(22)
「今日はいとこが失礼しました」
食後のティータイム。ソファに並んでまったりとしていたらノアがそんなことを言い出した。
かすかに眉を下げるノアに、わたしはぶんぶんと首を横に振ったが、彼の顔は晴れない。
「こういうのもなんですが、グリーズは悪いひとではないのです」
「うん。わかってますよ。ノアさんが心配だったって言ってたし」
「ええ、昔からそうなんです、あのひとは」
やれやれといった風にノアは息を吐く。そんな様子から普段のグリーズとのやり取りが目に見えてきて、わたしは少しだけ笑った。
いとこ、というものがわたしにはどんな存在だとか、どういった距離感だとかはわからない。ただ、ノアとグリーズのような親しい関係はいいなと、少々うらやましく思う。
「昔から仲がいいんですか?」
「仲がいいといいますか。同じ『家』で育った中では、わたしたちは仲が良いほうですね」
「あ、同じところで育ったんですか」
なんとなく「家」という概念を理解し始める。係累をひとつの場所に集めて養育するための場所……って感じなのかな。わたしはこの世界の雌ではないから、正しくその「家」とやらを認識するにはまだ時間がかかりそうだ。
わたしの言葉にノアはちょっと気恥ずかしそうな、けれどもうれしそうな顔で言う。
「ええ、そうなんですよ。『家』の中で浮いていた私を、あれこれと気にかけてくれていたのがグリーズなんです」
「じゃあ、他にも同じ『家』で育ったひとがいるんですね」
「私の『家』は『雄』の『家』でしたので、雌はひとりもいませんでしたけどね」
思わず流してしまったが、ノアは「家」では浮いていたのか。
たしかに、今まで見た雄の中でノアの顔はひとりだけ、なんというか……華がない。わたしは嫌いではないけれど、地味と言われれば反論できないていどには、彼の顔は華がない。
呼び出された場で見た多くの雄たちも、ノアの雌を奪った嫌味な雄も、グリーズも、ひとり残らず華やかな面ざしであった。あれがこの世界の雄のデフォルトであれば、ノアの容貌はさぞ浮くだろう。
それにノアは以前ツタ模様のタトゥーの面積がどうたらとも言っていた。あれの密度が高いほどいい雄なんだっけ。それが低いらしい――もちろんノアの裸なんて見たことないから実際のところは知らない――のも、浮いていた原因のひとつなのだろうか。
そしてそういったわたしの類推は、おおむね外れてはいなかった。
「……『家』の中で、わたしは落ちこぼれ扱いでした」
「え? なんで?」
思わず気安げな口調で返してしまう。
「ノアさんはきちんと仕事に就いていますよね?」
そして夜は毎日来ることからして、彼はちゃんと仕事をこなすことができている。だというのに、「家」では落ちこぼれ扱いとはこれいかに。
特大のクエスチョンマークが頭を支配するわたしを見て、ノアはくすりと笑った。
「以前も言いました通り、雄の良し悪しは体の紋様で測りますから」
「えーっと、密度が高いほどいいんでしたっけ」
「そうですよ。よく覚えていましたね。……わたしはまあ、悲しいくらいすかすかですので」
ノアはそう言いながら手元に視線を落とす。手の甲で渦巻くツタ模様の黒いタトゥーを、そっと指で撫でていた。
「これらは生まれつきのものですので、どうしようもないんですけれどね」
その言葉に、わたしは心を揺り動かされた気分だった。
生まれついてのどうしようもないこと。そのことで苦しめられるつらさをわたしも知っている。
「……よく、わかります」
ノアがわたしを見る。もし、わたしにもっと勇気があれば、きっと彼の手を取っていただろう。そしてそのツタ模様のタトゥーに触れていたに違いない。
けれどもわたしにはそれほどの気概はなかった。だからただ、もどかしくも強い意志を持ってノアを見るしかなかった。
「父親も母親も選べないのに……自分にはどうしようもなくって。けれどもそんなこと周りには言えないし、うだうだ悩んじゃって。周りにも自分にもうんざりして……」
「他でもないご両親に対してそうおっしゃられるということは、相当ですね」
困ったように笑うノアには、普段のわたしはどう見えているんだろう。ちょっと気になる。
「わたしってそんなに気の長いほうに見えますか? 結構、短気だと思っているんですけれど」
短気でなければナナたちに真っ向から立ち向かえなかったかもしれない。気が長ければ、もっと我慢していたような気がする。そのどちらがよくて、どちらが悪いかとかはわたしにはわからないけれども。
「クロハさんは大変おおらかで優しい方だと思っていますが」
「え、えー……? そうですかね……?」
「だって、突然現れた私とつがいになってしまうんですから。……ああ、長考せずにズバッと決めてしまわれるところは、ある意味短気と言えるかもしれませんが」
「まあ、たしかにぐだぐだ悩みたくないとは思っていますが……」
おおらか。やさしい。今までに言われたことなんて一度もない。ハキハキしてるとか、せっかちとか、ちょっとキツイとかは言われたことあるんだけれど。
それに「ぐだぐだと悩みたくない」とは言ったけれど、思っているだけで実際はうだうだ悩んでしまうほうである。今だって元の世界のことを割り切れずに引きずっているのだから。
「――でも、それでもわたしはナナのことを……」
「ナナ……? ……ああ、いっしょに喚ばれてしまった方のことですか」
グリーズに言われてドキリとした。
グリーズにとってそれは手札の一枚。わたしに揺さぶりかけるための話題に過ぎなかった事柄だ。けれども、わたしにとってはまた別の意味を持っている出来事でもある。
「わたし、ナナが死んだって聞いても、ショックを受けない自分にショックでした」
「他人事でも仕方のないことだと思いますよ」
「……そうですね。そうかもしれません。でも――」
でも、本当に本当にそれでよかったのだろうか?
今さらながらにわたしは動揺し、そしてどっちつかずの感情に混乱していた。
「わたし……自分は善人だと思っていました」
そう、思っていた。けれども現実には、ナナのことなんてどうでもいいと考える自分がいた。
「なぜ、そんなに悩まれるんですか?」
ノアは心底不思議そうな顔をしてわたしに問う。
――そんなの、答えはひとつだ。
「よく見られたいんです。つまり、善人だと思われたいんです」
「私にはクロハさんは悪人には見えませんよ」
「つまり……そうなんですよ」
「え?」
わたしは自嘲的に笑う。それがノアを困らせることになるとわかっていながらも、いびつな笑みを浮かべずにはいられなかった。
「ノアさんに、よく見られたいんですよ」
ノアは目をしばたたかせる。それからじっとわたしを見て、ゆっくりと何度かまぶたを閉じては開いた。
「クロハさん」
ノアは微笑っていた。わたしの醜い笑みとは違う、慈愛に満ちた微笑みをわたしに向けていた。
「苦しいのは、悩むのは、他人事でいられるのは、すべて魔力のせいです」
「……魔力ってそんなに万能なんですか?」
「ええ、ですから魔力のせいにしてください。……クロハさんは、悩まないで。わたしは苦しんでいるあなたを見たくないのです」
ノアはそう言ってわたしの肩に手を置いた。優しく、そっとふれるだけの触り方だ。
じんわりと伝わってくるノアの体温を感じるだけで、まるで真綿に包まれているような気になる。
「……その優しさだけ、受け取っておきます」
ノアの言葉は泣きだしたくなるくらい、うれしかった。
けれどもこれはわたし自身で消化して、答えを出さなければならないことだから。
「ありがとうございます、ノアさん」
だから今は、この言葉で誤魔化されて欲しい。
「いいんですよ、クロハさん。お礼を言わなければならないのは私のほうですから」
「そんなことないですよ」
「いいえ。……今日の言葉、うれしかったです」
「今日の言葉?」
わたしが首をかしげると、ノアはちょっとおどろいたような顔をしたあと、なぜか満面の笑みを浮かべて言う。
「……おや、覚えていらっしゃらないと、おっしゃいますか?」
「えーっと……。……あ」
思い出した。というか、思い出してしまった。
わたしがノアのことを好きだと、グリーズに言い放ってしまったことを。
途端にわたしの顔に熱が集まる。頭は、爆発してしまいそうだった。
「あ、あのー。あれは、その……」
しどろもどろに言葉を重ねるわたしを、ノアはにこにこと非常に機嫌の良い様子で眺めている。なんだかそれが腹立たしくて、しかしそれ以上に羞恥心を煽られて、わたしは身の置き場なく視線をさまよわせた。
「あれは、あれはですね……」
「わかっています」
ノアの笑顔はいつもと変わらないだろうに、わたしにはそれがしたり顔に見えた。
――ああ、ああもう、恥ずかしい!
「恥ずかしがっているクロハさんもいいものですね」
「……ノアさんのバカ」
「すいません。でも、すごくうれしくて……天にも昇る気持ちとはこのことですね」
頬が落ちそうなほどにこにこと上機嫌なノアを見ていると、理不尽な怒りの感情もどこかへ消え去ってしまう。あとに残るのはどうしようもない恥ずかしさで、これが一番厄介なのだけれども。
でも、わたしの心もノアと同じく歓喜の色であふれていた。
「好き」と告げた相手が、それを「うれしい」と返してくれる。それを幸福と呼ばずしてなんと呼ぶのだ。
……けれどもまあ、恥ずかしいものは恥ずかしいので、わたしは思わずうつむいてしまうのであった。
「すいませんクロハさん。お詫びに髪を綺麗にして差し上げますから」
「……それ、ただノアさんがしたいだけでしょう」
「バレましたか」
舌でも出しそうな顔でノアが言う。わたしはそれを見て、ため息をひとつついた。
「別にいいですよ。でも、それはもう、丁寧に丁寧に、綺麗にしてもらいますからね」
わたしの言葉にノアは小さく笑い声を漏らした。
「わかりました。……私の愛しいひと」
そのセリフでまたわたしの頭が爆発しそうになったのは、言うまでもない。




