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15 仲直りのキスがハッピーエピローグ

最終話

ご愛読ありがとうございました!

 「弾けるよ」と、私は呟いたけれども抱きしめられた温もりはまだ遠い存在に思えた。まるで、これが夢のような感覚で。

 私は彼の腕の中にいながら、胸に自分の額をくっつけてうつむいた。伊織くんはただじっとしていたけれど、私の態度を気にしていたに違いない。


「どうして、」


 ただ口から漏らすと、伊織くんは顔を傾けて私の顔をのぞき見た。


「どうして、あなたは私を追ってきてくれるの?」


 今度は顔をあげて言うと、彼は平然として言った。


「俺の人生に、あなたが必要だから。俺が、あなたの隣にいたいから」


 彼は私の眼を見ながら貫くように見た。でも、今の私の荒んだ心には届く言葉ではなかった。


「でも、私がいなくても伊織くんは歌ってこれたじゃない」


 この数ヶ月を思い出しながら私は、きつい一言を彼に投げつけた。

 彼はひるまずに、きつく抱きしめながら辛そうな顔をした。


「今は違うんだ」

「違わないっ! 私が消えても伊織くんは気付かなかった」


 私は、両腕で力いっぱい彼を突き放そうと彼の胸に手を添えて押した。でも、彼は「そのあとの俺を美羽さんは知らないじゃないか。どんなに気持ちを込めようと思っても伝える人がいない。それじゃ意味がない」と、辛い顔をしながら、肩に顔をうずめながら答えていた。


「でも、でも私が隣にいても伊織くんはきっと、自分の音楽を優先する。『あの時』約束したから、また音楽を優先して私は一人になる。どこをどうやってみれば、私は音楽より優先されてると思えばいいの? さみしい思いをさせるなら、『隣にいたい』とか言わないでっ!」


 今度こそ彼を突き放し、いろんな意味を込めて彼を睨んだ。本当の気持ちをぶつけなければいけない。

 私より、あなたは若い。

 私のような女一人に固執せずに自由に飛びまわれる羽がある。

 けれど、伊織くんは言葉とは裏腹にじっと見つめて言った。


「…俺は美羽さんのためなら音楽を捨てたって構わない」


 はっきりと。

 『音楽を捨てる』と。


「どうしてこの人はこんなことが言えるの? 今まで伊織くんが大事にしてきた音楽を私が奪うの? 私にどうしろと言いたいのよ!」


 頭の中がごちゃごちゃになってきて、ワナワナと体に震えが走る。

 何で、ばかりが頭の中を廻っていた。


「そう思うくらいに、あなたが大切で、あなたがいないとおれの音楽は無意味で、天秤に掛けようにも、もう答えは決まっている」


 まっすぐの視線を投げかける。

 私が好きなまっすぐの瞳。


「音楽は手段。ただそれだけ」

「わ、わた…」


 何かを言いかけたその瞬間、急に伊織くんは力なくその場に座り込んだ。

 

「……正直もう駄目なんだ」

「え?」


 座り込んだ彼は顔をうつむかせて、くぐもった声で言った。


「今まで、あなたを想って弾いてきたピアノだから、作ってきた曲だから、あなたが居ないと…」


 俯かせた顔はどのような表情をしていたのか、私にはわからなかったけど、大好きなものを取り上げられたようなその声は、とても弱々しく聞こえて、


「弾こうとすれば手が止まって動かなくなるし、作ろうと思えば頭は真っ白で曲も浮かんで来ない」


 音楽家として失格だろ。

 伸ばされた手をつかんでみたけれど、その手は僅かに震えていて、ただ彼に目線を合わせて顔をのぞかせた。

 私が好きな瞳は傷ついていて、力なく見つめられて、この瞳を傷つけたんだと気がついたのは、直輝のアパートに帰ってからだった。


*****


 気がつけばいつの間にか直樹のアパートに帰ってきていて、直輝は日本から持ってきたというIORの曲を流していた。

  その曲は私と伊織くんが出会ってからしばらくして出たシングルのカップリング曲だった。とても穏やかなバラードで、天使を暗闇から救い出して、明るい光溢れる道をともに歩いて行くという物語風のプロモーションビデオも付いていた。

 でも、プロモの俳優は伊織くん自身じゃなくて、誰か有名な若手の俳優だった。

 ゆったりとした曲調だけれど、その詩は今の私には胸の奥に響いていた。


「あれ、美羽帰ってきたのか?」


 奥の部屋にいたのであろう直輝が私の帰宅に気が付き、玄関にいる私に歩み寄ってきた。すると、直輝は顔を見るなり一瞬眉間にしわを寄せて怪訝な顔をした。


「何か、あった?」

「え?」

「いや、泣いてるから」


 掌に零れ落ちた雫に気がつかずにいた私に、直輝はただ見守るしかなかったのかもしれない。

 雫をしばらく眺めてようやく思考を取り戻すと考えることができるようになった。

 ――何で気付かなかったんだろう。

 この曲を聴いたとき、私はずっと彼の「守ってあげるから」という言葉が、苦い過去のことだとばかり思っていた。

 でも本当はそうじゃなくて、彼が私と違う世界で生きていることを考えると、一般世界で生きている私というのは、ちっぽけな存在だから。

 自分がただ傷つかないようにって、影で彼が必死で守っていてくれてることに気がつかないで、のほほんと生きていて。

 それに気がつく前は、私を裏切ったんだと思って、自分を正当化して、殻に閉じこもって、ただ泣いてて。

 自分はなんて馬鹿なんだろうって。

 彼が限界になるまで追い詰めておいて、信じられないからって突き放して。

 やっと彼の心の声に気がついた時にはもう、目の前にいなくて。

 ――私、本当に馬鹿。

 ごめんねの一言も言わないで、ありがとうも言わないで、彼を一人にしてしまった。

 涙を拭うと再び家から飛び出した。

 私、馬鹿だから直輝に住所くらい聞いとけばよかったって、探しながら思っちゃっ

て。

 でも本当は誰にも頼らず、自分ひとりで彼を探したくて、運命が私たちを巡り合わせるなら、きっと絶対見つかるって思った。

 私は来た道をもう一回戻って伊織くんを探した。

 彼を見つけ出したらもう一度聞こう。

 「本当に私で良いの?」と。

 もう一度戻ってみたはいいけれど、彼はさっきの場所にはいなかった。

 まぁ、それが当たり前なのかもしれない。

 あたりを見回しても彼の姿はどこにも見当たらない。

 私はその場をもう一度駆け出して、町の大通りになる大きな噴水前まで行ってみる

ことにした。

 あの噴水の前はいろいろと交通機関のかなめとしているから、町の細部へ行くには

絶対にあの場所は避けて通れないはず。

 間に合うならそこで、彼に出会えるかもしれない。


*****


 水の都はあちらこちらに用水路として水が流れているけれど、この水は飲めないほ

ど汚い水だ。けれど、あたりに水の流れる音がすることで、人は優雅な気持ちになり、風情を感じる。

 俺はボーっとした思考で、たどたどしく道を歩き、ホテルまでどうやらやるいてきたらしい。

 らしいというのは、美羽さんに会ってから今までのことをそんなに覚えていないからだ。

 美羽さんが言った「どうして私を追いかけてきてくれるの?」という言葉に「隣にいたい」と言ったけれど、心の奥底では本当に分かっていたんだろうか。

 「隣にいたい」という感情が生まれる前に、体が動いていた。

 ――彼女が足りないんだ、と。

 灰色がかった空は今にも雨が降りそうなくらいに暗い。俺はいつの間にか脚を止めてその空をずっと眺めた。


『私がいなくても伊織くんは歌ってこれたじゃない』


 彼女はそういったけれど、あの時は彼女が消えたということを知らずに、彼女のために歌っていた。

 いつか会える。

 会えなかった分だけの思いを託して、歌っていた。けれど、現実はうまくいかなくって、歌っていた歌は彼女には届いていなかったんだ。

 絶望と失望。

 抱きしめているとも思っていた体温は、気づかぬうちに、両腕の中からするりと逃げていたなんて。


「俺は美羽さんのためなら音楽を捨てたって構わない」


 再度口に出していってみると、本当にそう思う。心から納得している。彼女の近くにいるならば、音楽を捨てても構わない。

 音楽は気持ちを伝える手段だと、小さい頃から教わって続けてきた。今はもう、気持ちを伝える手段を手に入れたから、自分で伝えられるから、いつでも切り離せることだってできるんだ。

 けれど、実際にそうした自分を思ったら、少しは寂しいんだろうなと感じる。

 直輝がいるように。

 自分の才能を諦めたくても諦められないように。


「美羽」


 美しい羽根と書く彼女の名前はもう既に俺の中になじんでしまっているから。


「伊織、くん」


 名前を呼ぶと返ってきた返事に、俺は空を見上げながら目を瞑っていたので、それが幻聴だと思っていた。


「美羽」


 もう一度読んだら幻聴は返ってくるんだろうか。

 もう一度読んでみると、今度ははっきりと呼ばれた。


「伊織くん」


 背中の後ろ側で聞こえてきた声は、涙を含んだ声になって、挙句の果てには、背中に体温を感じた。


「伊織」

「……うん」


 腰に彼女の腕が巻きつけられていることに気がついて、これが現実なんだと気がついた。はっきりと彼女に俺の名前を呼ばれていた。

 抱きつかれながら振り返ると、彼女は震えながら、目に涙をいっぱい溜めて俺を見上げた。

 俺は彼女の頬に右手の平を当てて、愛しむように触れた。ポロリとこぼれる涙はその頬を伝って俺の手の甲へと流れていく。

 見つめあえば、いつの間にか唇を合せてキスをしていた。

 今まで苦い気持ちだったのに、そのキスはとても甘くて、何度も啄んだ。

 いったん唇を離すと、彼女は俯いたが、代わりに腕を首に回して肩に顔を埋めた。


「私、馬鹿だから。伊織くんをいっぱい傷つけて、突き放して、逃げて、」


 情けないくらい、と彼女は言葉を続けると


「弱い人間なんだけど、あなたに相応しくない人間だけど、それでもあなたのそばにいたいの。あなたから音楽を取り上げたくないの。あなたの音楽を守りたいの。一緒に、生きて、ずっと隣で、『あなた』を聴いていたいの」


 涙ながらに話す彼女の言葉を俺はただじっと聞いていた。

 彼女の本心からの告白。

 俺は彼女の額にキスを送ると、彼女は小さい子供のように泣き出してしまった。


「俺があなたを守れるように戦うからさ、傍にいて」


 小さく彼女の耳元でつぶやくと、「私も一緒に戦う」とぐずった声ではっきりとそう言った。


*****


 俺が美羽さんを探しにフランスへ行っていた間、テレビに出ない俺の日々が過ぎていく。

 スキャンダル以降の仕事は全てキャンセルを出しているため、マスコミは「雲隠れ」だと思ったらしい。が、雑誌による激しい中傷においても、テレビによるワイドショーにおいても、うんともスンとも言わぬ俺の反応に、当の本人が日本にいないことにどうやらやっと気がついたらしい。

 俺はその時、やっと美羽に出会えた頃だった。

 数ヶ月に及ぶ美羽の出向の仕事も終えて、ともに日本に帰国した。

 当初の予定では、直輝も一緒に帰国するはずだったけど、アパートの引き払いもろもろの手続きで、直輝だけ1週間遅れての帰国になってしまった。

 空港に迎えに来ていた高原さんが、満面の笑みで俺らを迎えてくれた。


「お帰り」

「ただいまです」


「お久しぶりですね、北条さん」

「はい。ご無沙汰しております。この度は、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 深々とお辞儀をする美羽さんを横目に、俺は真っすぐ高原さんを見返していった。


「高原さん、あのさ俺もう、覚悟できたから」

「?」

「真正面から、美羽さん守りたいから……覚悟、決めてきた」


 俺の珍しい意思表示に高原さんは、一瞬何のことかと顔を傾けたが、横にいる美羽さんに目線を向けると何のことか瞬時に理解したみたいだ。


「あぁ、そうか。もう、大丈夫なんだな」


 高原さんは嬉しそうに言った。


「じゃぁ早速、社長からの試練こなしてもらおうじゃないか」


 そう、笑みを浮かべて俺に言うと、素直に顔を縦に振った。



 ―――『IOR帰国』


 雑誌等での報道がなされたのは帰国して2日もしないうちだった。

 その間に俺はできる限り、やり残していた仕事を成し遂げ、マスコミ各社にスキャンダルが嘘であること、そして、自身にはれっきとした婚約者がいることを正式に発表した。

 その発表を受け、マスコミは俺に対して会見を求めてきた。俺は、それを会社で報告を受けて、即効美羽さんに話を持ちかけた。


「もう、隠さないって決めた。美羽を失わない方法」

「うん」


 あれから美羽さんは俺のマンションで一緒に暮らすことになった。帰国してすぐ部屋を探すために、ホテルを借りていたけど、俺が美羽さんと一緒にいたいと言うと、美羽さんは恥ずかしがりながらも、うなずいて了承してくれた。

 静まり返った俺の部屋のリビングで、ソファーの上で手をつなぎながら、そっと2人で寄り添った。

 隣の温もりが懐かしくて、胸を秘かに躍らせていたのは彼女に秘密だ。

 俺は気づくのが遅かったのかもしれない。

 本当に必要なのは、愛を語ることだけではなくて、愛に乗じた戯れでもなくて、こんな風に二人より添うって事だったのかも知れない。


「今日会社でね、八重に言われたの」

「何て?」


 八重さん。俺に美羽さんの居場所を教えてくれた美羽さんの親友。


「『本当は、芸能人と付き合うってことは賛成できないの。でも…』」


 ――美羽が幸せなら私はそれを応援するわ。


 結局八重自身も美羽さんには甘いのだろう。

 すべてが、俺らを祝福していく。



会見にて―――


「彼女は一般人です。僕はIORという存在を知らない彼女に出会えたからこそ、日常では『僕』という人間でいれた。

 そして、音楽に対しても、『僕』の音を聞いてくれる彼女だからこそ、今までやってこれました。

 やらせなスキャンダルの報道で、一番彼女を苦しめた僕には、もう音楽をする資格などないと思いました。

 一度、音楽を捨てかけた僕が、またこうして皆さんの前に立てるのも彼女のおかげです。

 彼女が僕に音楽を捨てるなと言ってくれました。僕はその事に大いに感謝します。そして、彼女と共に音楽の人生を歩みます」


 IORの緊急記者会見は、テレビ史上最高の視聴率を叩き出し、そして盛大な結婚宣言も世間をにぎわせた。

 一躍噂の的となったシンデレラガールの美羽さんは、その姿をテレビに晒す事は無く、一般人として紹介されるだけで誹謗中傷等もなく、逆に祝福の言葉がたくさん送られた。


 ――そして、月日は流れ。

 2人は、鐘の鳴り響く真っ白な建物の中にいた。


「あのね、伊織くん」

「ん?」


 風の吹きぬける丘の上にある場所で、手をつないで、丘下に広がる風景を見ながら話していた。


「もし、私に何か起きても、伊織くんはずっと私の隣にいてくれる?」

「うん。ずっと美羽の隣にいるよ」


 不安そうに苦笑していた美羽は俺の返事を聞くとほっとしたように笑った。そして彼女はそっと自分の左手をお腹に当て、俺を見上げた。


「ちょっとの間は、だいぶ伊織くんに迷惑かけちゃうかもなぁって思って」


 意地悪そうに、何かの意をこめるように言うと、俺は美羽のその目を見てハッとした。


「え、もしかして……」

「最近ね、調子悪いなぁって思ったら、やっぱり」


 嬉しそうに言う彼女の表情は、どこか女性らしく、そしてまた強いものになっていた。

 感動のあまり、言葉にならない俺はただ、彼女を愛しむように抱きしめた。




FIN

良いお年をお過ごしください。

HAPPY NEW YEAR! 2013


番外編がもしあったら、コンチェルト…にでも掲載致します(リクエスト可)。


参考文献

地球の歩き方「フランス」

Wikipedia「エックス・アン・プロヴァンス」ページ

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