(21)
「クロハさん。こちら私のいとこにあたるグリーズです」
「初めまして。クロハです」
「グリーズだ」
向かい合って座るグリーズとノア。そのノアの横にわたしは腰をおろしている。
改めて自己紹介をしてグリーズがノアのいとこだということが判明した。失礼にならないていどに思わずグリーズの顔を見てしまう。……正直に言おう。ぜんぜん似てないいとこだなーと思った。
グリーズの顔はきらきらしい。目元はノアと違って野暮ったくなく涼やかだし、顎のラインも綺麗だ。ノアが劣っているというのではなく、グリーズが美しすぎるのだと思う。どちらがいいかと問われれば、わたしはノアのほうがいい。
そんな美形ににらまれるような視線を送られると、どうにも落ち着かない。まるで自分が悪いことをしているような気にすらなってしまうが、それは単なる錯覚だ。自分を強く持たねば。
「それでは、言いたいことがあるのでしたらどうぞ」
少々挑発的だったかもしれないが、わたしはグリーズと喧嘩するつもりでこの場に同席したのではない。ただこのまま放っておいてもグリーズは居座りそうであったから、ひとまず不満をわたしにぶつけてもらえば、彼も多少は冷静になれるのではないかと思ったのだ。
グリーズは秀麗な容貌を気難しげにして、わたしとノアを交互に見た。
「まあ、まずはノアからだ」
「私ですか」
うなるようなグリーズに対し、ノアは平常運転。いつも通りマイペースで淡々としているようだ。
「なんでこんな雌を迎えた? しかもわざわざ腕を切って」
グリーズは天然美こそが美のすべて、ってタイプなのかな。ノアが以前言っていた、切断手術をよしとしないタイプ。
「こんな雌とは?」
「こいつは花紋もない。魔力を流してもその色に染まらない」
花紋。それは雌にあるものだと教えられた。しかし当たり前だが、わたしにはそれがない。
以前ノアは魔力を流せば雌の肌にツタ模様が浮かび上がると言っていた。そしてそれは雄の魔力の色を帯びているとも。
それがない、ということはわたしが思っていたよりも雄にとっては重要で、深刻な問題なのかもしれない。
「だから……あー……同じことが繰り返されるかもしれない」
「……わたしの不貞を疑っておいでですか」
ひどく言いにくそうながらもグリーズが口にした言葉が看過できるものではなかった。
「グリーズ」
批難するような声音でノアが彼の名を呼ぶと、一転してグリーズは落ち着かない様子になった。
同じこと。すなわち雌の浮気……この場合は不倫と呼ぶのが正しいのだろうか? とにかくそれが繰り返されるのではとグリーズは懸念している。
ノアの以前の雌といっしょくたに語られるのは、正直に言って不愉快だった。浮気や不倫なんてわたしからすれば言語道断。付き合っている相手や伴侶に、筆舌に尽くしがたいほど無礼で不誠実な行為という認識なのだ。
グリーズはノアの魔力の色がわたしには出ないことで、心がどこにあるかどうかわからないことを危惧している。けれどもわたしからすると、そういう風にわかったからといって、不倫するかどうかは結局本人の資質なのではないか。そう思ってしまう。
「お前がそうだと言いたいんじゃない。ただ――ノアは不安じゃないのか」
「不安ですね」
きっぱりはっきり言い放ったノアに、グリーズはちょっとおどろいたような顔をする。わたしは、ドキリと緊張に心臓を跳ねさせた。
けれども続くノアの言葉は、一瞬にしてわたしの頭を駆け抜けたどの最悪な言葉とも違った。
「けれどもそれはどうしようもないことです」
「お前がそういう雌を選んだからだろう」
「ええ、そうです。ですから、そういうことはもう、わかっています」
「一度裏切られたのに、気にはならないのか」
「なりますが……クロハさんは、彼女とは違います」
彼女とは違う。その言葉がなによりもうれしくて、わたしは頬に熱が集まるような気になった。
「……わたしも、その彼女のことは正直に言ってよく知りません。けれどもノアを裏切った雌といっしょくたにされるのは不愉快です。言葉だけでは仕方のないことでしょうけれども、言います」
ごくりと一度つばを飲み込み、グリーズを真正面に見据えた。
「わたしはノアさんを裏切りません」
ノアがわたしを見た。わたしも思わずノアを見た。その目元は優しげにとろけていて、思わず先ほどとは違う胸の高まりを感じてしまう。
グリーズは「む……」と短くうなったまましばし黙り込む。けれどもまた口を開くのはすぐだった。
「お前は……クロハは『聖餐の乙女』としてこちらに喚ばれたのだったな」
「ええ、そうです」
「クロハ……他の同族が死んだことについてはどう思っているんだ。ひとりだけ助かって、どう思っているんだ?」
グリーズの直截な言葉は、わたしの心をえぐった。今まで見ないようにしていた治りかけの傷口を、改めて見せつけられた気分だった。
グリーズがなぜその話題を今出したのか。彼は、わたしたちが頑なだと見たのだろう。だから、デリケートな質問を飛ばすことで、わたしの本性を引きずり出したかったのかもしれない。
そう頭では冷静に状況を俯瞰できていたが、わたしの心臓はバクバクと大きく鼓動を立てていた。
「助かりたくて、ノアの雌になったんだろう? ……そんな打算の関係でつがいになれば、いつかほころびが生まれるぞ」
最後はノアへ。わたしは今度はノアの顔を見れなかった。体が強張ったようになって、じっとローテーブルを挟んで向こう側にいるグリーズを見つめたままだ。
「グリーズに、私とクロハさんの関係について、あれやこれやと言われたくないですね」
「図星を指されたか?」
「挑発したって無駄ですよ」
ふたりのあいだで静かに火花が飛び散っている様を幻視する。
「仮にクロハさんがひとり助かって安堵されて、他の方の生死なんてどうでもいいと思っていたからといって……どうなんです?」
「……そんな冷血な雌でいいのか?」
「冷血なのは、そんな質問をされるあなたのほうですよ、グリーズ」
「む……」
あえてその手の言葉をかけたであろうグリーズは、自覚があるからか言葉に詰まったようだ。
「当たり前でしょう? だれだって、自分の身がかわいいものです。それの、なにが悪いんですか?」
ノアはそこまで言って再びわたしを見る。にっこり。そんな形容詞が似合う微笑みをわたしに向ける。
「私の一番はクロハさんです」
「そ……それはどうも。……光栄です」
恋をして欲しいと言ってきただけはある。こういうときもそれを忘れないノアに、うれしいやら呆れるやらだ。
そんなわたしたちをグリーズは苦虫を何匹も潰したかのような顔で見ている。そんな彼へとノアは視線を戻して言う。
「そういう選択をせざるを得ない状況へ追い込んだのは私たちなのですから。クロハさんは純然たる被害者です。やむを得ずの選択から、本性などというものは見えてこないと私は考えています」
どうやらノアもグリーズの質問の意図には気づいていたようだ。……まあ、わかりやすかったしね。ノアは鈍感じゃないから、気づくのは当たり前だ。
グリーズの横柄な態度はなりを潜め、今はひどく居心地の悪そうな顔をしている。
なんというか……彼は……。
「グリーズさん」
「な、なんだ」
グリーズは突然の呼びかけに肩を揺らした。そんなにおどろかなくてもいいじゃない。
「わたし、ノアさんのことが好きです」
どうしても、恥ずかしくて言えなかった言葉。それがなぜかするりと舌から滑り落ちた。
わたしの横にいるノアが、ちょっとだけ体を揺らしたのがわかった。グリーズもわずかに目を見開いて、わたしを見ている。
なんでそんなにおどろくかなあ。わたしってそんな徹頭徹尾打算でノアにくっついていると思われていたんだろうか。ノアにもそう思われていたのなら、少し悲しい。
「好きなんです。だから、どうかノアさんといっしょにいさせてください」
そう言ってそろえた膝に両手を乗せ、深く頭を下げた。
気がつけば顔には今までにないほどの熱が集まっていて、耳までかっかとほてっている。今、わたしの顔は最高に赤くなっているに違いない。
恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がないけれども、でも、この言葉を今口にすることができて良かったと、そう思えた。
「……顔を上げろ」
グリーズの言葉通りに顔を上げて彼を見る。わたしの顔は未だ熱いままだ。彼はわたしと目があうや、それはもう綺麗に視線をそらされた。そして居心地が悪そうに二度ほど肩を揺らした。
「悪かったな。その……ノアが心配でな」
話しているあいだ思っていたが、なんというか、彼は悪い人ではないのだろう。それがわかっていたからこそ、わたしは素直に心の柔らかい部分にある本音を吐露する気になれたのだ。
「わかっています」
そう返せば、グリーズはまた居心地悪そうに何度か居住まいを正した。そしてコホン、とわざとらしく咳払いをひとつ。
「……本当に、クロハはあいつとは違うらしい」
「だからそう言っていたじゃありませんか」
「会ってみないとわからないだろう。こういうのは。恋の感情はあらゆる目を曇らせるからな」
グリーズの言にはたしかに、と思った。だからといって彼の挑発的な態度がよろしいかと言われれば、そうでもないが。
「別に、曇っていてもいいじゃありませんか。幸せなら」
「……お前はなんというか……いつも我が道を行くな」
「そのほうが楽しいですよ」
先ほどまでの一触即発といった空気はどこへやら、ふたりは和気あいあいと言葉を交わしている。恐らく、これが本来のふたりのありようなのだろう。いとこだと言っていたし、もとからそれなりに仲が良かったに違いない。
それをいっときでも仲たがいさせるようなことをしてしまった自分という存在を顧みると、ちょっと申し訳ない気持ちになった。
「クロハ」
そう言えばどのタイミングからだった名前を呼ばれていた。これも、彼の根は悪くないのだと確信できる要素のひとつだった。
「俺が言うのもなんだが……ノアは癖のあるやつだけど、悪いやつじゃない」
「はい」
「ええっ、クロハさん肯定されるんですか? 癖なんてないと思いますけれど」
「お前はちょっと黙ってろ」
ノアは子供っぽく唇を尖らせるも、グリーズの言う通り静かになった。
グリーズは改まった様子でわたしを見る。
「色々思うところはあるだろうが、ノアのこと、好きならそばにいてやってくれ」
「言われなくても、そうします」
どちらにしろ逃げられないし、逃げる気もない。
わたしがそんな気持ちを込めて返せば、グリーズの顔がここにきて初めてゆるんだ。
「ノアのこと、よろしくな」
――かくしてふたつめの来訪は、至極なごやかな空気の中で幕を閉じたのであった。




