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第六話 また来てね

 灯が来なくなった。


 はじめは、雪のせいだと思った。年末は雪が多いから。雨と同じで、雪の日には来れないことを知っていた。だが、曇りの日も、雲一つない晴天の日も、灯は来ることがなかった。


 冬休みに入って、時間だけがある。いつもの場所に行って、ベンチに座る。自販機がぶうんと獣が唸るような音を鳴らしている。いつからだろうか、風鈴は片付けられていた。夏の残り香は、蚊取り線香の跡。ただそれだけだった。


 一日。来ない。

 三日。来ない。

 五日。来ない。

 一週間。来ない。


 待ちながら、ずっと灯のことを考える。

 考えて、ふと思った。


 私は、灯のこと何も知らない。


 行ってる学校も、家の場所も、苗字すら知らない。半年近く一緒にいて、ほんとにずっと一緒にいたのに、その何一つ。断片的な情報でさえ知らなかった。いや、知らなくてもよかった。知る必要がなかったんだ。


 ただ一つの言葉だけが、頭の中で反響していた。


『私とは……このままでいてね』


 一つの言葉のはずなのに、私の中ではそれ以上に、重みがあるものに感じられた。

 このまま、とはどういう意味だったんだろうか。

 意味。


 ────もう、待てない。


 十二月三十一日の大晦日。

 私は、灯が好きだと言っていた場所を巡り、辿ることにした。

 これは、約束を破ることのうちに入るだろうか。いや、きっと入るんだろう。しかも、どこかで、なんとなくだけどこうなる気がしていた。


 思い立ったら、行動は早かった。

 最初に向かうのは、駄菓子屋。


 前、灯に連れられてきたときは閉まっていたけど、今日は開いていた。ガラスの戸の向こうに、白髪の店主が見える。


 戸をスライドさせるとチリン、と鈴が鳴った。


 店主のおばちゃんは顔を上げ、私のほうを見てきた。


「見ない子だねぇ」

「……あの、灯という子を知っていますか?よくここに来ていたと思うんですが」


 そういうとおばちゃんは目を見開いた。少し黙ってから、また口を開いた。


「お前さんの名前は?」

「凛香です」

「りんかさんねぇ、そうかい。知ってるよ……よく来てたよ、ここに」

「最近会えなくて……どこにいるか知っていますか?」


 おばちゃんはまた黙った。沈黙が、長い。だけど沈黙が、この空間内を締め付けている気がしない。不思議と、穏やかだった。


「さあ……最近は見かけないねぇ。ごめんね」

「いえ、ありがとうございます」

 おばちゃんはレジ裏に入ってしまった。


「ニャー」


 七輪がパチパチと、火の熱い音を鳴らしている。

 猫は、その七輪の上のサバが焼きあがるのを待っているようだった。

 その様子を目を細め、凝らして見ていると、猫が寄ってきた。

 私は、かがんで視線を大体合わせた。そして撫でた。

 そういえば前も、こんなことしただろうか。


「じゃあね」


 猫も「ニャー」とさよならの挨拶をしてくれた。多分。



 私は、引っ張られるように奥に進んでいく。

 苔でいっぱいの石畳を、一歩一歩かみしめながら歩く。

 階段を上ると、境内は前と同じように、騒音などが存在しない異世界のようであった。

 大晦日だというのに参拝客もいない。


 社務所の前に、白髪の老宮司がいた。 


「すみません、ちょっといいですか?」

「はい、どうされましたか」


 とてもゆっくりで、やさしい声だった。

 

「……」


 老宮司は私を見つめる。目から足元まで、何かを確かめるように。


「呪い……。これは呪いですね」


 突然だった。


「呪い?でも誰が────」

「悪い呪いではありませんよ。あくまでも呪いです」


 それだけ言って、老宮司は社務所の奥に戻っていった。静かに引き戸が閉まった。


 しばらく私は、その場に立ち尽くした。少し、考える時間が欲しかった。



 私は次に、川へ向かった。

 小川じゃない、川。

 川沿いのベンチに、おじいさんが座っていた。毎日ここにいる、と灯が言っていたような気がした。


「すみません……ふわっとした髪の、灯という女の子を見たことないですか?よくここら辺に来ていたと思うんですけど……」


 おじいちゃんはゆっくり振り向いた。川を見たまま、少しそのままでいた。


「ああ、いたね」


 短い言葉だった。


「ふわっとした髪の。よくあそこに座っとったの」


 そう言って指さしたのは、川べりの石段だった。水面に近く、低いところ。


「最近は来なくなってしまったがね」


 それだけ言って、また川を見た。


 私は石段を見た。灯がすぐそこに座っている姿を想像した。すぐに想像できた、それはもう、想像しすぎなほどに。


 

 最後に向かった場所は、灯の言っていた住宅街の一角。

 古い家が並ぶ路地。そのうちの一軒で、立ち止まった。

 門の横に小さな花束や、お菓子やジュースなどが置いてある。


 その瞬間、私の中で、何かが繋がった。


 灯がコンビニで買っていたもの。花。お菓子。ジュース、ラムネ。それら全部、お供え物だった。

 そういえば、灯の好きな場所には、基本的にお菓子やジュースが置いてあった。でも、凄く溶け込んでいたから、気になるということはなかった。


 犬がいる。近づいても吠えない。名札が見えた。


「ナッツ……?」

 

 その時、玄関の戸が開いた。

 中から出てきた女性が、私を見て、動きが止まった。


「……もしかして、凛香ちゃん?」

「えっ……」


 なんで知ってるんだろう。灯の時と同じ。なぜか私の名前を知っている。どこかで会ったことが、ある?


「どうぞ、中に入って」

「中に……どうして?」


 私がこの人に、何かをした?


「いいから」


 そう言って私を家の中へ導く。

 

「お邪魔します……」


 廊下を少し歩き、襖を開く。

 昔ながらの和室だ。 


「誠さん、凛香ちゃんですよ」

「……は?」


 とても困惑した表情を浮かべた。


「凛香ちゃん、どうぞ、そこに座って」


 いわれるがままに、ちゃぶ台挟んでまことさんの目の前に座った。

 女性は、ちゃぶ台の、私から見て右横に座った。


「覚えてるかな?」

「その様子じゃ、覚えていなさそうだがな」

「じゃあ、名前言ったほうがいいか。私は、川瀬静。流れる川に、瀬戸内の瀬。それで、青に争うで静。

「川瀬誠です。誠実の誠でまこと」

「えっと、夏目凛香です────」

「勿論、知ってる」

「凛香ちゃん。あなたが助けてくれたんだよ」

「え?」


 助けた。私が?


「小さい時だからなぁ。覚えてないは無理もない」

「灯。あなたが助けてくれたのよ?」

「そうだ。あそこの川の上流のほう。キャンプ地になってるのは知っているよね?」

「はい」

「君も灯も小さい頃、私達は家族総出でそこに行っていた。勿論君達家族も」


 確かに、私は小さいころよくキャンプに行かせてもらっていた。


「その時に、灯が川に落ちそうになったんだよ、うっかり足を滑らせて。でも凛香ちゃん。君が灯を引っ張ってくれて、灯は助かったんだよ」

「あっ……」

「思い出したかな?」

「……その後、君が灯と約束をした。指切りげんまんで『もう一生川に落ちないようにする』そうやって、誓い合っていた」

「そう……ですか」

「あなたが、灯に。まじないをかけてくれたのよ」


 『まじない』漢字にすると、呪い。

 さっきのことを思い出す。

 

(まじな)い?でも誰が────』

『悪い(のろ)いではありませんよ。あくまでも(まじな)いです』


 (まじな)いをかけたのは、自分自身?


「でも……灯は、ね……」


 静さんと誠さんの目が赤かった。

 全部分かった。


「ごめんなさい、私用事が────」

「……凛香ちゃん。また来てね」

「はい」



 走った。

 いつもの場所へ。日常に向かって。

 

 辺りはもう暗い。

 除夜の鐘が、遠くから聞こえ始めていた。

 日常は、もうない。 日常ではない。


 ────灯は、いなかった。

 手遅れというか、終わったときに始めていたんだと思う。

 それじゃあ、意味がないのも当然か。しょうがない。


 ベンチを確認する。自販機も確認する。

 何度見ても、誰もいない。


 百円玉を一枚、自販機に入れた。炭酸を買った。最初に灯と会ったときのと同じのを。

 プルタブを開けて、一口だけ飲んだ。

 何も感じない。

 泣いているわけじゃない。泣けなかった。泣き方が、分からなかった。

  

 除夜の鐘が鳴った。

 年を越した。

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