」
その呟きに誰も答えてくれなかった。
「クロエにもわからない?」
「若様からお聞きしませんことには何とも……」
クロエも言葉を濁したけれど、そうよね、そんなのエドガール様にしかわからないわよね。やっぱり部屋が暑かったのかもしれない。この部屋は西向きだから。
私室に戻ると湯浴みの準備が出来ていた。さすがは公爵家、浴槽ですらも大きくて豪奢だわ。それに石鹸や香油の香りも上品で素敵。外に出ると大変でしょうけれど、こんな贅沢が味わえるのなら悪くないかしら?




