労災だから帰るよ
今回は私の話ではなく、身近な人の面白い話。
グロくはないけど、怪我をしたという描写があるので閲覧注意してください。
「は?」
それはもう手際よく、荷物を持って彼は会社を後にした。その鮮やかさは、F1レーサー顔負けの素早さであった。
颯爽と職場離脱するこの男。聞けば、カッターで指先をちょん切ったらしい。
誰かが応急処置を施したようで、利き手じゃない方の指には包帯が巻かれていた。
指は痛々しいのに、なぜか顔は嬉しそうだった。
これから病院に行くというのに労災認定がされることが、彼の中では確定しているような物言いだ。
堂々とその背中には「労災ウェーイ!!」と書いてある。
俺と言えば、ただ、その場でポカンと突っ立っていることしかできなかった。
そして、彼の宣言通り、労災の認定が下りた。
現実に四針縫う大怪我で、彼はこれで通算五回目の労災認定である。
これは、労災常習犯「労災の申し子」と会社との戦いの物語だ。
彼を仮に「労災男」と名付けよう。
この労災男は、半年に一度のペースで労災で自分の身体をイノベーションする。
1回目 指の骨折(詳細不明)
2回目 カッターで足を切る(どういう状況?)
3回目 階段で華麗に足をすべらせて、指の腱を切る
4回目 階段で鮮やかに足をすべらせて、肋骨骨折
5回目 ビニール紐のカット中に、カッターで指の先っちょをちょん切る(←今回)
毎度のごとく労働基準監督署による労災調査が実施され、社内のルールが更に厳しくなる。今や我が社のカッターは、使用禁止もしくは防刃手袋を着用しなくてはならなくなった。
俺はその五回目の労災の一ヶ月ほど前に、異動したばかりだった。
新しい仕事を覚えるのに必死な俺を置いて、彼のスケジュールは「労災ホリデー」に変わってしまった。俺の理性がプチッと音を立てたのは言うまでもない。
この男はとにかく「サボり」に関するアンテナは6G以上の性能を発揮する。仕事中にスマホで宝くじをする熱意を、少しは安全衛生に注いでほしかった。
そんなある日、俺は急病で入院することになった。
十日ほど入院し、復帰後に組合の医療保険の申請書を書いていると、背後に気配を感じた。
「何書いてるの?」
労災男が覗き込んできたのだ。
男は、人が集中している時に邪魔するという生態を持つ。
とりあえず俺は、何気なくその問に答えた。
「これ? 入院した時の保険金の申請書だよ。〇〇さん、怪我して何度もやってるでしょ?」
次の瞬間、男の表情が一変する。
「俺そんなのもらってないッ!!」
肺から吐き出された激しい風圧と共に、唾をが飛んできた。顔は鬼の形相に変貌している。
どうやらこの男、労災には詳しいが、民間の保険についてはてんで素人のようだ。
そして彼は一目散に組合の担当者の元へ走っていった。だが、時すでに遅し。五回目の労災からすでに一年が経過しており、期限切れ。申請書すらもらうことができなかった。
戻ってきた彼は、なぜか俺を捕まえて叫んだ。
「何で教えてくれなかったんだよ!!」
知るか。
保険の申請は自己申告なんだから、自分で申請するのは当たり前だ。
「自己申告なんだから、人にやらせてどうすんの」
これくらいは言ってもいいだろうと、突き放してから彼は話しかけてこなくなった。
それでも労災男は通常運転である。
「健康診断、去年より身長が一センチ縮んだ!! おかしいだろ!! 圧迫骨折したんだ!! 労災だ!!!」
──彼が会社を相手に、縮んだ一センチの労災認定を勝ち取る日は、きっと来ない。




