二話
目が覚めるとなぜか、僕は檻の中にいた。
牢屋にしては、随分と清潔感のある部屋だ。
漂白した服のような白さ。
床も壁もやたらと白い。
近未来の映画に出てくる部屋みたいだ。
と、ここで、僕が鬼の前で気絶してしまったことを思い出す。
それと、よくわからない土地に来てしまったことも。
女木公園は、それほど海から遠いわけではない。
だが、穴に落っこちて、地中を滑り、たどり着けるような距離でもない。
倒れているところを発見され、誰かに救出された後、なんらかの理由で浜辺に放置されたという線もあった。
もし、あの鬼を見つけなければ、そうやって無理やり納得することはできただろう。
それともなんだ、
あの鬼はハリウッドの特殊メイクによる変装で、これは誕生日が近い僕への壮大なドッキリだっていうのか?
お調子者の妹が考えそうなことではあるから、あながち間違ってはなさそうだ。
「目が覚めたか。人間」
鬼が現れ、檻の外から僕に話しかけた。
ここで、妹のドッキリ説の可能性はなくなる。
ハリウッドの技術でどうなる問題ではない。
この鬼は人とは体格が違う。身長が三メートルは超えている。
「さて、どうして人間が、鬼でさえ立ち入り禁止区域である東沿岸にいたのか、話してもらおうか」
「それが、僕にも分からないんだ。目が覚めたら、あそこにいたんだ」
「つまり、海で漂流してたどり着いたということか?」
そういうことにしておいた。
というか、鬼が怖すぎて頭がまわらなかった。
「それが本当なら、困ったな。本来であれば人間の不法入国は大罪なのだが、故意でないとすると……」
「もし、故意だったらどうなるんだよ」
「死刑だ」
まったく、嫌なことを聞いてしまった。
ただ、僕が考える鬼は、故意の有無に関わらず人間を殺す化け物であった。
もし、ちゃんと、故意でないことを証明できれば、助かる道はあるかもしれない。
だから、ほんの少し安堵した。
本らしきものをパラパラとめくって鬼が言う
「人鬼不可侵条約には――これといって故意の有無については、記述されてないな。とすると、死刑か」
「おいおい待てよ、故意じゃない。そんな簡単に殺さないでくれ。というか、人鬼不可侵条約ってなんだよ」
「知らないのか? 十年程前に征夷大将軍の源頼朝の案により締結された条約だ。鬼と人間双方が侵略行為を行わないことを約束したわけだ。この条約では不法入国も侵略とみなす」
鬼の説明の途中で体が凍りついた。
今、なんて言ったこの鬼。
十年前に源頼朝?
「だが、私たちだって罪のない人間を殺したくはない。見たところお前は悪い人間ではなさそうだ。ふつう人間は私たちを敵視して、まともに会話すらできないからな」
まさか、タイムスリップ……
「ちょっと、待て。今は何年だ。千二百年とかか?」
「どういう意味だ?」
「西暦だよ。いや待てよ、あの時代なら西暦では通じないか。源頼朝っていうと、鎌倉幕府の」
「そうだ、鎌倉幕府の初代征夷大将軍の源頼朝だ」
動揺は隠せなかった。
顔から血の気が引くのがわかる。
どうやら僕は、さして冷静な人間ではなかったらしい。
鬼の存在は理解できても、過去に戻るのは理解できない。
「あの時代なら、せいれき、では通じない。あの時代……。その反応、お前、もしかして、未来から来たか?」
――ただでさえ、動揺しているのに、こいつ。
僕は言葉も出なかった。
鬼ってやつは、予想以上に頭がいいらしい。
いや、この言動だけで未来から来たと推測するのは、むしろ馬鹿か?
「お前の服装、私の知る人間の服とはかなり違う。むしろ、鬼の服に近い。機能性の高く合理的な服。これも未来から来たという理由の一つになっている」
「……あんたの言うとおりだ。僕も信じられないが、未来から来た。来てしまった。僕が生まれたのは、今から約八百年後なんだ。昨日、八百年後の昨日、公園の穴に落ちて、気がついたら海辺のあの場所にいたんだ」
「そうすると、海で漂流したというのは嘘ということになるな」
瞬時に僕の論理の破綻を指摘してきた。
本当に頭はいいようだ。
「悪い、それでやり過ごせそうだったから、そういうことにしといたんだ」
「本当に未来から来たなら、何も知らないわけだから、都合の良い話に同意するか。未来から来た人間……なかなか面白い。」
やけに物分りのいい鬼だ。
「よし、上に掛け合ってみよう。助けられる保障はないが、可能性は高い。お前、名を何と言う?」
「安藤武だ。あんたは?」
「東沿岸警備隊隊長の小杉慶介だ」
随分と人間じみた名前をした鬼だが、ここに住む鬼は基本的には、こういう人間っぽい名前らしい。
この留置場にいる間、この小杉からは色々な話を聞いた。
この小杉って鬼は四十近くで娘もいるようなおっさんだった。
僕はてっきり、この鬼は僕と同じ位の年齢、もしくは成人して少しくらいの若い鬼だと勘違いしていたのだけれど、鬼ってのは人間に比べて、老けにくいそうだ。
そして、ここがいわゆる鬼ヶ島であることがわかった。
もっとも、僕の想像していたような、常に雷雲に囲まれているような島ではないけれど。
あと、鬼と人間は長年戦争をしていて、人鬼不可侵条約によりようやく戦争が終わったと聞いた。
その話の中でも興味深かった話がある。
「安藤よ。お前どうやら、鬼は人間に力で勝ると考えているようだが、それは違うぞ」
「お前みたいな、そんな体格をした生物に敵う人間なら、そいつは虎だって素手で倒せるぞ」
「いや、鬼は人間に力で劣る。これは事実だ。もし私が、鬼のなかでもそこそこ強い、この私が、人間の女と殴り合いの喧嘩をしたら三十秒も持たないだろう」
「その外見は見せかけってことか」
「お前ら人間が、体が一まわりも二まわりも小さい猿に喧嘩を挑んでも敵わないのと同じだ。動物に力で劣る人間が、知恵をつけたように、私たち鬼も、力で劣る人間に対して、知恵をつけた」
聞くところによると、戦争では馬と剣を使ってくる人間に対して、銃のようなもの、話を聞く限りはやたらとハイテクな武器を用いることで、互角に戦っていたようだ。
それから、僕も色々な話をした。
鬼は好奇心が強いらしく、三日もすると噂を聞きつけた鬼たちが僕の話を聞きにきた。
日を追うごとに鬼は増え、おかげで檻の外は鬼で溢れてしまった。
でも、鬼ってのは礼儀正しく、みんな並んで、順番に座る。
八百年後の未来では、日本の人間がこの時代の鬼と同じく民主主義をかかげていることを知ると、みんなうれしそうだった。
ただ、八百年後の未来には、鬼がいないことを話すと、みんな残念そうな顔をしていた。
こんな生活を続けて二週間、小杉の協力によって、僕は釈放される。




