第三話 燈りに染めていく
七月が、終わった。
カレンダーをめくるまでもなく、八月になったことを体で感じることができた。日差しの角度が違う。アスファルトの熱の持ち方が違う。七月が『暑い』なら八月は『熱い』だ。
夏休みに入っても、灯は来た。
ほんとに、私が行くときはほぼ毎日、雨の日以外は。
いつ夏休みの課題をやっているのかと思うほどに。
平日も休日も、いつものベンチに座っていた。それが私の当たり前になっていた。少し前まではそんなことなかったのに。
早朝、私は特にすることもないので、リビングでソファに座り、扇風機をかけながらぼんやりとテレビを流していた。
すると、ちょうどニュース番組がやっていた。私は普段、ニュースを見るほうではない。コメディーのほうが好きだ。だがまあ、他の局もこの時間だと同じようなことしかやっていないだろ。という安易な決めつけでチャンネルを変えたりはしなかった。
朝に抑えたいトピックか……。
料理のレシピ、議員の不祥事、交通事故、川荒れ、星の接近長期化、経済状況、気温。
ふうん。
そう思ってソファに体重をかけ、天井を見つめる。
窓の外で蝉が鳴いている。
そういえば気になることがあったんだ。
雨の日だけ、灯が来ない理由。しかも雨についての話ってしたことがない。
いや、来ないのは当たり前だし、そんな雨の話題になることないし。
何か気になってしょうがなかった。
なぜこんなにも気になるのか、私には分からない。まあたぶん、なんとなく、謎ときの気分だ。
今日聞いてみよう。
──昼。
随分と日が照っている。
朝に比べ、一段と気温も高くなり、足元がサウナのようだ。相変わらず蝉は鳴いている。
「灯ってさ、雨の日とか来ないし、雨の話もしないよね」
「……そうかも」
「そうかも……?なんで?」
「雨の日はちょっと……苦手っていうのかな。まぁそういう感じ」
そう言って灯は笑った。
この時の灯の笑顔は無理やり作っているようにも見えたし、作る途中のようにも思えた。
灯は、続きをいう気はないようだった。
私はそれ以上聞かなかった。聞けなかったとかじゃなくて、別に聞かなくてもいいというか、誰にでも踏み込まれたくない、触れられたくない部分や側面があるということはよく知っている。
だから直感で理解した。もう、聞かないほうがいい。
聞いたら、どうなるか分からない。この当たり前が崩壊するのだとしても、私はそれが想像できない。
灯と出会う前の当たり前と、同じはずなのに。ただ、前の日常に戻るだけなのに。
「あ、凛香。そいえばね」
「……」
「凛香?」
「──あっ。ごめん……ぼーとしてた」
「大丈夫?」
「うん……大丈夫」
実際、大丈夫かどうか、私には分からない。日常がなくなることを考えると、怖くて怖くてたまらない。
「この前ね、おばちゃんに話しかけられたの。『あなた、久しぶりね』って」
「……知り合い?」
「いや、全然知らない人だと思う」
「思う?」
「そう。でもわからないよ。なんとなく」
「そっかぁ」
「なんか孫とかと勘違いしたんかね」と、孫にこんなやつがいてたまるかという思いを抑えながら言った。
「それはないっしょ~。私みたいな孫いないだろこんな田舎で」
「それはそう」
たった一ヶ月ちょっとで、こんな仲良くなって。私的にはどことなく大切な人の立ち位置で。
「うわあっ」
「え、何どうした」
「あっち!雷!」
本当だ。少し遠くだけど、山の向こうには暗雲が立ち込め、その中で青白い閃光を発している。
その時、つけていたスマートウォッチが『30分後、雷雨の可能性が90%です』という報告をしてくれた。
「やーばいね……帰るか」
「そだね」
灯は「じゃね~」と言い、すぐ走って帰ってしまった。
私も早く帰らないとずぶ濡れで帰ることになってしまう。
────夏休みも中盤。
課題はほとんど終わっていた。新しく出されたもの以外、単元ごとに前もって進めてあったから。課題が全部終わったとしても、この田舎では灯と話すこと以外、あまりやることがない。プールとか「夏といえばここで遊ぶ」みたいな場所はないし。私が田舎と言っているここも、また別の地域からは田舎ではない、と言われるかもしれないが私にとっては田舎なのであって、他の人からするとどうなのかはあまり関係がないため、考えは揺るがない。だがまあ、神社や少し遠くの河川敷では、たまに祭りをやるし、その点で言えばまだマシなのかもしれない。
大してやることのない私は、今日も今日とて、特に約束はしてないけれど、灯に会いに来たのであった。
夏の暑さにつぶれそうになりながらも、鉄板のように熱くなっているであろうアスファルトを眺めながら、だらだらと歩けばいつの間にか、いつもの風景が見えてくる。
灯はベンチにいない。ベンチにはいないけど、奥のほうの道にいるのが見えた。結構久しぶりに先にベンチについたと思う。
チリン
チリン
いつの間にか、飛び出た柱に風鈴が取り付けられていた。いやあ、この音。どれだけ暑くても結構効くもんだな。
懐かしい感じがすると思ったら、蚊取り線香もついていた。しかもかなり長く持つやつっぽい。
「やほ~早いね~」
「偶然ちょっと早かっただけ」
「ふ~ん」と灯は適当に返事をし、どこからか二本の瓶ラムネを取り出した。
「はい」
「え、くれんの?」
「当たり前じゃん?」
「ありがと……」
ラムネいつも溢れるんだよな~と思いながらビー玉を押し込んだ。が、今日は大丈夫だった。思わず、小さくガッツポーズをとってしまった。その横では溢れて「うげ~」と灯が言い、顔を絶妙な角度にし、口を伸ばして、どうにか溢れてた分も飲もうとする灯がいた。多分、ラムネ運は灯のほうが悪いんだろう。
「っなにしてんの」
「いや、っちょやばっ」
何回か風鈴が鳴るうちに、その騒ぎはどんどん収まっていった。
「凛香~見て~」
そういって瓶ラムネを太陽のほうにかざす。
「青くてきれいだよ~」
「ほんとだ。撮っていい?」
「いいよ!」
そういってスマートウォッチを腕から外し、カメラ機能をオンにした。灯が写るようにすると「ああ、私は大丈夫」といいカメラのレンズを瓶ラムネのほうに向けた。
「私カメラ写り悪いんだよね~」
「分かった、ごめん」
「全然いいよー」
瓶ラムネを何枚か撮り、スマートウォッチを腕につけた。
その瞬間、通知が来た。電子回覧板からだった。
「夏の終わりに花火祭り、河川敷で開催……だって、行く?」
「花火!あっ──でも凛香とならいいか!」
「あってどうした?」
「いいや!何でもない」
そんな調子で雑談を続け、暑さが和らいで、あたりも暗くなり始めたところで「またね」と、特にここで会う約束もせず互いに言い合った。
────夏の終わりというものをつくづく感じさせられる。
日照りの多かった夏にも雨が一度来、二度来、それがあがるたびごとにやや秋めいたものが肌に触れるように気候もなって来た。
今日は河川敷で花火祭りがある。
おそらく小規模なものだろうけど、私服もあまりいいものがないし、母からもらった浴衣を着た。別に小規模だということに問題はないけど、なんか意識的な問題がありそうな気がした。
紫陽花のような青紫色を基調とした、白いラインで花が描かれている。母が着ると綺麗なんだろうが、私には似合うか、自分だと分からなかった。
いつものように、いつもの場所へ行くと、灯はもういた。
灯も浴衣姿だった。
白を基調とした、ガーベラのような黄色で模様が描かれている。
とてもよく、似合っていた。
「灯……ええ、似合ってる」
「凛香もチョーゼツにあってるじゃん」
「そうかな……」
嬉しい。普通に嬉しかった。
「じゃあ、行こ」
やはり河川敷までは遠いので、バスで向かうことにした。今日は少し本数が多いようだ。
バス早ええ。歩きとは比べ物にならないな。
2Dゲームのように外景色が流れていく。どんどん私が住んでいるところより周りが栄えていく。
そうして、窓の外にうっとりしながらバスの揺れに身を任せていたらいつの間にか、次の停留所だということに気が付いた。
灯が「次降ります」のボタンを押していた。
バスが止まり、灯が「凛香が先行って」などと言ったので、私が窓側からわざわざ狭っ苦しい隙間を通り抜けて、下車した。
わお、思ったよりは屋台とかが並んでる。中規模くらいだ。
地元民がほとんどだろう。それでもかなりの人数がいる。
屋台で唐揚げやら、ポテトやら、ジュースやら買って、座った。
でっかいシートがなかったので、昔遠足かなんかで使ったであろう、色々絵が描かれているちっちゃいシートを使った。
まあ、大きさ的にはちょうどいいくらいだし、少し恥ずかしいけど小さいからほぼ絵も見えない。
「楽し~」
「花火これからだよ」と言ったが、これからというほど時間が迫っているわけではなかった。
あと、3分くらい。雑談するには十分な時間だ。
「灯ってさ、前に川の夢を見るって言ったでしょ?」
「あ~うん」
「その夢が怖いかは聞いたけど、川が好きかは聞いてなかったよね」
「そだね、聞かれてないよ」
「どうなの?」
四拍くらいおいて、「ん~」と言いながら、悩んでいる様子だった。
「難しいんだけど、好きよりの嫌いかなぁ~」
「ん、理由とかある?」
「理由────」
灯は川を見てから、視線を遠くに移した。
「やっぱ、難しいや」
「……そっか」
少しの沈黙が私たちを襲った。こういう話をすると、いつもこのような感じになる。もう、やめておこう。何か他のことを────
「皆様、長らくお待たせいたしました。ただいまより、花火の打ち上げを開始します。夜空に大輪の花が咲きます。なお、花火が上がりましても、危険ですので筒の近くには決して近寄らないようお願いいたします」
音割れしたスピーカーから発せられたアナウンスを聞いて会場自体が静寂につつまれ、私たちの沈黙は正しいものとなった。
やがて、一筋の閃光が、ひゅーという音を立てながらも、地面から揺らつつも、ある程度まっすぐに夜空を揚がる。揚がりきったところで、本当の静寂が訪れる。さっきのが1だとしたら、今のは0だ。
夜空に大輪の傘が開かれる。花火は星クラゲほどのさやけさに光っては消えた。
また閃光が揚がる。何筋も、何筋もの閃光が。そして輝きを放って消える。耳に重低音のボンッという音が響く。輝きを放った後の、雫となって消える花火は、さながら星の滝のようであった。
横目で灯を見ると、口を開けたまま花火を注視している。すっかり虜になってしまったようだ。瞳を花火の燈りが染めていて、星が宿ったように美しく、どこか儚かった。
無心で花火を見ていると、終了のアナウンスが流れた。
辺りは暗闇に包まれ、煙の残り香が漂ってくる。
少し肌寒い。夏の終わり……いや、秋の始まりを感じる。
灯はまだ余韻に浸っている。邪魔しないほうがよさそうだ。バスに間に合うようにしないと。




