(5)
わたしの腕を切ってくれたのは――ノア曰く――身元も腕もしっかりとした医者だった。てっきり前時代的な堕胎医のような、アンダーグラウンドかつ不衛生な施術をされるのではと思っていたわたしはかなり安堵したものである。
ノアが語ったところによれば、この世界の「雌」は先天的に欠損している箇所が多ければ多いほど美しいとされる。最低でも一箇所は欠損している部分を持って雌は生まれて来る。
逆説的に言えば、欠損箇所を持たない場合は雌ではない。女性器を備えていても雌とは判断されないと言う。
そういう人間がどうなってしまうのかまでは、ノアは教えてくれなかった。けれども――ノアの主張しか証拠はないが――自分たちとたがわぬ姿の異世界人を食べようとするような種族である。どうなってしまうかは恐らく、わたしの想像からはそう離れてはいないに違いない。
欠損が雌にとっての美の条件であるから、より美しくなるためにあとから手足を切り落とす、というような手術が生まれたのは、当然の流れと言える。
「だからこんなに切ることになったんですか……」
こんな短く。
そんなちょっと恨みがましい気持ちを込めてノアを見れば、彼はきょとんとした顔で見返してくる。
「どうせなら綺麗になりたい……というのが雌の心情だと思っていました。それは……違うのですか?」
無垢な目をして首を傾げられては、なんとなくこちらが間違っているような気がしてくる。
なぜならノアのそれらはすべて善意。体にメスを入れるならより美しいほうがいいだろう、という思いやりに端を発している。それを考えるとなにかを言う気にはなれなかった。
ノアによるとこういう手術を受けることは、そう珍しいことではないらしい。ただそういった人工的な美を作ることに対し、批判的な人間もいるとのことだ。
わたしの世界で言うと、鼻を高くしたり頬骨を削ったりするようなものなのだろう。それがこの世界では手足を切り落とすことに相当するのだ。メスを入れることに変わりはないと思えば納得――できるような、できないような。
まあ納得しなくてもわたしの右腕はもうないわけだけれど。
そして気になっていた「つがい」。言いかえるなら「夫婦」のようなものだとわたしは解釈した。
雄はひとりでは生きて行くのが難しい雌の世話をするのがステータスなんだそうだ。それを聞いたとき、わたしはなんだかすごく屈折していると言うか、なんとも言えない気持ちになったものだ。けれどもこの世界ではそれがごく当たり前の常識として存在している……らしい。
「でも途中で雌を捨ててしまう雄もいるのではないのですか?」
「ええ、嘆かわしいことにそういう雄もいることにはいます。しかし社会的地位を失うことは確実ですし、そもそもそういう雄は滅多なことでは出てこないのですけれどもね」
「ふーん……」
本当かな、と思ったがまあここはそういう話にしておこう。
「不安ですか」
「不安ですね」
「それは私も同じですよ」
「そうなんですか?」
ノアによると本来の雌であれば雄に気があるかどうかは体を見ればわかるらしい。え、エッチな話か?! と思春期そのものの反応を見せそうになったが、違った。
ノアはきっちりと着こんでいる服のカフスを外すと、ゆるんだ袖をまくりあげる。袖の裾や、襟の合間からチラリと見えていたツタ模様のタトゥーが姿を現す。本物のツタのようにぐるりと腕を這うようにしてタトゥーは彫り込まれているようだった。
「――このように私たちはそれぞれ色を持っているんです」
「えーっと……ノアの場合は、黒?」
ノア以外の雄たちを思い出す。彼らもノアと同じようなタトゥーをしていたが、その色は様々であった。
わたしの答えに満足したようにノアはうなずく。
「そうです。私の場合は、見ての通り黒ですね。これは魔力の色でもあるんです」
わたしは勘違いしていたが、タトゥーに見えたものはわざわざ彫り込んだものではなく、生まれつきのものらしい。静脈が青い筋として皮膚に浮かぶように、個々が持つ魔力の色がツタのような形を持って皮膚に浮かび上がる、とのことだった。
そしてそれは雌も同じなのだが、雌は先天的に魔力を備えているわけではないとのことだ。けれども魔力を注ぎ込めば雄と同じようにツタ模様が皮膚に浮かび上がる。
そうやって魔力で満たされ、雄を受け入れると胸元にある「花紋」――名の通り花の紋様――が浮かび上がり、そうすることで真の意味で「つがい」になれたことになるとのことだ。
「これを見て、雄は雌に気があるのかどうかを知りますが――まあ、現実は浮気チェッカーといったところでしょうか」
「なんだか物騒ですね」
「ええ、まあ。他の雄から魔力を注ぎ込まれてもすぐには雌の紋様は染まりません。相手を拒絶する気持ちがあればなおさらですね。けれども少しでも相手を受け入れるような気があれば、雌のツタはその他の雄の色に染まってしまうんです」
「うわあ……」
「雌を持つ雄にとっては悪夢ですね」
まさしく浮気チェッカー。この世界では浮気や不倫はまず確実にバレるものなのか。わたしには関係ない話だろうけれど。
というかノアのこれまでの言い方だと雄と雌の繋がりは強固で、そこに入り込む余地はあまりない……みたいな雰囲気だったのに。略奪とかどこにでもあるんだね……。
「そういうわけですので、雌の心がこちらから離れていないかはひと目でわかってしまうんですよ」
「へえー……」
「ですがクロハさんは本来の雌からは外れておりますので、魔力を通しても色が浮かばないんですよ」
「えっ」
「そういうわけで私はクロハさんがこちらのことをどう思っていらっしゃるのかは、まったくわからないわけでして」
ノアの黒い目がアホ面を晒すわたしを映している。顔は地味で華やかさはないけど、ひとつひとつのパーツはむしろ美しいなとか、わたしはぼんやりとそんな発見をした。
……というか、これは。
「わたしが浮気しないか気になりますか」
……ということだよね?
「はい」
ノアは隠すそぶりすら見せず、率直にそう答えた。相変わらず、見た目はモサいのに、そこから想像するようなステロタイプからは外れている男だ。
「クロハさんは望まずにこの世界に来ましたから」
「から」
「ここでだれか別の雄に優しくされたらころっといってしまいそうだなと思いまして」
「……ストレートですね」
「迂遠に言っても仕方のないことですしね」
「そうですね。……でも、今ノアさんのおっしゃられたことは、わたしにも当てはまると思うのですが」
わたしがそう言えば、ノアはそれもそうだとばかりに緩慢な動作でうなずいた。
「私が、クロハさんを捨てて他の雌へなびかない保障はないということですね」
「そうですね。わたし、こんな感じになってしまって、今まで自分ひとりで出来ていたことが出来なくなってしまったので。率直に言ってその件はとても不安に思っています」
「その不安はどうすれば解消できるとお考えですか?」
うーん……難しい質問をしてきたな。
「時間が解決してくれるのを待つしかないのではないでしょうか」
「時間、ですか」
「信頼関係を構築するのには相応の時間が必要と考えます」
「そう、ですね……」
わたしの言葉を受けて、ノアは納得していないのかどうかはわからないが、とりあえずなにかを考え込んでいるのだけはたしかだった。
ノアはしばらくゆっくりとさまよわせていた視線をわたしへと戻す。
「では、私はその信頼関係を構築するのに必要な時間を短縮したいと考えていますので、ひとつ提案が」
「……なんでしょう」
「私たちはお互いのことをもっと知るべきです。ですからまず、私から、私自身のことをお話したいのですが、良いでしょうか?」
「それは」
「クロハさんがご自身のことをお話ししたくないと言うのであれば、それでも構いません。ただ、私は私自身のことを多少はあなたに話しておくべきだと、そう思っただけのことでして」
ノアはそう言ってちょっと困ったように笑った。
あ、ずるい。そういう、良心に訴えかけて来るような顔をするのはずるいぞ。
そういうわけでまんまとノアの術中にはまったわたしは、彼の提案を断ることなく受け入れざるを得なくなってしまったのであった。




