第77話 女心と秋の夜
「……はあぁぁ」
「そんなに溜息吐くなって、リオ君。幸せが逃げちゃうぞ?」
「身の危険が去った幸せを噛み締めてる安堵の溜息ですよ。ビビらせないでくださいよホントに……」
結果的に俺の判定負けとなったさっきの模擬戦を終え、俺達は夕飯の席に着いていた。ちゃっかりルー先輩も一緒である。「いやいやそんな、ご馳走になるなんて悪いよ~!」とか遠慮してた割に俺より食べてるな。調子の良い人だ。
「っていうか先輩、ガーンディーヴァ使えるんですか?」
「いや、成功したこと無いよ? イチかバチかできるかなって思ったけど、やっぱ詠唱は必要なのかな。まあ君の攻撃は防げたから、結果オーライって感じ?」
「んー、成功してたら過剰攻撃でアウトになったかもしれないよ。そしたら先輩の負けか、良くて引き分けだね」
「おお、じゃあ良かったねお互いに」
「そんな適当な……」
心臓に悪いからやめて欲しい。本当に命の危機を感じたのは、ソージア先生と戦った時とか母さんに会った時とか人型邪霊と戦った時以来だ。……いや、結構あったな。
それにしてもルー先輩のこの強さといい適当さといい、なんだかティフォ先輩を彷彿させる。というかガーンディーヴァってティフォ先輩しか使ってるの見たことないよな。
「やっぱり、あの術ってティフォ先輩から教わったんですか?」
「教わったっていうか勝手に真似してるだけだね。ティフォが使ってるの何度か見たことあったからさ」
「ねえねえ、もしかして結構前から知り合いなの?」
「同郷だからね。パパがベント家に仕えてたからアタシも昔は近くに住んでたし。身分の差があるから友達って訳にはいかなかったけど、まあ割と仲良かったよ。むしろお嬢……ああ、委員長のことね。委員長よりティフォとの方が付き合いは長いし」
懐かしむように答えるルー先輩。ヒナはそんな表情を見てすかさず茶々を入れる。
「え~? もしかして好きだったの~?」
「ん~~~、それは難しい質問だなぁ。ほら、立場とかあったからさ。でも……昔はちょっと本気だったかも?」
「きゃー! やっぱり!? 今は? 今は?」
「もー、恥ずかしいからやめなさいって。昔の話だから。今もまあ好きっちゃ好きだけど、憧れとか尊敬って感じかな」
「……どこが?」
「こらヒナちゃん、真顔にならないの。リオ君なら彼の良いところ分かるよね?」
いきなり冷めたヒナに苦笑したルー先輩は、俺に振ってきた。あのダメ男の良い所か……。
「まあ、まず強いですよね」
「そう! 男は強くてナンボだよ! そういう意味じゃリオ君はまだまだだね~」
横に座るイレアがムッとした様子で「そんなことありません」とでも言いたげだ。嬉しいけど、反応したらヒナに揶揄われそうなので黙っておこう。
「あとは、あの自由なところだね。王族だってのに向こうにいた時もメチャクチャやっててさ。でも強いしイケメンだから文句付けられないどころか人気者でねぇ。ちょっとでも近付こうと思って精霊術だけ真似してみたんだけど……やっぱり天才には敵わないや」
「先輩も十分天才側ですって」
「だとしても、アタシより天才だよ。どこまで行ったって自分より上はいるんだから」
実感の籠った言葉だ。俺を圧倒した彼女にも、彼女なりの苦悩があるのだろう。
「ま、そういう訳で今は恋愛感情的なのは無いんだよ。つーかお嬢といつも一緒にいるからってアタシまで避けられてるし。嫌われてんのかな?」
「さあ……前に聞いた時は委員長のことしか言ってませんでしたけど」
「じゃあ好き避けってやつ?」
「無い無い無い、アタシって絶対ティフォの好みじゃないもん。だって彼、ロリコンじゃん?」
「「「…………」」」
ああ、今まで俺達が敢えて考えないようにしてきたことを遂に明言しやがった。たしかにそういう疑惑はあったけどさ。俺が知るティフォ先輩の女性関係というと、ソージア先生にヒナ、あとはセレナと会った時の話も聞いたけど……あれ、やっぱりガチか?
「リオ君、女の子だったら危なかったかもね」
「男じゃなかったらそもそも最初から出会ってませんって。やめて下さいよそんな悪い冗談」
「童顔だし背低いし」
「……なんか俺、先輩に悪い事しました?」
急な悪口に自分の不手際を疑うが、ヒナはともかくイレアまでうんうんと頷いている。イレアにもそう思われてたのか……ちょっとショックだ。ていうかまだ成長期だし。
「あ、ああそうだ。あと教えるのも上手いですよ、ティフォ先輩」
「お兄ぃ、よく一緒に修行してたよね」
空気を払拭するために強引に話題を戻したけど、ロリコン疑惑な先輩をフォローする形になってしまったのは癪だな。でも先輩の教え方が良かったのは紛れもない事実だ。
「あー、よく寮の裏庭でバタバタやってたね。危なくて近付けないって苦情が放送委員に入ったことあるんだよ」
「ゲッ、マジですか。それはご迷惑お掛けしました」
「いやいや、いいって。元々殆ど使われてなかったしさ。危ないったって弱い奴が悪いんだから」
そもそも寮のこと放送委員に言われてもって話だし、とぼやくルー先輩。いつも誰もいないなと思ってたけど、まさかそんな背景があったとは。
「でもそっかー。リオ君、ティフォから教わってたんだ。難しくない? アイツの言ってること」
「そうですか? かなり分かりやすくて勉強になりましたよ」
「うわぁ、理論派だ。もしかしていつも精霊術使う時もさ、アレをあーしてコレをこーしてって感じに考えてんの? アタシ全然分かんないなその感覚」
「そりゃ、ある程度は無意識ですけど……範囲とか大きさとか速さとか、色々考えることありますよね?」
流石に全く考えてないなんて事はないだろう、と思って投げかけた質問。しかし大きく頷くヒナ、控えめに同意するイレア、首を捻るルー先輩と反応は三者三様だった。
「あたしはお兄ぃと一緒かな。結構考えて使ってるかも。でも邪霊と戦ってる時とかもだけどさ、精霊術に限らず敵の位置とか周りの人の動きとか色々計算することあるじゃん? それと一緒じゃない?」
「そうだね。でも私は氷柱とかの慣れてる術は無意識で使っちゃってるかも。あと……自分でも分かってない術もあるし」
「偉いなぁみんな。アタシなんて全部無意識だよ? 計算なんてしたこと一回も無いね。だからパパにもいっつも『ちゃんと頭を使ってやれ、感覚に頼るのはそれからだ』って怒られててさぁ……」
「あー、それは俺もありますね。精霊術じゃなくて剣術ですけど」
いつだか師範に言われたな。まずは意識して使えるようになって、それを無意識でできるようにしろと。精霊術でも同じことだろう。
「でもそういう意味じゃ、イレアは良いんじゃないか? 慣れたってことは、考えてやってた事を無意識にできるようになってるんだからさ」
「……そうね。昔は小さい術でもしっかり考えないと使えなかったし。ルーヴェラント先輩のお父さんが言ってるようなことかも」
「うへぇ、一番進んでんのお姫様じゃん……」
「お姉ちゃんすごーい。あたし、逆に無意識でっての全然無理かも」
「やっぱりイレアは凄いな」
口々に褒めると照れて小さくなるイレア。それが可愛くて三人で弄っていると、ヒナが何かに気付いたかのようにふと口にした。
「今、ティフォ先輩はどんな感じで精霊術使ってるんだろうなって考えて思い出したんだけどさ……」
「あー、アイツのことだから『無意識でやってるけど頭でも理解してる』とか言いそう」
「確かに言いそうだけど、それは置いといて。あの人って、今これ聞いてるんだよね?」
あ、と同時に思い出した俺とイレア。まだ不思議そうな顔をしているルー先輩。
「え、なに、どゆこと?」
「その……ティフォ先輩って情報収集のために色んな人にマーキングして盗み聞きしてるんですよ。ドラヴィドとかノーミオ家の内情もそれで知ってるみたいで」
「そうだね、それは知ってるけど」
「それで……俺の周りの会話も聞いてるんです」
「は?」
俺達三人は今の今まで忘れてた、というか半分諦めてたことだけど。ルー先輩にとっては初耳だ。
「それ、全部?」
「俺達のプライバシーに関わることはシャットアウトしてるって言ってましたけど、たぶんこういう会話は……」
聞かれてるだろうな。俺達と彼女の関わりなんてある意味彼にとって一番気にするべきところだろう。
「……最初から?」
「まあ、恐らく」
「…………………………………………キモ」
この日を境に、彼女は従兄弟を毛嫌う委員長に共感するようになったという。
哀れティフォ・ベント。これも世界平和のために必要な一歩である。半分自業自得だが。
■□■□
その後も、なんだかんだ食後のお茶まで頂いちゃってるルー先輩。話し上手だし聞き上手だし、ヒナとはまた違った形のムードメーカーだな。珍しいことに、いつの間にかイレアも警戒を解いている。
「でもさー、結局リオ君よりアタシの方が強いじゃん? 考えるのってそこまで大事かなー」
「せんぱーい、そんなこと言ってたらまたパパに怒られるんじゃない?」
「それはそれ、これはこれ。そもそもアタシだって努力してない訳じゃないし。やり方が違うだけでしょ」
先輩の言う事も尤もだ。現実として、俺は彼女に負けた。結果だけ見ればお互い消耗した上での判定負けだったが、百回試合をしても百回とも同じ結果になっただろう。それくらいの差を感じた。
「ね、リオ君的にはどうよ」
「そうですね……俺も結果が全てって意見には賛成です。目的は強くなること、勝つことですから。方法なんて最悪何でも良いんですよ。選んでる暇もありませんし、使えるものは何でも使います」
「お、それはまたラディカルな」
「という訳で、先輩の精霊術――『鋼』を教えてくれませんか?」
「……へぇ。そう来たか」
そう、俺が前々から狙ってたもの。ルー先輩の使う、恐らく火と土を複合している「鋼」の術。常に二属性を合わせて使う俺なら、「氷」と同様に扱えるかもしれない。
それに、彼女の戦い方ははっきり言って俺の理想だ。強固な物質を生成し、攻撃と防御に用いる。更に師範の話によれば、精霊術で生み出した剣を使った近接戦闘も得意らしい。むしろ対人ではそっちが彼女の本領なんだとか。俺と同じだ。防御力だけなら勝っているだろうが、攻撃力も機動力も手数も全て俺より上。この人の術からも学べることがあるはずだ。
「なるほどねぇ。さっきの氷の盾はお姫様のか。教えてあげたの?」
「はい、基本的なことだけ。でもすぐに使えるようになっちゃったので私が特別何かしたってことは無いんです。あれもリオが自分で編み出したんだよね?」
「ああ、イレアの術を参考にしたけどな。でも最初の感覚は教わる必要があったんです。ゼロから生み出す才能は俺には無いですから」
「つまり、やり方さえ知ればマスターできると。なかなかの自信だね」
そう言って先輩は目を瞑る。そこまでの大言壮語はしてないけど、ここは強気の交渉だ。
しかし、彼女の表情は難色を示していた。
「……結論から言うと、教えられない。アタシの感情的には面白そうだから教えてみたいんだけどね」
「理由を聞いても?」
「まず一つ目。『鋼』の術は、アタシのママの一族が代々受け継いできたものなんだよ。その一族は王族とか巫女家ほどではないけど、ドラヴィドではかなりの力を持ってる。それが外部に漏れて、正当な一族以外の人間が使えるって知られたら……ちょっと危ないかもしれない。自分達の権力を揺るがすことになるからね」
だからアタシがこっちにいるのも実は綱渡りでね、と小声で付け足した。なるほど、リギスティアさんが巫女の力を持った子供――俺を探していたのと同じか。言い方は悪いが、力というものは独占して初めて意味を持つのだ。
「そしたら、先輩のママは大丈夫なの? 何か責任とか負わされたりしてない?」
「一応、アタシとパパは亡命した王族の護衛って任務をベント家から公式に預かってるから大丈夫だよ。でも一族の中にも派閥があってさ、他の王族がバックに付いてる所からは反発があるし……まあゴタゴタしてるってこと。直ちに身の危険がある訳じゃないけどね」
「分かりました。それで、一つ目ってことは他にも理由が?」
他国のいざこざに巻き込まれるのは嫌だが、最悪知らんぷりして「自力でできるようになりました」って言えば済む気がする。簡単に考え過ぎだろうか? でも俺にだって巫女家という大きい後ろ盾があるからな。
「あー……実はこっちの方が根本的な問題というか。ほら、さっきも言ったけどアタシって感覚派じゃん? 正直、教えられる気がしないんだよね」
「……そういう問題でしたか」
「どうせ分からないと思うからちょっとだけ説明してみるけどさ」
ゴクリと唾を飲む。まさか、こんな簡単に聞けるなんて――
「――こう、土と火のイメージがあるじゃん? それをギュッとして……いや、でもちょっと土寄り? でも火の感じも欲しいから……なんだろう、こう、乾く感じ? 冷たくはないんだけど、熱いってより、その、風とか水とは逆で……そう、水じゃないんだよ。いや水の感じは分かんないんだけど。まあともかく、土と火をギュッとやって……こう、出す! そういうこと!」
――うん、何一つ分からなかった。出す! じゃねえよ。
「……ごめん」
「いえ、その、大丈夫です」
申し訳なさそうに、ちょっと恥ずかしそうに謝ったルー先輩。何も大丈夫ではないが、そう声をかけるしかなかった。
「ま、そういう訳でアタシは二つの意味で教えられない。でも本当に習いたかったら、全部片付いた後でドラヴィドに来るといいよ。アタシとパパの紹介ならママが教えてくれると思うし。アタシなんかよりよっぽど説明上手いはずだよ」
「いいんですか?」
「うん、条件があるけどね」
ニヤっと笑った先輩。一体何を持ち掛けられるのか……
「さっきも言ったけど、これは一族の秘技。認めてもらうには――ウチに婿入りするしかないって言ったら、どうする?」
「なっ」
「お断りします」
何言ってるんですか、と俺が口に出す前に。イレアがそう冷たく言って俺の腕を力強くグイっと引き寄せた。
「あっはははははっ! ごめんごめん! 二人の反応がつい可愛くてね、揶揄いたくなっちゃった!」
「リオは私の婚約者です。そのような話はウンディーノ家次期当主である私を通して下さい。……リオも。そんなのすぐ断ってよ」
「は、はい」
すぐも何も、俺が言う前に秒速でイレアが遮っただろ……なんて台詞は飲み込む。俺を想っての言葉だ。嫉妬くらい受け入れるのが男の度量ってもんだろう。たぶん。
「まあまあ、ごめんね。ただの八つ当たりだから。昔の憧れをついさっきぶっ壊されたからさ……ああもう、思い出したらまた腹立ってきた」
「ティフォ先輩のことですか……いや、すみません。俺が先に言わなくて」
「いいのいいの、アイツ今度会ったら直接ロリコンって言ってやるし」
「それは……俺も特に擁護はしません」
ルー先輩は空を睨みながらそう言って、身支度を始めた。気付けばもう遅い時間だ。
「まあでも、リオ君はせっかく全属性使えるんだから他の人に教わるってのが正解なのかもね。治癒術とかいいんじゃない?」
「治癒ですか……なるほど、良いかもしれませんね。今日は色々ありがとうございます、先輩」
「アドバイスくらいお安い御用だよ。それに……さっきの話、ちょっとは本気だからね?」
「さっきの話?」
「言ったでしょ。アタシ、強い男が好きだから。強くなりたい奴は大歓迎ってこと!」
「えっ」
ただ純粋に揶揄うような笑みとはちょっと違う……試すような、誘うような妖しい表情を浮かべ、俺の返事を待つこともなく彼女は玄関を開けた。
「それじゃ、また来るねー! ばいばい!」
「さ、さようなら……」
颯爽と駆けていった後ろ姿はすぐに見えなくなり、残されたのは答えを得られずに呆然とする俺と、
「……リオ?」
「はい」
「分かってるよね?」
「はい」
氷の眼差しを向けるイレアだった。
閉まりきる前の扉から吹いた木枯らしが、俺の身を震わせた。
■□■□
その日の就寝前。俺はウンディーノ家宛てに手紙を書いていた。近日中にとある人物を訪問したいという旨を伝えるためだ。
「……よし、と。こういうのも慣れたもんだな」
畏まり過ぎず、かと言って相手を尊重した上で自分の要求は通す前提で依頼する絶妙な塩梅の文体。ウンディーノ家次期巫女という、それなりの立場に合った振る舞いも身に付いてきたと思う。あとは……イレアの伴侶って自覚をもっと持たないとな。
「デートは来週末……いや、忙しいけど今週末にするか。早めに予定合わせてもらおう」
ルー先輩が帰ったあの後、俺は必死にイレアの機嫌をとった。それはもう懸命に。悪いのはあんな事を言った先輩だけど、俺もその次くらいには悪かった。嫉妬させてしまうのは仕方ないとしても、その後すぐにフォローするのが俺の責務だろう。
じゃあどうしたかというと……俺にできることといえば、乏しい語彙で精一杯想いを伝えるくらいだった。言わせんな恥ずかしい。それに加えて今度二人で出掛ける約束を取り付けることで、痴話喧嘩未満の騒動は終結を迎えるのだった。
そんな訳で、イレアとの予定を早く決めるために、依頼の返事をすぐに貰えるよう催促する文言を末尾に付け足す。未来の巫女家当主様のためだ、これくらいの手前勝手は許されるだろう。
「うう、寒。とっとと寝るか」
書き終わった手紙に封をして、ランプの火を消す。夜半の寒さに布団の温もりを体が求めていた。極東にいた去年までの冬は、よくヒナとくっついて寝てたな。じゃあイレアと……って何考えてんだ。もう寝よう。
人肌恋しくなる秋の夜。忙しい一日がまた今日も終わり、元霊祭まで残り一か月を切るのだった。




