第52話:常滑の古風、剥き出しの闘争
1994年10月。愛知県、ボートレース常滑。
日本最古の歴史を誇るSG、**「全日本選手権」**が開幕した。勝率上位者のみが出場を許される、レーサーにとって最も名誉ある舞台。
しかし、ピットに現れた乾健児の傍らには、かつてのマブイ石のケースはなかった。
そこには、翼の手によって構築された流線型のアンドロイドボディに魂を移した、**「肉体を持つハル」**が立っていた。
「……おじさん、風が冷たいね。これが『肌で感じる』っていうことなんだね」
「ハル、余計なことは考えるな。お前のその体、まだマブイとの馴染みが不安定なんだ。無理はすんじゃねえぞ」
ハルが人間に近い構造を得たことで、彼のマブイはより繊細に、そして劇的に周囲の環境と共鳴し始めていた。
常滑の広大な水面に、マブイ議会が放った最後の暗殺部隊が潜んでいた。
彼らの狙いは、乾の勝利ではない。ハルが手に入れた「マブイと肉体の融合技術」の強奪。
リーダーの**骸**は、自らの機艇を墓石のような灰色に染め、**属性:『崩落』**を操る。
「乾健児。その機械人形が手に入れた『命』、我ら議会が正しく管理してやろう。……古い歴史と共に、ここで崩れ去るがいい」
「常滑SG・ダービー予選……全艇、起動!!」
スタート。乾は『銀河』の出力を肉体で制御し、完璧なスリットを見せる。しかし、ハルの新しい肉体が、常滑の強い横風と潮の香りに過剰反応を起こした。
「……っ、おじさん! 感覚が……多すぎる! 水の重さ、風の冷たさ、みんなが僕を引っ張るんだ!!」
属性変質――『重力の檻』。
骸が放つ崩落の波動が、ハルの繊細な神経系を逆手に取り、擬似的な重圧をハルの肉体に叩き込む。
「ぐあぁっ! 体が……重い……壊れちゃう!!」
ハルの悲鳴が乾の脳内ではなく、現実の空気として響く。乾は初めて、相棒が「痛み」を感じていることを、その目で見ることになった。
第1マーク。ハルの機能不全により、乾の機艇は失速し、骸の先行を許す。
だが、乾はスロットルを緩めなかった。彼は左手でハルの震える肩を抱き寄せ、自らの『銀河』のマブイをハルの肉体へと直接流し込んだ。
(ハル……怖がるな。この重さは、お前が『生きてる』証拠だ。……俺が、その重さごと銀河の彼方へ連れてってやる!)
属性昇華――『銀河・金剛防壁』!!
乾の銀河マブイが、ハルの肉体を優しく包み込む「光の鎧」へと変化。骸の重力攻撃を光の圧力で押し返し、常滑の荒れた水面を平坦な「銀河の道」へと書き換えた。
結果は、乾が逆転の1着。
ハルは乾の腕の中で荒い息をつきながらも、初めて「涙」という名の冷却水を流した。
「……おじさん。……あったかいよ。これが、人間の……温度なんだね」
ピットに戻った二人の前に、敗れた骸が不気味な警告を残す。
「……フン、一時の感情で命を繋いだか。だが、決勝は議会総出の『総力戦』だ。その人形の肉体が、我らの全エネルギーに耐えられるかな?」
1994年、残すSGはあとわずか。
ダービーの頂点、そして年末の賞金王決定戦へ。
乾健児は、初めて「守るべき体」を持った相棒と共に、からくり競艇の歴史を塗り替える最後の直線へと突入した。




