第70話 不穏な孤立
暗闇の中、剣戟の音が鳴り響く。しかしそれも束の間。再び静寂を取り戻した闇夜から一人の男が出てきた。
「――しかし、こちらの弱点は人数ですな」
ふうと溜息を吐く。男は数人の刺客を歯牙にもかけなかった。だが、各所に出没する者共を始末するのには手を焼く。やはり彼がいない所を狙われているのかもしれない。
「向こうでは戦争の気運が一時は収まったとは聞きましたが……火種は消えず、ですかな」
そう呟いた男の元に覆面で顔を隠した男が現れた。両者は無言で頷き、覆面の男は死体を無造作に片付ける。男はそれを一瞥して、その場を後にした。
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「ふぁあ……ねむ……」
「あらヒナさん。今から当番のようだけど、随分お疲れのようね」
リオ達がひと時の祝杯を上げた日の翌朝。当番の仕事で授業前に放送室を訪れていたヒナは、委員長のエスメラルダに声を掛けられた。
「んー、昨日ちょっとね。寝るの遅くなっちゃったんだ」
「そうですか。仕事中に居眠りしないよう気を付けてくださいませ。ところで、最近ルーさんがそちらでお世話になったと聞きましたわ」
「そうそう。ルー先輩のお父さんがお兄ぃに剣教えてるんだよ。偶然って凄いねー」
「偶然ですか……そうですわね。ルーさん、今日は家の用事でお休みのようですけど」
「あ、そうなんだ。昨日はお父さんもうち来なかったし、なんかあったのかな」
「明日聞いておきますわ。委員の仕事に影響があるようなら困りますから。しかし一度戦ったと聞きましたが、ルーさんはヒナさんの兄の事を高く買っているそうですわね。けれども――」
エスメラルダは言い淀み、声を少し潜ませて続けた。
「ヒナさんもご存知でしょうけど、最近ミヅカ・リオに関する良くない噂が一部で広まっていますわ。もちろんわたくしは、そのような街談巷説は信じませんが。ヒナさんのお兄様ですからね」
「……うん、ありがと委員長」
「ですが、噂が流れているのは事実。特にこの学園でノーミオ家の派閥でない貴女たちは敵を作りやすいですわ。余りにも酷いようでしたらウンディーノ家が動くとは思いますが、用心なさい」
「分かった。でももし何かあったら助けてね」
「ええ。未来の放送委員長を守らねばいけませんからね」
「ありがと――って、え、待って、委員長?」
「ふふ、冗談ですわ。ウンディーノ家の貴女が委員長になれるかはわたくしの口からは何とも言えませんわ。推薦したいのは山々ですけども。それではごきげんよう」
「ちょっとぉ……行っちゃったよ」
一人放送室に残されたヒナは、これ以上仕事が増えるかもしれない可能性に嘆息するのだった。
イレアと並んで教室に入った俺は、改めてクラスメイト達を見渡した。彼等彼女等も俺達二人が並んで登校してくるのに慣れたのか、一瞥してまた各々の会話や作業に戻る。しかし、以前よりもその視線に親しみを感じられないのは……気のせいではないのかもしれないな。
「リオ、どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「そう? ほら、入口で止まってると邪魔になるから……って、トーヤさん、おはようございます」
「おはよう、イレアさん、リオ。確かに入口は塞がないで欲しいかな?」
「あ、ごめん。おはようトーヤ」
考え事をしていると、トーヤが教室に入って来た。いつもの彼からしたらちょっと遅いな。
「珍しいな、ちょっと遅いじゃん」
「職員室に呼ばれててね。元霊祭のトーナメント表が決まったんだよ……って、あっ」
そう言いながら一枚の紙を取り出した彼は、目聡く俺の手元を注視した。
「へ~、いいじゃん」
「だろ?」
言わずとも、薬指に嵌めた指輪の事だ。ニヤッと交わした笑みからは男としての祝福が感じられて気分が良い。しかしトーヤは一瞬の後、少しだけ顔を曇らせた。
「婚約ね……この学園じゃ珍しくはないけど、やっぱり目立つねそれ」
「まあな。でも見せつけておけばいいんだよ。噂なんか気にしないでさ」
「……そうだね。二人は気にしないで、堂々としてるのが一番だよ。イレアさんもね」
「うん。ありがとう、トーヤさん」
少し考えるような素振りをして頭を振ったトーヤは黒板に向かって行った。彼に付いて行き、俺達は貼られたトーナメント表の中から自分の名前を探す。それに気付いたクラスメイト達もちらほらとやって来た。
「やっぱり同じクラスだから私達は別のグループね」
「そうだな……お、ルー先輩は違うグループか。良かった」
「私の所はセレナさんがいるわ」
見知った名前を見つけながらざっと表を見るが、やはり留学生らしき名前が多い。予想通りその殆どが参加しているみたいだ。俺の初戦の相手は……
「中等部の普通の生徒か。まあでも油断はできないな」
「そう? 名前も聞いた事ないし、大丈夫じゃない?」
「苗字からしてシルフィオ家の系統かな。まあリオなら心配ないでしょ」
イレアもトーヤもあっけらかんとしているが、俺はちょっと不安だ。もちろん初戦で負ける気は更々無いが、それでも知らない相手というのは油断してはいけないのだ。師範もそう言っていた。
「それよりさ、色々元霊祭の準備とかしてる間も普通に討伐演習はやるんだな」
「明日だね。成績にも関係するし、授業の一環みたいなものだから仕方ないよ。リオとイレアさんも出るよね?」
「ええ。巫女家の私達にとっては義務のようなものだから。でも私達よりヒナちゃんの方が心配ね」
「最近忙しいからなあ。明日は無理させないようにしようか」
そう話していると、チャイムが鳴った。トーヤがまた何か言いたそうにしていたが、昼休みでいいだろう。
「ごめんリオ、ちょっといい?」
そして昼休み。丁度食堂に誘おうと思っていたところ、トーヤの方から声を掛けられた。やはり何かあるようだ。
「おう、なんだ?」
「その……昼休みのご飯、しばらく一緒に行けないんだ」
「……理由は?」
口調からして彼の本意ではないのだろう。だが、一瞬でも俺に何か原因があるのではと思ってしまった。しばし沈黙した後、トーヤは再び口を開く。
「家族に――父さんと兄さんに、言われたんだ。ウンディーノ家の婿と仲良くするのは控えろって」
「それは……例の噂か?」
「うん。でも父さんも、勿論担任の兄さんも、あんな噂を信じてる訳じゃない。だけど……噂を知っている人がいる以上、リオと一緒にいると僕にも火種が飛ぶからって。ごめん。でもリオは悪くないんだ。だから……」
「いや、大丈夫。分かったよ。俺もトーヤには迷惑掛けられないからな」
トーヤは優しい。自分に問題がある訳でもないのに、責任を感じて苦慮しているのだ。しかし彼はノーミオ家の派閥。ウンディーノ家の俺の事で何か問題を起こす訳にはいかないのだろう。
「本当にごめん。多分ほとぼりが冷めるまでは、教室の外とか大勢の前ではあんまり話せないと思う」
「食堂だと目立つからな、仕方ないよ」
それよりも、問題は噂の広まり方が尋常ではない事だ。やはり発端はミスズだろう。俺を孤立させるのが狙いか? それにしてはやり方が稚拙というか単なる嫌がらせレベルというか、その先の目的が見えない。最近何か変化があったかと言われれば、前よりも人目を引くようになったくらいだし……。
「トーヤ、一つ聞きたい事がある」
ふと思い付いて、俺はトーヤに質問を投げかけた。
「トーヤはさ、ドラヴィドとか極東と戦争が起こっちゃったとしたら……どう思う?」
心優しい彼の事だ。戦争には反対してくれるに違いない――そう思っていた。
「そうだね――」
――戦争は良くないよ。どうにか回避して、起こって欲しくないな――
「仕方ないと思う。防衛のためにも国の威信のためにも、仕掛けられたら相応の事はしないといけないからね」
だが、そんなものは俺の希望に過ぎなかった。やっぱり彼はノーミオ家の派閥なのだ。
「……そうだよな。ごめん、変な事聞いて」
「? まあ、情勢的にリオが気にするのは変じゃないと思うけど」
俺の考えは伝わってないようだ。でも彼に悪気は無いし、自分の考えを言っただけ。その価値観が俺と違っただけだ。数少ない味方を一人失った気分になってしまうのは、俺の勝手だ。
「じゃあ、また後でな」
「うん。また次の授業で」
俺はトーヤと別れ、イレアと連れ立って教室を出て行った。背後に受ける視線がいつもより多く感じた。
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放課後。帰宅した俺とイレア、ヒナは揃って師範を出迎えた。
「昨日は野暮用でしてな。申し訳無い」
「いえ。こっちもちょっと、それどころじゃなかったので」
「聞きましたぞ、指輪ですな。おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
イレアと揃って照れて礼を言ったが、はて、いつ指輪の話をしただろうか? ルー先輩経由……は無いな。今日は休みだったと昼にヒナに聞いた。
「あの、聞いたのは誰から?」
「ヒナ殿に玄関先で。随分と愉快な妹君ですな」
「うちの妹がすいません……」
ハハハと笑う師範だったが、ヒナが何か失礼をしてないか……いや、もう気にしても無駄だろう。それにしてもヒナ、俺達がトレーニングの準備をしていたあの一瞬の内に喋り倒したんだろうな。そういう奴だ。
「さて、明日は邪霊の討伐演習とお聞きしました。折角ですし、今日はそれに備えましょう。二人の連携というものを一度は見ておきたいですな」
「分かりました。じゃあ……」
「おっと、リオ殿は今日も明日も、剣は禁止ですぞ」
「えっ、マジですか」
いつもの硝子球を取り出して意気込んだところ、威勢を削がれた。
「勿論。これもトーナメント戦に向けた修行の一環ですからな。本当に危険になるまでは、トレーニングの時と同じように戦いなさい」
それもそうだと思い直し、俺はマテリアルを生み出した。剣が使えないなら、最近専らメインで使っている弾丸と盾でやるしかない。弾丸はまだ制御に不安があるし、一度マテリアルから切り離すと本体に戻すことができないのだ。タイミングを見極める練習をしよう。
「制限時間は一分。私が剣で攻撃を防ぎ切れなければ、お二人の勝ちですぞ」
「イレア、行けるか?」
「いつでも」
振り向きもせずに俺が前衛、イレアが後衛で構えた。
「ヒナ殿は見ているだけで構いませんな?」
「うん。頑張れー」
委員の仕事でお疲れのヒナは、ボーっと見ているだけのようだ。いや、そう見えて俺達を観察しているのだろう。実際ヒナは後衛の援護が多いから、見ているのも一つのトレーニングだ。
……っと、いけない。集中しなければ。目の前の師範を見据える。一瞬の静寂ののち、
「では――始め!」
始まった。
「はぁあっ!」
「精霊よ――アイシクルランス!」
剣を構えた師範が、物凄い勢いで突進してくる! 俺はマテリアルを盾に変えてそれを真正面から受け止めようとし、イレアは後方から迎撃する。が、
「ふん!」
「ぐうっ!!」
「切り刻め、ブリザードエッジ!」
重い! 右手一本で振るった剣でさえ、受け止めるだけで精一杯だ。最小限の動きから繰り出される、最強の一撃。そしてそれを隙と見てイレアが精霊術を繰り出すが。
「――円」
「なっ! なら――貫け、アイシクルランス!」
「マテリアル・オーダー、『加速』っ!」
いつの間にか左手に握っていた剣でいとも容易く防がれた。二刀流だ。すかさず次の攻撃を仕掛け、俺もそれに続く。盾の一部を切り離して、至近距離から弾丸を撃ち出す!
「むっ!」
師範は横っ飛びに回避し、俺の弾丸もイレアの氷柱も躱されたかに思えたが、
「絡み付け――アイシクルソーン!」
氷柱の先端から一瞬にして氷の棘が伸びる。予想外の攻撃に師範も驚いたようだが、躱しながら両手の剣で払い除けた。
今だ!
「『加速』!」
瞬時に詰め寄った俺に、二人が同時に反応する。氷の攻撃を続けるイレアはその方向を変え、俺と挟み撃ちになるようにした。師範は隙を生まないように背後を警戒し、片手でイレアの攻撃を捌く。
師範と目が合った。俺を警戒している。
「はああっ!!」
防御を捨て、マテリアルを全て弾丸に変えた俺は――それらを空中に放り投げた!
「!」
「『加速』っ!!」
そして同時に、手元に一部残したマテリアルを放つ。師範の意識が一瞬散ったが、当然のように撃ち落とされる。俺は追撃を警戒してバックステップで距離をとった。しかしその間もイレアの攻撃は続いている。
「軽い、ですなっ!」
師範は後ろ手でイレアの精霊術を往なし、俺を見据える。下がった時に俺は普通の精霊術の準備をした。体力的に『加速』が使えるのは残り二回、『硬化』は一回ほど。
「『加速』!」
再びイレアの対角から師範に肉薄し、手元に水を集める。イレアの攻撃の手段になるなら何でもいい。
「撃ち抜け、アクアショット!」
「円」
水弾を放つ。『加速』は残り一回。イレアの攻撃も激しくなるが、同時に防がれてしまった。これで俺達の攻撃手段は――あと一つだ。
「穿て、クリスタルバレット!!」
俺が撒き散らした水からイレアが氷弾を生み出すが、それも弾かれた。二刀流――俺達が二方向から攻撃しても防がれてしまう。ならどうすれば?
「今だっ! 『硬化』、『加速』!!」
簡単だ。三方向から攻撃すればいい!
「これはっ……!」
空中に投げたマテリアルが降って来る。しかし、ただ闇雲に投げた訳ではない。師範の真上から落ちて来るマテリアルが俺の射程範囲に収まった瞬間。
ズドドドドドッッッ!!!
一気に高速の弾丸と化し、俺と師範に降り注ぐ。もちろん師範だけに当てるなんて器用なことはできないので、俺は自分自身に『硬化』を掛けてある。体力切れで倒れそうになりながら自らの弾丸の雨を浴び、砂煙の中で目を凝らした。
「はあっ、はあっ……」
「……お見事、ですな」
水と氷、地面から跳ね返った土で泥だらけになった師範の頬に、一本の赤い線が引かれる。
「っし!」
「リオ、やった!?」
三重の攻撃がようやく届いたのだった。少しよろめきながら、イレアとハイタッチする。何はともあれ、勝利の喜びを分かち合った。関心とばかりに師範も頷く。
「粗削りですが、連携としては十分。互いに信頼が見えますな」
「まあ、イレアが合わせてくれてるので」
「リオは突飛な事するように見えて、自分の出来る事しかやりませんから。援護はしやすいんです」
正直言って、俺の方から合わせようとする事はあまり無い。前よりは周りを見えてはいると思うが、後ろを見ながら戦えるほど器用ではないのだ。その点イレアは初動の攻撃とその後の援護の仕方が分かりやすくて助かる。いや、これが連携ができてきたって事か? だが制御が甘い今の俺では、攻撃範囲内に味方が居られないのが難点だな。
「ふむ。ヒナ殿はどう思いますかな?」
「んー、ちょっと前より全然良いんじゃない? 邪霊が相手だったらもっと声出して合図すれば良いと思うけど、今はしょうがないね」
「同感ですな。人と戦う場合も、味方だけに通じる合図があるとよいですぞ」
「なるほど……分かりました。明日はどうする?」
「そうね、簡単なのをいくつか決めておきたいわ」
ヒナも交えて邪霊と戦う時のアドバイスなどを貰い、明日に備えて今日の修行は終わりとなった。
それにしても、師範の指導は個人、チーム、対人、対邪霊に問わずとんでもなくレベルが高い。只者でないとは思っていたが、ウンディーノ家とのコネやルー先輩の強さからしても、やっぱり何かありそうだな。
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そして翌日、いつも通り学園のグラウンドに集まった俺達は。
「これは……何というか……」
「露骨だねー」
大きな注目を浴びていた。好意的なものではない。もちろん全てに悪意を感じる訳ではないが、凡そ正の感情は見て取れない。
「食堂とかだとここまで注目されてなかったわよね? 何かしら」
「例の噂だろうけど、成程な。広まってる層はどうもこの辺りが中心らしい」
留学生、トーナメントや討伐演習の参加者、そして優秀な生徒の中でも最大の派閥であり、俺達と敵対しても問題の無いノーミオ家に近しい者達。つまりは、学園の中でも影響力の強い生徒達だ。噂を意図的に広めるなら最も効率が良いと言える。
「気にしても仕方ないわ。号令されたらすぐ出発できるように準備してなさい、三人とも」
するとソージア先生が俺達の元にやって来てそう言った。誰も長居はしたくないので、素直に従って支度をする。程なくして学長の挨拶と号令がかかり、俺達は出発した。
「――という訳で、今日は俺は剣を使えないんです」
「分かったわ。その分、身を守る事にはいつも以上に慎重になるのよ」
「はい。でも何かあったらお願いしますね」
「そういう所よ。何も無いようにしなさい」
移動中、ソージア先生に俺が課せられた制限について話した。ちょっと叱られたが、確かに先生の治癒頼りになり過ぎるのも良くないな。
「さ、今日はこの辺りにしましょうか。無いとは思うけど、ちょっかい出されたら堪ったものじゃないから」
そうこう言いながら到着したのは、公国東の草原の一角に背の高い木々が作っている林だ。他の班から隠れるためでもあるが、もう一つ別の事も想定してもいる。
「行きましょう」
先生の合図で、俺達は昼間でも少し薄暗い樹木の下に足を踏み入れた。




