4話 目の前に元殺人鬼
「……ん……」
香ばしい匂いが鼻につく。
その匂いに、自身が空腹である事をうっすらと自覚する。
そんな朧げな意識の中、狭い部屋のベッドの上でヨルダは覚醒した。
「ここ……は……?」
上体を起こすと、自分の身体に丁寧に巻かれている包帯に気づいた。
「っ痛……」
肩の傷とあちこちの擦り傷や打撲の痛みが、ヨルダの意識を鮮明にする。
それはつまり──
「……夢じゃ、なかったんだ……」
かけられていた毛布をひざの上でくしゃっと握る。
自分の事を姉のように慕ってくれた犬耳の兄妹。
言葉は厳しいながら、一人の騎士として接してくれた心優しいドワーフ。
そして、家族のような優しい村人達。
「みんな、死んじゃった……」
白い毛布の上に、ぽとぽとと水滴の滲みが広がる。
ヨルダは声も出さず泣いた。
そして自分が信じていた騎士団は外道に塗れた恥ずべきものであり、「人間」がいかに醜い生き物かと言う事実に、ただ、泣くしかなかった。
──ガチャッ
その時、開かれる扉。
そしてそこに立っていたのは──
「ひっ⁉︎」
あの、白い仮面の怪物だった。
ズリリとベッドの上で背後の壁まで後退るヨルダ。
……ドクンッドクンッドクンッ
大きく波打つ心臓。
仮面は、今度ははっきりとヨルダを見据えていた。
身体中から、それこそ全身の至るところから噴き出す汗。
ヨルダは今度こそ死を覚悟した。
今、怪物はあの「鉄の箱」を持っていない。
──どうか、殺すなら一瞬で殺してほしい
ヨルダはあの惨劇を思い出しながら、体をこわばらせ、怪物から視線を外せずにいた。
……しかし、よく見ると怪物の手には。
「……え?」
小さなパンを乗せた白の陶器の皿があった。
コトリ、と怪物はベッドの脇のテーブルに皿を置くと、その巨体を反転させ扉のノブへと手を掛けた。
何も、する事なく。
「……ま、待って!」
ヨルダは恐怖に震えながらも、精一杯の声を振り絞った。
「こ、これ、あ、貴方が、やって、くれたの?」
身体に巻かれた包帯を見ながら、恐る恐る怪物へと問いかける。
再びゆっくりこちらを振り返る怪物。
ヨルダのゴクリと唾を飲む音が、狭い部屋に響き渡った。
すると怪物は、スッとテーブルの上を指差した。
「……食べろ……ってこと?」
コク
「!」
頷く怪物。
「……あ、ありがとう……」
礼を言うも、ヨルダは怪物に言葉が通じた事に驚いた。
そしてそれは彼女の胸に小さな安堵感を生んだ。
この怪物は…私を殺すつもりは
「そうそう! ないないないない全然ないのっ」
陽気な声とともに、再び開かれる扉。
ゴスッ!
が、扉は前に立っていた怪物にぶち当たり、少し砕けてしまった。
「ちょっと、邪魔! どいてどいて!」
その奇抜な白の布地の少ない装いをした女は、入り口前の怪物の身体をグイと押し退けると、細身の身体を部屋の中に滑り込ませた。
まるで収穫祭の時の踊り子のような軽装は、目の前の巨躯の怪物と奇妙な対比を生む。
「貴女がヨルダね、よろしく!」
女はそのままベッドの上のヨルダの隣りへ、ストンと腰を下ろした。
「え……あなた……は?」
訝しむヨルダをよそに、女はにこやかにポンポン言葉を並べ立てる。
「あたしはカムラ! こっちは元“殺人鬼”のチャーリー!」
「あ、元だからね? だから殺したりしないから安心して? 」
「怖い目にあったよね? もう大丈夫だから!」
「お腹空いてるでしょ? とりあえずそのパン食べて!」
「ちょ、ちょっとまって…」
辛うじてヨルダは口を挟むことができた。
しかしカムラはテーブルのパンを持つや否や、えいっとヨルダの口にねじ込んできた。
「もがっ!?」
「美味しいでしょ? ふふん♪」
口の中にバターの香りが充満する。
改めて自分が空腹である事に気付かされたヨルダは、素直にもさもさとパンを頬張った。
「さて」
そんなヨルダをよそに、カムラが姿勢を正す。
「……まあ、色々聞きたいでしょうけど、先にあたし達のことを聞いてくれる?」
さっきまでの騒々しさから、その口調が少し張り詰めた。
「は、はいっ」
思わずヨルダも姿勢を正してカムラの方に顔を向き直す。
「……ではまずはじめに。このチャーリーとあたしは、この世界の人間ではありません」
「………………………………は?」
「元の世界で彼はたくさんの人間を殺したの。で、その罪を長い時間をかけて償った。その最後の贖罪の仕上げとして、この世界にやってきたってわけ。わかる?」
「………………………………はぁ」
全然わからなかった。
「ちなみに彼は一応、貴女と同じ人間なの。あたしはちょっと違うんだけど」
カムラは淀みなく、淡々と語り続ける。
対して、大きく大きく混乱するヨルダ。
この女性と怪物について話されてる事はなんとなく理解できる。
しかし、それだけ。
……この世界の人間じゃない? 訳がわからない……この人たちは人間じゃないの…?
「つまり! そう! 人間じゃないのはあたしだけ、チャーリーはこんなだけど一応人間! オーケー?」
が、ニコッと笑うカムラの笑顔に、ヨルダは引き攣りながらも笑顔を返してしまう。
混乱するヨルダは、自分の心の内が口に出さずに読まれてしまったことに全く気づかなかった。
「で、十分理解してくれたヨルダちゃんに一つ、お願いがあるんだけど……聞いてくれるかな?」
「……(ヨルダちゃん?)……お、お願い、ですか?」
「うん。このチャーリーなんだけど、しばらくヨルダちゃんにこの世界での面倒をみてほしいんだ」
「……メンドウ?」
「そうそう! お願い出来る?」
ヨルダの頭からは、少し、湯気が立っていた。




