第10話:平和島の静寂、星属性の導き
平和島の静寂、星属性の導き
東のメッカ:平和島
江戸川の荒波を越えた乾健児、ハル、黒崎翼の三人は、次なる戦いの地、**「平和島競艇場」にいた。
「東のメッカ」と称されるこの場所は、周囲をマンションや巨大な建造物に囲まれ、風が遮られた「静水面」として知られる。江戸川のような潮のうねりはない。しかし、からくり競艇において静水面とは、「純粋なマブイの出力と質」**が残酷なまでに勝敗を分ける、誤魔化しの効かない鏡張りの戦場を意味していた。
第10話:平和島の静寂、星属性の導き
「……静かすぎるな」
乾はピットで、愛機『鉄屑・ニードル』のカウルを撫でた。
江戸川での激闘を経て、翼の「泥」とハルの「風」と共鳴した乾のマブイ石は、黄金色から透き通るような白銀へと変色していた。17,000の熱量はそのままに、属性が「斬」からさらにその先へと変質しようとしている予兆だった。
「健児、見て。あそこにいるのが、今回の招待選手よ」
翼が、氷のように冷たい視線を向けた先に、一人の女性レーサーが立っていた。
白装束のようなライディングスーツ。その背中には、太陽でも月でもない、無数の点が散りばめられた紋章が刻まれている。
**希少属性「星」**を操るS1レーサー、北斗 昴。
彼女は「平和島の観測者」と呼ばれ、相手のマブイの動きを「運命」として予見する、からくり競艇界の至宝の一人だった。
「……乾 健児。貴方のマブイは、あまりに騒がしいわ」
北斗 昴が、乾の前に音もなく現れた。彼女からはマブイの「圧」が一切感じられない。ただ、彼女が歩くたびに、足元の水面が星座の形に発光する。
「17,000もの負債……いえ、執念。それは強大な『引力』を生むけれど、同時に貴方自身を崩壊させる『超新星爆発』の予兆でもある」
「……御託はいい。俺はただ、前を走るだけだ」
乾が不敵に笑うと、北斗は悲しげに首を振った。
「私の属性は**『星』**。貴方が一ミリ動くたびに、水面に映る星の配置が、貴方の『敗北の座標』を示し続ける。貴方に、勝ち目はないわ」
予選第12レース。平和島の静水面に、6つの魂が解き放たれる。
1号艇・北斗 昴。3号艇・翼。4号艇・ハル。そして6号艇に乾。
「全艇、起動!!」
スタートの瞬間、北斗 昴の「星」が平和島を支配した。
属性変質――『星界の檻』。
静かな水面に、巨大な天球図が浮かび上がる。乾たちがスロットルを開けようとするたび、星の引力が船体を狂わせ、進路を強制的に書き換える。加速しようとすれば引き戻され、旋回しようとすれば外側に弾かれる。
「……動けない!? 水面が、磁石みたいに張り付いてくるわ!」
翼の「泥」さえも、星の引力には干渉できない。ハルの「風」も、星が作り出す「真空の道」に捕らえられ、翼をもがれた鳥のように失速する。
「……おじさん、これ、ダメだよ。星の光が、僕たちの『次』を全部食べてる」
ハルの通信が混じる。マブイネービラのハルでさえ、物理的な「光」の干渉によって視界と感覚を狂わされていた。
乾は目を閉じた。
(星の配置が敗北を決めるだと? 笑わせるな。俺の人生は、とっくの昔に一度、最悪の星回りで終わってるんだよ!)
乾は右腕を、無理やりマブイ端子に叩き込んだ。
17,000のマブイを、拡散させるのではなく、一点に「爆発」させる。
「金」の属性が、極限の圧力によってその姿を変える。
金属性・究極変質――『超新星』。
「北斗 昴! お前が星の動きを読み取るなら、俺はその星図ごと、新しい爆発で塗り替えてやる!!」
乾のボートから、凄まじい純白の閃光が放たれた。
それは「斬」よりも鋭く、「雷」よりも速い。
一点に凝縮された17,000の熱量が、平和島を覆う「星界の檻」の中央で大爆発を起こした。引力の均衡が崩れ、計算された星の配置が、乾の放つ圧倒的な「熱」によって霧散していく。
「なっ……!? 運命のチャートを、暴力的な熱量だけで焼き切るというの!?」
北斗 昴の瞳に、初めて「計算外」の動揺が走った。
檻が壊れた瞬間、乾、ハル、翼の連携が再び牙を剥く。
翼の「泥」が爆発の影響で不安定になった水面を固め、
ハルの「風」が、爆発の衝撃波を背後から受けて弾丸のように加速する。
そして乾は、その最前線で「超新星」の光を一本の槍へと変えた。
「マブイ・ニードル・極――『恒星貫通』!!」
第1ターンマーク。北斗 昴が描く「完璧な旋回軌道」に対し、乾は最短距離を一直線に突っ込んだ。
それはもはや競艇のターンではない。光の矢が、星の核を射抜くような神速の一撃。
――カァァァァァァァァン!!
高周波の衝突音が平和島に響き渡る。
北斗 昴の1号艇を、乾の6号艇がコンマ数ミリの差で「切り裂きながら」抜き去った。
乾の放った熱量が北斗のマブイ石に干渉し、彼女の予見能力を完全にシャットダウンさせたのだ。
ゴール。
1位・乾。2位・北斗。3位・ハル。4位・翼。
静水面に映っていた星図は消え、そこには泥と油にまみれながらも、自らの力で運命をこじ開けた男たちの航跡だけが残っていた。
レース後のピット。北斗 昴は呆然と、自分の震える手を見つめていた。
「……星は嘘をつかない。けれど、貴方の執念は……星の寿命さえも加速させてしまった」
北斗は乾に向かって、深く頭を下げた。
「乾 健児。貴方はもう、ただのホームレスでも亡霊でもない。自ら光り輝く『恒星』になったのね」
乾は何も答えず、ボロボロになった自分の機艇を見つめていた。
17,000のマブイ。それはいつか自分を焼き尽くす火かもしれない。だが、今はまだ、その火を消すわけにはいかない。
「おじさん、お疲れ様。星、綺麗だったね」
ハルが半分溶けたアイスを差し出す。
「……ああ。だが、俺はやっぱり、泥臭い多摩川の夕焼けの方が性に合ってるよ」
翼が、乾の破れたライディングスーツを不器用そうに繕いながら、小さく微笑んだ。
三人の絆は、属性や境遇を超え、もはや一つの「星座」のように結びついていた。
平和島の夜空には、彼らの戦いを祝福するように、新しい一番星が強く、鋭く瞬いていた。




