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【AI小説】ヴァンパイアのカナと魔女のエリス|2026  作者: 茉莉花イツカ


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第一章 両想いの発見

 冷え切ったビル風が路地裏の奥まで吹き抜けてくる。カナは小柄な身体を漆喰の壁に深く埋め、風にたなびく黒いコートを完全に闇と同化させていた。


 退勤する会社員の波の向こう、大通りの片隅で若い男女の足が止まる。男――拓海の歩みがピタリと止まり、その半歩後ろを歩いていた女――栞のローファーもアスファルトを叩く音を止めた。並んで見つめる視線の先には、無数のノイズをはらんで明滅する夜の街が寒々と広がっている。


「じゃあ、また明日」


 栞の、どこか湿り気を帯びた声が遠く聞こえた。彼女の細い指先が、夜の闇をなぞるように小さく揺れる。拓海は喉の奥で肯定の音を絞り出したが、その場に縫い付けられたように両足が動かない。先に歩き出した彼女の、頼りなげに揺れる後ろ姿を、男はただじっと見つめ続けている。


(ふうん、もどかしいわね)


 カナは目を細めた。


 拓海は錆びついた歯車を回すように、じわじわと身体を半分だけ反転させ、乾いた唇をわずかに開きかけた。だが、声の輪郭を結ぶ前に、冷気に晒された指先を小さく震わせ、そのまま重い踵を返してしまう。彼女とは正反対の、街灯の薄暗い闇の向こうへ、逃げるように歩みを速めていく。


(よし、面白そう。あっちの男からにしようかな)


 カナは音もなく動き出した。猫のように気配を絶ち、じわじわと間合いを詰めていく。周囲の人通りが潮が引くように途絶え、ナトリウム灯の鈍い光がぷつりと途切れた瞬間。


 ここだ。


 カナは鋭く踏み込み、冷たい指先で拓海のコートの袖を確実につかまえた。ヴァンパイアの膂力で、一気に街灯の届かない路地裏の闇へと引きずり込む。拓海の視界が大きく傾き、驚愕に染まった目が見開かれた。


「え、あの――」


 至近距離に迫ったカナの貌を見て、拓海の頬が、かすかな朱に染まる。何かを期待するような情けない男の顔を、カナは鼻で笑った。彼女の目的はそんな甘やかなものではない。尖った顎を迷うことなく男の剥き出しの首筋へと寄せた。


「ちょっと待っ――」


 懇願を遮り、鋭利な一対の牙で柔らかな肌を深く貫く。


 鉄の匂いを孕んだ温かい血液が、カナの乾いた喉を滑り落ちていく。微かに糖分を含んだその味を噛み締めるのと同時に、拓海の膝からふっと力が抜けた。


 刹那、奔流のようなヴィジョンが、カナの意識に直接流れ込んできた。


 血を通じて脳裏に溢れ出したのは、栞の眩い笑顔だった。夕方の会議室で夕日に透けていた横顔、騒がしいランチタイムに交わした他愛のない会話、デスクに向かって真摯に眉をひそめる仕事ぶり。拓海の海馬に刻まれた記憶の破片が、鮮烈な色彩を伴った映像となって、カナの脳内に解き放たれる。


 同時に、男の胸をきりきりと締め付けるような、張り裂けそうな恐怖と切なさが伝わってきた。


 ――この口から伝えてしまえば、すべてが壊れてしまうかもしれない。もし断られたら、もう隣を歩くことさえ許されなくなる。


 そんな臆病な諦念の底で、けれど彼女の笑顔を思い出すだけで、拓海の胸には確かに温かい熱が灯っていた。これだけで十分だ、いや、本当は、こんな距離では到底足りないのに。


「……なるほどね」


 カナは満足して牙を引き抜いた。拓海の身体が大きくよろめき、湿ったレンガの壁にどうにか手をついて自重を支える。


「何、が……」


 拓海の瞳はぼんやりとカナの輪郭を捉えようとしては、虚空を彷徨っていた。焦点が全く合っていない。


「大丈夫よ。ちょっと強い貧血を起こしただけだから」


 カナはひらひらと手のひらを翻した。拓海は重い首を傾げ、何が起きたのかを必死に考えているようだが、千鳥足のまま言葉を紡ぐこともできないようだ。


「風邪ひかないうちに、気をつけて帰ってね」


 未だ足元のおぼつかない男に背を向け、カナは路地裏のさらに逆巻く深い闇へと、滑り込むように消えた。背後で拓海がかすれた声で何かを呼ぶのが聞こえたが、振り返る必要はなかった。


    ◇◇◇


 翌日の夕方。カナは昨日と同じビルの前、街路樹の影に佇んでいた。


 ガラス扉を押し開けて、栞が出てくる。彼女は今日も、どこか心ここにあらずといった風情で、視線を地面に落としたまま一人でぽつぽつと歩いていた。その隣に、あの男の姿はない。


(今度はあっちの女の子ね。絶好のチャンス)


 カナは退勤する会社員の波に巧みに紛れ込み、栞の背中を尾行した。彼女が緩やかに角を曲がり、駅へと向かう大通りから外れて、急速に人工の光が希薄になっていく。


 ここならいい。カナは歩調を速め、彼女の背中に声を投げかけた。


「すみません」


 弾かれたように栞が振り向く。警戒させないよう、カナはあらかじめ用意しておいた無害な少女の笑みを浮かべてみせた。


「ちょっと、道を教えてほしいんですけど」


 栞はホッとしたように表情を緩め、こちらへ歩み寄ってくる。その瞬間、カナの腕が蛇のように伸び、栞の華奢な手首をがっちりとホールドした。


「え――?」


 短い疑問の声を上げる間もなく、彼女の身体を薄暗い路地裏へと引きずり込む。栞が悲鳴を上げようと喉を震わせるが、それよりも早く、カナは彼女の柔らかなうなじに容赦なく牙を突き立てた。


 流れ込む血液。そして、再びカナの視界を埋め尽くす精神のヴィジョン。


 それは、拓海の照れたような笑顔だった。生真面目に書類を見つめる表情、思い通りにいかずに困惑する顔。その一つひとつを愛おしむ栞の強烈な情動が、冷たい波濤となってカナの意識を狂わせる。


 同時に、彼女の胸の内の嵐が伝わってきた。


 ――私の気持ちなんて伝わるはずがない。彼はきっと、私のことなんてただの同僚としか思っていない。


 張り裂けそうな不安と、微かな期待。もう諦めて楽になりたいという心と、どうしても手放せない恋着が、彼女の胸の中で激しく火花を散らしている。


 カナは十分にその熱を味わうと、静かに牙を抜いた。栞が糸の切れた人形のようにふらりと体勢を崩し、壁に寄りかかる。


「足元、気をつけてね」


 カナはすぐに背を向け、路地裏の迷路をすり抜けた。後ろで栞が衣服を擦れさせながら衣服を整え、戸惑った声を上げていたが、気にせず先を急ぐ。


 ジグザグとした路地裏の迷路を抜け、カナは遮るもののない夜空を仰ぎ見た。ふっと笑いが漏れる。


「両想いじゃん、完全に」


 お互いが、お互いしか見えていない。それなのに、当事者たちは世界の終わりのような顔をしてすれ違っている。なんという無駄、なんというもったいない時間の浪費だろう。


(これは、私がちょっと手助けしてあげなきゃね)


 カナは助走もなく、垂直に夜空へと舞い上がった。重力から解放された身体の下で、街のネオンがまたたく星の海のようにきらめいている。目指すべき場所は、とうに決まっていた。


 人工の光が途絶え、深い木々の緑が凝縮された森の奥。そこに、時代から取り残されたような古い石造りの塔がひっそりと佇んでいる。最上階の窓からは、妖しい紫色の光がかすかに漏れ出ていた。


 カナは迷わずその窓辺に着地し、ガラスを軽くノックした。


「入りなさい」


 低く、けれどどこか鈴の鳴るような響きを持つエリスの声が、部屋の奥から応じた。カナが窓を押し開けて中に入ると、乾燥させた何百種類もの薬草と、得体の知れないお香の匂いが、濃密な空気となって鼻腔を突いた。


 部屋の中央で、エリスがゆっくりと振り返る。滑らかな銀髪が月光を浴びて揺れ、深い紫色のローブが床に微かな衣擦れの音を立てた。彼女が向かう机の上には、奇妙な形のフラスコや、干からびた植物の根が乱雑に並んでいる。


「久しぶりね、カナ」


 エリスの薄い唇が、意地の悪そうな弧を描く。カナは窓枠から部屋の床へと飛び降りた。


「ちょっと、エリスに頼みたいことがあるの」


「また厄介事を持ち込んできたの?」


 エリスは呆れたように息を吐き、背もたれの高い椅子に深く腰掛けた。カナもその隣の椅子を引き寄せ、身を乗り出すようにして座る。エリスの切れ上がった瞳が、面白がるようにこちらを覗き込んできた。


「あのね、完璧に両想いの人間たちがいるんだけど、二人とも重症の意気地なしで、全然気づいてないの」


「人間にありがちな、退屈な喜劇ね」


「だから、私がちょっと背中を押してあげたくて」


「相変わらずのおせっかいさん」


 エリスはくすくすと喉を鳴らして笑った。だが、その手はすでに調合の準備を始めているように見えた。


「ねえ、飲んだら絶対に本音を喋っちゃうような薬、作れる?」


 カナの問いに、エリスは細い指先で顎をなぞり、目を細めた。


「作れるわよ。ただ、効果はほんの一時的。長くは持たないわ」


「それで十分よ。その一瞬さえあれば、あとは二人が勝手に解決するはずだから」


 エリスは椅子の背から身体を起こし、大きな薬品棚へと向かった。埃を被った古い小瓶を取り出し、乳鉢の中で奇妙な粉末をすり潰し始める。


「それで、その薬をどうやって彼らに飲ませるつもり?」


「それは……」


 カナは胸の前で腕を組み、うーんと唸った。思いつきで動いていたので、具体的な手段までは考えていなかった。


「これから考えるわ」


「相変わらず無計画な子ね」


 エリスは溜息交じりに言いながらも、手元の作業を止めない。すり鉢の中で混ざり合った液体が、やがて禍々しいほどの鮮やかな紫色へと変化していく。それを丁寧に遮光性の小瓶へと注ぎ込んだ。


「ほら、できたわよ」


 差し出された小瓶を、カナは壊れ物を扱うように両手で受け取った。


「ありがとう、エリス!」


「せいぜい、うまくいくといいわね」


 エリスは窓辺へ歩み寄り、冷たい夜風に銀髪をなびかせながら、遥か遠くの街明かりを見つめた。


「退屈したら、またいつでもいらっしゃい」


「ええ、絶対ね」


 カナは薬の入った小瓶をコートのポケットに深くしまい込み、窓枠から夜の虚空へと身を躍らせた。冷烈な風が頬を叩き、思考を急速にクリアにしていく。


(さて。どうやってあの二人にこれを飲ませようかな)


 月明かりに照らされた夜空を滑空しながら、カナは脳内でいくつもの作戦を組み立てては消した。少しくらい失敗したって構わない、ヴァンパイアの時間は無限にあるのだから、何度でも泥臭く試せばいい。


 あの二人の頑なな心が融け、幸せな結末を迎えるその時まで。

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