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白い箱の中にアイツはいた。何も無い八畳程のその空間の真ん中にぽつりと、ただただ立ち尽くし天井を見上げていた。
箱が開くのを待っていた。
寒さで目が覚める。けれどもその知覚神経に異常を感じたことが決定的なのではない。長くは夢の中で生きてはいけない、その様に人間が出来ている。今年の冬は暖冬だとメディアが言っていたが朝はやはり冷えた。ベッドの中からゆっくりと手を伸ばし眼鏡を取る、それからアラームを鳴らす前の目覚まし時計に目をやると時刻は午前七時五十五分を指しているのがやや霞んで見えた。
習慣という日常的に刻んだ身体のリズムが冬の寒気に反応した。いつもより五分早く起きたのはその程度のことだと彼、上谷美紀が思う。一人暮らしを始めた頃は不規則な生活が習慣になってしまうかもしれないと気にかけていたが存外しっかりしたもので、大学生活を軸に地に足が就いているのをその身に感じることができる。
頭の回転がまだ少しうたかたであるが、二度寝をすると次に起きるのは昼近くになることを上谷は充分に理解していたからベッドから這い上がり真っ先にエアコンの暖房にスイッチ入れる。ワンルームのアパートの室内は身体を動き易くする温度に暖まるまでさほど時間も要さなかった。
今年も残り僅か十一日、街や人が年末年始の行事に向け各々は忙しくもどこか揚々とした様子で、催し物の下準備に駆り立てられていた。だが上谷といえば自身に関係する行事を殆どもたず、日々のカリキュラムをただ淡々とこなしているに過ぎなかった。現に今年の大学の授業は後二日で終わりを迎え、その後の冬休みといえば年始に掛けてアルバイトで埋め尽くされている。お金がとりわけて欲しかったわけではなく他にやることが無かった、というのが本音だ。
決められた『作業』をただ黙々とこなすことを楽に思う性格。文系の人間はわざわざ哲学とか道徳とかを倫理的に分解しようと努めるが、そんなものは考えるだけ面倒くさいというもの。自身が文系か理系かと他人に問われる場面があれば、真に理系の人間と言うのは自ら「自分は理系です」などど恰好のつかない発言は大概しないようである。が上谷は敢えてここを主張するようにしていている。
アインシュタインやニュートンのような昔の偉い物理学者達の精神の多くには、分裂病に近いものが見られたのだと言われることがあるが、そういったものに対する憧れと、また上谷は暗記というのをどうにも苦手としていた。だが一方で数字を解くことを作業という概念で捉えることにより、これを苦に感じることは決してなかった。それが大学で数学科を専攻した理由だ。
部屋が暖まった後の行動はそこそこに手際良く大学に向かう準備は直ぐに整った。玄関を出たところで無意識に鍵を掛けるなり「手慣れたものだ」と自分に思う。本当はいくつかある大学の寮に入ることも出来たが結果的に条件の良いアパートが見つかったこと、何よりどこも寮から大学が近過ぎたことが気に入らなかった。両親にはアルバイトから生活費の足しを作るという条件を用かけて部屋を借りる事を承諾させた。よく行われる家庭の談合だろうか。
──この街で上谷をよく知る者はいない。
いや、この世界でと言った方が正しいのかもしれないが。上谷の生活圏内といえば大学とアルバイト先が精々でそれ以外の外側の世界で何かをするようなことは決してなかった。そもそも外界の干渉から逃れる為に一人暮らしをはじめたのだから。
御鏡市と言う小さな世界だった。確固たる街の象徴など取り分けて無かったが、上谷の通う国立の御鏡大学があること、そして都心が近いことも相成って人々の通り道的な役割を担う街となっている。大学は駅ビルを抜けて徒歩十分、駅ビル自体は女性物のブティックや高級家具の店舗が中に並ぶので上谷自身はあまりお呼びではない。唯一、地下一階の生鮮食料品売り場を使ったことがあるぐらいが関の山で普段は南口から北口にかけての、大学に向かう為の通学路として使うに留まっている。
大学へ通いだして直ぐ、駅の北口を出た辺りで声をかけられるのが上谷の日課になった。
「おはよう、上谷君」
か細い女の子の声、その声の先に居たのはもう見慣れた大学の知り合いだ「おはよう」と上谷が言葉を返した彼女は見る者にやわらかな雰囲気を与えた。
明智未来といった、下の名前が印象的な子だった。
上谷が明智と出会ったのは大学に入って間もない頃になる。大学の門をくぐったキャンパス内で行われていたサークル勧誘はアルバイトをする事が一人暮らしの前提条件だった上谷にとって、一日の時間を奪われるサークル活動は殆ど興味のない出来事のはずだった。
ただ一人の勧誘を除いては。
上谷から見た他の学生達、その全てが驚くほど生き生きとして眼に映った。新入生という新しい息吹が学校全体を、そして学生の一人一人を鼓舞させるかのようだった。
だがしかし、背後から聞こえる他人の笑い声に何故か、とてつもない恐怖と孤独を感受する上谷には、誰もが一度は思ったことがあるだろう他我問題「自分は他人とは違う」という心の違和感を社会との共通点から導き出すのではなく己の、自我の持つ価値観から質量を言葉や数で表し見出すこと方法として選んだ。
だから上谷が他人を気にするなど、ましてあるはずのないことだった。
「あの……絵画、描いてみない?」
か細い声だが、思わず足が止まってしまったのだ。それまで上谷を勧誘しようとした学生達とは明らかに雰囲気の異なるその子は如何にもお淑やか、また慎ましい感じであった。勧誘するには妙に不釣り合いな子だなと、初見の印象が上谷の注意を惹きつけるには充分であった。それから少し話しを聞くことにした。絵画サークルのこと、合わなければ直ぐ辞めても構わないと、初めにこの二つを挙げた。他の説明を今はもう覚えていない。
上谷は考える、かの偉大な物理学者アインシュタインも脳を鍛えるためにピアノやヴァイオリンをたしなんだと言う。その腕前はプロ並だったと聞くし、芸術も悪くないのかもしれない。
それから上谷は絵画サークルに入った、明智の名前を知ったのはその後のことだ。しかしながら上谷が明智に勧誘された時に心を惹きつけられたのにはもう一つ、別の理由があった。
明智に出会ったのはこれが、初めてではない気がしていたのだ。
既視感というのは心の不安が作り出した、一種の虚像であると臨床で言われる。不安を感じる人間が外側からのストレスを受けた際に、その不安を緩和する為に脳が受けた情報を無意識的に以前あった出来事であるかの様に処理する現象らしい。
上谷は新しく大学で生活をする中で「自分自身も気付かぬ間にそういった症状を患った者の一人なのだ」そう考えた。
油絵を描くことは上谷にとって初めての経験であったから極力、明智は上谷に就きっきりとなっていた。二人は学部も違ったし上谷に至っては連日アルバイトもあったが、時間の帳尻は案外うまくいっていて上谷が絵になれるにはさほどの手間はかからなかった。最初、テーブルの上の果物なんかを描いたりして直ぐに人を描きたくなった。一番初めに描いた人物は上谷自身の肖像画でこれが驚くほどに下手くそである。後で明智にそのコツを聞いてみたところ、人間の肖像画を描くために一番重要な点は「そこに描かれるべき表情」だ、というようなことを言っていた。
当初、明智のことはサークル勧誘をしていたものだから上谷は明智のことを自分よりも上の学年だと勘違いをしていた。それはGWに入る少し前まで上谷は明智を同じ一学年だとは密かに気がつかなかった、というのは内々の話し。
今、描いている作品は十月末頃に入ってからずっと描いているもので、これまでで最も慎重になってとりかかっている絵である。
それは上谷と明智のお互いを描いた肖像画であった。
「……上谷君?」
駅までの繁華街を歩きながらに、下から上目使いでものを見る明智に上谷は一瞬、どきりとする。
「今、あの絵どこまで出来上がってる?」
明智から目線を逸らした上谷が少し間を空けて答えた。
「僕の方は…やっと輪郭を整えたとこ、後は表情を細かく描くだけかな」
「そっか」
明智は手袋をした両手で口を噤んでほうっと息を吐いた「今日は寒いね」などと上谷が月並みな事を言うと、明智は嬉しそうに言葉を返した。
「クリスマスには間に合うね」
お互いに完成した肖像画はクリスマスにプレゼントとして交換し合おうと云うことになっていた。言い出したのは明智の方からだった。
「僕程度が描いたものを人にあげるなんて、ちょっと気が引けるな」
始め上谷は乗り気ではなかったが、なにやらいつもより強気な押しを見せる明智に思わず、やってみるよと言ってしまった。
「そこに残す為に描くんだから、他人に見てもらえない絵じゃ、可哀想だよ」まあそうかと思った。
それから十一月に入って翌月に至るまで、上谷はアルバイトがある日でも僅かに時間があれば必ず部室には足を運ぶよう心掛けた。土日であってもアルバイトが終わってから大学へと向かう。殆どの日は上谷も明智も待ち合わせをしていたが、本人同士が揃わない日でもまだ互いの絵ははっきり顔の表情に手をつけていない状態で対面に相手がいなくても問題なかった。特に明智の方は絵に慣れてもいる。
上谷の偏見でいえば、御鏡大学の文系学部生という人達は政治経済学科への先入観がある。御鏡大学の中でも入学が比較的な楽な為、惰性でこの学科の入学を決める地元の高校生も多い。そんなイメージを文系学生全体に押し付けているわけであり、同様に上谷は明智をも講義にはあまり入れ込んでいない生徒の一人であると思っている。
だが、明智の描く作品のペースが実は上谷に合わせているという気遣いを、本人はつゆも知らない。
「それじゃあ、また後でね」
大学の門を二人で潜り別の校舎にゆく明智を見送る。今日もいつもと変わらぬ朝を感じ上谷はキャンパスの空を仰いだ。風だけはいつもより少し冷たく感じた。
この様な数式を人生の一体何処で使うことがあるのだろうか?
今日受けた講義もそういった例に漏れず上谷にとってみれば大学の講義なんてものはジグソーパズルのそれと何ら変わることはない。そもそも今、大学で受けている授業でさえ、これから先の自分の人生で本当に活用されるのかもどうか怪しい。学歴なんてものを真に必要する人種など、様々なメディアで取り上げて言っている所謂勝ち組と呼ばれるほんの一部の人々だけの話しなのではないかと上谷には思える。
「あ…」
SNSから上谷宛てに着信がある。
ついで時刻を確かめるため携帯を鞄から取り出す。
「講義終わった?」
明智からのものだった。SNSで「直ぐに行くよ」と返信すると上谷は足早に部室を目指した。
上谷の通う理学部数学科は理系で明智とは通う校舎が違う。いわゆる一般教養は全てひっくるめて文系側の校舎にまとめられていてその分、理系側の校舎よりも隣接するの棟宇の数が多い。御鏡大学は都心が近い割に立地条件がそこそこに良く、一つの敷地内に必要な全ての校舎は備わっていた。
理系と文系のそれぞれにある最も大きい本校舎の間は長い渡り廊下で繋がれていた。各学部の生徒が入り組むこの廊下はいつ通っても新鮮な感じを受けるので上谷は結構気にいっている。
文系側サークル連棟、と正確に呼称すればそうなるのか四階建ての建造物、三階北東にある部室が絵画サークルに所属する者が通称する「美術室」だ。この部室の呼ばれ方というのが昔ながらの習わしのようで、曰く小中学校の世代で呼びなれた頃の名残の様なものという。美術室とは呼ばれそこは絵画サークルであり工芸などは勿論一切やらない。日中から夕方にかけて日が差し込むと絵が傷む事を考慮した為か、このような位置に部室を確保したのだろう。
引き戸の正面までやって来るとまず先に独特な匂いがその鼻を突く。炭と油の混ざった様な、だがこれにも今はもう慣れた。
扉越しに人の気配を感じる。戸を開け部室に入ると、先に室内で陣取りを済ませていた他のサークルメンバー達が上谷に気付いて挨拶を送る。上谷は軽く利き手を上げた「お疲れ」のジェスチャーを一回、周り全員分として返した。
明智は窓際の一番隅の席に腰を下していた。
「待った?」
上谷が声を小さくして言うと明智は首を軽く横へと振る素振りを見せる。が本当はそんなはずもない。教室で少し上の空だったからSNSの着信に気付くのも部室へ向かうのもいつもより少し遅れた。だから明智の方が早くこちらに着いているし、そうでなくともいつだって二人の待ち合わせは明智の方が上谷より先だった。
そういうことを解っていて上谷は、自分からは謝らない人間だ。
そんな上谷の心を映してか、上谷が描く明智の肖像画は何故かどこか儚く、そして不鮮明で危うい。
描くべきものの対象が一人の人物であるというよりは、筆を入れれば入れるほどに今はまるで陽炎の様である「これはまだ完成には至っていないから」と上谷自身は思っているがこれが作品の完成度の問題ではないことを本人は自覚していない。
一方で明智の描く上谷の肖像画は完成こそしてはいないが素晴らしい出来を兆していた。技術の批評とは少しばかり違う。その作品は素人の上谷から見てもはっきりと理解することのできるエネルギーをカンヴァスから解き放っていたからだった。
だが上谷には寧ろこの絵には、
──何かが、欠けている──
そんな錯覚を、明智の絵を目にして以前からずっと与えられ続けていた。しかし上谷がそのことについて解釈する答えは「その絵が完成に至っていないから」というものである。
明智の正面の椅子に上谷は腰を下ろし、カンヴァスを斜めに構える。初めの頃はえらく気恥ずかしかったが最近やっと慣れてきた、といった感じだ。何しろ明智ときたら被写体となる相手の心の奥まで覗き込む様な眼力で上谷は最初の頃、思わずどきりとした。
油絵は上描きしていくため修正が効き易い。最初にどぎまぎしながら行った下描きの水彩部分は今ではもう見えない。上谷は油絵に関して、細かい技法や小道具の使い方等、まだ大凡を把握したわけではなかったし未だ手探りの状態が続くが、修正が油絵の一番の醍醐味であるところには特に好感が持てた。自分が入部するなどまるで想像もしなかったほど興味も関心も無かったサークルで、上谷が依然として続けられている大きな理由の一つであろう。
完成するその瞬間まで根気のいる作業ばかりであるが、僅かな失敗も最初からやり直しになる水彩画より満足がいくまで修正ができる。その上、油絵は少し玄人っぽくて良いな、などと思う。
もう一つ、絵であれば完成した現物が自分の目の前に残る。これは上谷にとってはかなり重要な事だ。基本的に自分の行動した結果が何かしらに等価されないものに関して上谷は興味が湧かない性分をしている。
他人から勧められたものを素直に受け入れることの出来ない性質の上谷は、だが絵を描くこと、そしてこの絵画サークルを自らの趣味の範囲として受け入れ、好きになることには存外違和感が無かったといえる。
それでも上谷には、明智のように絵画に対して特別な執着心を燃やすなどという様なことは、今はまだないが。
二人がそこそこ会話をするようになった頃、上谷は明智に何の絵が一番好きなのかを聞いたことがある。
「有名なものなら、ダヴィンチの最後の晩餐かな?」
それなら上谷も知っている。理由を聞くと明智は「バランスが良いから」とそう言った。最初、明智が何を指して言っているのか上谷には解らなかった。
いつの時代も芸術は流行の先端だ。十五世紀末でも当時、それは絵画だったし同時に政治的な権力をも持ち合わせていた。当時の実権を握っていたキリスト教は、神や天使を人により似せて画家に描かせることにより人々に「神は存在する」事を知ら示た。
芸術を維持すること、芸術家であること、またその感覚を持続すること。芸術というものは一個人の精神から溢れ出す無限の感性などではない。
社会から与えられ触発される「有限の値観」にある。
だから作り手のメンタルやバイタルにはそれに等価される資本がかかる。当時の芸術家に必要不可欠な存在、出資者となりうるキリスト教や貴族達の持つ経済力に依存することはダヴィンチ本人とて否定できないだろう。
真に芸術家たるなれど、
社会、経済、英雄願望、はたまた承認欲求からなる太宰治いわく有名になりたいと願う『有名病』に囚われることなく芸術に取り組めること。
豪華王、ロレンツォ・デ・メディチが真に芸術家である者達の偉大なる主であったことは間違いない。万人の上に立つ者の肩書きと出資者としての財力に加え、彼には芸術への哲学があった。
彼が最盛期を牽引したルネサンスでは、芸術とともに精神哲学への理解がより高まる。当時の絵画の中には視覚トリックを使った騙し絵や、絵画中に含まれるの物語の中で社会や宗教に対して皮肉を語りかけているなどといった『仕掛け』のある絵画がまま存在する。
社会批判的なアセスメントは当時の流行であり、ダヴィンチの作品の中にある仕掛けについても、いくつもの論議や評論がなされてきたことであろう。
ただそういった社会批判を謳う芸術家達が神やキリストを決して信じていなかった、というところではなく、それは博愛が根幹である宗教、またその国家において教皇を一番上に見立てた貴族中心のヒエラルキーが出来るのはおかしいのではないのか?と当時に主張したかったのだ。
『完成された世界』というものについての文献には、未だ謎が多い。
さて明智の言うバランスというのは。
最後の晩餐とはイタリアにあるサンタマリア・デレ・グラツィエ教会の食堂の壁に描かれた巨大な壁画である。教会の食堂に壁画を描く事は当時よくあったことで、修道院で暮らす者はこの最後の晩餐(世界で最初のミサ)を疑似体験することを大事な習わしとした。
壁画は普通、フレスコ技法と呼ばれる生乾きの壁に色を入れて壁が乾くと色が定着するという技法で描かれる。だがダヴィンチの仕事の依頼主は彼に仕事を早く終わらせるよう煽った為、これをフレスコ技法で描かず、テンペラ技法という別の描き方を用いることにした。
これは絵の具に接着剤(当時は卵や油)を混ぜ込むというもので本来は木板などに描く際に用いる技法だ。フレスコ技法よりずっと手間の掛からない描き方にはなるが、しかしテンペラ技法は年月が経つに連れて色落ちしてしまう為『そこに残す』事が目的の宗教絵画の壁画では普通は主流とはされない。
結局ダヴィンチの生前していた時代、制作後僅か二十年近くでその色落ちは目に見えて酷かった様だ。作品の構成自体がまとまっていない段階から取り掛かったと称されることもある様子で『最後の晩餐』のタイトルが付く絵画の場合、ユダの裏切りを考慮してか十二使徒の構図がポイントになってくるのだが、しかしその仕掛けの部分において曖昧な作りが後世に「これはダヴィンチの仕掛けた謎なのだ」と都合の良い解釈も与えるようで、事実はっきりしていない現状である。
「あの作品は誰が何と言おうと、完成している!」
本人の思う意図はさておき、こんな言い訳を当時に残したダヴィンチにも天才とは違う普通の人らしい一面があるではないかと好感がもてる。
そもそも作品の精度が極度に高いダヴィンチであるから、制作に関しては特に遅筆だ。完成された作品が数少ないダヴィンチの手懸けたものの中で最後の晩餐は「やり切った」作品として有名だが、本人がこれを納得できていたかどうかは実際疑問だ。その上、この壁画の傷み方は当時でも相当でその点が批判を呼んだからである。
それでもなお最後の晩餐はダヴィンチ代表作として有名なのだ。
第二次世界大戦の時にミラノの街が焼けたが、この最後の晩餐は奇跡的に損傷を免れた。
聖画と呼ばれる所以か。
明智はそういった本人の不本意な部分をも含めてそれがバランスであるというわけだ。それは上谷にとっては到底、理解し得ないことであった。
ダヴィンチというブランドが当時から有名だったからだろ?心の中ではそう思ったが口には出さなかった。特に王道なブランド主義者という人達を上谷は好きになれない。
この世には作られた感性が溢れている。ブランドというのはその代表例とも言えると上谷は思っていて、それは個人の常識と基準を時代によっては無意識から決定させている要素の一つであると考えていた。
上谷は明智がブランド主義者であるとは思っていない。ただ上谷自身が物事に賛成することを苦手とした人間だったし「僕らが生まれた時には教科書の内容は決まっていて、それを覚える様に教育されたから他の考え方を知らないのだ」と、ふとそんな事を思った。
上谷には今、現実に目の前にいる明智の肖像画を描くことが関の山だが、
不本意な『もの』の形にすら価値を見出す明智は、やはり上谷とは考え方が違うのだろう。
その肖像画に明智未来は何を見るのか。




