あやかし祓いの目的 (9)
「厄災の子が僕だって信じられない?」
「……はい」
難しい顔のままでいる環にやんわりと颯が訊ねた。環は迷うそぶりもなくそれに頷き、取り繕うともしない環の素直さに颯はにっこりと笑う。
「正直でよろしい。でも、本当にそうなんだ。だから視てもらいたい」
ソファーから立ち上がった颯は環が座っている方のソファーへと移動する。そして環の隣に座ると、そっと顔を寄せてきた。近付いてきた颯の顔に驚いて環の身体が硬直する。
「大丈夫、楽にしてて」
強張って上がっている環の肩に手を置きながら、颯は環の額に自分の額をこつんとぶつけてきた。至近距離で颯と視線が交わりたじろぐ。額から伝わる人肌のぬくもりで、催眠術をかけられたときの感覚が甦った。
「これはまやかしじゃない。僕の記憶だ」
穏やかな颯の声が環の耳をくすぐった直後、キーンと耳鳴りがした。それはあやかし祓いの鐘の音より嫌な感じはしなかったが、頭にまで響くそれから逃れようとぎゅっと目を瞑る。
暗い視界の奥に引きずり込まれるような感覚がした。
◆ ◆ ◆
浮遊するように朦朧としていた意識が、次第に輪郭を取り戻してくる。
迷い岳にいるミミズクの鳴き声が聞こえた気がして、環は恐る恐る瞼を上げた。
「ここは……?」
先ほどまでソファーに座っていたはずなのに、いつの間にか環は鬱蒼とした暗い森林にぽつんと佇んでいた。見上げた樹木の枝の向こうにかろうじて星が瞬いているのが見えて、夜行性のミミズクの鳴き声がこだましていることからも夜だとわかる。
暗闇に慣れてきた環の視界の前方に、平屋の家屋が建っているのが見えた。藁葺き屋根の小さな家屋の土壁には、葉がたくさんついた木の枝が立て掛けられている。まるで、この森に同化して隠れようとしているみたいに。
そんな平屋の引き戸の前に、屈んでいる人影があった。
4、5歳ぐらいだろうか。既視感のある緩やかな癖毛が特徴的な、濃紺の甚平姿の男の子。手にしている小石で地面に人の形やぐるぐるとした記号らしきものを描いている。
「ねえ、君……」
そう声をかけたところで男の子が何かに気付いたように顔を上げると、立ち上がって駆け出してきた。正面から飛び込んできそうな勢いの男の子を受け止めようと咄嗟に環は腕を広げて構える。
しかし、掴んだのは空だった。環の手は男の子の身体をすり抜けて、男の子は環の身体にぶつかることなくそのまま通りすぎていった。
驚いて自分の手に目を向ける。手としての感覚はあるが、陽炎のように身体の輪郭がぼやけて見えた。
「お父さーん! おかえりなさい!」
声につられて男の子が駆けていった方を見ると、暗闇の向こうから立派な体躯の大男が歩いてきた。お父さんと呼ばれたその大男は男の子と同じ髪型で、額より上の頭部に蒼い角が2本生えている。その顔立ちは、颯ととてもよく似ていた。
あのお父さんって呼ばれてる人、鬼だわ……。妖狐と並ぶ妖力が強いあやかしよね。
厄災戦後に鬼の一族は里を移動させたとは聞いているけれど、それがどこなのかはあやかしたちにもわからなくなっていた。今でも人間の里に出向く妖狐と違って、すっかり姿をくらませている。
大男の紅い瞳が男の子をとらえると嬉しそうに口角を上げた。広げた腕に飛び込んできた男の子を抱き締めて、小さな頭を大きな手で撫でながら顔を窺う。
「ただいまぁ、颯。俺がいない間も、ちゃんとお母さんの守り人してたかぁ?」
「当たり前だよ~! 僕強いもん! ちゃーんと結界だって張ってたんだから!」
男の子はさっきまで小石で模様を描いていた地面を指差す。結界という言葉に反応して、環は改めて地面のそれを見た。見たことがない模様ではあったが、その模様を起点に家屋の周辺を囲うよう線が引かれているのを見て、確かに結界の陣だと察することができた。
鬼が使用する結界だろうか。こんな幼い子が一人で結界を張っていることには驚かされるが、この子が颯であるならばそれも辻褄が合う。何せ颯は、常時結界を一人で張りこなせてしまうのだ。
「おお、上手に張れてるな。偉いぞぉ颯!」
「きゃはは!」
父親が颯を褒めながら高く抱き上げる。二人とも楽しそうに笑っていた。
「これが、颯さんの記憶――」
二人に干渉できないのでそばで見ているだけの環は、緊張した表情で独りごちた。胸の前で手を握る。
目の前で繰り広げられているのは何てことない親子のやりとりで、これが自らを厄災の子と名乗った颯の記憶であると受け入れるには、しばし頭の中で整理する必要がありそうだった。
2章も最後までお付き合いいただきありがとうございます!
次回の更新から3章――颯視点の過去編に入ります。応援よろしくお願いします。




