第二十九話 瞳に映る幻は
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「うぅ、何だか怖くなってきた……」
ポスリコモスにある中央広場から少し進んだ先。
大きくて物々しい雰囲気のゲートの前に、タカヤとショースケとスイとティナの四人は立っていました。
ゲートの奥からうなるような鳴き声が聞こえる度、ショースケはビクビクと怯えています。
「ここから先には大きくて強いモンスターがうじゃうじゃいるんでしょ? 僕たちだけで本当に大丈夫なの……?」
弱気な言葉を口から漏らし続けるショースケに、隣に立つスイはため息を吐きました。
「まだ言ってるの? 大丈夫よ、私とティナはよく出入りしてるし……それに今回は特級のタカヤが一緒なんだから。ほら、いつまでも縮こまってないの!」
ショースケの背中を強めにパンッと叩いて、スイは続けます。
「新しいコスモピースの材料に必要なものなんでしょ? そのために私たちの仕事にわざわざ付いて来たんじゃない」
「そ、そうなんだけど……わかったよ。大きなイントルベシアントを採らなきゃだもんね……」
イントルベシアント。キラキラ輝く、非常に高価な緑色の石です。
宇宙警察本部では最近、このゲートの先でとっても大きなイントルベシアントが採れたことが話題になっていました。
どうしても同じようなものを手に入れたいショースケは、スイとティナに頼み込んで、タカヤと一緒に二人の仕事であるゲート内ルートの点検に同行させてもらったというわけです。
「それにしても、イントルベシアントは惑星プローマで採れるものだと思っていましたが……ここ、ポスリコモスでも採れるんですね?」
タカヤの言葉に、ティナは後ろからニカリと笑って答えます。
「惑星プローマとポスリコモスの一部は環境がよく似てて、同じものが採れることも多いの! それに惑星プローマのイントルベシアントは採掘され過ぎて枯渇してしまっているけれど……ここのは最近発見されたばかりだから、きっとまだ大きいのが残ってるはずだよ!」
そう言うと、ティナはゲートの脇の大きな柱に、右手の人差し指に付けている指輪型のポスエッグをかざしました。
どこかからピピッと音がして、ガランガランと重いゲートが開きます。
「さ、行こう? 早くしないと他の人に採られちゃうかも!」
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カラフルな植物が鬱蒼と生えてまるでジャングルのような獣道を、四人は草を掻き分けながら進んで行きます。
「うひゃぁ⁉ 何かニュグニュグした変な虫いる!」
「虫くらい居るわよ、ショースケ。それよりあんまり大きい声出さないで……モンスターに見つかったら面倒でしょ」
スイは出来るだけ小さな声で、後ろにいるショースケをピシャリと注意しました。
「うぅ、わかってるけどさぁ……」
ぽそぽそ呟いて、ショースケは生い茂る木々の隙間から空を見上げます。
大きな鳥のようなモンスターが何匹も、ギャアギャアと鳴き声を上げながら飛び去って……次第に空は血のような深い赤に染まっていって。
……震える体を両手で抱きしめるように押さえながら、ショースケは今すぐ引き返したい足を何とか前へと進めます。
「ねぇお姉ちゃん? タカヤくんとショースケくんの目的地まで、ここからどれくらいかかるかな?」
ティナは先頭を歩くスイに、怒られないよう小声で話しかけました。
「そうね、ここはAルートだから……大体ニ十分くらいかしら。ほら、見える?」
スイは真っ直ぐ前を指さします。
ワサワサとした木々の間から、霞がかって見えるのは……天高くそびえ立つ細い岩山のようです。
「あそこよ、ファリヴァ山。話題になってた大きなイントルベシアントは、あの山の洞窟の最深部で採れたらしいわ」
「あ、あの山……かぁ。やっぱりそう、だよねぇ……」
ショースケも何となくそんな気はしていました……ただちょっと、別の場所だったらいいなぁと思っていただけで。
ファリヴァ山の天辺は分厚い真っ黒な雲に突き刺さっていて見えず、山肌は触れたら怪我をしそうなほどにトゲトゲしていて……何ともまあ、見るからに危険そうです。
しかしこれ以上行くのを渋るのも、あんまりにもカッコ悪過ぎますから……ショースケは気を逸らすために、別の話題を出しました。
「そ、そういえばさぁ……スイとティナは実際にそのイントルベシアント見た? 僕らも見せてもらおうと思って資料室に行ったんだけど、もうそこには無くて見られなかったんだよね。どのくらい大きかった?」
ガサガサと草の間から顔を出し、頭に葉っぱをのせたまま尋ねると……スイは途端に顔をひどく歪めます。
「……ああ、あの石はアイツが『作りたいものがありますー』とか言って勝手に使っちゃったからもう無いわよ」
「アイツ?」
「アイツよアイツ! イルクマ!」
スイは苛立ちに任せて、目の前の草を乱暴に搔き分けました。
「全く何なのアイツ⁉ 急に現れたかと思ったら変な雑用ばっかり押し付けて来て! 私たち使用人じゃ無いのよ⁉」
「お、お姉ちゃん落ち着いて……大きな声出したらモンスターに気付かれちゃうよ」
肩を上下に揺らすスイの背中を、ティナは優しく撫でながら代わりに答えます。
「えーっと、わたしたちもチラッとしか見てないんだけど……確か地球の重さで言うと、一キロくらいあったって聞いてるよ」
「そ、そうなんだ。新しいコスモピースを作るのに必要な重さと同じだね……って! それなら何であの人別のことに使っちゃったの⁉」
ショースケはショックで開いた口が塞がりません。
「何で何で⁉ 僕たちに対する嫌がらせ⁉」
「ま、まぁまぁショースケ。ほら……その」
タカヤはほんの少し目を伏せてから、いつものように笑います。
「……俺たちがもう一つ採ってくれば済む話だろ?」
ショースケのやわらかい金髪に絡んだ葉っぱを、タカヤは優しい手つきでポンポンと払ってあげました。
「……タカヤは優しすぎるよね……まぁ、でもしょうがないか。よーし、もっともっと大きいイントルベシアントを持って帰ってびっくりさせちゃおう!」
何とか元気を取り戻して拳を突き上げるショースケの姿を、ティナは微笑ましく見つめます。
「ふふ、頑張ってね! 大きなイントルベシアントを採るのはすごーく大変だよ? 洞窟には毒ガスも充満してるし、なんてったってアレがあるもんね」
「え、アレって?」
きょとんとした目を向けるショースケに、ティナは驚いたようにぱちくりと何度も瞬きをしました。
「まさか……ショースケくん知らないの? イントルベシアントの幻」
「幻……? 何それ」
ショースケが首を傾げると、前を歩いていたスイは心底呆れて振り返ります。
「全く……そんなことも調べずに採取しに来たの? 命知らずにも程があるわね」
「ちゃ、ちゃんと図鑑で調べて来たよ、失礼だな! イントルベシアントって緑の綺麗な石でしょ? 多種多様なことに使えて便利だって書いてあったよ」
「それは一般的な……小さなイントルベシアントの話よ。大きなものには特別な力があるの。それが……幻を見せる力」
前へ進みながらスイは続けます。
「イントルベシアントが大きければ大きいほど、その力は強くなるの。生物は近づくだけでその幻に取りつかれて、夢を見て……現実との区別が付かなくなる。大きなイントルベシアントを採りに行って、幻の世界から帰って来られずにそのまま……って言うのもよくある話みたいよ」
「え、え……え?」
ショースケは顔を真っ青にしたまま固まったかと思うと……次の瞬間大きな声を上げました。
「えぇええええ⁉ 聞いてない聞いてない! 僕そういう準備は何にもして来て無いよ⁉」
「ちょっと! 静かにしてって言ってるでしょ!」
スイは咄嗟に、右手を伸ばしてショースケの口を塞ぎます。
「大きいイントルベシアントが採れることはめったに無いから、普通の図鑑にはそういう説明は載ってないのよ……ま、安心しなさい。そういうこともあるかもと思って、こっちで準備して来てあげたから」
右手人差し指につけたポスエッグから、スイは透明の塊がいくつも入った小瓶を取り出しました。
「このトルマの飴を舐めれば、その手の幻に取りつかれにくくなるわ。渡しておくわね……ああ、そうそうこれも」
スイはくるくる巻かれた大きな地図も引っ張り出して、ショースケに渡そうとします。
「はい、ファリヴァ山の地図。頑張りなさいよ、一筋縄じゃいかないだろうから」
「……え?」
小瓶と地図を受け取らないまま、ショースケは目をしぱしぱさせました。
「もしかしてスイとティナ、一緒に来てくれないの……?」
「当たり前でしょ? 私たちはゲート内ルートの点検をしなくちゃなんだから。ここAルートの点検が終わったら、次はBルートの点検をしなくちゃいけないの」
「えぇ⁉ やだやだやだ一緒に来て!」
ショースケはスイの背中に飛びついて必死に縋ります。
「静かにしなさいったら! 何よ、特級のタカヤがいるんだから大丈夫でしょ? ねぇタカヤ?」
「はい。大丈夫だよショースケ、俺が守るから」
爽やかにそう言うタカヤを……ショースケはジトリと見た後、今度はティナの背中に縋りました。
「確かにタカヤは特級だけど……危ないからコスモピースの力を使っちゃダメなの! ねぇお願い二人も一緒に来てよー!」
「うーん……ねぇお姉ちゃん? 私たちも一緒に行ってあげない?」
「私たちが行ってどうするの、ティナ。最深部には行った経験が無いし、ショースケと同じ九級なのよ? 足を引っ張るだけよ」
スイは振り返らず歩きます。
「そうかも知れないけど……」
ティナは背中にべったり貼り付いたショースケに目をやりました。
今にも泣き出しそうにぎゅっと目元を歪めていて……握った手はプルプル震えていて。
「……やっぱり力になってあげようよ、お姉ちゃん。私たちの方が多少はこの辺りに慣れているんだし、何か出来ることがあるかもしれない」
「ティナ、あんまり思い上がらないの」
「でも……!」
「あ、あのー……」
申し訳なさそうに、後ろを歩くタカヤが話を遮りました。
「俺、コスモピースの力使えますよ?」
タカヤはさも何でも無いように笑って、恥ずかしそうに頬を掻きます。
「特級の仕事ではいつも使ってるんですから大丈夫です。スイさんとティナさんは俺たちのことは気にせず、お二人の仕事へ向かってください」
「またタカヤそんなこと言う……ねぇスイとティナ聞いてよ、タカヤにコスモピースの力使わないでってお願いしてるのに全然止めてくれないの」
「止める必要ないだろ? 本当、ショースケは心配性だな」
……先頭のスイはようやく振り返ると、いつもの通りに振舞うタカヤと……しょんぼり俯くショースケに目をやって、ふぅっと息を吐いて立ち止まりました。
「仕方ないわね……ティナ、やっぱり私たちも一緒にファリヴァ山へ行きましょう」
「え⁉ スイたち一緒に来てくれるの⁉ やったー!」
ショースケはパァッと表情を輝かせて、スイの横腹にぎゅっと抱きつきます!
「ちょっと、あんまりベタベタしないの。それと……タカヤ?」
「はい?」
「私たちも付いてるんだから、この先はどうしてものとき以外コスモピースの力は使わないこと。わかったわね?」
「……構いませんけれど。あはは、本当に大丈夫なんですけどね」
タカヤは瞬きをする刹那、真っ暗な目をした後……すぐにその顔に笑みを貼り付けました。
「わーい、良かった! 僕たち二人じゃどうなるかと思ったよ!」
ショースケはスイにくっついたまま、ぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねます。
「もう、早く離れなさい! あとさっきから、大きな声出すなって言って……る、じゃなぃ……」
……進行方向、正面の茂みがガサリと揺れて。
四メートルはあるでしょうか。大きくて長ーい、深い青色のミミズのようなモンスターが体を伸ばして……真上から四人の頭を見下ろします。
「ひっ……ぎゃぁああああっ! 出たぁああっ!」
何時の日か見覚えのあるモンスターにパニックになったショースケは、誰よりも先にどこかへ向かって走り始めました!
「あっ、ショースケくん⁉ 一人で行ったら危ないよ!」
ティナが慌ててそれを追いかけて行きます。
「ちょっと! ティナまで何処行くの⁉ ……全く、仕方ないわね!」
モンスターへと向き直ったスイは、急いで指輪型ポスエッグを水色の弓へ変形させて構えると、光のような矢を放ちました。
矢は真っ直ぐにモンスターの長ーい腹部へと命中して、ぐにゃりとその体に溶け込みます。
「鎮静剤が含まれた矢よ。これで大人しくなるはず……!」
モンスターは高くもたげた頭をゆらゆらと揺らし始めたかと思うと……突然フラリと、スイの立つ地面に向かって大きな体を倒して来ました!
「危ないスイさん!」
タカヤは瞬時にコスモピースの力を解放すると、目にも止まらぬ速さでスイを胸の前で抱き上げます。
そしてそのまま地面を滑るように前へ進んで……タカヤの後ろではモンスターが木や草をなぎ倒しながら、ズシンと音を立てて倒れ込みました。
「……先ほど力を使うなと言われたばかりですが、緊急事態でしたので。お怪我はありませんか?」
タカヤはスイを優しく地面へ下ろします。
「さすがにこの状況で使ったことを怒ったりしないわよ……ありがとねタカヤ、助かったわ。でも使って良かったの? コスモピースの力、危ないんでしょう?」
「大丈夫ですよ。ショースケたちが過剰に心配してるだけで、何ともありませんから」
「ふーん……?」
スイは辺りを見回します。
どうやらショースケとティナはかなり遠くへ走って行ってしまったみたいで姿が見えません。
弓の形になっていたポスエッグを元の指輪型に戻して、スイはティナへテレパシーを送ります。
(ティナ? そっちは無事?)
(あ、お姉ちゃん! うん、大丈夫だよ。あのね、私たちちょうどBルートの入り口にいるの)
(Bルートの入り口って……それはまた遠くまで行ったわね)
(でしょ? なかなかショースケくんが止まってくれなくて……それでね、もうここの点検済ませちゃおうと思って。お姉ちゃんはそのまま、Aルートの点検をしてくれる?)
(わかったわ。それじゃあ進んだ先のファリヴァ山で合流しましょう)
(はーい! 気をつけてねー!)
……テレパシーを終えたスイは、タカヤへと視線を向けます。
「二人は別のルートからファリヴァ山へ向かうそうよ。ちょうどいいわ……私、タカヤに話したいことがあるの」
「話したいこと……?」
「そう、二人だけで。とりあえず向かいながらにしましょうか」
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「ほら、ショースケくんもう泣かないの。そんなにあのモンスター怖かった?」
ティナはショースケと手を繋いで、引っ張りながらBルートを進みます。
「……ちょっと昔、あれと同じモンスターに襲われたことがあって……」
すんすんと鼻を啜りながら、ショースケは袖で目元を拭いました。
「なるほどねー……それは怖かったね」
「うぅ……ねぇティナ?」
「なーに?」
ティナは優しく振り向きます。
「……僕が泣いてたって、タカヤとスイには言わないでね」
「ふふ、心配しなくても言わないよー?」
BルートもAルートと同様に、モサモサと草が生い茂っていて……ティナはそれを片手で掻き分けながら進んで行きます。
「ここにはいろんな星の植物が植えられているんだけど……うーん、ちょっと元気に育ちすぎてるね。本部に草刈りを頼んでおかないと。あとは、あそこのププの木が実りそうだから報告しておかなくちゃ」
手際よく点検を済ませて行くティナを、涙が止まったショースケは興味深そうに見つめます。
「すごいね……スイとティナはいつもこういう仕事をしてるの?」
「ん? この仕事は三回目だよ! 基本的にはショースケくんのおじいちゃん……博士の研究の手伝いとかをしてることが多いかな。あ、最近はイルクマさんの手伝いもしてるんだよ! ……と言っても、一階のカフェのフードメニューを片っ端から注文して届けたりしてるだけなんだけどね」
「え、イルクマさんご飯食べるんだ……」
「食べなくても問題は無いらしいんだけど……食べてみたらどうにもハマっちゃったみたい。でも自分では買いに行ってくれないから、お姉ちゃんはそれが不満で最近いつも怒ってるの」
「そ、そうなんだ……なかなか大変だね」
ショースケは軽く苦笑いをしながら、見慣れないこの辺りをキョロリと見渡してみます。
すると、ここから少し先の道が淡く光っているのが見えました。
「わ……ねぇティナ、あそこは何?」
「ああ、あれはエクアの木だよ。綺麗でしょ? せっかくだし行ってみようか」
二人はちょっとだけルートを逸れて、エクアの木がたくさん植えられている開けた場所へとやって来ました。
木々の幹からは、水色の光がふわりと幾度となく生み出されて……まるで蛍のように周囲を舞って。
数え切れない光の玉が、ショースケとティナを包みます。
「わぁ、綺麗……! そうだ、タカヤにも見せてあげよう!」
ショースケはわたわたとエッグロケットから小さなケースを取り出して蓋を開けると、一つの光をその中に入れて閉じてみました。
ですが……いざケースを動かしてみると、光はするりとケースをすり抜けて元の場所に浮いたままで。
「あ、あれ⁉ 入ってない……何で?」
「うふふ。あのねショースケくん、エクアの木の光は実際にそこにあるわけじゃなんだよ!」
ティナはくすくす笑って続けます。
「エクアの木の幹から発生してる成分が生物の体に作用して、光ってるような幻を見せるんだって。あ、この効果は大きなイントルベシアントが幻を見せる仕組みにちょっと似てるらしいよ!」
「そうなんだー……ちょっと残念。タカヤに見せたかったのに」
ショースケがため息を吐いて、ケースをエッグロケットの中に戻していると……ティナは何かいいことを思いついたようで、両手を合わせてポンっと打ち鳴らしました。
「そうだ! 帰りにもう一度ここへ寄って見せてあげたらいいんじゃないかな? 実はね、エクアの木って空がエメラルドグリーンに染まってるときはもっともーっと綺麗に光るんだよ! それでね、今日の出発前に見てきたポスリコモスの天気予報によると、どうやらこの後エメラルドグリーンの空が見える時間帯があるみたいなの!」
「これより綺麗に光るの⁉」
「うん! ずーっと綺麗に光るよ!」
「じゃあ、その時間にタカヤを連れて来て見せてあげようっと! あ、もちろんスイもね! えへへ……タカヤ喜ぶかな、びっくりして腰抜かしちゃうかも!」
嬉しそうにはしゃいで光の玉を目で追うショースケを、ティナは優しく……そして申し訳なさそうに見つめていました。
「ふふ、ショースケくんは本当にタカヤくんが好きだねぇ」
「すっ……⁉ ま、まぁ? 嫌いじゃないけど!」
「……ねぇ、本当にごめんね」
……ティナが突然悲しそうに目を伏せるのはこれでもう数回目なので、ショースケには理由がすぐにわかります。
「もう、何回も謝らなくていいってば。あれでしょ? タカヤが特級のこととか、調子が悪かったこととか知ってて黙ってたことでしょ?」
「うん……でもやっぱり、ショースケくんを悲しませちゃったから……」
「そもそもタカヤが黙っててって頼んだんだし、ティナが悪いんじゃないじゃん。ほら! 顔上げてよ!」
ショースケはティナの背中をトンッと叩いて、ほんの少しも気にしてないように笑って見せます。
「……ショースケくんはすごく優しいね」
ティナは目元を拭って顔を上げて、やっとまた笑ってくれました。
「ねぇ。わたし、二人のためならどんなことでも協力するから。何でも言ってね!」
「あはは、ありがとう! また頼らせてもらうね」
また一つ、二つ、水色の光が生まれて浮かび上がって……そして気が付かないうちに、ふわりと消えていきました。
……ほんの少し痛む胸に……悲しくて悔しくて、やるせない気持ちにショースケはぎゅっと蓋をします。
何度も喉から飛び出してしまいそうな「どうして教えてくれなかったの」という言葉を……本当に伝えたい相手は、目の前のティナではありませんから。
ショースケがどれだけ頼んでも、タカヤはコスモピースの力を使うのを止めてくれなくて。
その理由はきっと……自分が頼りないからで。
(……大きなイントルベシアントを絶対採って帰るんだ。そうしたらきっと、タカヤはもっと僕を信用してくれるよね)
ファリヴァ山はもうすぐそこです。
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「私の妹を泣かせないで」
草を掻き分けて進みながら、スイはタカヤに言葉をぶつけました。
「泣かせる……? ティナさんをですか?」
タカヤは思い当たる節が無いのか、キョトンとしていて……それが尚更、スイは腹が立って語気を強めます。
「タカヤが倒れたとき、ティナが泣いてたの! ……すごく責任を感じてた。タカヤがティナに、調子が悪いこと黙っててって頼んだんでしょ?」
「……そのことでしたか。はい、確かに俺がそう頼みました……スイさんにもティナさんにも迷惑をかけてしまってごめんなさい。次はちゃんとしますから」
歩みを進めながら、タカヤは謝ります。
……いつも通りの袖なし短パンから出ている手足は、鋭い葉がどれだけ擦れても、傷一つ付くことはありません。
「……ねぇ、タカヤはどうしたいの?」
スイは前を見据えたまま口を動かします。
「あれだけの目にあったのにコスモピースの力を使うのを止める様子は無いし……さっき言った『次はちゃんとする』っていうのは、『次はちゃんとバレないようにする』ってことでしょ」
……タカヤからの返事はありません。
目を細めて、スイは大きく息を吐きます。
「アンタねぇ……黙ってるのが迷惑をかけないんじゃないのよ? みんな、アンタを助けたくて動いてるんだから」
「……わかってます」
「わかってないから言ってるんでしょ。周りが大事なら、周りのために自分を大事にしなさい」
「わかってますから!」
食い気味に言葉を絞り出したタカヤは……ひどく思い詰めた目をしていました。
「全部、わかってますから……ごめんなさい」
「……そう。ならいいわ」
自分の言葉が何一つ届いていないことくらい、スイにだってわかります。
そして、今どれだけ綺麗な言葉を重ねても……タカヤの固い固い薄殻一枚すら、剥がしてあげられないことも。
……赤から水色に染まり始めた空を見上げて、スイはまた一つ息を吐きます。
「ねぇ見て? 空の色が変わって来たわよ」
「……本当ですね」
「この水色の空は地球の青空に似てるわよね。私、この空の色が一番好きなの」
スイは空を見上げたまま歩きます……隣のタカヤが今、どんな顔をしているのかはわかりません。
泣いているかもしれないし、いつも通り笑っているかもしれません。
でもそんなことはどっちだって良くて……ただ、この一瞬だけでもタカヤに取り繕わせたく無くて。
スイはしばらく、わざと空に見蕩れているフリを続けました。
****
「お姉ちゃん、タカヤくん! ごめんね、お待たせ!」
ティナとショースケはパタパタと走って、ファリヴァ山の洞窟の入り口で待っていたタカヤとスイと合流しました。
「遅かったわね。Bルートで何かあったの?」
「違うの、ちょっと寄り道しちゃって……ねぇショースケくん?」
「うん、エクアの木を見に行ってたんだ! 光ってすごく綺麗なんだよ? ねぇねぇタカヤ、見たことある?」
「えっと……見たことない、かな」
「そ、そうなんだ! じゃあ後で見に行こうよ! 案内してあげる!」
ショースケはそれはそれは嬉しそうに瞳をキラキラ輝かせました。
……見たことない。半分本当で、半分嘘です。
「……ああ、そうしようか。さて……時間も時間ですし、とりあえず中に入りましょう」
いつものように笑って、タカヤは一番に洞窟に入って行きました。
その後ろからスイが、その次にティナが、洞窟の中の暗闇へと歩いていきます。
ショースケは一番後ろから、ウキウキする気持ちを抑えて三人の背中を追いかけました。
「これで見えるようになったわね。それにしても、なかなかグロテスクな場所だわ……」
ポスエッグから周囲を照らす明かりを取り出して空中に浮かべたスイは、辺りを見回して眉をひそめました。
明かりによってぼんやり照らされた地面には、何かしらの生き物の骨であろうものがそこら中に散乱しています。
形がそのまま残っていたり、はたまた別の生き物に潰されたのか粉々に砕けていたり。
その中でもとびきり大きな頭蓋骨を前に、さっきまで元気だったショースケはブルブル足が震えて言葉が出ません。
「ショースケ大丈夫か? やっぱり今からでも引き返そうか」
心配そうに声をかけたタカヤの背中を、スイはペチンと叩きました。
「甘やかさないの。ショースケ、行くって決めたんでしょう? 覚悟決めなさい」
「うぅ、行くよ、行くけどぉ……もうちょっとだけ待って……」
「待たない。ところで、タカヤは宇宙警察の制服着てないけど大丈夫なの? この先は毒ガスも充満してるわよ」
「ああ……大丈夫です、問題ありません」
制服には諸々を防ぐ効果がありますが、コスモピースの力に満たされたタカヤの体に毒ガスなんて効きません。
「ふーん、そうなの。本当コスモピースの力って凄いわよね。あ……危ない、忘れてたわ。これを舐めておかないと」
スイはポスエッグからトルマの飴が入った小瓶を取り出して、その中身をみんなに均等に配りました。
「一粒で一時間くらい効果があるらしいわ。切れそうになったらまた舐めるのよ?」
四人は一斉に、透明の飴を一つ口に入れます。
「あ、意外と美味しい! パイン味に近いかな……これでイントルベシアントの幻にも取りつかれにくくなるなんてラッキーだね」
「ショースケ、美味しいからって関係ないときに食べちゃダメよ?」
「わ、わかってるよスイ。僕そんなに食いしん坊じゃ無いったら」
「どうだか。博士の研究室に来るたびに、博士が棚に隠してるお菓子をこっそり食べてるの知ってるわよ?」
スイは少し意地悪に笑います。
「げ、バレてたんだ……じーちゃんには言わないでよ?」
「ふふ、どうしようかしらねー……さ、進みましょうか。まだまだ先は長いわよ?」
明かりによってぼんやり照らされた視界は、たちまちショッキングピンクの濃い霧に覆われていきます。
「毒ガスが濃くなって来たね。この制服が無かったら私たちもう倒れてるよ……あれ?」
ティナはその場に蹲り、落ちていた小さな小さな欠片を拾い上げました。
「見て! これ、イントルベシアントだ! この辺りには誰かが採掘した形跡があるもんね、そのときに落ちたのかな?」
周囲の岩壁には何やら道具によって削られた跡が無数に残っています。
「じゃあ、この辺りを掘ればイントルベシアントが採れるってこと⁉」
エッグロケットからいそいそと採掘道具を取り出そうとするショースケの腕に、ティナはぽんぽんと優しく触れました。
「ふふ、確かにここでも採れるには採れるだろうけど……めぼしいものはもう採掘されちゃってるよ。大きいのが欲しいなら、もっともっと奥に行かなくちゃ」
****
どんどんどんどん、目の前はより濃厚なショッキングピンクに染まっていって。
ショースケはスイとティナと一緒に、さらに洞窟の奥へと進んでいきます。
疲れ切って重いはずの足取りは、不思議と軽くなっていて……ショースケは鼻歌なんて口ずさみ始めてしまいました。
これは何の歌でしたっけ。流行りの曲じゃなくて、学校で習った曲じゃなくて……まあ、細かいことはどうでもいいでしょう!
「何だか楽しくなってきちゃった! ねぇタカヤ……タカヤ?」
振り向いてみましたがタカヤは居ません。
不思議です、一緒に来たはずなのですが……あれ? 一緒に来たのでしたっけ?
なんだか居ないのが当然のような気がしてきました、とりあえず前へ進みましょう。
「ねぇスイ、ティナ。まだ最深部には着かないの?」
二人に聞いてみても返事はありません。
スイとティナは別のお喋りに夢中で、まるでお散歩のようにゆっくり歩いています。
「お姉ちゃん、カフェの新メニュー食べた? ほら、オレンジ色の!」
「まだ食べて無いわ。あ、でも白色のサンドイッチの方は食べたわよ? 甘くてジューシーでなかなか美味しかったわ」
……二人のお喋りは止まりません。
「ねぇってば!」
どれだけ呼びかけても言葉は返って来ません。
「もう、僕先に行っちゃうからね?」
埒が明かないので、ショースケは二人を駆け足で追い抜きます。
どんどん走って、走って。すごいです、まるで風のように早くて、足がエンジンを積んだように回転して……。
あっという間にショースケは、最深部と思われる場所に到着しました。
岩壁も天井も地面も、どこもかしこもが緑色にキラキラして……! どうもその全部が大きなイントルベシアントのようです。
「わぁ、すごい! どれにしようかな……あ! あれが良さそう!」
ショースケの目の前には、お誂えたようにとびきり大きなイントルベシアントが落ちていました。
それにパタパタと駆け寄って、ぎゅっと両手で掴んで持ち上げて。
こんなに大きい石なのに、まるで羽のように軽いのです!
「一キロあるかなぁ? まあいいか! こんなに大きいし!」
さて帰らなければ……でも、何だか急に眠たくなって来ました。
周囲はキラキラ輝いて、腕の中には探し求めていたイントルベシアントがあって。
……少しくらい休んだっていいでしょう。
「えへへ……僕、タカヤの役に立てた……」
イントルベシアントが敷き詰められた地面に、ショースケは丸まって寝転びました。
なのに全然冷たくありません。むしろとっても温かくて……。
「タカヤ……喜んで、くれる、かな……」
****
「ショースケ! ショースケ……やっぱりダメか」
タカヤはショースケの肩を掴んで何度も揺すりますが、ショースケは岩壁にもたれて座ったまま目を覚ましません。
「スイさんもティナさんも……目を覚ましそうにはないな」
スイとティナも同様に、二人仲良く手を繋いだまま、すやすやと寝息を立てています。
ここは洞窟の最深部の少し手前。
タカヤは眠った三人を前にして一人、ぼんやりとした明かりの中に佇んでいます。
「イントルベシアントの力だろうな。トルマの飴を舐めて対策をしていたはずなのに、それを打ち破って来るなんて……この先に相当大きなものがある証拠だ」
大きなイントルベシアントの持つ、生物に幻を見せる力に三人は取りつかれてしまったのでしょう。
……もちろん、タカヤにはほんの少しの幻も見えません。
食事も睡眠も、本来であれば呼吸すら必要ない……そんな存在である自分が、もう生物であるはずが無いのです。
虚ろな目で、タカヤは洞窟のさらに奥を見つめました。
「……行きたくないな……」
大きなイントルベシアントなんて……新しいコスモピースの材料なんて、ちっとも欲しくありません。
そうです……このまま三人を連れて帰ってしまいましょうか。
奥まで行ったけど、イントルベシアントなんて無かったと言うのはどうでしょう。
ああそれとも、自分もイントルベシアントの力にやられてしまったと言い訳してみるとか?
三人はコスモピースの力について、そう詳しく無いでしょうし……優しいですからすぐに信用してくれるでしょう!
そうだそうだ、三人のことが心配ですぐに引き返したことにすれば……!
「タカヤ……」
眠っているショースケが、ちいさな寝言を呟きました。
「イントルベシアント……見つかったよ……」
へにゃりと笑って、幸せそうに両腕で空気を大事に抱きしめて。
「えへへ……ほんとによかった……これで、タカヤは……」
……タカヤは俯いたまま、コスモピースの力を発動させると……三人の体を覆うようにシールドを張りました。
「……ちょっとだけ待ってて。行ってくるから」
そう言って悲しそうに笑うと……明かりも置いたまま、タカヤは真っ暗な先へと一人で歩き始めました。
もう、逃げることは許されません。
****
「ん……んん……?」
ファリヴァ山の洞窟の入り口で、ショースケは目を覚ましてゆっくりと起き上がりました。
「起きたかショースケ。体調は大丈夫か?」
タカヤが屈んで、心配そうに尋ねます。
「大丈夫だけど……。あれ? いつの間に外に出たんだろう……って、あ!」
目の前ではそれはそれは大きなイントルベシアントが、深い緑色にキラキラと輝いています。
「僕が採ってきたイントルベシアント! タカヤ見た⁉ すっごく大きいでしょ!」
ショースケが興奮しながら、嬉しそうにイントルベシアントを指さすと……
「驚いた、ショースケまで同じ反応するのね」
少し離れていたところで伸びをしていたスイが、ティナを連れて近づいてきました。
「私たちもそれのこと、自分が採って来た石だと思っていたのよ。ねぇティナ?」
「そうそう。お姉ちゃんと二人で、こんなに大きいの採れちゃったーって喜んで……。いやー、私たち見事にイントルベシアントの幻にやられちゃったね。危ないところだったよ、タカヤくんのおかげで助かったね!」
「え、え……?」
ショースケはしばらく首を捻って考えて……ようやく大きなため息を吐きました。
「あれ幻だったの……?」
「やっとわかったのね。そうよ、このイントルベシアントはタカヤが採ってきてくれたの。タカヤはコスモピースの影響で、トルマの飴がよく効いて幻をあまり見なかったらしいわ」
スイはよいしょとイントルベシアントを持ち上げると、まだ座り込んだままのショースケの隣に置きました。
ズシリと音がして……恐らく二キロはあるのではないでしょうか。
少なくとも幻で見たように、羽のように軽そうではありません。
「そっか……僕が採って来たんじゃないのか。あーあ……」
ショースケはもう一度、ゴロンと地面に仰向けで寝そべります。
(今回こそ、タカヤの役に立てたと思ったのになぁ……)
鈍色の雲が流れて、空の色は水色から、南国の浅瀬のようなエメラルドグリーンに変わろうとしていて……それをぼんやりと見ていたショースケは、急に目を見開いて体を起こしました!
「ねぇティナ! エメラルドグリーンの空の時間は、エクアの木がすごく綺麗に光るんだったよね⁉」
「そうだよ? あ、もうすぐ空の色が変わりそうだね! トルマの飴の効果も切れたし……見に行ってみようか!」
「行く! ねぇタカヤ行こう⁉」
四人は先ほどティナとショースケが訪れた、エクアの木々が生えたエリアにやって来ました。
水色一色だった蛍のように浮かぶ光は、同じ色など一つも無いほどカラフルに光り輝いて!
まるで空の色に呼応するように、木々は虹色に淡く点滅して、葉の一枚一枚が音を立ててサワサワと揺れて!
さっきも十分綺麗だった景色は、より鮮やかに姿を変えていました。
ショースケはタカヤの腕をぐいぐい引っ張って、幻想的に輝く光たちを指さします。
「見てみてタカヤ、すごいでしょ⁉」
「……ああ、すごいな」
隣のタカヤの黒い瞳には目の前の情景がキラキラと映って……ショースケはそれを見て満足そうに笑いました。
「タカヤ見たこと無いんだもんね! どうどう?綺麗でしょ?」
「うん、綺麗だな。見せてくれてありがとう、ショースケ」
「ふふふ、どういたしまして! あ、この光は僕らの目に見えてるだけの幻だから持って帰れないからね? ケースに入れても無駄なんだよ!」
「そうなんだ、ショースケ物知りだな」
タカヤはへにょりと表情を変えて、嬉しそうに見えました。
……本当はイントルベシアントを採ってきてあげたかったけれど……ほんの少しだけでも、タカヤの役に立てた気がして。
「……ねぇ! スイとティナももっと近くに見においでよ!」
心の中に湧き上がる、ふわふわとした浮き足立つような気持ちを噛み締めながら……でも、それをタカヤに気付かれるのはどうしようもなく恥ずかしい気がして。
ショースケはわざと振り返って、後ろに居る二人に大きな声で呼びかけるのでした。
エクアの木はフラモ星原産の植物です。
フラモ星は『植物の楽園』とも呼ばれている星で、その中でもエクアの木は一番多いと言っていいほど至る所に生えており、星中が常に淡く光って見えるそうです。
それに加えてフラモ星の空は高確率でエメラルドグリーンで……エクアの木が今のようにカラフルに光って見えるのも、フラモ星では決して珍しいことではありません。
特級の仕事で訪れたことが何度もありますから知っています。もちろん、その光が生物だけに見える幻で、ケースに入れて持って帰れないことも。
そして……もはや自分の目には、その幻が映らないことだって。
タカヤから見えるこの景色はいつも通り、ただただ黒いエクアの木の葉が風に揺れているだけです。
……もし幻が見えていたなら、隣のショースケの青い瞳にはきっと、周囲に浮かんだ数多の光が映り込んで……いつもと違う色に輝いて。
それをきっと、世の中ではとても綺麗だと言うのでしょう。
……ふと目が合って。ショースケが得意げに、でも少し照れくさそうに笑います。
「あ、見てタカヤ! あの青い光すごく大きいよ」
ショースケが指した先にタカヤは目を向けました。
「本当だ。綺麗だな」
もちろん……何が見えるわけでもありませんが、タカヤはゆっくり手を伸ばしてみました。
「あはは、すり抜けちゃったね。幻だから触れないよ?」
「……ああ、そうなんだけど……」
タカヤは恐らく光が浮かぶ空中で、手のひらを優しくきゅっと握ります。
「どうしても、触ってみたくなったんだ」




