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「私、雌に捨てられたんですよ」


 初手から衝撃的なセリフを投げかけられてわたしは固まった。


 そんなわたしを見てノアは柔和に笑む。


「意外でした? それとも予想が当たりました?」

「ううん。どちらでもないですよ。ただヘビーな話題をぶつけられたなと思いまして」


 素直にそう言えばノアはクスクスと声を出して笑った。見た目はいかにも地味! という感じで大人しそうだが、意外とよく笑うひとらしい。仏頂面でいられるよりはよほどマシなので、わたしにとってはそれは好ましいことなのかもしれない。


 笑いながら眉を下げてノアは言う。


「そういうところがダメだったのかもしれませんね」

「ほぼ初対面の相手の信頼を構築するためにヘビーな話題をぶつけてしまうところが、ですか」

「まあ、空気が読めない、ということなんでしょう」


 わたしは首をひねった。今のところノアは空気の読めない発言をしただろうかと、そう長くはない記憶の糸をたぐってはみたものの、出した結論は「否」だった。


「別にわたしは空気が読めてないとは思わないですけれども。どちらかと言えばマイペース、かな」

「そういうような趣旨のセリフは言われたことがありますね」


 そうなのか。というか、やっぱり、と言うべきか。


 だって「異世界に召喚」とかいう超・異常事態に直面して混乱しているだろう相手に、追い打ちをかけるように「殺されます。食べられます」とか言えちゃうんだから、そりゃ並みの神経ではないよなと思ってしまう。


「あの、それじゃあノアさんのお仲間のかたたちは……だいじょうぶだったんですか?」


 言葉を選んでいるうちになんだか曖昧なセリフが出来上がってしまった。それでもノアはわたしが言わんとしていることを察したらしく、すぐに「だいじょうぶですよ」と言葉をかけてくれる。


「そこはちゃんと誤魔化せていましたから、安心してください」

「そうですか……」

「ええ。私がクロハさんを愛しているという気持ちはちゃんと伝わったようですよ。ですので、あとから『やはり聖餐の乙女にする』というような話にはなりませんから」


 ノアの言葉にわたしはわかりやすくおどろいてしまった。術後の疲労感がなければ、大げさに肩を揺らしてしまっていたかもしれない。


 目を丸くしたわたしを見て、ノアは人差し指を自身の唇にあて、いたずらっぽく笑った。


「だからクロハさん、嘘にならないよう、私に恋してくれませんか?」

「……それって、どこまでが冗談ですか?」

「私はいつでも本気ですよ」


 マジか。


 わたしは改めてまじまじとノアを見る。見た目は地味地味と連呼している通り華がない。けれど清潔感はあるから、生理的に嫌ということはない。むしろ各々のパーツはそれなりに整っていると言える。外見だけでNGを出せるほどの欠点は見当たらなかった。


 内面はどうだろうか。そう、見た目は清潔感さえあれば最低限オッケーと言える。


 重要なのは中身だ。いくらすごいイケメンだとか、すごい金持ちとかだとしても、モラハラ野郎とかはわたしはごめんである。


 その点、ノアはどうだろう。今のところ、問題はないように思う。迂遠さより、直截さを選んでいるように思える。うそをついている……かまでは判断がつかないものの、表面的には誠実であろうとしているようだ。


 欠点はないが取り立てるほどの長所もあまり見つけられない。ほぼ初対面に近い相手では、その結論は当たり前と言えば当たり前のものだった。


「ううーん、じゃあわたしがノアさんに恋するようノアさんには頑張ってもらわないと」


 おどけたように言う。もちろん本気でこんなことは言っていない。わたしはそんなに自分に対して自信があるわけではないからだ。


「今のご心境ではダメですか」

「ダメではないけれど、いいとも言えないというのが正直なところですね」

「まあ、ほとんど初対面に近いですからね」


 わたしの答えはわかりきっていたのか、ノアはあっさりとこの話題を流してしまった。彼にとっては案外、どうでもいいことだったのだろうか? だとすれば真剣に熟慮していたのはちょっと恥ずかしい。


「でも、クロハさん」

「なんですか」

「覚えていて欲しいのは、クロハさんは私の『雌』になったということです」

「それは、もちろん」


「つがい」だとか、「雄」の「雌」になるということの意味はぶっちゃけまだよくわからない。一〇云年間違う世界で暮らしてきたんだから、それは仕方のないことだとここは開き直っておこう。


 誤解しないで欲しいのは理解を放棄したわけではないということだ。ただ、今は無理に詰め込み過ぎると頭がショートしそうだから情報を絞ろうと、つまりはそういう腹積もりなのである。


 ノアは気がつけば柔和に笑みながらも、どこか真剣な眼差しでわたしを見ていた。


「それと、雄は雌のためならなんでもするのだ、ということも」


 その言い方がちょっと怖くて、ノアの目も笑っていなかったから、わたしは少しだけ言葉を失った。


 ノアはそんなわたしの様子に気づいているのかいないのか、それともあえて無視したのか、そのまま言葉を続けた。


「だから、()()の心が私から離れていると気づいたときは、気が狂うかと思いました」

「彼女?」

「ああ、すいません。私の『雌』()()()方です」


 淡々と話すノアにどういう反応をすればいいのかわからず、わたしは無難な相槌を打つしかない。


 処理したり消化したりしなければならないことは山ほどあるのに、さらにこんなヘビーな話題をぶつけられてしまうなんて。……あ、「空気が読めない」ってこういうことか?


「地味でしょう?」

「はい?」


 思わず異次元へ思考を飛ばしていたわたしを引き戻したのも、ノアの声だった。


「わたしの見た目が」

「……答えにくいことを聞きますね」

「それはほとんど答えていることと同じではありませんか?」

「そうですね。……わたしが言うことではないとはわかっていますけど」


 そう、地味だ地味だとノアのことを評してはいるが、じゃあわたしのツラはどうなんだと言われると「すいません」としか言いようがない。ノアのことを地味だと言ったが、それは彼をけなしていたわけではないということは、ご理解していただきたい。


 わたしの顔面は直視できないほど不細工というわけでもなく、かと言って美人というわけでもない……という表現で察して欲しい。


「そうですか?」


 けれどもノアは心底不思議そうな顔で言う。


「私にはクロハさんは美人に見えるのですが」

「ええっ」


「美人」だなんて他人からはお世辞でも言われたことはない。ちなみに「カワイイ」はある。本当にそのときのわたしが可愛かったのかどうかは定かではない。つまりは、その程度の明らかなおべっかだった。


 けれども目の前にいるノアはお世辞を言っている様子はなく、心の底からそう思っているようでわたしはびっくりしてしまったのだ。


 すぐにこの世界の美の基準は、わたしの世界とは少々違うのだ、という事実を思い出しはしたものの、わたしは肩腕がないだけの「雌」である。


 ノアは欠損している箇所が多ければ多いほど美しいのだ、と語った。つまり右腕だけを切断したわたしは、この世界の基準で言うとどちらかと言えば不細工……ということになるのではないだろうか? ……そう考えるとちょっと悲しい。


「不細工ではなく?」


 おどろいて聞き返せば、ノアはあわてたように首を振った。


「なぜそのようなことを?」

「だって、ノアさんは欠損箇所が多いほど美しいとおっしゃっていたので……」

「……まあ、世間一般の基準ではそうですね。ですが、私はクロハさんのことを美しいと思っていますよ」


 あ、これはアレか? あまりこういうことは言いたくないが、(ブス)専とかいうやつなのだろうか?


 そんな邪推をしたわたしだったが、次に発せられたノアの言葉でおおよそのことを察した。


「私の――以前雌だった方も、四肢のない、美しい方でした」


 そういうことか、とわたしはちょっとだけ腑に落ちると同時に、なんとなく理解の及ぶ話で納得した。今のわたしを「いい」と言えるのは、ノアの中にいる過去の「彼女」と違うからなんだろう。


 それよりもこの世界でどうしてそういった――つまり欠損箇所が多いほど美しいという――価値観が形成されたのかは気になるところではあるが、今はそういう話を切り出す雰囲気ではない。


 ノアは淡々と感情を込めずに過去を語ってくれる。けれどもその黒い目を見れば、いさかかの感傷が感じ取れた。


 ノアは過去のこと、終わったこととして語ってはいるものの、その傷は未だ彼の内に生々しく存在しているのだということがわかる。


「私は華のない顔をしているということをよくわかっていましたし、覆肌度(ふきど)――肌を覆っている紋様も少なく、雄としての魅力に欠けていました」

「……雄はその紋様? が多ければ多いほどいいんですか?」

「そうですね。全身にある紋様の密集度が高ければ高いほど、魔力も高く雄として優秀、ということになります」


 ノアの言い方だとそれとは別に顔の華やかさも魅力のうちなのだろう。けれどもノア曰く、彼にはそのどちらも欠けていた。


「私は自身の魅力を補いたくて、彼女にはたくさんの愛を注いできました。けれども、彼女の心は私から離れて行きました」

「……どうして?」


 わたしはあえてノアの言葉を誘った。なんとなく、そうしたほうがいいかなと思ったからだ。特に根拠はない。


「『あなたの愛は重い』――そう、言われました」


 ノアは困ったように笑った。

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